四


「コラ、取材はダメって言っただろ」
 コンサート会場の裏口。関係者用の駐車場。
 バスを降りた俺たちは、いきなりそんな――MARIAのマネージャーさんの怒声を聞くことになった。
「ちょっといいじゃないの、少しくらい話させてよ」
「ダメダメ、許可のない単独取材はお断りしてるんです、あっ、コラ、写真とるな」
 ちょっと唖然としている俺たちの目の前で、マネージャーさんたちにガードされたMARIAさんがそそくさと会場の裏口に消えていく。
「ったく、あんたのとこくらいっすよ、うちのタレントに許可なしで押しかけてくるのは……」
 元警察官上がりの強面のマネージャーさんが、渋面を作って見下ろしているのは、妙に体格のいい、長身の女性である。
「社長とは友達なのよ、でなきゃ、おたくらみたいなヤクザな事務所、怖くて取材なんてできないじゃない」
 女はあっさり言うと、アーモンドみたいなでっかい眼で、バスの昇降口に固まったままの俺たちをじっと見回した。
 黒のパンツスーツに、白い襟元の開いたブラウス。髪が男みたいに短くて化粧気のない人だ。そのせいか、そこそこ綺麗なのに、不思議に異性を感じさせない。年は……30いってるかいかないくらいだろうか。
 強面のマネージャーさんが、困ったようにその肩を叩いて促している。
「とにかく帰ってくださいよ、その唐沢社長に、俺らは、ジョウダンシャだけには気をつけろって言われてんですから」
―――?
 俺は、聞き慣れない言葉に、ん、と眉をひそめていた。
 ジョウダンシャ――冗談社、……ま、まさかね。漢字がそれしか思いつかない俺って……。
「はいはい、ひとまず退散するわ、ミカリ、行くわよ」
 女は、背後を振り返って、さばさばとした声で言った。
 その女の後ろに――カメラを手にした、もう一人の女がいた。
 ノースリーブのキャミソールみたいなシャツに、ぴったりとしたジーンズを穿いた女。
 色白の肌に肩までの黒い髪が、妙なくらいなまめかしくて、俺は――ちょっと、場違いにくらくらっと来てしまっていた。
「じゃ、僕ちゃんたち、また取材させてよね」
 男みたいな髪をした女が、そう言って、すっと手を上げる。
「僕、そっちのセクシーなお姉さんがいいな」
 と、俺の背後から、信じられないような受け答えをしたのは、まぁ、こんなことを言えるような男は一人しかいないのだが、憂也だった。
 完全に目の前の状況を面白がっている。
「……君、綺堂君?」
 男みたいな女は、その憂の方に視線を向け、どこか怖いような笑みを浮かべた。
「僕、綺堂君です」
 憂也、おどけたように片手を挙げる。
「そっか、じゃ、君が社長の言ってた、次のデビュー組の一人か」
 その場にいた全員が、その瞬間凍りついた。
―――は……?
「あれ?まんざら聞いてないわけじゃないんでしょ? このコンサート、今年デビューするユニットの選考会をかねてるって、マスコミではもっぱらの噂だけど」
 女は、確信犯的な微笑を浮かべている。
 全員が、水を浴びせられたように沈黙する中、俺の隣で、多分、憂は思いっきり眉をひそめている。
 マジかよ――。
 さすがに俺も、少なからずの衝撃を受けていた。
 憂が名指しされたのもそうだが、やはり――今年、この中の誰かがデビューするんだと、頭を鈍器で殴られたように思っていた。
 夏に入ってからずっと、ひそやかに囁かれ続けていた噂。
 今年中にユニットがデビューする、で、その候補者を今、唐沢さんと美波さんが決めているという噂。
 あれは……やっぱ、本当のことだったんだ。
 ということは、今年、その選に漏れてしまえば、今17歳の俺には、間違いなくデビューの機会は永遠にやってこない。
「コラ、あんた、うちの若いのに余計なことを言わないでくれ」
 警官あがりのマネージャーさんが、今度は本気の怒りも露わに女の腕を掴みあげた。
「ちょっと何すんのよっ、ミカリ、写真撮って!」
 と、その時。
「うわっっわっ、わっ」
 素っ頓狂な声と共に、荷物と一緒にバスの階段を転がり落ちてきた男。
 もう声だけで、いや、こんな間の抜けた男は一人しかいないから判ったが、……東條君である。
「す、すいませんっ、俺……熟睡してたみたいで……って、アレ、ここ……どこっすか」
 膝をつき、両手を地面についたまま、東條君は、きょろきょろと周辺を見回している。
 思いっきり空気が和み、ぶっと、女みたいな男が吹き出した。
「起こしてやれよ、憂……」
 俺は、隣の憂を肘打ちする。
