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「………………つか、最悪だな」
 将が呟くまでもなく、雅之も、固まったままでいた。

 
5月8日 第一週 
          J&M  HIDE&誓也「Love season」
          アーベックス 安室美奈江「シュールスター」
          東邦EMG  EXILS「ラバーズ」
          サニーエンタプライズ 大塚 恋「五つ星」


「……こ、こっからして」
 言い差して言葉が出ない。

 そもそも、一位どころか、二位さえ取れるかどうか。 

 
5月15日 第二週 
           アーベックス 宇佐田ヒカル「ドロップス」
           東邦EMG Glays「永遠の朝」
           スターダスト 幸田未来「モンローウォーク」
           イエロープロ モーニングガール「一緒に……」

      
 宇佐田ヒカル。
 雅之は、さすがに眩暈を感じていた。
 わずか二年前、Jポップに彗星のようにあわられ、有線と口コミで一気に人気が爆発し、デビューシングルでミリオンをたたき出した天才シンガー。
 雅之の記憶が正しければ、これは、待望された一年ぶりのシングルになるはずだ。     
「………絶望的っつーか」
「これ、ぶっちゃけ、ヒデの野郎も、二週連続トップは難しいんじゃねぇの」
「できたら、普通にすごいよな」
「んなこと言ってる場合かよ」
 しかし、そう言った将の顔色が、次の一行で一変した。


