一


 北海道である。
 いや、正確には、北海道行きの飛行機の中である。
 MARIAさんたちは、ファーストクラス。で、俺らKIDS総勢13名はエコノミー。
 ついでに言えば、こういったツアーに必ず同行する唐沢社長もファーストクラス。
 マネージャーやスタイリストさんたちも何人か同行しているから、ちょっとしたツアー旅行って感じだった。
 夏休みも半ば。
 殆んど中高生が占めている俺らKidsは、完璧修学旅行気分で、空港に集合した時から、結構ノリノリの大騒ぎだった。
 いや、俺は――そんな子供でもないから騒ぎはしなかったけども。
 俺、成瀬雅之17歳は。
「……さっき、乗るときに観たんだけど、パイロット、えっらい若かった」
 限りなく最後尾に近い三人掛けの座席、真ん中に座る綺堂憂也が、さっきからずっと右端の東條君にささやき続けている。東條君は、蒼白な顔でうつむいている。
「いくつくらいかな……俺らと年、かわらないような気がしたけどな」
「よせよ、憂」
 消え入りそうな東條君の声。
「手には飛行機操縦マニュアル、初心者用持ってたよ」
 ますます楽しげになる憂の声。
「……もうやめろよ」
 つか、そんなありえねー話、どう聞いても憂の嘘だろ……と、思うのだが、極度の飛行機恐怖症の東條君は、そんなくだらない話にもバカ正直に恐怖をかきたてられているらしい。
「いいよ、もうききたくない……」
「あれは、間違いなく、研修あがりの新人パイロット、自信はないけどやる気はあります、副操縦士さんよろぴくね、いぇいって感じだった。いやぁ、心配だな、結構気圧が不安定なんだ、北海道上空って」
「…………」
「無事につくのかな、……俺たち」
「…………」
 もうものも言えず、唇を震わせている東條君。
「ははっ、見ろよ、東條君、マジで泣き入ってっから」
 憂の声を、俺は無言でスルーした。
 ていうか、俺の視線は、先ほどから斜め前の座席に凝固したままになっている。
 二人掛けのシート。
 窓際に座るのは、流川凪だ。
 その隣に、俺と同い年の、Kidsの有栖川晃が座っている。
 同い年だけど、俺より入所は一年遅れ。長身で、ぱっと目立つ顔をしている割には目立たない男だ。いつもドクロのマークが入ったGジャンを着ていて(誰か止めてやれよ)、その唖然とするようなセンスのなさが、ある意味注目に値する男である。
 柔らかいんだけど妙な甲高い声で、しきりに有栖川が喋っている。流川は、それを、時々頷きながら聞いている。
 それを斜め後ろから見ている(俺にしてくみれば見せつけられている)俺は、さっきからはらはらしどおしだった。
―――ばれちまうんじゃねぇか……オイ。
 顔が、相当接近している……ような気がする。
 声とか、喉とか、肩の丸みとか……いくら服でごまかしても、はっきりいって女だってバレバレだ。そりゃ、痩せてるし、ぶっきらぼうな喋り方だから、意識しないとわからないだろうが。―――が。
「そんなに気になるなら、雅君が隣に座りゃよかったのに」
 ふいに憂也に切り込まれ、俺はぎょっとして肩を上げた。
「な、な、なんの話だよ」
「…………」
 憂は黙る。そして俺をじっと見る。
 やや、つりあがり気味の黒目勝ちの瞳に、じっと見つめられると、いつもそうだが、眩暈のようなものを感じてしまう。
「ファーストキスは、バニラ味」
 俺は、凝固したまま、ただ、呆けたように口を開けるしかできなかった。
「……なーんてね」
 憂はふいに相好を崩すと、両手をあげて、自分の後頭部に腕枕のように当てた。
「なーんか、嫉妬光線びしびしなんだもん、雅君の目。そんなんじゃ、みょーな誤解されちゃうよ」
「ばっ、なっ、……なんだよ、それ」
 憂の異常な鋭さは今にはじまったことではないが、さすがに心臓が止まるかと思っていた。そして、気づく。―――ん、待てよ……。
「……お前……まさか、見てた……とかじゃ、ないよな」
 用心深く、が、疑心をこめて聞いてみた。
 つい十日ばかり前、事務所の屋上で―――は、初めて、やっちまった例の行為を。
「見てないけど、今のでわかった。ははん、図星か」
「――――っっ」
「ポーカーフェイスの割りにはわかりやすいよなぁ、雅君のリアクション、きっと、真性のいじられキャラなんだ」
 こちらに目だけ向けた憂は、にやにやと笑っている。
「で、どーした、いきなり舌とか使っちゃった?」
 俺の拳は、ひょい、と頭を下げた憂を通り越し、座席でちぢこまって震えている東條君の頭にヒットした。
「わっわーーっっ」
 と、この世の終わりのような悲鳴を上げる東條君。