 どうやら東條君、バスが目的地についたのにも気づかずに、で、この大騒ぎにも気づかずに、ずっと熟睡していたらしい。
 カメラを持っていたなまめかしい女が、転がった東條君の荷物を拾い上げる。
 そして、東條君の傍に歩み寄ると、しゃがみこんでそれを差し出した。
「……どーぞ」
「あ、ど、どうも……」
 うわっ。
 俺は目をちかちかさせていた。
 つか、しゃがむと、……ノースリーブが……なんていいますか、目の毒とでも……その……。
 俺の頭の中に、キャノン☆ボーイズさんの往年のヒット曲が流れ出す。
「雅君、鼻血」
「えっ、はっ……っ」
 憂の囁きに、俺は咄嗟に何も出てもいない鼻を押さえていた。
 その時、ものすげー冷ややかな視線を感じた。
 まさかと思いつつ、振り返る。
「………………」
「……じゃ、行こうか、有栖川さん」
 俺と目が合うと同時に、ついっと視線を逸らした流川は、有栖川を促すようにして歩き出した。
 いや……ていうか。
「あーあ、怒らせちゃったねぇ、雅君」
「…………」
 そりゃ……確かに怒ったんだろうけどさ。
 なんでだよ。
 俺は憮然唖然としつつ、二人の後姿を見送った。
 自分はなんだ?飛行機の中でもバスの中でも、有栖川とずーーっと一緒だったくせに、俺が……ちょっと、その、ナイスなバディに見惚れていただけで。
 なんだって俺が、そんなクソ冷たい目で見られなきゃいけないんだ??
 が、その流川より、さらにクソ冷たい空気が、その場に立つ全員に流れていた。
「行こうぜ、雅君」
 なんでもないように歩き出す憂が、その冷たい嫉妬を一身に浴びていることを……俺は、ちょっと怖いような気持ちで感じていた。


                  五


 リハが終わった後、俺たちは、一つだけあてがわれた会場の控え室で、ごっちゃになって着替えたりシャワーを浴びたりしていた。
 誰もが無言だった。その理由は全員が知っていて、そしてそれを、決して口に出せない嫌なムードがたちこめていた。
 リハは、今までのレッスンなんてどっかに飛んでったような最悪の出来で、MARIAさんたちも呆れていた。さしもの温厚な増嶋さんが激怒していたくらいだから、よほどだったのだろう。
 スタッフも音響さんも凍りついた一瞬だったが、音楽がやむ前に、連続バク転でその場に出てきた憂が、あろうことかセンターでずっこけたため、笑い出した増嶋さんの勘気が緩んだ。
 それほど――全員がひどかった。
 いつも通りに踊れていたのは、マイペースの憂也と空気の読めない東條君くらいである。いや、その憂にしても、得意のバク転を失敗するくらいだから、どこかで自分を見失っていたのかもしれない。
 俺は――どうだったか、自分ではよく判らないが、やっぱ、どっかで浮ついた気持ちがあったような気がする。
 ああ、それともう一人、流川凪も、全く普段とおりに踊れていた。
 まぁ――あいつにとっては、ここで誰がデビューしようとどうでもいいことだから、Kidsの間にたちこめた不穏な空気も、関心ないのだろうけど。
 ちょっと、びっくりしたのは、今回のコンサート衣装――流川のそれだけは、露出度の少ない半袖のシャツで、それを脱ぐような演出もないことだった。
―――美波さんだな……。
 俺はすぐに気がついた。
 美波さんが、気を回してくれたんだろう、が、同時に不思議にも思う。
 なんだって――たかだか新人で、しかもこの夏限りで辞める流川を、美波さんはこうも重宝するのだろう。
 それは、優しさとか親切とか、もうそういう次元ではないと思う。俺の知っている美波さんは、芸に熱心な反面、ビジネスに関しては、唐沢社長よりシビアなところもあるからだ。
 で、その流川だが、当然のように、この控え室からいつの間にか消えている。
 多分、どこかのトイレで着替えをしているのだろうが……。
「はぁぁ……アソ、ミカリさんかぁ」
 と、間が抜けた声が隣でした。
 東條君である。化粧台前の椅子に腰掛け、名刺みたいなものを片手で持ち、それをしみじみと見つめているようである。
 シャワーの順番待ちをしているのか、まだ汗に濡れた髪を額に張り付かせたまま、着替えさえもすませていない。
 全員が、なんとはなしにぴりぴりしているのに、東條君、さすがというか、まるでその雰囲気がわかってないらしい。
「あ、なんだ、こいつ、いつの間にか名刺もらってやがる」
 と、その手から名刺みたいなものを――多分、実際に名刺なんだろうが、それを取り上げたのは、シャワー室から出てきたばかりの憂だった。
