※


―――来なきゃよかったなぁ……。
 異常な昂ぶりを見せる友人たちを横目に、思わず、はぁ……っと私は、溜息を漏らしていた。
(――チケット余ってんの、買わない?)
(――滅多行けるもんじゃないよ?ほら、賢とか豪のいるSAMURAIだよ、行かなきゃ絶対ソンするよ。)
 悪いけど、これっっっっぽっちも興味がなかった。
 要はあれだ、コンサート前日になって余ったチケット、それを定価でさばける相手がいなかったからだろう。
 ただ暇だから、という理由で、なんとなくつきあった私も莫迦なんだけど。
 ステージは中盤、サムライなんとかのメンバーが、コントみたいなトークをやっている。
 つか……これっぽっちも面白くない話題に、会場中が爆笑しているのは何故だろう。
―――う、寒い……。
 多分、内輪受けのネタなんだ。だから――今まで、彼らの存在さえ知らない私には、何を聴いてもわからないんだろう。
 二階席の後ろの方の席。広い会場、オペラグラスでも使わなければ、その中央のステージに立つ、アイドルたちの顔を見るのは不可能だ。
 彼らを取り囲む黒い群集。ものすごい熱気と興奮。さっきまで、その殆んど全員がきらきら光るペン状のライトを振り回し、歌なんてそっちのけで、「ごうー」だの「けんー」だの、大騒ぎだった。で、写真――もしくは蛍光色の名前入りの団扇をひらひら振り回している。
「……?」
 斜め前のどはでな金髪のお姉さん。その団扇に、ふと視線を止めていた。
<雅之>
 記憶の隅の方にしっかりと根付いて、決して忘れられない奴の名前。
 こんな名前の人……いたっけ、SAMURAIのメンバーに。
 その時、ふいにドラムの音が鳴り響いた。
「じゃあ、ここで、俺らのコンサートを盛り上げてくれる奴らを紹介するぜ、Jam,Kids!」
 ステージの上で、誰かが叫ぶ。
 とたん、右の袖から、十数名の少年たちが駆けて来た。遠目から見ても身長差が激しい、小さい子から、比較的背の高い子までいる――それが、舞台の中央まで駆けてきて、手を繋ぎ、それを高々と上にあげる。
「きゃーっっ、りょうっ」
「雅くーん」
 金髪のお姉さんの、その団扇が翻る。裏面には写真――雑誌か何かの切り抜きの写真。
「…………」
 思わず、無言で、友人のオペラグラスをひったくっていた。
「…………嘘……」
 私は、呆然と呟いた。
 なんで、あいつがここにいる。
 何千っていう熱い嬌声を一気に浴びて、それにも怯まず、むしろ跳ね返すほど輝いて、活き活きと――仲間と手を繋いで、ハイタッチを交わして。
 なんで――あいつが………。
 あんな……いい加減な男が……。
 悔しいけど、今でもいやになるほど忘れられない、あんな奴が。