「ご、ごめんっ、コラ、憂、てめぇ」
 俺は思わず立ち上がる。
「お客さま、騒がれては困ります」
 困惑したような顔で、客室乗務員が歩みよってくる。
「コラっ、成瀬、ガキじゃあるまいし、何やってんだ」
 同行マネージャーさんに怒られて、俺は――怒りを噛み殺して憂を見下ろしつつ、憮然として席についた。
「あ、すいません、僕、オレンジジュースもらってもいいですか」
 しれっとした憂は、芸能人スマイルで、近寄ってきた客室乗務員のお姉さんに声をかける。
「……あ、もしかして……綺堂君?私、観ました、春のエチュード」
 お姉さん、ぽっと頬を染めている。
「えー、ホントですか、嬉しいな」
「応援してますから……がんばってね」
「お姉さんも、頑張って」
 かーーっっ。
 俺を通り越して交わされる会話に、うんざりして腕を組む。
 が、やはり俺の意識は、斜め前のシートに座る流川凪に、すぐに戻ってしまっていた。 
 あの日以来――てか、あの瞬間から、口を聞く事もおろか、目をあわせることも出来なくなった女。
 なのに、びしびしに意識だけはしてる。同じレッスン室にいても、ついつい目で、その姿を探して――追ってしまう。
 それなのに、近づいてくると、無意識に逃げている。
 何気なく声をかけようとしても、どうしてもそれが出来ない。
 今日もそうだ。長丁場の飛行機の中、事情を知らない連中に回りを固められたら、居眠りもできないに違いない。俺の傍に来いよ、と何度も声を掛けようとしたのだが……。
 目を合わせてくれないのは流川も同じだ。まるで俺の存在なんて最初から知らなかったみたいに、平然と振舞っている。
――――あいつ……何考えてんのかな……。
 で、そういう俺は、一体何考えてんだ。
 むしろ一番理解できないのは、あんな真似をした俺自身だった。


                 ニ


「俺が、荷物もってやるよ、お前、力ないだろ、基本」
 と、まるで恋人に囁くような甘えたセリフを吐いているのは、何度も言うが、俺とタメ年の有栖川である。当たり前だが、俺に囁いているわけではない。
「いえ……いいっすよ、悪いですから」
 言葉少なに、それを拒否する流川だが、結局は有栖川に、荷物を持たれてしまっている。
「じゃ、行こうか」
 Kidsの中でも抜きん出て身長の高い有栖川は、俺より少しばかり目線が上だ。
 なんていうか、いわゆるスタンダードな美男子って感じ?顔のつくりでいえば、人気のある憂や柏葉君より遥かに整っている。で、少し濃い目の沖縄チックな顔。
 が、なんていうんだろ、かっこいいけど、何かが足りないって感じなんだ(センスは足りない以前の問題だが)。
 KIDSの中では目立たない……というか、比較的大人しい部類のタイプで、今まで気にもとめたこともない。が、今の俺は、有栖川のことなら何でも知りたい気分になってしまっていた。
 結局は空港を出て、バスの待合所まで、流川と有栖川は、肩を並べて歩いているようだった。
――――なにやってんだ、あいつ。
 で、俺は、その後を、苛々しながら歩いている。
「……やばいなぁ、凪ちゃん」
 俺のすぐ後をついてきている憂が、やはり楽しそうな声で言った。
「何が」
 俺はぶっきらぼうにそう答える。
「あれ?まさか知らずに怒ってる?」
「だから何が」
「……アリちゃん、あいつ、その筋の人だから」
「………………」
 一瞬間を置き、俺は憂を振り返った。
 アリちゃん。
―――有栖川晃。
 その筋の人。
―――つまりホモ。
「……マジ?」
「これはマジ」
 足を止めた俺たちの横を、すっかり上機嫌になった東條君が足取りも軽く通り過ぎていった。
「あー、生きてるって、気持ちいいよなー」
「マジって、……なんで、んなこと」
 そのマヌケな声をスルーして、俺は、まだ信じられずに言葉を繋ぐ。
「だって俺、一回迫られたんだもん」
 憂は、なんでもないことのようにすらっと言った。
「………………は?」
「っても、大分前よ?ここ入ってすぐの頃、俺がまだ超可愛いファニーフェイスで、身長もあんまなくて」
 ひょい、と親指を立て、憂は流川の方を指差した。
「まるで凪ちゃんみたいだった頃。多分、アリちゃんの好み、直球でど真ん中」
「…………」
「惜しい気もしたけど、断ったよ、俺、初めての相手は雅君って決めてるから」
 俺の拳は、今度もあえなく空振りする。
 つか……拳に力も入らない。
 じゃあ、あれか、あの妙な接近ぶりは、流川を女と意識しているからじゃなくて、男だっつー前提の上に――えーーっ?