 憂のことだから、自分を取り巻く棘棘しい空気をわかっているだろうに、それでも普段と変りがないのが、すごいところだ。
「みろよ、雅君、あのセクシーバディのお姉さんの名刺だぜ」
 にやにやと笑いながら、ひょい、と名刺を俺の目の前につきつける。
「……え……」
 どうでもいい、と思いつつ、つい横目で見てしまうのは、男の性というやつなのかもしれなかった。
 薄桃色の、桜を散らしたような可愛らしい紙片には、こう記されていた。

 (株)冗談社
 
「隔週刊誌ザ・スクープ編集部」
       記者 阿蘇 ミカリ
「……冗談社……」
 マジでジョウダンは冗談だったのか、と俺は唖然としつつもその名刺をひっくり返す憂の手元を見つめた。
「あっ、携帯の番号」
「えっマジ?」
 同時に叫んだのは、俺と東條君だった。
「……マジじゃない、これ」
 名刺の裏に――隅の方に小さくメモ書きしてある。090から始まる携帯電話の番号。
「ど、どういうことよ、これ」
 さすがの東條君も、愕然とした顔をしている。
「かけてみろよ、東條君、有料出会い系につながって、架空請求されるってオチつきかもしんねーし」
「や、やだよ、俺」
「じゃ、俺がかけてやるから、東條君の携帯貸して」
「お、おう」
……って、そこでバカ正直に自分の携帯を出す東條君って……。
 俺はそんな東條君に無限の愛しさを感じつつ、憂の頭をぼこっと叩いた。
「……し、しかし……どうすりゃいいんだ、俺」
 名刺を返されたものの、東條君は心底困惑しているようだった。
「こ、こういう場合さ、やっば、電話しなきゃ失礼なのかな、憂」
「さぁ?」
「ど、どうしよ……どうしようか、雅君」
「ばっかじゃねぇの、お前ら」
 と、言ったのは、無論心優しい俺ではない。
「……さっきの女、冗談社っつー、アイドル専門スクープ誌の記者だよ」
 俺らの背後に立っていたのは、総勢4名。全員、俺や憂より何期か上の連中だった。
 年はいっこかにこ上で、kidsの中では、もうベテランの域に入る連中である。
 滝川ナオさんという、今年大学生になった男が彼らのリーダー格で、そのナオさんが、今のKidsでは最年長だった。
 で、そのドクドクしいセリフを吐いたのも、その滝川ナオさんである。
 白っぽく脱色した頭に、細い眉。アイドルというよりは、ビジュアル系バンドやった方がいいんじゃない?と、いうくらい、不健康な美貌の持ち主である。
 で、残りは、そのナオさんに付き従っている連中だ。
 正直、俺は、やたらと先輩風を吹かす彼らがマジで苦手だった。
「知ってるよ、名刺見たから、それで?」
 と、冷ややかに切り替えしたのは憂である。
 俺と東條君は、ちょっとびびって、椅子に座ったままの憂の後ろになんとなく隠れてしまった。体格で言えば、憂が一番小柄なのに……である。
「だったら判るだろ、いくらアホなお前らでも」
 ナオさんは、薄い唇に嫌味な笑みを浮かべた。
「九石ケイって美人社長がやってる会社で、なんか知らねぇけど、うちのスクープバンバンとってる雑誌社なんだよ、……色仕掛けでさ」
 皮肉に満ちた口調だったが、憂は、ひゅっと口笛を吹いた。
「へー、聞いた?東條君、すげぇな、どうやら東條君、色仕掛けの相手に選ばれたみたいだぜ」
「お、おう」
 多分何がすごいのか判らずに、とりあえず返事をしている東條君。
「……で、それがなんだよ」
 怒らせたら怖い憂也の目は、もう完全に据わっている。
 ナオさんが、形良くカットされた細い眉を神経質そうに上げた。
「バカだっつってんだよ、誰が東條みたいなどんくせぇガキ相手に、本気で名刺なんて渡すかよ」
「そんな天然記念物みたいな女がいたらおもしろいだろうね、で?」
 もう――控え室はしんと静まり返っている。
「コンサート控えて、みんな苛ついてんだよ」
 ナオさんは、吐き捨てるような口調で言った。
「バカ騒ぎすんなっつってんだよ、そりゃ綺堂は余裕だろうよ、デビューが確約されてんだもんな」
 バスの昇降口からずっと、全員の心に尾を引いている言葉。
「一体どうやって唐沢社長に取り入ったんだよ、綺堂、お前さ、いっつも雅にくっついてるけど、あれか、マジでホモってんのか」
 どっと、ナオさんの取り巻きが笑う。
「そうやって社長も懐柔したのか、教えろよ、ワン公、一体どうやってご奉仕したんだ」
 俺は正直、飛び出してしまいたかった。
 が、憂は、心底あきれたように、薄っすらと苦笑した。
「ま、いろいろね」
 つか、頼むから否定しろ、オイ!
