四


「あっははははははは」
「笑うな、……憂」
 俺は力なくそう言った。
 こんな奴に、何年も引きずり続けた過去のトラウマを打ち明けた自分を、心の底から悔やみつつ。
「なるほどねぇ、それで雅君、いつも仏頂面なんだ」
 江戸川にある俺の家――で、その二階にある俺の部屋である。
 レッスンが終り、いつもなら駅で別れる憂也を、俺は初めて家に誘った。
「痛くしないでね」
 憂也の返した返事はそれで、俺は本日、二度目のエルボーを奴の首にお見舞いしてやったのだが……。
 まぁ、それは置いておいて、
「……意識してそうしてるわけじゃない……」
 絨毯にしゃがみこんでいた俺は、ベッドに背を預けて呟いた。
 なんとなく、笑えない……つか、笑おうとすると唇がつっぱる。
 すげー嫌な気分になって、自己嫌悪で苛々する。
 だから、自然と口を閉じる。表情を動かさないようにして――安心している。
「はは……ま、いいじゃん、雅君は、そういう面白いキャラが受けてんだから」
「そういう問題か?」
「そういう問題なんじゃない?雅君、事務所でデビュー狙ってんだろ?」
 憂也は立ち上がり、俺の背後のベッドにどすん、と腰を下ろした。
「……そういう……わけでも」
 俺は曖昧に呟いた。部屋の壁に貼ってあるGalaxyのポスター。
 会えればいいと思ったし、サインでももらえたら、そこで辞めるつもりだった。学生の週末は貴重だ。事務所にいると、それが基本、全部つぶれる。
 コンサートのバックの仕事が入れば、平日にもレッスンが入る。雑誌の取材、ドラマ(超ちょい役だけど)、で、Kidsコンサートに、運動会に、舞台……と、結構なんだかんだ、放課後休日夏冬春……休みは全部つぶれている。
 その上まともな友達はできない。中学二年にこの事務所に入って、以来、いっつもどこか特別な目で見られている。
―――ああ、そっか、まともじゃねー友達なら出来たな……。
 俺は顔だけ上向けて憂也を見上げた。
「……憂……、お前、マジで事務所に残る気ねーの?」
「ないよ、テキトーに厭きたら辞める」
 あっさりと即答が返ってくる。
 言っとくが、この性格の悪い顔だけ癒し系の男は、Kidsの中では相当の人気がある。この年で、演技力も高く買われて、ある意味、貴沢くんと唯一まともに張り合える存在感をかもし出している。
「……ま、お前なら、事務所やめても、俳優とかで食ってけるだろうしな」
 俺は、自分の指を見ながら呟いた。
 そこが――才能のある憂也と、キャラだけで受けている俺との大きな差だろう、と思いつつ。
 が、
 何故かそこで、憂也は、糸が切れたように爆笑した。
 ベッドの上で手足をばたつかせて、まるで子供か何かのように。
「ば……ばかだなぁ、雅くんは、鈍いにもほどがあるよ」
 そして、ひっひっと息を引きながら、ようやっと身体を起こした。
 俺は――少々唖然としていた。
 まだ笑いの余韻を残したままの憂也は、ベッドの上に腰を下ろし、天井を見上げてこりこりと耳を掻く。そして言った。
「あのさー、判らないかな、いったんJ&Mに入ったら最後、そこでデビューするしか、芸能界で生きてく道はないんだよ」
「……は……?」
「よく考えてみろよ、今までうちの事務所が、何人のタレント、この世界に送り出したと思ってる?その人たち、今、全員活躍してると思ってる?」
「……えーと……」
 俺は、しばしシンキングポーズをとった。
 悪いが、アイドルというジャンルでは、俺はGalaxyさんしか興味がないのだ。
「……事務所辞めた時点で、一切仕事入らなくなって、そこで終り。あとは地道に、一から三タレ続けていくしかねーんだよ」
 憂也の声は冷たかった。
「……どういう、意味だよ」
「現在の芸能界、そこで活躍してる男性タレントの七割は、うちの事務所の所属だよ。で、世の中は、空前のJポップブーム……わかるだろ、どのテレビ局も、視聴率が欲しい、うちのタレント……Galaxy、Maria、スニーカーズ、……その看板たてたレギュラー枠が欲しいんだよ」
「……ま、そりゃ、そうだよな」
 それは俺にもなんとなく判った。
 今、テレビ局から一番激しくオファーが来ているのが、Kidsの貴沢君だという。