 そ、そんなん、ありえるのかよ。オイ。
「雅君は、嫉妬光線びしーばしーで、アリちゃんは、ラブラブビームといやーっだろ、ああ、今夜が楽しみだよ」
「あほか……てめぇは」
 俺は、ようやく気を取り直して歩き出した。
 そっか――なら、まぁ、……安心してもいいんだ……よな。
 あいつ、どうせ事務所やめるし、だったら、最悪ばれても、どうってことねぇし。
 有栖川が、男にしか興味がないなら、それで――。
「あれ?」
 ふいに、憂が素っ頓狂な声を上げた。
「なんだよ、うっせえな」
「……いや、今、そこのタクシー乗り場に……凪ちゃんがいたような」
「は?」
 俺は憂を見て、そして前方を行く流川に視線を戻す。
「……なに寝ぼけたこといってんだよ、いるじゃねぇか、前」
「……まぁ、……そうなんだけど」
 憂が、けげん気に眉を寄せる。
「なぁ、空ってこんなに綺麗だったっけ!」
 前を行く東條君のとぼけた声で、俺たちの会話はそこまでとなった。


                   三


 千歳空港から貸切バスに乗って、俺たちはコンサート会場に直行した。
 今日はそこでリハをして、で、市内のホテルで夜一泊してから、明日が本番。
 明日は2時、6時と二回公演があって、やはり、ホテルで一泊してから、明後日の早朝帰京する。
 バスは――さすがにMARIAさんたちも一緒とあって、中学生のKIDSたちも、比較的静かに過ごしているようだった。
 MARIAさんたち五人は、バスの前の座席を占めて、思い思いに雑談を交わしている。やっぱ、同じ事務所にいても、こうして同じバスに乗ってても、発しているオーラみたいなもんがまるで違う。
 何しろ今の事務所では、Galaxy、SAMURAI6と並ぶ稼ぎ頭。アイドルユニットとしては珍しいタイプの本格バンドで、ボーカルの今井智記君の爆発的人気により、今じゃ、テレビのゴールデン枠の常連になりつつある。
 ドラム担当の永井匡さんは、北海道出身だ。そのせいか普段怖い顔をしているのに、今日は妙に優しげに見える。
 空港から目的地までは少し長くて、ほんわかと暖かなバスの中で、早朝早くから集まったKidsのメンバーたちは、一人二人と、うとうと居眠りをしはじめていた。
 むろん、うとうとじゃないレベルの奴らもいる。
 通路を挟んだ俺の隣座席では、憂と東條君が、すでに熟睡状態だ。
 俺は、柏葉将君と隣り合わせで座っていた。
 将君は――飾り気のないヘンリーシャツに、ジーンズ姿。シンプルなスタイルなのに、不思議なくらいかっこいい。リストバンドとか、リングとかがさりげなく光っていて、こういう人をセンスがいいというんだろう。
 年は俺よりいっこ上の高校三年生。入所時期も早く、あらゆる意味で先輩だ。
 俺は、この将君と仲のいい、片瀬りょうと割とよく話してたから、その関係で、将君ともしゃべったりつるんだりする。が――
 が、実は基本、俺はこの将君が苦手なのである。
 将君は、座席の肘掛に肘を沿え、移動の間中、ずっと参考書を読んでいるようだった。
 ちらっと覗いたが、複雑な数式がずらずらと並んでいて、まるで意味が判らない。
 今だけでなく、レッスンしている普段から、将君はあまり物を言わない。つか、怖くて俺の方も話し掛けられない。
 とにかく気合がすごいな、といつも思う。レッスンに真剣に取り組んでいるのがよく判る。
 その真剣さが時に眩しいというか……テキトーにやってる俺にはこっぱずかしくて、だから俺は、なんとなく将君が苦手なのかもしれない。
―――将君……ここで続けてく気、あるのかな……。
 そして、ふと俺は思っていた。
 俺だけじゃない。KIdsの仲間内では、柏葉将は今年いっばいで辞めるんじゃないか……、というのは、すでに通説のようになっている。
