一


 九月某日。
 東京、六本木。
 J&M事務所の四階は、めずらしく人の出入りで溢れていた。
 取締役会議のために設けられた広い会議室がある階。
 普段は、無人のまま静まり返っているフロアだが、四半期ごとに行われる役員会議の日だけは、様々な人が慌しく出入りする。
「いつもそうだけど、役員会のある日って、緊張しちゃいますよね」
 会議用の書類を机の上に置きながら、入所して三年目の事務員、七草愛美はそう言って、先輩の加藤奈々に声をかけた。
「滅多に事務所にこない、緋川拓海さんが来られるんですもの」
 そう――Galaxyの緋川拓海。
 興行成績トップのタレントでありながら、同時に、この会社の取締役の一人でもある、日本を代表するアイドル。
「そうよねー、まさか、緋川さんまで取締役になるとは思わなかった、役得だわよね、お茶汲みの私たちは」
 奈々は呑気な相槌を打ち、書類の枚数をチェックしている。
 でも……。
 と、その緋川に憧れてJ&M事務所に入社した愛美は、少しだけ眉をひそめた。
「緋川さん、独立をちらつかせて強引に取締役に就任したって、……あの噂、本当なんでしょうか」
「ああ、みんな言ってるわね」
「……それで、社長や美波さんの心証悪くしてるって……」
 それが、少しだけ愛美には不安なのだ。
 小学校の時から、熱心なJ&Mのファンだった愛美はよく知っている。
 この事務所に所属するタレントで、上層部にたてついて、芸能界で生き残った者は一人もいないということを。
「ま、……普通はやばいとこだけど、緋川さんは別格でしょ」
 と、奈々はなんでもないことのように言った。
「今の日本で、あの人以上のアイドルは出ないとまで言われてるし……まだ二十代、人気はまだまだ上がるわよ。唐沢社長も、緋川さんだけは手放せないでしょ」
「……まぁ、そうですよね」
 と、愛美は自分を納得させる。
 そう、多分大丈夫。が、揺ぎ無い栄華など、たったひとつのスキャンダル、そして、たった一言の失言で、あえなくなくなるのが、この世界の恐ろしいところなのだ。
 かつて、人気の頂点にあったJ&M出身の田丸俊哉が、マスコミを怒らせて仕事がなくなり、今はまったく日の目が見えないところまで落ちてしまったように。
 緋川拓海には、今は、これといったスキャンダルはない。マスコミ受けもいい。
 が、愛美がひそかに不安に思うのは、彼の――意外に一本気で、熱い性格である。
 テレビなどではクールに振舞っているが、実は、同じ取締役の美波涼二と、相当激しい言い争いをしている現場を、何度も愛美は見てしまっている。
 その激しさが――人気絶頂といわれながら、まだ、大人になりきれていない部分が――愛美には、どこか不安に思えるのだった。


               二


「遅くなりました」
 緋川拓海は、重たい扉を押し開けてからそう言った。
 いつものことだが、この部屋に入ると息がつまりそうになる。
 円卓に座っているスーツ姿の男たち――全員が、その一瞬、緋川拓海に視線を向ける。
「じゃあ、全員揃ったようですので、はじめましょうか」
 穏やかに口を開いたのは、取締役社長、唐沢直人だった。
 彼を取り巻くように、円形の大きなデスクにずらっと座っているのは、この――J&M事務所の重役連中である。
 緋川は無言で目礼し、定められた自分の席――末席に腰を下ろす。
「はじめさせていただきます、では、最初の決議事項から」
 ぬっと、取締役社長――唐沢直人の隣に座っていた男が立ちあがり、野太い声でそう言った。
 四半期一度の定例の役員会。
 司会進行を勤めるのは、つねにこの男、専務取締役常務の、藤堂戒である。
 180センチ近くある長身に、堂々とした体躯。
 目は細くきれあがり、眉はほとんど見えないほど薄い。
 頬にはあばたの後が強く残る――強面の異相である、が、不思議と人をひきつける、妙な魅力を持った男だ。年は、40を少し過ぎたくらいだろうか。
 緋川拓海―――事務所の看板スターでもある彼も、昨年取締役に就任するまでは、殆ど藤堂の存在を知らなかった。
 いわば、このJ&M事務所の、闇の部分なのだろう。
 そして、今は緋川も知っている。マスコミやテレビ局への圧力、スキャンダル潰し。そんな汚い仕事は、全てこの――藤堂戒が、中心となって行っているということを。
「お手元の資料をご覧下さい」
 藤堂にうながされ、緋川は目の前に置かれた分厚い冊子を一枚めくった。