                  ※


                  一


―――いや、今度は俺、笑ってねぇぞ??
 俺は、大慌てでロッカールームを飛び出した。
 ばたんと扉を後ろ手に閉め、ばっくんばっくん鳴り響く心臓を両手で抑えながら、そう思った。とにかく思った。
 いや、俺は笑ってねぇと。
 成瀬雅之――そうだよな、お前は笑っていないんだよな、と。
―――が、今は、そんなことにこだわってる場合じゃなかった。
「…………」
 俺はシンキングポーズをとってみる。
 問題は、えっと……もっと別なとこにあって。
 ここは、J&M事務所で。
 基本的に……つか、根本的に女性タレントは所属してない……というより、そもそも募集すらしてなくて。
 で、流川凪。
 こいつの名前は、確か合格者名簿にはいってて。
 で―――ここで……着替えてるってことは、Kidsとして、今日のレッスンに出る気なわけで。
―――いや、そんなことよりももっと根本的な問題は、
 その時、背後で、ばたん、と俺が閉めた扉が開いた。
 俺は、無様なほど肩を震わせて、振り返る。
 いたよ、いたよ……。
 やっぱ、背、低いじゃん。
 俺の……肩、ぎりぎりか。まぁ、うちは結構低い奴でもデビューしてるし、そんなこと関係ないけど。
 目、綺麗だな。
 いや、そういうことを思ってる場合じゃなくて。
「……………」
「……………」
 こう言う場合、なんて声をかければ……いいのだろうか、俺。
 でも。
 でも――マジで、こいつ……。
「…………早いんだな」
 俺が何か言うより早く、そう言って口を開いたのは流川の方だった。
 声――こんな声だったっけ。
 ちょっと低めだけど、鈴振ったみたいな綺麗な声だ。
「あ……まぁ、たまたまっつーか、お前こそ早いじゃん」
「そうかな」
「うん、こんなに早く来るやつ、いないだろ」
 って、……何フツーに会話してんだ、俺。
 流川の表情が、ふと、緩んだような気がした。
「……新人だから」
 でもそれは一瞬で、すぐにとりつくしまのない……冷たい目になって視線を下げる。
「じゃ、」
「お、おう」
 ……って、オイ!
 いや、おうっていうか……俺、もっと他に言うべきことが。
 そのまま、すたすたと廊下を歩いていく流川凪。
 俺はしばし呆然、一人でその場に取り残されていた。
「…………あれ?」
 つか、思い切り、普通じゃん?
 もしかして、さっきのあれ、見間違いだった……のかな?