 
5月21日 第三週 東邦EMGプロ RITS「題名未定」


「………憂也」
 将が呟く。
「ま、そういうことみたいだね」
 と、どこか人事のように憂也が答えた。
 憂也は立ちあがり、伸びをしてから、締め切っていた窓を開けた。
 夕風はもう、初夏の香りを含んでいる。
「そもそも、不可能、まさにミッションインポッシブルな世界だったってわけよ」
―――どういう意味だろう。
 雅之と聡は顔を見合わせ、二人にしかわからない会話をしている将と憂也を見た。
 正直言えば、ここまで絶望をはっきり顔に出している将を見るのは、雅之には初めてのような気がする。
 いつも、なんとかしてくれるのが将君で。
 何があっても、絶対に諦めないのも将君なのに。
 その将の目が、暗く沈んでいる。
 それが、ますます雅之の気持ちを不安にさせる。
「………RITSは、東邦プロの看板アーティストで」
 同じように固まっていたりょうが、硬い表情で口を開いた。
「シングル売り上げチャート、連続一位の、日本記録を持ってるユニットだよ」
 それは雅之も知っている。
 先日、TAミュージックアワードでも見かけた、男二人組みのロックユニット。
 日本が世界に誇る天才ギタリスト、そのテクニックは、どんなアーティストにもコピーできないと称されている。
―――でも……。
 雅之は、同じようにいぶかしげな目をする聡と顔を見合わせた。
 曲の売れ行きや人気の度合いで言えば、宇佐田ヒカルの方がまだ上だ。
 というより、上すぎて、怪物的な粋にさえ達している。その宇佐田ヒカルより、RITSの名前を見た途端、将が顔色を変えた理由が判らない。
「うちのスニーカーズさんが、ちなみに、連続記録の二位につけてるって知ってる?」
 と、憂也。
「ああ……そういや、聞いたことあるような」
 と、やはり不思議そうに、雅之の顔を見つつ、聡。
「一位の東邦を、二位のうちが追ってる形、ちなみに、その記録更新を邪魔しないように、J&Mの新曲はRITSの新曲発売日には、絶対に出さないし、出せない」
 憂也は、視線だけを窓の外に向けながら、淡々とした声で続けた。
「その見返りに、スニーカーズの新曲発売日に、RITSは絶対に新曲を出さない」
「………………」
「つか、どの音楽会社も、RITSとスニーカーズの新曲発売日に、トップを狙わせるような看板を絶対にぶつけない」
「………………」
「それが、音楽業界の暗黙の了解になってるんだよ」
「………………」
 じゃあ。
 雅之は、唖然としながら、立ったままの憂也を見上げた。
 じゃあ、そのRITSの新曲発売日に、勝負を挑まなければならない俺たちって。
「つか……そんなの、ありなのかよ」
 戸惑ったように聡が口を開いた。
「そんなの、言い方悪いけど、ちゃんとした記録じゃないっていうか……なんか、フェアじゃないっていうか」
 雅之もそれは同感だった。
 が、そこに――尊敬する先輩ユニット「スニーカーズ」が絡んでいるとなると、複雑すぎて何も言えなくなる。
「フェアってなんだよ」
 が、憂也は、冷めた目でそう言うとわずかに笑った。
「民主主義にそもそもフェアもへちまもねぇだろ、売れたもの勝ちなんだ、会社が曲を売る以上、アーティストの理想なんてそもそも歯牙にもかけてもらえねぇって話だろ」
 憂也はそう言って、まだ固まったままの将を見下ろした。
「どうするよ、将君」
 将は応えない。
 ずっと、怖い目をしたまま、手元のパソコン画面を見つめている。
「少なくとも、そこでうちが勝っちまったら、J&Mと東邦プロ、ついに全面核戦争勃発ってとこじゃない?」
 それでも、将は黙っている。
 もともと東邦プロから独立して創業されたというJ&M。
 二つの会社には、昔から因縁や衝突があったという。
 が、その因縁が、決して過去のものではないことは、今では雅之でも知っている。
 先日の「TAミュージックアワード」で、J&Mは、一歩間違うと、取り返しのつかない泥を塗られるところだったのである。
 それが、どこまで意図された罠だったかは明らかではないが、「暴力アイドル」緋川拓海へのバッシングは、日を追うごとに激しくなり、一時は看板番組のスポンサーの撤退まで噂されたほどだ。
 その東邦に――RITSの持つ不敗神話に、真っ向から勝負を挑まなければ、解散という最悪の選択肢。
「奇跡が起きて、」
 パソコン画面を閉じながら、将がようやく口を開いた。
「一週、二週とトップが取れたとしても、第三週は不可能だ、それやっちまうと、業界のバランスが崩れちまう、社長がそこまで考えてるとは思えない」
「じゃ、どうすんの?俺ら解散?」
 カーテンを開けながら、憂也。
「どうするって、どうにかして、なんとかなるものかよ、これが!」