 議案
 今秋11月デビュー予定
 新ユニット「storm(仮)」に関するプロジェクト

「では、私が説明します」
 と、再び、上席の、唐沢直人が口を開いた。
 ピンストライプのダークなスーツ。一部のすきなく固められた髪、実際、俳優としてでも十分やっていけるほど、端正で美丈夫な男である。
「今年、Fテレビが、日本で開催されるワールドカップバレーを独占中継する予定になっています。Fテレさんとしても、オリンピックの数字を全部他局にもっていかれて、バレーという市場に活路を見出そうと、今回は、相当気合と予算をつぎ込んでいる」
 次のページをご覧下さい。
 唐沢がそう言い、席についた全員がページをめくる。
 が、緋川の隣で、腕を組んだまま座っている男だけは、最初から一度も冊子のページをめくってはいなかった。
―――何もかも、事前に打ち合わせ済ってことかよ。
 緋川は、苦々しくそう思いながら、隣席の――緋川と同じくタレント兼取締役、美波涼二の横顔を見つめる。
 黒のタートルに、黒いスーツ姿の美貌の男は、緋川が隣に着席した時から、その怜悧な横顔を、ひと筋も動かしてはいなかった。
 これも――いつものことだ。
 緋川もまた、隣の美波を完全に黙殺している。
「そこで、Fテレさんは、今回、全面的にうちに協力を依頼してきたのです。つまり――ワールドカップバレーとコラボした新ユニットを、大会開始と同時にデビューさせてくれないかと」
「以前……サンテレさんと組んで、SAMURAIをデビューさせたやり方ですね」
 すこし、おどおどと口を挟んだのは、常勤監査役の唐沢省吾だった。
 冴えない風貌の小男は、実は、専務取締役社長――唐沢直人の父親なのである。
 事務所の創立時から会計担当として所属していたらしいが、その愚直で欲のない性格が災いして、今では、実子を社長と仰ぐという、笑えない現実に直面している。
「そうです、が、その時とは、予算の掛け方の規模が違うのです」
 唐沢社長は、冷たいとさえ思えるほど、そっけなくそれに答える。
 緋川は、ページをめくり、そして眉をひそめていた。
 デビューイベントにかける予算は――5000万。
 これは、今までのJの中では最高額だ。最高額、というよりは破格。
「半分は、Fテレさんの出資です」
 社長が、そう説明する。
 ふっかけたな、緋川は即座にそう思うが、それは口には出さなかった。
 今の芸能界。人気男性タレントの七割は、この事務所に所属している。テレビ局との関係では、実はJは、圧倒的に優位な立場に立っているのである。
「かけすぎでは……ないでしょうか」
 と、おどおど口を挟んだのは、やはり唐沢の父親だった。
「SAMURAIもMARIAも、全て1000万円代で、大きな成功をおさめています。いくら半半の出費でも、無駄なものは」
「今までとは、これが少々勝手が違うのですよ」
 唐沢社長は、そう言って薄っすらと笑った。
「今までのうちは、Kids時代の人気が沸点になるまで待ち続けて、一番旬な時にデビューさせるという戦略をとってきました。スニーカーズもSAMURAIも、そのパターンで莫大な興行成績をあげる事が出来た。緋川君」
 その、怜利な目が自分に向けられるのを感じ、緋川はむっとして、眉をひそめる。
「それは、君も、よく知っていますね」
「はぁ」
 むかつきを抑え、緋川は素っ気無くそう答えた。
 唐沢直人は満足げに微笑する。
