1


「どう?」
 出てきた人を見て、真白は思わず「へん」と一言呟いていた。
「そっかー?まだまだいけると思ってたけど」
 高校生。
 の、制服を着ている現役アイドル片瀬りょう。
 そろそろ十代も終わりかけ。
「いけるとかいけないとかの問題じゃなくて」
 りょうの部屋の食卓で――椅子に腰掛けていた真白は、「似合わない」とだけ繰り返した。
 高校生に見えないこともない。
 基本的に綺麗な肌をしているし(男の若さも肌の持ちようだと初めて真白は理解した)、華奢な体格をしているから、高校生くらいになら、問題なく化けることができる。
 が、
 だらしなく着崩したシャツ、下着が見えそうなくらいずれたパンツ、腰に引っかかったベルトとチェーン。
 えりあしをゴムでくくり、ほとんど目が隠れるほどの帽子を被った姿は、そのへんでたむろしているセンスの欠片さえないちんぴら小僧のようだった。
 てゆっか、懲りすぎ。
「ま、これくらいしないとな、さすがに街中で正体バレたらヤバイじゃん」
 と、りょう。鏡の自分に満足げだ。
「………いいけど」
―――つーか、こんな男、私の方で願い下げなんですけど。
 真白は、この日のために新調した自分の服を見下ろす。
 柏葉将に可愛いと言われたレザー生地のプリーツスカート。モヘアのトップ。いかにもいまどきの女子大生っぽく。――というより、お洒落なりょうに恥をかかせないように、ばっちり決めたつもりだったのに。
―――ま、しょうがないか。昔とは違うんだし。
 内心、がっかりしたのを見破られたくなくて、
「その制服、どうしたの」
 何気ない風に聞くと、ぱっと、りょうの顔が輝いた。
「撮影で、捨てるっつーからもらってきた。初めて主演した記念なんだ」
「へぇ、衣装なんてもらえるんだ」
「――あ、こんなことなら、女の子用のも、もらって帰ればよかったかも……」
「あ、あっても、絶対着ないから」
 な、なにを考えてんだろう、この人は。
 バックを掴んで立ち上がる。先に真白が出かけて、そして街中で落ち合うことになっていた。
 東京でする、正真正銘の初デート。
「なんだよ、妙なこと考えてた?」
 笑いながら、りょうがその後を追ってくる。
「み、妙なことってなによ」
「制服といえば思い出すことがあるじゃん」
「…………?」
 背後から腰を抱かれる。閉口したが、そのまま振り返り、かがみこんだりょうとキスを交わしていた。
「思い出した?」
「……?だ、だから何」
「最初のキス」
「……………………」
 そ、そんなもの連想してたのか、こいつは。
 しないよ、普通。つーか、こんなことを言う年下の彼が、今、目茶苦茶可愛いんですけど!
 たまらなくなって、正面から、今度は真白の方が強く抱きしめる。再度りょうが首をかしげて、二度目のキス。
 今度は少し長かった。
「……もっかい」
「りょう、時間なくなっちゃうよ」
「でも、もっかい」
「…………」
 可愛い。
 最後に、ちゅっと軽く唇を合わせた。
 ぎゅっと抱きしめてくれる腕が気持ちいい。というより、もう愛しくてたまらない。
「……したくなった」
「ば、ばか、」
 さすがにそれは赤面しつつ否定した。
――昨日。
 私とりょうって、一体いつ寝たんだろう。
 尽きることなく求められて、溶けそうなほど――幸せを感じて、それから何度もひとつになった。何度も、何度も。
 たくさんたくさん、りょうの名前を呼んで、で、今もまだ声がかすれているような気がする。
「……真白さん」
 りょうが囁く。もう一度口づける。
 昨夜、あれだけ満たされたのに、りょうは、もうすっかりその気になっている。
「りょう……、昼間だよ」
「平気だよ、誰も見てない」
―――りょう……
「好きだよ……」
「……ん……」
「ずっと俺んとこいて、もう、帰らないで」
 どうしよう。
 真白はりょうの肩に腕を回し、額を預けた。
 こんなに好きになって、
 もう、離れられないくらい、苦しいくらい好きになって――
「真白さん……」
 熱に浮かされたように名を呼ばれ、その熱よりも熱いキス。
 どうしよう。
 嬉しいよりも、今は――怖い。
 この恋で理性をなくしてしまったら、待っているのは辛い感情だけのような気がするから。


