6


「なにこれ?」
 鼻息が収まらない。
 イタジは、息を深く吸い込んで、そして吐いた。
 六本木、J&M仮設事務所。
 今から帰宅しようとしていたのか、バックを抱えた真咲しずくは、不思議そうな目でイタジを見下ろす。
「み、見てのとおりです」
 くそ、身長百七十センチもあるくせに、ヒールを履くなんてどういう嫌味だ、と、思いつつ、百六十九センチのイタジは答える。
「辞に表って書いてあるけど」
 封筒を持ち上げた美貌の女は首をかしげる。
 真咲しずく、今までNINSEN堂の接待で食事に出ていたため、今夜もまた、正視できないほど綺麗な衣装で着飾っている。
「辞表、」
 イタジは、息を吸い込んだ。
 じ、辞表っていっても、あくまでストームの辞表であって、J&Mの辞表じゃないぞ、と自分に言い聞かす。
「です!」
「…………………へぇ」
 しばらく、珍しいものでも観るような目で封筒をひっくり返していた女は、眉をひそめながら顔をあげた。
「で?」
 で?
「……でっ、て……」
 で?じゃねぇだろ、辞表っつったら、あんた、昔の武士ならハラキリものの人生を賭けた一大決心じゃねぇか!
「なんで?もしかしてストームに愛想が尽きちゃった?」
 封筒を手元でひらひらさせながら、それでもしずくはデスクにつく。
「愛想が尽きたのは、あなたに、です」
 イタジは、勇気を振り絞ってそう言った。
「私?」
 心底意外そうに、しずく。
「一体、僕や小泉を、あなたはなんだと思ってるんですか、NINSEN堂のCМにしても、今回のリリースにしても、あなたは、僕らの意見なんて何も聞かず、全部勝手に、1人で考えて1人で決めてるだけじゃないですか」
「………………」
 女は無表情な目で、何度か瞬きを繰り返す。
「テレビの出演交渉も一切しない、特別なプロモも話題提供もなく、全部ヒデ&誓也の後手後手だ、苦しんでるあいつらの後押しさえしてやらない、あなたは一体、ストームをどうしたいんですか、解散させたいんですか」
「………………」
「今まで、それでも我慢してきましたよ、それはどっかで、あなたの手腕を信じていたからだ。でも、もう限界です、悪いですが、今のあなたのプランで、ストームが貴沢のデビュー曲を破れるとは思えない!」
「………………」
「何か、ウルトラCを隠してるのなら」
 イタジは、極力感情を堪えていった。
 あー、こんなことで熱くなるような俺じゃなかったはずなのに。
 一に辛抱、二に辛抱、三四がなくて、五に辛抱。この芸能界で、それを支えにやってきて、こんなに――我慢できないと思ったことも初めてだ。
「今回は、隠さず、はっきり僕らにも打ち明けてください、でないと、僕は」
 ユニットが解散しようがどうなろうが、基本、雇われマネージャーには関係ない。しかも相手は、任命当初、嫌で嫌で仕方なかったストームである。
 なのに。
「もう、あなたを信じて一緒にやっていくことはできません!」
 言いたいことは全部言った。
 首かな、明日からの生活はどうしよう。今日まで日割りで給料だけはもらえるだろうか。そう思った時だった。
「イタちゃんは、唐沢君に頼まれて」
 しずくは、封筒を手にしたまま、ゆっくりと立ち上がった。
「私を監視してるんだと思ってたな、私と、それからあの子たちを」
「い、いや、それは」
 ごほごほとイタジは咳き込んだ。
「正直に言っていいよ、唐沢君から指示受けてたんでしょ、私と柏葉将の関係を探ってこいって」
 さらに咳き込むイタジである。
「ま、マジでなんにもないんだけどね」
 楽しそうに笑って、しずくは辞表を再びイタジに差し出した。
「丁度よかった、そろそろ1人も限界かなって思ってたから」
「……………」
 え……?
 肩を、軽く叩かれる。
「人付き合いが得意なようで苦手なの。昔から、人信じない性質だから。基本、人間性悪説なのね、私」
「………………」
「イタちゃんも、人をあまり信じないほうがいいわよ、特に私みたいな女はね」
「………………」
 それは、どういう。
「貴沢君との勝負に関して言えば」
 しずくはそのまま、窓辺に立った。
「ウルトラCは何もないわね、多分、負けるでしょ、このままだと」
「そ、そんな」
 イタジは慌てて、その前に歩み寄る。
「じゃあ、せめて、初動二十万超えで、存続を社長に交渉しましょうよ、今のストームの実力だと、がんばれば、それくらいは」
「…………………」
 女は何も言わない。
「………このまま解散は、………もったいなさすぎますよ」
 イタジはしぼり出すような声で言った。
 もったいなさすぎる。
 こんなに――こんなにがんばって、輝こうと必死になってるあいつらを。
「イタちゃん」
 静かな声がした。
 しずくの目は、真っ直ぐ、夜の闇に向けられている。
「今から、柏葉将に呼ばれてるの、元のビルで、今、プロモの打ち合わせやってるから、あの子たち」
「え」
「私の代わりに、小泉君も呼んで一緒に行ってくれる?今回のプロモのことで、あの子たちから提案があると思う……まぁ、検討はついてるけど、これから寝る間もないほど忙しくなると思うから」
「あなたは行かないんですか」
「んー、行ってもまた柏葉将と喧嘩になるかもしれないし」
 どこかふざけたような声。
「今から大学の後輩と会う約束してるの。任せるわ、予算はいくらかかってもかまわないし、スケジュール調整と社内の交渉事は全部私がやるから、イタちゃんは、あの子たちの傍についててやってもらえないかな」
「………………」
 でも。
 顔をあげかけたイタジは、迷うように視線を下げる。
 でも――どうせ、負けると判っている勝負に。
「小泉ちゃん戻るまでに、時間あるかな、十分くらい」
 窓越しのしずくが、かすかに笑ったような気がした。
 時間……?
 イタジは、いぶかしげに顔をあげる。
「今から、話すから、私が考えてること全部」