                 二


『凪ちゃん?女の子でしょ』
 お袋の第一声は、実にあっさりしたものだった。
 一縷の期待を断たれた俺は、携帯を手にしたまま、がっくりと肩を落とした。
『よく男の子に間違われるって、そういえばこぼしてたわ、流川の奥さん。で……それがどうしたの?雅君』
「うん…………えっと、もう一回聞くけど」
 眩暈をこらえつつ、俺はかろうじて青く澄んだ空を見上げる。
『なんでさ、そもそもサッカークラブに、女なんか入ってたんだよ』
 普通いねぇだろ。
 端から――男しかいないと思ってたから、俺は。
『あら、小学校のクラブには女の子もいるのよ。千葉のクラブにも、凪ちゃんの他に、あと一人女の子がいたじゃない』
「…………」
―――まったく、知らない。
『流川さんとこ、双子のお兄ちゃんが、ひ弱な子でねぇ……いっつも見学ばっかしてた子、覚えてない?』
「…………」
―――覚えてない。
「つか…………もう一回聞くけど」
 俺は、再度萎える首に力を入れて、青空を見上げた。
「凪……ちゃんは、あれかよ、男のふりしてサッカークラブに入ってたわけじゃ、ないよな」
『ないない、何言ってるの、あの子が女の子だってみんなちゃんと知ってたわよ。……まさか、雅くん、気づかなかったわけじゃ』
「ないない、何言ってんの」
 俺は慌てて電話を切った。
 そして、あらためて愕然としていた。
―――俺だけだったのか!
 マジで、俺だけ知らなかったのか。
 つまり俺は、その―― 一つ年下の女をずっと恐れて、その挙句にぐーで殴られて。
 で、ずーっとそれがトラウマになってて。
「…………」
 俺は、片手で口を抑えた。
 き、昨日の電話で、流川の兄貴は何て言ってたっけ。
 やべえ、あまり細かいこと覚えてねぇぞ。
 ばれたら困るってそう言う意味か。それで俺に説得して辞めさせろって、そういう意味か。
 ん……?じゃあ、好きな男って?
「雅くん、何やってんの」
 いきなり声を掛けられて、俺はぎょっとして振り返った。
「……なんだよ、おばけ屋敷に入ったガキみたいな顔して、」
 ぽかん、とした顔で立っているのは綺堂憂也だった。
 レッスンの直後なのか、熱そうにシャツをはだけ、いやに取り澄ました顔が、ほんの少しだけ上気している。
「いきなりレッスン抜けたと思ったら、上手い事サボリやがって、こういう時は誘えよ、俺」
「……い、いや……」
 別に……、
 と、俺は言葉を濁した。
 こいつに……相談すべきなんだろうか。
 ああ、でもなー、また思いっきり莫迦にされるだけだろうしなー。
 ここは、六階の端――、そこにある非常階段を昇ったとこにある、事務所の屋上のようなスペースだった。屋上というよりは、ただっ広いベランダみたいなものだ。
 ベンチもあって、植栽なんかもある。実は、非常階段は通常時使用禁止で、ここへ入ることは、一応――禁止されている。
 が、何事にもおおらかな憂也の影響もあり、俺たちは、レッスンを抜け出しては、時々ここでのんびりと空を見上げてリフレッシュしたりしていた。――まぁ、簡単に言えば、さぼりなのだが。
「来月のさー、MARIAさんのコンサートツアー、お前、行くんだろ」
 俺の隣に立ち、ぼんやりと空を見上げながら、憂也が言った。
「あ……そうみたい」
 全国ツアー、俺は、武道館と、埼玉アリーナに同行し、バックで踊ることになっていた。
「雅くん、初日、北海道に変更」
「…………えっ」
「ちなみにそれ、俺も行く事になったから」
 憂也はつまらなそうに呟いて、乱れた髪を指で弾いた。
「へぇ……お前が」
 自分のそれにも驚いたが、――憂也が同行する。
 それは少し意外だった。なんつーか……憂也はもう、Kidsの中では別格みたい風格があって、ここ半年あまり、憂也がツアーに同行したことなんてなかったからだ。
「はぁ……めんどくせーなぁ、ただでさえ夏休みは余計な仕事が詰まってるっつーのに」
 うんざりしたように呟くと、憂也は、持っていたタオルを首にかけて歩き出した。なんとはなしに、俺もその後を追う。
 そっか、自宅から通えるとこだと思って安心してたけど、――北海道か。
 北海道ツアー。俺にとっては初めてってわけじゃない。
 どうせ一泊二日程度の、行って帰っての強行日程だろうけど、やっぱ、北海道は遠くて、ちょっとした旅行みたいな感じでわくわくする。
「……今回のコンサート、さ」
 憂也の横顔が、前を見たままで呟いた。
 常のこいつらしくない、どこか神妙な横顔だった。
「唐沢社長の横槍で、メンバー、思いっきり変更になったみたいだぜ」
「……そうなの?」
 こういった人選は、たいてい美波さんと唐沢社長の二人が決める。
 全国規模のコンサートツアーは、大抵一月仕事だから――学業と両立は荷が重い。で、バックで踊るKidsは、何組かに分かれて各会場に振り分けられる。ずっとついていく奴もいれば、俺みたいに、一会場とか2会場のみ参加する奴もいる。
「お前が抜けてる間に発表になった。北海道には、俺と、……あと将君、東條君が追加だろ、で、最終日の埼玉アリーナには、貴沢君と河合君が追加されたみたい」
「………………」
 貴沢秀俊と河合誓也。
 すでに単独でレギュラーやCMを持つ二人は、もう――とっくにバックダンサーを卒業している。
「なーんか、匂うね、もしかして、次のデビューユニット模索してんじゃないかって、今、レッスン室、結構な騒ぎになってんぜ」
「…………」
 どういうことだろう。
 外されもしないし、追加されたわけでもない俺って、……この場合。
「……多分、今回外された奴ら……何人か辞めるよ、事務所。そのために大勢新人取ったんだ、……合理的っつったらそれまでだけど、やり方が汚ねぇよな、美波さんも、唐沢社長も」
 憂也は、心底苦々しそうに呟いた。
act2 憂鬱な晴天
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