                  2


―――すごい人……
 休日のデパートは、色んな人でごったがえしている。
 真白は背後を振り返り、三歩離れてついて歩いているはずの人を見上げた。
 所在なく手をポケットにつっこんでいたりょうは、真白を見て、それから軽く目配せする。
 最悪、バレても、他人だといい逃れられる距離。
 制服は、さすがに着替えてもらっていた。りょうも、そこのところは冗談だったのか仕返しだったのか(初デート参照)、あっさりと翻意し、今はデザインシャツにジーンズ、ベロアの上着を羽織っている。
 胸元にはシルバークロスのペンダント、手首には皮製のリストバンド。靴だけが、傍から見ても高級そうで、あとはどこにでもあるような服。――なのに、それだけで、びしっと隙なく決まっている。
 仕上げはキャップ。つば部分が大きく、深く被ってしまえば、目元は影でほとんど見えない。
「…………」
 確かにばっと見、そこにいる人がストームの片瀬りょうだと気づくのは難しいような気がした。無論、顔立ちは隠しようが無く、そこはそのままなのに、雰囲気がまるで違うからだ。
 簡単に言えば、今日のりょうは、ちょっと気弱で気難しい大学生だった。
 高校生風(注・来年二十)に見えるテレビのイメージとは、全然違う。
 ふと気づくと、いつの間に真白のを追い越したのか、今度はりょうが、数歩前に立っていた。
「あれ、ここ、………時と、ちょっと……る」
 呟くような声が聞こえる。
 一メートルに満たない程度先にいるから、その声は人ごみにまぎれて聞き取れない。
「こういうの、デートっていうのかな」
 真白の声も、多分、届いてはいないのだろう。
「え?」
 と、振り返った端整な顔に、ううん、と真白は首を振って誤魔化した。
 そう言えば郷里にいた頃、一度だけしたデートの時も。
 りょうは、数歩離れた先を行っていたような気がする。その時は「いやな奴」と思っていたから気にもならなかったけど、あれも――今思えば、身に沁みた癖だったのだろうか。
 芸能人が、女の子とデートする時の癖。
 すれ違う高校生らしいカップルが、手をつないで囁きあっている。
 というより、行き交うカップルは、みんなべったりと寄り添っている。
―――手……つなぎたいけど。
 真白は、そんな感情に苦笑した。
 ないものねだりもいいところだ、昨日も、今朝も、もう飽きるほど一緒にいて、ずっと抱き合って過ごしたのに。
「何にすんの?」
 人が途切れたところで、少し歩幅を緩めたりょうの声。
「んー、迷ってる」
「なんでもいいよ、服でも、アクセでも、」
「せっかくだから、すごい高いものにしちゃうかな」
「いいよ、プラダでも、ティファニーでも」
 と、あっさり言われたのが、なんだか逆に寂しかった。かつかつのバイト代を切り詰めてここまで来た。その苦労は、りょうにはもう判らないのかな、とも思う。
 が、そんな真白の内心がわかるはずもなく、振り返ったりょうは、屈託のない笑みを浮かべた。
「真白さんは顔が寂しいから、耳になんかつけるといいかな」
「……………寂しくて悪かったわね」
「悪い意味じゃないよ、イヤリングにする?」
「いつかピアス開けようと思ってるから――まだ、いい」
 エスカレーターを避けて階段にした。
 ようやく2人きりになる。
「俺が開けたい」
「え?」
「好きな女の子に穴あけるのは男の役目」
「…………………どの面で言ってんのよ」
「あはは、半分本気なのに」
 階段をひょいひょいっと上がって、真白を追い越していく。
 その背中も、つかの間見えた横顔も、ただの、どこにでもいるような男の子に見えた。
 実際、一緒にいるときのりょうに、近寄りがたいオーラを感じたことは一度もない。なのに、今、決して近くに寄れない男の人。
「……芸能人って、どこでデートとかしてんの?」
「会員制のクラブとか、もっと高級なとこじゃないかな、御用達みたいなクラブやホテル、そういうとこがよかった?」
「………だめかも」
「だと思った」
 上の階は、さらにひどい人ごみだった。若い女の子でごったがえしている。
「クリスマス前だからかな」
「かもね、前はこんなじゃなかったのに」
 りょうも、少し戸惑っているのが判る。
「……でる?」
 少し不安になってそう聞いたが、りょうは何も言わずに先に立って歩き出した。
「すぐ終わるから、ちょっとつきあって」
「……いいけど」
「いい店があるんだ、ハンドメイドで、ここでしか売ってないからさ」
 先ほどから、何にする、と選択肢を真白に投げつつ、自分が先立って歩いていたりょうには、別の目的があるらしい。
 店内がこみあっているのは、やはりクリスマス前――有名ブランドのアクセサリー店に、カップルが殺到していたのと、女子高生に人気の店が、おり悪く、今日がオープンセール初日だったかららしい。
「ちょっとどいてよ」
「ほら、あそこあそこ、やだー、すごい人じゃん」
 今も、真白を押しのけんばかりに、派手なメイク――そして、いかにも女子高生風の女の子集団が、だだだっと通り過ぎていった。