                  7

 屋上。
「うわっ、なんか、目茶苦茶になってんな、ここ」
 雅之が叫ぶまでもなく、聡も、荒れ果てた屋上には、目を見張っていた。
 室内のがらくたが全部運び出されて、それがゴミ山のように積まれている。枯れた植栽が無残に倒れ、枯葉がコンクリ一面に散っている。
「結構、立派なもんが捨ててあるよ」
 りょうが呟く。
 ゴミ山の中に、黒い革張りの椅子がいくつか積み上げてあった。
 型は古いが、かなり高級なもので、しかもほぼ新品。
「マジで冗談社さん呼んであげた方が親切なんじゃねぇ?」
「おいおい、本気でくるよ、ゆうりさんが」
 ジョーク交じりの声を聞きながら、聡は不思議な寂しさにとらわれていた。
「……ここ、本当に壊しちゃうんだな」
 今更だけど。
 新しい事務所には、レッスン室はない。
 これからは事務オンリー、新人用のレッスン室は、事務部門から切り離され、別の場所に新たに作られる予定だという。
「なんだかんだ言って、結構、思い出つまってるよな、この建物には」
 夜空を見上げていた将も呟く。
 まるで体育会系の合宿所みたいなノリだった不思議な芸能事務所、J&M。
 これからは、新人が社員同様に、社内に自由に入れるような場所ではなくなるのかもしれない。
―――思い出、か。
 聡は無言で、枯葉にうずもれたベンチを見る。
 不思議な気がした。
 ここで、この場所で、夏。
 りょう、雅之、憂也、将、そして聡、5人で並んで雄叫びをあげたのは、まるで昨日のことのようなのに。
 そして、5人で、今もこうして立っているのに。
 なのに、あと一ヶ月もすれば、この場所は跡形もなくなってしまう。
「………………」
 あ、やばい、なんか泣きそう。
 聡は慌てて空をみあげる。
 そっか。
 そして、今更のように思っていた。
 どんな楽しい時間も、いつかは、絶対に終わるんだ。
 俺たちは終りじゃないけど、ここで、絶対に……終りにしちゃいけないんだけど。
 それでも、いつかは終わるんだ。
 この身体も顔も、いつまでも綺麗なわけじゃない。
 いつだったか雅之に聞いた、将語録。あの時は憂也も含めて爆笑したが、今は、それが、妙なほど寂しく思い出される。
 場所も、人も、何もかも。
 きっといつまでも、今のままではいられない。
「こないだの会見は、俺が悪かった、いや、いつだって俺が悪いんだけど」
 黙っていた将が、ふいにそう言った。
 全員が動きを止め、将の立つ方を見る。
「俺も、正直、どっかで迷ってたし、どっかで逃げたいと思ってた。そういう意味じゃ、憂也が一番腹括ってたんだろうな、……ま、いつものことだけど、勝手に暴走しちまったってことで」
「そんなことないよ」
 りょう。
「………俺も、この際、はっきり言うけど、会見で解散のこと言うのは反対だった。そんなかっこ悪い真似、正直、死んだってしたくない」
 自らのスタイルへのこだわりが人一倍頑なな、りょうらしい言葉だった。
「僕は……逃げてたよ」
 聡も、正直に自分の本音を口にした。
「ごめん、本当に正直に言うと、今でも逃げたい。どんな状況になったって」