 まるで、お前の人気があるのは、事務所の戦略のおかげだぞ――とでも言いたげな笑い方だった。
「ゆえに今までは、デビュー時の宣伝費を抑えても十分トップを狙わせることができたんです。うちの事務所からデビューさせる以上は」
 唐沢の目が、きらっと白く光ったような気がした。
「必ず、芸能人としてトップに立たせる。デビューシングルは、何があってもオリコントップでなければ許されない」
 その無駄のない戦略が――今まで、事務所を支え続けてきたのだ。それは、緋川もよく知っている。
 ゆえに、デビューするユニットはごくわずかだ。毎年100人近く入ってくる新人、その大半が、デビューという甘いエサをちらつかされ、ほとんど無給で飼い殺しにされているという現実。素質があっても、よほど運がよくなければ他所の事務所で再起することさえできない。
 J&M事務所が――そのタレントをつぶしにかかるからである。
 緋川拓海は、その悪習のようなシステムをなんとかしたいと思って、今年の春、取締役に就任した。
 自分の考えが、事務所の経営の根幹と、頭から矛盾しているとわかった上で、である。
 何もできずに文句ばかり言うよりは、現実を知り、少しでも経営を学びたいと思ったのだ。
 が――、そんな緋川を、今では唐沢社長以下、取締役の美波涼二、同じく矢吹一哉などが、完全に煙たがっている。
 おそらく、緋川の人気が凋落すれば、取締役解任はおろか、仕事も回ってこなくなるだろう。―――が、それも全て覚悟の上で、今も緋川は、取締役の座に座り続けている。
「では……」
 唐沢父が、少し意表を衝かれたような顔になった。
「このユニットに、貴沢秀俊は入っていないので」
「まだ貴沢は、その時期ではありません」
 唐沢社長が即座に答える。
 その言葉は、緋川にとっても意外だった。
―――貴沢が……入らない。
 では、あれはなんだったのだ。
 今年の夏のMARIAのコンサート。
 主役であるMARIAを食うような形で組まれた演出。最終日、貴沢と河合が出演したことで、社会問題にまでなったあの騒ぎ。
 あれは――貴沢をデビューさせるための、布石ではなかったのか。
「というより、貴沢の株は、まだ伸びます。まだ……デビューさせるには、もったいない」
 社長は、自信たっぷりの口調で続けた。
「今、デビュー前の貴沢のゴールデン枠をめぐって、テレビ局各社が熾烈な争いを繰り広げています。それは、我が社にとっては、色々な意味で利益のあることなのですよ」
「つまり」
 緋川は、さすがに我慢できずに口を開いていた。
 そして、ようやく、あのコンサートの意味を理解した。
 あれは、―――新ユニットの結成をちらつかせ、マスコミ各社の注目を集めさせたコンサートは、貴沢の株を高めさせるための、それだけの意味しかなかったことを。
「あれですか、貴沢はエサとして、まだぶらさげとくってことですか」
「口が悪いね、緋川君、ここはレッスン室ではないよ」
 唐沢社長はやんわりと牽制し、そして冷たい笑いを目に浮かべた。
「まだ貴沢は、デビューの時期ではないということです」
 余裕たっぷりの声だった。そして、その視線を美波に向ける。
「メンバーの選考は、基本的に美波君に一任しています……美波君、説明してもらえますか」
「はい」
 ようやくそれまで無言だった美波が口を開いた。
「十五ページ目を」
 美波がいい、全員がページを捲る。
 とたん、どよめきが広がった。