 その中には、大柄な高校生だか大学生だかの男の子集団もいて、そのいかにも柄が悪そうなスキンヘッドや刺青の浮いてそうな雰囲気に、真白はちょっとびびってしまった。
 りょうの背中が、人ごみの中に紛れ込む。
―――りょう……
 思わず視線でりょうを探す真白の肩に、その時、どん、と人がぶつかった。
「ばーか、ぼけっとすんな」
 冷たい声。
 振り向きもせずに去っていく「ビジュアル系バンド」っぽい男集団の背を見送った真白のこめかみに、冷たいものが流れてきた。
「―――……」
 指で触れてすぐに気づく。アイスか何か、クリーム状のもの。
 耳の上のあたり、髪にべったりとついている。慌ててハンカチでそれをぬぐう。
「……サイテー」
 今頃になってこみあげた怒りと共に呟いた途端、上からばさっと帽子がかぶせられた。
「大丈夫?」
 優しい声。
 真白は、ちょっと冷たくなりかけていた自分の気持ちが、ふっと暖かくなるのを感じた。
 そのまま手を引かれ、りょうが先に立って歩き出す。
「ちょ……」
 大丈夫なのだろうか。
 セール品に夢中になっている客は見向きもしそうにないが、今、キャップを取り、少し不機嫌そうに髪をかきあげているりょうは、思いっきり「片瀬りょう」になっている。
「ごめんな、こういう時、俺ががつんって言わなきゃいけねーのに」
「……いいよ、無理じゃん」
「……ま、そうだけど」
 芸能人だから。
 そうじゃなくても、りょうがそんなケンカっぱやい男だとは思えないけど――。
 それでも、りょうの立場では、自分が何をされたとしても、公然と怒鳴ったり、ケンカしたりはできないんだろう、絶対に。
 階段の踊り場。男性用トイレの前。
 ベンチに座った真白は、りょうがハンカチを洗ってくるのを待っていた。
 そして、ふと思い出していた。
 何年か前、人気お笑いタレントが、路上で若者何人かに取り囲まれ、携帯で写真を撮られたか何かでケンカになって――。
「綺麗にとれるよ、大丈夫」
 りょうが戻ってくる。少し背をかがめて、真白の髪を、何度も丹念にハンカチで拭ってくれる。
「匂い気になるなら、何か買ってこようか」
「いい、平気」
 髪が、でもまだどこかべたついている。
 それを指ですいていると、
「これ、やるから」
 一度とったキャップを、りょうが再び真白の頭にかぶせてくれた。
「結構似合ってる。俺、別の買ってくるから」
「いいよ、私行くし」
「いい、すぐそこに店あるから」
 ぼん、と頭を帽子と一緒に叩かれる。
 見あげたりょうの顔は、笑っていたけど、少し元気がなさそうにも見えた。
―――りょう……
 階段を上がっていく背中。
 その背中だけは、雑誌やテレビで見るそれと同じだった。
 不思議だった。顔を見合わせれば、そこにいるのは確かに片瀬澪で、――芸能人のりょうではないのに。
 こうして背を向けられると、間白がよく知っている澪は、もうどこにもいないのではないかと、思えてしまう。
―――お笑いタレントと、彼を取り囲んでいた大学生がケンカになって。
 それから……どうだったっけ。
 何故か、そのことが頭から離れなかった。
 プライベートでいるところを、携帯で写真を撮りまくられて、あげく、夜の繁華街でつきまとわれて、囲まれて。
「写真はやめてくれませんか」反論したら、口論になってケンカになった。
 ニュースとして報道された時、そのタレントは腕に包帯を巻いたまま、飲酒がすぎていたこと、一般人に危害を加えたことを、涙ながらに謝罪していた。
 が――その時も、腑に落ちなかったのをよく覚えている。
 人として、我慢できないことをされたのはそのタレントの方なのに、――テレビに顔も名前もでず、ただ被害者を名乗る大学生に、謝罪するしかない立場。
 それって……悔しくはないのだろうか。
 腹が立ったりはしないのだろうか。
「…………」
 りょうは、なかなか戻ってはこなかった。
 ますます賑やかになる店内の声が漏れ聞こえてくる。
―――私……なんで、こんなとこにいるかな……。
 目いっぱいおしゃれしてきたのが、なんだかバカみたいだな、と思えていた。
 こんな冷たいばかりの人の中にいるより、生まれ故郷の――どこか潮の匂いがする坂道を歩きたい。りょうと2人で、手をつないで。夕日の中、たくさんたくさん、楽しいことを話しながら。
 が、それは、どう想像してみても、儚く消える夢想のようなものだった。
 そんな未来が、りょうと自分に待っているとは、どうしても思えない。
 りょうの生きる場所はここで、そして、私の生きる場所は――
「マジ?本物」
「マジマジ、今、ミナコからメール入った。すごい人集まってるって」
 いきなり、そんな声と共に、すごい勢いで階段を駆け上がっていく女の子たちが、真白の目の前を通り過ぎて行った。
「…………」
 まさかね、と思いつつ真白は立ち上がる。被ったままの、りょうの帽子。
 かれこれ、二十分も戻らないりょう。
 携帯がなったのはその時だった。