 俺はきっと、弱虫で臆病なんだろうな。
 少しうつむいて、言葉を濁す。
「俺、同じ事務所の中で、こんな形で争うのだけは、……いやだと思ってる」
「それは、……実は、俺も同感、かも」
 少し遠慮したように、雅之。
「イタジさんの言う可能性に賭けられるなら、それでいいと思ってた、………ごめんな、憂也」
「なんで俺だよ」
 憂也の声は笑っていた。
「つか、今の話を総合すると、俺1人が暴走してたみたいじゃん」
「じゃ、今日からスーパーキング憂也ってことで」
「似合ってねーよ、それ」
 なんとなく、全員の空気が解けて笑っていた。
「あのさ」
 再び将。
「………色んな思いがあって、色んな葛藤があると思う。俺もそうだし、みんなも」
 こんな素直な将の言葉を聴くのは、なんだか初めてのような気がした。
 いつもどこか突き抜けていて、結論しか言わない人なのに。
「でも、多分、みんな思ってることは一緒なんだ」
 うん、
 ああ、
 と、全員が、それぞれに頷いた。
 聡も頷く。
 口に出すまでもない、ストームを、この5人で存続させたい。思っていることは、それだけだ。
「だったら、今は、少しだけ自分のポリシーとかこだわりすてて、この勝負、勝ちに行ってみないか」
 そして将は、顔あげて、ようやく笑った。
「ただし、俺たちらしく、だ。どう考えたって、お涙頂戴ツアーは俺ららしくない」
「アイドルが同情買う存在になるってのも、確かにな」
 と、憂也。
 憂也がそこで、あっさり納得してくれたのが、聡には信じられなかったし、少しだけ目の前が明るくなった気がした。
「やるか」
「やろうぜ」
「ミニライブみたいなもんだ、思いっきり盛り上げて、お客さん楽しませよう」
「凪ちゃんの言うとおり、生アイドルの底力を見せ付けてやろうぜ!」
「おう!」
 夜空に明るい声が響いている。
 聡は、胸にこみあげるものを感じつつ、拳を空に向かって突き上げていた。
 やっぱ、俺らは最強だよ。
 なんかこう、5人揃うと、どんな不可能なことでも、できるような気がしてくる、マジで。
 将君がこうしてみんなをまとめて、憂也がそれに一番に乗って、俺たちは……ついていくだけだけど。
 でも、それが、上手く言えないけど、5人で創り上げてきたスタイルだから。
「今思えば、ここでストームって誕生したんだよな」
 りょうが、ふいに笑顔でそう言った。
「俺1人、ずっと東京離れてたけどさ、戻ってきたしょっぱな、いきなりここで再会して、わけわかんない内に、いきなり5人になったって気がしたからさ」
「そうだな」
 将が頷いて、そのりょうの肩に手を置いている。
 ここ数日、どこか壁を作りあっていた二人のそんな姿に、聡は意味もなく嬉しくなっていた。
「きっ、君たち、なんつーところでミーティングしてるんだ」
 泡をくった片野坂の声がしたのはその時だった。
「ここは立ち入り禁止だぞっ、そもそも、なんだってこんなとこで」
 背後には、小泉旬の姿もある。
「よっしゃ、行くか」
「がんばろうぜ!」
 拳を突き合わせ、そして全員が駆け出した。
 多分、星の瞬きよりも儚い、奇蹟のような可能性に向かって。