 俺も詳しくは知らないが、将君は、日本でも有名な進学高校に通っている。
 お父さんが外交官だか官僚だかで、家は相当な金持ちなはずだ。
 多分―――アイドルなんて道を選ばなければ、約束された道が、将君の前には開けている。
 将君は、今年高校を卒業する。で、多分、俺なんかは門さえくぐれないほどすげぇ大学を受験する。それと同時にkidsを辞めるんじゃないか……と、言われているのだ。
「……昨日さ、」
 ふいに、その将君が参考書から目を上げて、口を開いた。
 俺は、それが俺に語られている言葉と気づかず、何気にスルーして……はっとして振り返った。
「え、な、ナニ?」
「……お前、いっつも思うけど、先輩に対する態度、サイアクだな」
 指で押し下げた眼鏡の上から、どこか怖い目がのぞいている。
 俺はますますぎょぎょっとしたが、将君は、なんでもないように視線を逸らした。
「……りょうから電話、あったんだ」
「……あ、そうなんだ」
 りょう。
 片瀬りょう。
 この春、唐突に事務所をやめた、将君の同期で――多分、親友。年は、りょうの方が下だけど、同期の二人は、大抵行動を共にしていたような記憶がある。
「あっちで好きな子できて……楽しくやってるってさ」
「りょうはもてるから、彼女なんてすぐだよな」
 と、俺は禁句のような相槌を打って蒼ざめた。
 が、将君は、外に視線を向けたまま、まるで独り言のように続ける。
「……こないだ、辞めた奴いるだろ、」
「ああ、」
 中條亮
 コンサートの同行メンバーに決まりながら、最初のレッスンの日に辞めた男。その代わりに流川が入ってきたんだ、そういえば。
「そういや、驚いたよな、あの状況で中條君が辞めるとは思わなかったから」
「……あれ、辞めたんじゃない、辞めさせられたんだ」
「え……?」
 俺は驚いて振り返る。が、将君は、それには答えず、しばらくの間無言だった。
「りょうが辞めることはなかったんだ……あいつ、莫迦だから、庇ったんだろうな」
「………………?」
 なんの話だろう。
 なんで、そこで、いきなりりょうの名前が出てくるんだ?
「ま……ずっと逃げる口実探してたから、やっと見つけたのかもしれないけど」
「逃げる……口実?」
 それは、どっちの話だろう。りょうか、それとも中條君か?
「ま、いいや、雅に話しても埒があかない」
 俺が、話がまるで読めていないことに気がついたのか、将君は苦笑してそう言うと、窓に頭を寄せ、黙ってしまった。
 あ、呆れられたのかな、俺……と思いつつ、俺も気まずくなって視線を下げる。
 めっちゃ頭のいい将君から見れば、俺なんて、ただのバカにしか見えないんだろうな、多分。
「どっかでリタイアしたいって思うときあるよ……俺も」
 が、将君の横顔がふいに呟いた。
「…………」
「人生賭けたギャンブルだよな、俺らのしてることなんて、……この身体も、顔も、いつまでも綺麗なわけじゃない」
「…………」
「年取ったら何が残るのかなって……そんなこと、時々マジで考える」
 それきり、将君は、本当に何も言わなくなった。
―――やっぱ……やめる気なんだ、将君。
 俺はふとそう思った。
 りょうがこの春抜けてから、ずっと覇気をなくしたような将君が……いつか、こんな風に、ふいに辞めてしまうんじゃないかとは、……それは、ずっと、どこかで不安に思っていたけど……。
「そっか……」
 俺は、それだけ呟いて―――少し、真面目な気持ちになって、将君の言った言葉の意味を考えていた。
act3 クズ星の雄叫び
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