 雅之は咄嗟に腰を浮かせていた。多分、同時に聡も。
 東邦とJの戦争の前に、まず憂也と将の戦争が始まりそうな気配。
 むろん、それが二人の決定的な亀裂にはならないと信じている。が、気性の激しい二人のぶつかりあいは、基本平和主義の雅之には耐えられない光景なのである。
「なんだって、不可能だと思えば不可能だし」
 が、憂也は、静かな声でそう言った。
 ん?でもどっかで聞いたセリフだ。
「何もかもそれまでのことよ、できないと思った時点でデッドエンド」
 将が立ち上がる。
「ね、バニーちゃん」
「うらぁっっ、憂也っ」
「わーっっ、将君、頼むから落ち着けっ」
「憂也も、これ以上挑発すんなっ」
 まさに怒髪天をつく将だったが、憂也は、楽しげに笑っていた。
 ひとまず二人を引き離して、元通りソファに全員腰を下ろす。
「ま、確かにそうだよな」
 最初に呟いたのは、意外にもりょうだった。
 ずっと黙っていたりょうは、不思議なほど落ち着いた目をしていた。
「どのみち逃げ道はないんだ、会社のやり方にはむかつくけど、とりあえず、やってみるしかないんじゃないかな」
「そうだよ」
 すぐに相槌を打つ聡。
 雅之も大きく頷いた。
 かなり――いや、相当難しいっていうのは、よく判った。でも、他に方法がないなら、やるしかない。
「社長の鼻明かしてやろうぜ」
「なんとかなるさ」
「だよ、いつだってそうしてきたじゃねぇか、俺ら」
「うん!」
 が。
 この三人の勢いに、残り二人がのってこない。
 将と憂也。
「………憂也、」
 雅之は、不安を感じて憂也を見る。
 正直言えば。
 TAミュージックアワードの時から、俺、ちょっと……憂也のことが。
「んー」
 憂也は、どこか曖昧な笑みを浮かべて鼻の頭を掻いた。
「つか、肝心の奴が、まだ迷ってるみたいでさ」
 その視線は、1人難しい顔をしている将に向けられている。
「今回ばかりは、俺らだけじゃ勝てないと思うんだよね、真咲さんやイタさんや……ま、スタッフみんなの力がないと」
 憂也はそう言うと、鞄を持ち上げて立ち上がった。
「どこ行くんだよ」
「仕事、みんなより暇だけど、たまには仕事もやってっから」
 こんな時に。
 雅之は、出かけた言葉を飲み込んだ。
 仕事なら仕方ない、でも、憂也の場合、自分が何の仕事をしているかさえ、メンバーに話してくれない。
 多分、深夜アニメのアフレコだろうが、その話は憂也の口からは一切何も出てこないし、いつも、曖昧にはぐらかされるだけ。
「そういや、みんなにも聞きたいけどさ」
 その憂也が、最後に足を止めて振り返った。
「みんなさ、そもそも真咲さんのことどう思ってんの」
「え……」
 真咲しずく。
 雅之の隣で、将が表情を硬くするのが判る。
「今回の勝負、ぶっちゃけ、ヒデのデビュー飾るだけが目的じゃないと思うんだよね、俺」
 憂也はそういい差し、同意を求めるように将を見下ろした。
 将は何も言わない。ただ、黙って手元を見つめているだけ。
「これはさ」
 仕方ない、といった風に苦笑して憂也。
「多分、真咲さんと唐沢社長の個人的な争いだよ。言ってみれば代理戦争、そこに、俺らが乗る覚悟、マジでできてんのかなって思ってさ」
 乗る覚悟……?
 意味が、判るようで判らない。
 雅之は、同じように不思議な顔をしている聡を見る。
 つか、個人的な争い?代理戦争?
「なんか……そんなくだらない理由で、解散とか勝負とか決められても」
「あのさ、理由なんて今更どうでもいいんだよ、俺らがその勝負に乗るか乗らないか、問題はそっちなんだって」
 憂也の、切り捨てるような声。
「…………………」
 雅之は黙って、視線を下げた。
 乗るか、乗らないか?
 判らない、将君が怖い目で黙ってる理由も、今、憂也が、少しだけ苛立ってる意味も。
「今回は、俺らが、全面的に真咲さん信じられなきゃ負けだよ、戦うまでもない」
「じゃ、憂也は信じてるのかよ、あの人のこと」
 反論したのは、めずらしく冷たい目になっているりょうだった。
 真咲しずく。
 微妙なのは、雅之もまた同じだった。
 最初の出会いがそもそも最悪。目茶苦茶いわれて、腹立って――なのに、陽気で綺麗で、結構可愛くて、信じてもいっかな、と思ったら、裏切られ、信用できねぇ、と思ったら、助けられ、そんなことの繰り返しで今日まで来た。
 正直、信じていいのか悪いのか、いまひとつ判断できない曖昧な人。
「俺?俺は信じてない」
 憂也はあっさり口にした。
「ただそれは、仕事とは別の部分の話だから。今回は信じるよ、つか、それも将君が信じるっつったらの話だけど」
「なんで俺だよ」
 ようやく、将が口を開いた。
「将君が一番揺れてるからだろ」
 憂也は突き放したように言うと、それ以上の会話を拒むように背を向けた。