                   8


「しかし、随分思い切ったことを許したのね、直人も」
 その一報を聞いた九石ケイの声は呆れていた。
「有り得ないのはライブツアーの比じゃないわよ。今から全国四十箇所で新曲発表イベントと握手会だって?」
「片野坂さんの取材に行ってきましたけど、半分死んでました、あの人」
 ミカリは取材メモをまとめながらそう答えた。
 片野坂イタジは、イベント会場の申し込みと調整で、二日間完全徹夜だったらしい。
 それは、その後取材にいった音響会社「レインボウ」の社長前原大成にしても同じで、現地スタッフの調達と機材の搬送準備で、小さな事務所は、さながら戦場のような有様だった。
「ミニライブの後、新曲CDの予約券と引き換えに握手会の参加チケットを配布する予定だそうです。簡単に言いますけど、今のストームの人気から言うと、大変な騒ぎになりますよ」
「事故でも起きなきゃいいけど」
「警備会社日本最大手の総研が、完全警備体制で対応するそうです。移動はチャーター機とヘリコプターで対応、実際、二日間で、よくここまで準備できたものだと思いました」
「…………真咲しずく、さんか」
 ケイは低く呟いて、手元の資料をテーブルに投げ出した。
「一体何者なんだろうね、あの人は、プロモーターとしては相当秀逸のはずなのに、今回はとことん、直人の後塵を拝してる印象だ」
「……そうですね。今回のリリースについていえば、完全にヒデ&誓也にしてやられている感があります」
 ミカリは眉をひそめ、手元のスケジュール表を見る。
 5月8日発売シングルのプロモーション合戦は、来週が本番だ。
 各レコード会社がシングル発売を予定しているアーティストは、軒並み来週放送の歌番組への出演が決まっている。
 各社にはそれぞれ出演枠があり、J枠は、全てヒデ&誓也が押さえていた。ストームの出番は、わずか数秒のビデオクリップさえない。
 そもそも新曲発表の時期からして遅すぎた。先週の、どこかぎこちなかった記者発表しかり、どう考えても、プロモを準備するだけの時間も余裕もないのだろう。
 ケイは嘆息し、煙草を口に挟みこんだ。
「明日も、ヒデ&誓也が、かなり大掛かりなサプライズプロモをするって情報が入ってるしね」
 明日。
 ストームの全国行脚も、明日、日比谷公園大音楽堂からスタートする。
 が、おそらく、明後日のワイドショーのトップを飾るのはストームではないだろう。
 ミカリは、唇に指を当てた。
「比べられると、かなり不利ではありますね。メディア戦略に失敗した感のあるストームが、時間的に小規模にならざるを得ない握手会で、一体どこまで売り上げが伸ばせるか……でしょうけれど」
 そもそも、何のためのダブルリリースなのだろう。
 片野坂イタジも、いつになく口が堅かったし、真咲副社長、唐沢社長に至っては取材は一切シャットアウト。何かあると、思わない方に無理がある。
「……まぁ、会社が本腰入れて売り出したいのは、あくまでヒデ&誓也なんだろうけどね」
 ケイはそう言い差し、物憂げに煙を口から吐き出した。
「……………」
 少し前のストームなら。
 ミカリは黙ったまま、コーヒーを淹れるために立ち上がった。
 そういった扱いでも頷ける。しかし、今は違う。
 成瀬雅之の人気の加熱、東條聡、柏葉将による、新たなファン層の開拓。まだ成長過程とはいえ、プロモーションしだいでは、オリコン一位どころか、初動二十万枚も夢ではない。何もあえて、Jのトップアイドルにぶつける必要はないはずなのに。
「で、ストームには、当然あんたが同行するのね」
「全ては無理ですけど、初日の日比谷公園、最終日のビックサイトには、行ってみるつもりです」
「日本全国ドサ周りの旅か、しかし、大変だね、あの子たちも」
 ミカリも、それには同感だった。
 成瀬雅之、東條聡には、まだ東京の仕事が残っている。雑誌の取材も引きを切らない中、相当ハードなスケジュールになるだろう。
 今日入手したスケジュール表を見ても、来週からリリース集計締め切り日である5月12日まで、ほとんどがホテルか旅館泊まり、当分、自宅には戻れないに違いない。
―――片瀬君、大丈夫かな。
 今日、帰社途中のタクシーの中、携帯にその片瀬りょうから電話が入った。
(……もう、大丈夫ですから、俺)
(……ミカリさんには、心配かけたけど、今は仕事をしっかりやりたいし、彼女のためにも、そうすべきだって思ってるから)
(……ただ、例の手紙のことは、やっぱ、将君には言わないでもらえますか。時期みて、俺からちゃんと話しするんで)
 仕事が忙しくなって、それがいい方に働いている内はいいけど、逆に、どこか脆弱な彼をますます追い詰めてしまったら。
「………………」
 手紙のことは、早急になんとかしよう。
 実のところ、片瀬りょうの書いた名前の女性には覚えがあった。だからあえて、片瀬りょうも名前だけを書き示してくれたのだろう。
 風見瀬名
 かつて、東邦EMGがグラドルとして売り出した新人タレントである。
 その奇行が災いして、半年で事務所はクビになったと聞いている。それが、双方の事務所がひた隠しにした片瀬りょうとの同棲に起因していたのかどうかは、定かではないのだが。
―――真白ちゃん、またショック受けなきゃいいけど。
 隠しておくことは、逆によくないだろう。しかも、これこそ早急に、先回りして手を打たなければならない。
 なにしろ、末永真白の大阪の住処まで、おそらく相手は知っているのだから。


 







※この物語は、全てフィクションです。
感想、お待ちしています。♪内容によってはサイト内で掲載することもあります。
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