 それでも、事務所サイドは、貴沢君の価値を高めるために、出し惜しみでもしているのか、貴沢くんは、滅多にテレビには出ないのだ。
「つまり……だ、テレビ局は、うちの事務所には頭があがらない。……で、うちの事務所の方針として、事務所を辞めたタレントは……敵だと見なす傾向がある」
「敵かよ、いきなり」
「そう、敵さ」
 ベッドから飛び降り、憂也は、おふくろが用意してくれたシュークリームを摘み上げた。
「だから、徹底的に潰しにかかる。テレビの仕事はそれで一切回ってこなくなる、むろんCMもね。コンサートも大きな会場は手が回って使えなくなる、……ステイタスも仕事もどんどん質が落ちて……それで、終りさ」
「…………」
「KIdsで、いくら人気が出ても、みんな大学行くくらいの年でやめてくだろ?……わかってんだよ、行き場がどこにもないってことが。引き取ってくれる事務所もない。……みんな、うちの事務所を敵に回したくないと思ってるからね。……独立して仕事とるしか、道は残ってないんだよ」
 知らなかった。
 いや…………マジで。
 俺、何も考えてないにもほどがあるんじゃないだろうか。
「……だから、みんな、必死なんだ」
「ま、いくら必死こいても、次にデビューできるのが、多くてせいぜい……六、七人かな。狭き門だよ、で、それ逃すと、俺らの世代には永久にチャンスはない」
 六……七人。
 俺は自然と指で数を追ってみる。
 貴沢くんは確実だ。河合くん、大原くんもそうだろう。美波さんが可愛がっているんだから、彼等の当確は間違いない。
 あとは――誰だろう。ここにいる憂也が、マジでリタイアするのなら……ひょっとして……、
「…………」
 俺は、自分のいやらしい発想に身震いして首を振った。
 なんなんだ、俺は。
 アイドルに興味ないとか言って、実は――結構、野心の塊なんじゃないのか?
「ま、その話はもういいじゃん、それより電話、さっさとしろって」
 憂也はそう言うと、ベッドの上に投げっぱなしにしていた俺の鞄から、携帯を取り上げ、投げてくれた。
「…………ああ、うん」
 実は、一人で電話するのが億劫で、憂也を家に誘ったのである。
 正直、ここまで俺が、サッカークラブ時代の過去を引きずっているとは思ってもみなかった。
 思い出すだけで、憂鬱になる。
 電話を掛ける相手が、流川凪―――の弟か兄かしらないが、そのどちらかならなおさらだ。
「……何の、用なんだろうな、今さら」
 俺は携帯と、おふくろから渡された番号のメモを見つめたまま、未練がましく呟いた。
「んー、あれじゃない?兄弟が事務所に入ったから、よろしくとか、面倒みてくれとか」
 ま、そだよな。
 俺は知らなかったが、お袋が流川のお母さんと、しばらく年賀状のやりとりをしていたらしい。だから、電話番号が判ったのだろうが……。
 俺は、……とにかく、ぴぴぴ、と番号を押した。携帯電話の番号だ。とすると、電話をくれた風?君に直接繋がる、ということなのだろう。
「おっ、このCD、ジャガーズの新曲?聞いてもいい?」
 憂の声が頭上でした。で、俺が返事をする前に、ががーんと激しいロックが棚に据え置いてあるCDラジカセから流れ始める。
「憂っ……音、小さくしろよ」
「えー、ジャガーズは大音量で聞かないと」
「莫迦か、てめぇは、一体何しに来てんだよ」
 と、平然と肩をゆすっている憂也に、眉をひそめてそう言った時、
『あ……成瀬……さん?』
 ふいに呼び出し音が途切れ、おどおどした声が、携帯電話から流れ出た。
「え、あ、はい、あー……成瀬です」
 久しぶりですとか、お元気ですか、とか、そんなどうでもいい会話を交わした後、おどおどした優しげな男の声は、ふいに本題に切り込んできた。
『あのう……僕らのこと、覚えてらっしゃいますか』
 ドキっとした。実は、今電話している相手は、ほぼ記憶にない。
 そもそも双子だということさえ知らなかった。一夏しかいなかったし、元々人の顔と名前を覚えるのが苦手なのだ。
『えーと、僕ら、あの時四年で、……五年の成瀬さんとは、そんなに話すこともなかったんですが』
 ああ、一個下だったのか、と、初めてそう思っていた。
 どうりで背が低かったはずだ。いや、今日見た時も相変わらずちっこかった。あれは年とかじゃなくて、体質なのか……な?