                   8


 
東邦EMGプロダクション 真田孔明
 
 名刺を前に、携帯を手にした将は、再び目を閉じてため息を吐いた。
 連絡すべきか、このまま永久に忘れるべきか。
(――私は君に興味を持ち、そして今に至った、これはもう運命だよ、そうは思わないか)
「………………」
 運命か。
 本当にそれが、ストームの未来の光になるのなら。
 将は携帯を投げ出して、傍らのベッドに倒れこんだ。
―――つか、どうすりゃいいんだ、マジで。
 憂也に突き放されるのも当然だ。見抜かれている。将は、最初からずっと迷っていたし、多分、事務所でも、1人で別の方向を見ていた。
 独立、もしくは移籍の可能性。
 否応なしに突きつけられた、勝てるはずのない勝負。
 負ければ解散。昨日までの楽しかった日常への、最終通告。
 5人で、こつこつ、泣いたり笑ったりしながら積み上げてきたものが、全部ダメになろうとしている。
 が、例え、奇跡が起きて、勝ったとしても。
 憂也の言いたい意味は、将には判る。
 これは、単にストームとヒデの戦いではない。
 おそらく、会社の経営権を賭けた勝負なのだ。
 勝負の先には、将にも予想できない激変が待っているかもしれない。その矢面に立つ覚悟があるのか、憂也はそう言いたかったのだろう。
 もし、ストームが勝ってしまえば。
―――ま、そんなこと、有り得ねぇか。
 将は、目を閉じて寝返りを打った。
 つか、どうするよ、俺。
 東邦に逃げたとしても、ユニットで使わなければ意味はない。
 独立はもっと危険だ。
 ストームという名前が使えなくなるのは勿論、今まで出した楽曲も、使用禁止になるだろう。東邦にも目をつけられている以上、J&Mだけでなく、東邦からも潰しにかかられる可能性がある。
 そういう意味では、確かに迷っている場合ではなかった。
 選択肢はふたつ。
 真田会長に直接交渉して、ストームというユニットごと引き取ってもらうか。
 勝てない勝負に挑んで、ゼロ以下の可能性を自分で広げていくか。
 どちらか、だ。
「将、」
 ノックと共に、いきなり聞こえた懐かしい声。
 将は驚いて跳ね起きていた。
「親父?」
 嘘だろ、と思う。
 仕事が忙しくて、月単位で家を空けるのが常の父親。同じく忙しい将とは、かれこれ一年以上顔を合わせていない。
「降りてきなさい、たまには食事を一緒にどうだ」
 扉の向こうから、どこか冷たい声だけがした。
 それだけ言って、階段を降りて行く足音だけが聞こえてくる。
「あ……、はい」
 食べてきました、とは言いがたい。
 午後8時すぎ、外交官で会食やパーティ慣れした父には、どうも時間の常識が通じないところがある。
 外務省の官僚の中でもエリート中のエリート、次期政務次官の最有力候補でもある父の役職は、アジア太平洋州局長。
 近年の中国との国交問題、北朝鮮の拉致問題。国際的な問題が山積みの部署についた父は、年々家庭の中で表情をなくしていくようだった。
 もともと子供の頃から、厳しい父が苦手だった将には、ますます近寄りがたい存在。
 今夜も、どうせ無言の説教が待っているのだろう。
―――まいったな、何話せばいいんだか。
 それでも、部屋の電気を消し、階段を降りかけた時だった。
 階下から母親の声がした。
「萌々、そんな格好で歩かないの!」
「はぁい」
「いくつだと思ってるの」
 少しだけ苛立った声。
 俺のせいかな、と将は、少し所在ない気分で、階段を降りる代わりにトイレに入った。
 つか、妹の寝巻き姿に欲情するほど、けだものじゃねーんだけど。
 そんなことくらいも、最近の、神経過敏気味な母親には、わかんねぇのかな、と思う。
 まぁ、それも――萌々の馬鹿が、俺にへんな感情持つようになったからなんだけど。
 そこんとこは、所詮、少女漫画みたいなドリームチックな感情で、現実はもうとっくに乗り越えたんだと思う。しかし、母親には、想像しただけで耐えられないんだろう。
 実の娘が、どこの馬の骨とも判らない赤の他人の産んだ子に、
「………………」
 将は嘆息し、部屋に戻ると上着を掴んで階段を足早に降りた。
「将、どこに行く」
 開いたリビングの扉、中から父親の声がした。
「すいません、急に仕事が入ったんで、少し出てきます」
 玄関のキーボックスから、車のキーを掴み取る。
 リビングからは何の反応も返ってこなかった。
 将は、一人、夜の戸外に出て行った。














※この物語は、全てフィクションです。


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