「言っとくけど、俺、いつだって余裕だよ、つかさ、みっともなくがつがつしてどうすんの」
 憂は、指を唇にあて、挑発するように足を組んだ。
 ああ――憂。
「それでデビューできんなら、いくらだって、がつがつしてろよ、バカじゃねえの、お前ら」
 が、憂の皮肉はとどまらない。
 俺は額を抱えていた。こいつ、マジで喧嘩する気だ。
「てめぇ……どういう口の聞き方だよ」
「こういう口の聞き方だよ」
「ざけんな、前日のリハで、ずっこけるようなドジに、言われたかねぇよ」
 その場に、再び嘲笑が広がる。
「わざとこけてやったんだよ」
 憂は、やはり薄笑いを浮かべたまま、立ち上がった。
「てめぇらが、ぬるい踊りで増嶋さん怒らせてくれたからさ、笑いとってやったんだよ、そんくらいもわかんないほどのぼせてんのか、ボケ」
 ばっと、憂を取り巻く連中の顔に殺気ばしったものが浮かぶ。
「やんのか、オイ」
「やりたきゃ、やってやるよ、俺、お前らみたいに絶対デビューしたいわけじゃないし」
 憂は、首にかけていたタオルを抜き取って背後に投げた。
 俺にもその時ようやく判った。憂は――ずっと苛立っていたんだ、多分、リハの時からずっと。それをあえて抑えていたのが、今になって爆発したのだろう。
「ここで喧嘩なんかしたら、お前らはおしまいだよ、その覚悟あるんだろうな」
「うるせぇ!」
 ついにたまりかねたように、ナオさんが腕を振り上げる、憂もまた身構える。
「憂!」
 俺が叫ぶのと、
「あ、すいません、東條です、え……ミカリさん?」
 と、背後で、緊張したような東條君の声がしたのが同時だった。
―――は……?
 と、俺だけでなく、多分その場にいた全員があっけに取られていた。
「で、電話してしまいました。えっ、ホントに本人ですか、は、はい、……あの、今日はすいませんでした」
 携帯を耳に当てている東條君、そういいながら俺と憂を見あげ、指でオッケーマークを作ってくれる。
 本人だよ、本人、
 そう唇がささやいている。
……てか、東條君…………。
 俺はすっかり脱力した、多分、隣の憂も同じように脱力している。
「あ……はい、お、……僕ならいつでも、……え、いやぁ、新人ですから、そんなお役にはたてませんけど、はい、お茶くらいなら」
 憂が、肩をすくめてきびすを返す。
 その場がなんとなく白け、俺も立ち上がって、自分のロッカーに向かっていた。
 ロッカーを開けた途端、背後から、ぽん、と肩を叩かれた。
「……あ」
 柏葉将である。
「……助けられたな、東條に」
 将君はそれだけ言うと、すっと俺の傍をすり抜けるようにして、控え室を出て行った。
―――うん……、そっか。
 まぁ、なんとなく、そんな気もした。東條君は、そういう人だから。
「えーっ、いや、僕なんて、話下手でして」
 と、背後では、まだ東條君の緊張しきった声が続いていた。
act3 クズ星の雄叫び
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