『実は、僕の』
 ガーンと、凄まじい音量が、室内の空気を震わせたのはその時だった。
 ぎょっして背後の憂也を振り返ると、憂也は、ごめんごめん、とでも言うような顔で、平然とラジカセの音量をいじっている。
 すぐに音は小さくなったものの、相手の言葉がいくつか、聞き取れないまま飛んでしまった。
『凪が、先月、J&Mの……事務所に……のくせに、合格しちゃったんですよ』
「ああ、知ってるよ……えと、今日会ったから」
『えっ…………』
 何故か相手は、激しい動揺を見せて黙りこんだ。
『あの……凪の奴、何か……』
 恐いような沈黙の後、おそるおそる、といった声がする。
「……いや、特に話は……してないから」
『…………』
 再び黙り込む相手。
 正直、少々気味が悪かった。一体これは、何の電話なんだろう。
『成瀬さん、実はお願いがあるんです!』
「は、はぁ……」
 いや……だから、それを最初に言ってくれないと。
『あいつ、……何もタレントになりたくて、事務所に入ったんじゃないんです』
「……はぁ」
『実は……事務所に……初恋の……マジで好きな男がいて』
「……………………」
 は?
『あいつ、莫迦だから、その……人に、会いたくて、事務所に入ったんです!成瀬さん、そんなことでいいんでしょうか』
 男?
 好きな――男?
 俺は、衝撃を隠しきれずに憂也を見上げた。
 J&Mのホモネタ……そっか、それは、真面目な話だったのか!
「いや、それはまずい、それはまずいだろ、流川くん」
『……そ、……そうですよね』
「まだ間に合う、すぐに事務所は辞めた方がいいと思う、えーと、ぐずぐすしてると唐沢社長の毒牙が」
『は?』
「あ、いや、それはこっちの話で」
 そっか……。
 あいつ……ホモだったのか……。
 衝撃で、しばらく何も考えられない。
『……成瀬さんが……そう言うなら、凪も、あきらめると思います』
 何故か電話の声は、寂しげな口調になった。
『すいません、親しくもないのにいきなり電話したのは、あいつ、説得して、事務所やめるように言ってほしかったからなんです。あんな莫迦な真似して……上手くいくはずないんですから』
「……まぁ、シビアな世界だからな」
 俺はしみじみと呟いた。みんな必死でデビューを目指している中、そんな不純な動機もないだろう――が、俺だって同じかもしれないな、と、ふと思う。
 俺だって、緋川さんに憧れて、事務所に入ったようなものだから。
『シビアか……まぁ……そうですね、みなさん鋭い感性してらっしゃいますし、やっぱビジネスだから、ばれたら、大変なことになりますよね』
「……?まぁ、うちの事務所、その筋の人が多いっていうからな、いや、俺は本当かどうかは知らないけど」
 俺は横目で憂也を見上げながら言った。
「ばれたら、そういう意味でやばいかも……しれない」
 唐沢社長に、襲われるという意味で。
『その筋って……その筋ですか』
 相手の声も震えている。
『……芸能界って、恐いとこなんですね……』
 恐い?