 STORM構成メンバー

 綺堂憂也
 柏葉将
 成瀬雅之
 東條聡
 片瀬りょう

「……おい、大原や河合は、入らないのか」
「まだ、人気のあるメンバーがいるだろう」
「お静かに」
 そう言って、美波は静かに言葉を繋ぐ。
「……まず、綺堂憂也、彼をセンターにもっていきます」
―――ああ……。
 と、緋川は眉をわずかに緩める、あの――お姫様だっこされてた奴か。
「次に、柏葉将、彼には知性とクールさで脇を固めてもらう」
 だっこ、してた奴。
「成瀬雅之、東條聡は、とぼけたキャラを全面に出して」
 不安めいたざわめきはまだ収まらない。
「片瀬には、ビジュアルで全体を締めてもらいます」
 不安な気持ちは、緋川もまた同じだった。
 ここに並ぶメンバー五人。
 一人一人は悪くはない、が、花になる目玉がいない。
 綺堂は、演技が認められ、映画やドラマのオファーがきている、人気もある、が、所詮は玄人受けだ。貴沢や河合、大原のように、中高生に爆発的な人気があるわけではない。
 柏葉もそうだ。素材はいいが、まだまだ未完成で、旬にはほど遠い。
 成瀬、東條は、OL層を中心に根強いファンをゲットしているものの存在感がいまひとつだし、片瀬は――半年のプランクがある。実際、この浮き沈みの激しい芸能界で、半年のフェードアウトは致命的だ。
「最初に言いましたが」
 口を挟んだのは、唐沢社長だった。
「これは、事務所とFテレビが、戦略として売り出すユニットなんです……実の所」
 そこで少し言いよどみ、唐沢は、縁なし眼鏡を指ですっと押上げた。
「タレントは誰でもいい。そこそこ人気があって、歌えて、間合いのいいトークが出来ればそれでいける。できれば全員仲がいい方がいい。あとはバランス――今回は、それを基準に、美波君に選定してもらいました」
 そういうことか……。
 緋川は、嫌な気持ちになって、隣に座る美波を横目で見た。
「そして、彼らには、最低二年、もってもらえればいい」
―――え……?
 社長が続けて言った言葉が、すぐに緋川には理解できなかった。
「あと二年か三年で、貴沢秀俊をデビューさせます。
Stormは、そのつなぎだ。正直、このメンバーだ、厭きられれば自然に人気は落ちて、解散、引退となるでしょう。うちも、Fテレさんの援助がなくなれば、Stormに予算を割くつもりはない。ま、これは皆さんだけに言うオフレコですが」
「…………」
「むしろ、人気が下がりきらないうちに、もうけがある内に、引退させたいと思っています」
「ちょっと、待ってください」
 緋川はたまらず立ち上がっていた。
「入院中の城之内会長はそれを……了承してんですか、海外にいる真咲さんは」
「むろん、書面で了解を得ていますよ、緋川君」
 にっこりと笑って社長は言う。
「では、決議に入ります」
 藤堂が立ち上がり――最初から結論ありきの、意味のない多数決が始まった。