                3


 それは、まるで悪夢を見ているようだった。
「どいてどいて、」
「危ない、下がってください、ここにはいませんよ」
 警備員たちの悲鳴のような声が聞こえてくる。
 階下は、上から降りてきた女子高校生の群れと、上がろうとしている集団がぶつかりあって、ちょっとしたパニックになっている。
 騒ぎが騒ぎを呼び、関心のない者まで、まるで雪だるまが膨らむように、どんどんその場に集まろうとしている。
「ストームの片瀬だって」
「今、三階のトイレに隠れてるらしいよ」
「すごい人だかりができてるって」
 真白は、階段の踊り場から、その騒ぎを見つめていた。というか、どうすることもできなかった。
 りょうが、三階のトイレに隠れているというのは本当のことだった。それを真白は、本人から直接電話で聞いている。
(――なんか、女の子の集団が急に騒ぎだしちゃって)
(――まずいから、咄嗟にトイレ入ったら、外で張られてるみたいでさ、適当に誤魔化して帰るから、ひとまずここ出てて)
 さほど緊迫した声ではなかったが、すでに外の騒ぎは、りょうが楽観できるものではないほどに膨らんでいる。
「女と一緒だったってマジ?」
「やだー、マジ、彼女?」
「なにそれ、ブス、死ねって感じ」
 そんな声がした。
 私のことだろうか――彼女たちの批難が、直接真白を指したものではないにしても、その刹那、真白は、見えない針を何本も胸に打ち込まれたような気がした。
「いないらしいよ」
「何、ガセ?」
「全然別人だったって」
 そんな、ため息まじりの声がした。それが本当かどうか知らないが、人の動きが、ようやく沈静化しつつある。
―――りょう……大丈夫だったのかな、
 真白が、鳴らないままの携帯を見たときだった。
 きゃーっっという、もの凄い歓声がした。どこか――遠くから。
「いた!」
「どこ?」
 携帯を耳に当てた女の子たちが、真白のいる方に駆け寄ってくる。
「下、もう出て、タクシーに乗ってるって」
「うそーっ」
 その波に推されるように真白も後退し、ガラス張りになっている窓から階下を見下ろした。
 人の波が――ある一方向に向かって流れている。
 デパートのモールの下。そこから車道へ続く、女、女、女女女、女の子の群れ。
「りょーうっ」
「こっち向いて」
 そんな声さえ聞こえた気がした。
 歓声とそして悲鳴。それが、一台のタクシーに駆け寄った男を追いかけている。
 延ばされた沢山の腕を、軽く払って、りょうはタクシーの扉の中に身体を滑り込ませる。
 着ている服が先ほどとは違う。
 真白は目を凝らし、そして次の瞬間、はっと凍りついていた。
 タクシーに乗る刹那。
 りょうは観衆を振り返り、笑顔で、高く片手を上げたのだった。
 きゃーっっっ、と悲鳴が沸き起こる。
「あー、顔よく見えなかった」
「なんか、テレビで見るよりちっちゃくない?」
 そんな声を背後で聞きながら、真白は、まだ、さきほどのりょうの顔が忘れられないままでいた。
―――りょうは……芸能人なんだ。
 りょうは、私とは、全然違う人なんだ……。
 あの騒然とした群集の中で、平然と――それどころか笑顔で手を振った。その刹那、りょうは真白のまるで知らない、アイドル「片瀬りょう」になっていた。








    




 
                      
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