 まぁ、そこまで怖がることとは、少し違うと思うのだが、
「いや、まぁ、とにかく、……辞めさせた方がいいことは、いいと思う。マジでアイドルになる気がないんなら……だけど」
 言いながら、それは、自分に向かって言っているような気がした。
 俺……一体これから、どうするつもりなんだろう。
 一体なんのために、毎週毎週、レッスンに通いつづけているのだろう……。
 携帯の向こうから、安堵したような溜息が聞こえた。
『……よかった……電話して……いや、本当は余計なお世話だな、と思ってたんですが』
「いや、そんなこともないだろ」
 誰だって、兄弟がホモだったら心配になるものだ。
『どうして僕が、成瀬さんに電話したか……もう、お分かりですよね、いいんです、はっきり言ってやってください』
「………?」
 どうしてって、同じ事務所で、元知り合いだからだろ?
 それ以外に何かあんのか?
『じゃ、明日のレッスンの時にでも、お願いします。傷は浅い方がいいですから』
「……あ、ああ、まぁ……」
 え……つか、どうして俺が?
 と、思う間もなく、電話はプツリ、と切られていた。
 携帯をおき、ぼんやりと顔を上げると、
「やっぱ、いいよな、ジャガーズは。もし俺がデビューすんなら、こういうラップみたいなの、やりたいよ」
 と、憂也が、呑気な声でそう言った。


                 五


 翌日の日曜日。
 六本木のJ&M事務所。
 バスを降りた俺は、すたすたと事務所に向かって歩いていた。
 休日の朝、まだ9時にもなっていないから、道行く人はあまりいない。
 多分、今日のレッスン場には、昨日の比じゃないくらいの人が、押し寄せるはずだ。
 レッスンは、たいてい土日にある。
 で、俺ら関東在住組は、その両方にせっせと通う。が、地方の奴は、そうもいかないらしく、土曜だけとか、日曜だけ――というのが結構多い。親が送ってくる小学生の場合は、大抵は日曜日に来る。
―――あいつの家……まだ、千葉にあるのかな。
 歩きながら、俺はぼんやり考えていた。
 あいつ。
 流川 凪。
 千葉なら通える範囲だし、兄だか弟だかも明日お願いします、と言っていたし、多分今日も、レッスンを受けに来るのだろう。
 今日、俺は、いつもの日曜より、相当早めに家を出た。
 まぁ、これも一種のカンだった。サッカークラブ時代、流川凪は、誰よりも早くグラウンドに来て、で、誰よりも遅くまでボールを蹴ってた。
 あの時の習性がそのまま残っているのなら、絶対一番に来ているはずだ。
 早めに行けば、人目のないところで話ができるような気がする。
 自動扉をくぐり、受付で、パスを見せて、エレベータに乗る。
 二階〜四階が、いわゆる事務所で、唐沢社長以下事務所のスタッフは、大抵このフロアで仕事をしている。
 土日は休日だが、レッスンのためだけに、五六階のフロアが開放されている。で、何人かのスタッフと振り付けの先生が、毎週毎週きてくれる。
 五階でエレベータを降りると、まだ廊下はしん……と静まり返っていた。
―――早すぎたな……。
 と、俺は少々後悔しつつ、つきあたり、ロッカールームの扉を開ける。
 開けた途端、がたんっと何かが倒れるような音がした。
「……誰だ……?」
 俺は何気に、その音の方に足を踏み出す。
 光景は――すぐに目に飛び込んできた。
 カーテン越しに差し込む午前の陽射し。その淡い光に照らし出されている――ブラジャーの肩紐だけずらしたまま、胸元を抑え、こちらを睨むように見上げている――。
 つい一秒前まで、男だと信じていた……おん……。
「……女……?」
「笑うな、成瀬!」
 流川凪はそう言った。
 何年か前と、全く同じ声、全く同じ表情で。口は悪いのに、顔だけはファンシーなファニーフェイス。
 ちょっとまて、これは本当に現実なのか?
 これは―― 一体、どういうことなんだ?
act1 笑わない男
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