              三


「美波さん」
 会議室を出た緋川は、たまらず先に出た美波涼二を呼び止めていた。
 本当は、口を聞くのも苦痛な男。昔は兄のように慕っていた。デビュー前は、何かと面倒を見てくれた人だった。でも――今は、
 今の美波のとっている行動は、緋川から見れば、若い子供を食い物にしているとしか思えない。
「……あんた……それでも、タレントっすか」
 緋川は、怒りを噛み殺しながらそう言った。
「二年か三年もてばいい?冗談じゃねー、そんなん、あんただったら耐えられますか」
「…………」
 立ち止まった美波は綺麗な眼をすがめて、何も言わない。
「耐えられなきゃ、なんだ」
 そして、冷たい口調でそう言った。
「耐えられなきゃ、じゃ、みすみす目の前に転がったチャンスを棒にふるのか、お前は」
「…………」
 緋川はぐっと詰まっていた。
「事務所入りした時から、先を約束されたようなお前とは違ってな、そんな燃えつきかけた蝋燭みたいなチャンスにも、すがりつきたいってやからは、星の数ほどいるんだよ」
「そんなことは、判ってますよ」
 緋川もまた、かっとして言い返していた。
「俺が言いたいのは、そんな経営者の理屈を、社員代表であるあんたが、堂々と言っていいかってことじゃないすか、俺らは、取締役でも経営者じゃない、所属タレントを代表してあの場所にいるんじゃないのか」
 今度は美波が、きれいな眉をひそめて黙った。
「……今日のことだけじゃない……美波さんは……ずっとそうだ」
「…………」
「あんた、なんのために取締役になったんすか、俺、あんたが役員になって、事務所が少しはよくなると期待してました、期待して――思いっきり失望した、あんたはただの、唐沢社長の犬じゃねぇか」
「……犬か」
 初めて美波の顔に、冷ややかな、そして皮肉めいた微笑が刻まれた。
「好きに言えばいい、俺には俺の考えがあるし、それをお前に認めてもらおうとは、さらさら思ってない」
「…………その考えって……なんなんすか」
「説明する必要はない」
 それだけ言って、美波は形いい背中を向ける。
「美波さん!」
 その背に、緋川は、自分の無力さを噛み締めつつ追いすがった。
「あんた……変わったよ、なんだってそんな人になったんだ、昔のあんたはどこいったんだ、一体何があったんですか」
 美波の背中は答えない、歩調さえも緩めない。
 緋川は、舌打をして足を止める。虚しいため息が唇から漏れた。
「……これだけは教えてください、……あんたは、……事務所を守ろうとしてるんですか、それとも」
「じゃあ、これだけは答えてやる」
 美波はようやく振り返った。
「事務所なんてクソくらえだ」
「…………」
「犬のエサにもなりゃしねぇよ」
 緋川は、遠ざかる足音を聞きながら、しばらくその場から動くことができなかった。


                 四


「ええ、非常にいい人材です、間違いなく売れる……女性アイドル不在の時代ですからね、あの子は、使えると思いますよ」
 美波は、そう言い、携帯電話の向こうから返ってくる声に、耳を済ませた。
「そう、名前は流川凪、16歳です。双子の兄がいる。それも、ころあいを見てすっぱぬいてもいい話題になるでしょう。まぁ、一番の話題は」
 そこで美波は、自分を信じきっている、黒い双眸を思い出していた。
 その感情を、冷たい思考で横に押しやる。
「彼女が性をいつわって事務所に在籍し、わずかの間だが、活動していたということですよ。しかも、」
―――力には力で対抗するしかない。
―――力だ、美波。
―――力だ、力だ、力が全てだ。
 そう、力だ。
 力には、だから力で対抗する。
―――それだけが、大切なものを守る唯一のものだ。
 美波は携帯を持ちなおした。
「この秋、うちの事務所が代々的にデビューさせるユニット、stormのメンバーと恋愛関係を持っています。ええ、証拠写真は、それまでには用意します。これは……ものすごい話題になりますよ」
 そして、事務所にとっては、致命的なスキャンダル。
「唐沢社長は、間違いなく流川を潰しにかかるでしょう、そうなれば巨額な予算をつぎこんで立ち上げる新ユニットも共倒れだ」
 人気が低迷すれば、新ユニットを使って様々なイベントを企画しているFテレビが、違約金を請求する事態にもなりかねない。
「むろん……目玉は、緋川です」
 美波は静かに言葉を繋げた。
「楽しみにしていてください。緋川は必ず、あなたのところに移籍させます、ええ、あいつの人気がピークのうちにね……あいつも男だ、たたけば必ずスキャンダルが出てくる」
 受話器の向こうで、男のくぐもった笑い声が聞こえる。
「では失礼します……ええ、また連絡します、こちらから」
 美波はそれだけ言って携帯を切り、念のため、履歴も全て消去した。
 電話番号から、この電話の相手が誰なのか、すぐにつきとめられてしまうからだ。
「……唐沢……」
 こみ上げたものを奥歯で噛み殺し、美波は低く呟いた。
 そして携帯を上着のポケットに滑らせると、そのまま、エレベーターホールに向かって歩き始めた。
 
 

ext J&M事務所役員会議
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