三
近くのコンビニで買った弁当を食って、俺は午後のレッスンに戻った。
レッスンは、基本、毎週土日、六本木の事務所。
その最上階――五階と六階の二つのスペースで行われる。
フロア全体をぶち抜いた広い板張りの部屋で、壁一面に鏡がとりつけてあり、バーなんかも置いてある。
最初、これ……バレエのレッスン場か?と思ったほどだ。
が、バーレッスンは、バレエ以外のダンスでもよくやるらしい。
J&Mでは、毎年大掛かりなミュージカルをやるから、その稽古なんかもここでやる。音響なんかもばっちり整備された、相当本格的な稽古場のようだ。
……とは言え、毎週末、電車で通っては、ただ、振り付けのお兄さんに言われるままに踊るだけの俺には、いまひとつその素晴らしさが判っていないのだが。
週末のレッスンには、全国から色んな連中が集まって来る。
無論、勝手気ままに来てるんじゃなくて、みんな、俺と同様、二次試験で「来週からレッスンに来なよ」と、審査委員長、キャノン☆ボーイズの美波さんに、声を掛けられた者ばかりである。
仲良くなる奴もいるし、全く口を聞かない者もいる。
実際、みんな、ほんのわずかな――デビューという可能性を求めて必死だから、そんなに気持ちに余裕がない。
俺や憂也、将君なんかは、関東在住だから、比較的気が楽だ。多分、憂也なんて、放課後のクラブ感覚でレッスンに参加している。
でも、関東以外の地方の奴は、結構真剣なんだと思う。
だって、レッスン自体は無料だが、交通費は自腹なのだ。週末――時間を割いて東京まで通ってくる連中は、とにかく、親の期待もでかいだろうし、目の色が最初から違っている。
だから……なんとなく、俺は、そういう奴らを敬遠している。
トラウマが……ぱっかぱっか音を立てて追いかけてくるんだよな、そういう時。
真剣な奴から見たら、俺なんて……きっと、にたにたちゃらちゃらしているように見えるんだろうな。
「おっそいよ、雅くん、もうレッスン始まってるよ」
レッスン室の防音扉を開けようとしたら、背後からタオルを片手に、ふらふらと憂也が歩み寄ってきた。
「午後のレッスン、美波さんが来るっつったろ、雅君、びしびしにしごかれるぜ」
憂は――そういうお前はなんなんだ、と思うが、にやにや笑いながら俺の前に身体を割り込ませて、扉を開ける。
途端にわっと激しい音響が流れ出して、美波さん……美波涼二さんの厳しい怒声が聞こえてきた。
「す、すいません」
多分、聞こえていない声を上げて、俺は、ばっと頭を下げる。
ちらっとこちらを見た美波さんは、無言で形いい顎をしゃくる。最後尾につけ、と言ってるのがすぐにわかったから、俺は手荷物を隅っこに投げて、あわてて、列の最後に駆け寄った。
「おらおら、もたもたすんな、足がついてってないぞ」
キャノン☆ボーイズの美波さん。
八十年代を代表する、すげーアイドルだった……らしい。
哀しいかな、それはおふくろの世代に近く、俺なんかはあまりよく知らないのだ。俺はどっちかっていえば、Galaxy世代だ。憂也が言った……美波さんと対立しているという、緋川拓海さんがいるグループ。
Galaxy。
これは――もう、日本に彼等以上のアイドルは二度とでないって言われているほど、すごいグループだ。
この事務所が、多分日本一……っていっていいほどの売上を誇るのも、その土壌を築いたのも、全部Galaxy、緋川拓海さんの功績だと言われている。
俺も……実は目茶苦茶憧れている。アイドルなんて、なる気はさらさらなかったけど、Galaxyさんに会えるなら……ってその一念だけで、いまだにここにい続けている。
すでに全国区のアイドルスターになっている彼等に会うことは、残念ながらあまりないんだけど、それでもたまーに、レッスンに顔を出してくれることがあって、そんときは、俺、もう、がちがちになっちゃって。
「成瀬!!お前何やってる、やる気ないなら、とっとと出て行け」
大音響も真っ青な美波さんの叱責が飛ぶ。
「はいっ、すいませんっっ」
俺は大慌てで、ステップを追った。隣で、憂也がにやにやと笑っている。
同じことをしても怒られるのは大抵俺で、憂也はいつも、何気に逃げ切る。それが憂也のキャラなのだが、時にむかつくこともある。
で……美波さんに話を戻す。
美波さんは、――すごく綺麗な男の人だ。
年は、そこそこいってるんだけど、見た目、30くらいにしか見えない。
色白の肌に凛とした目鼻立ち。舞台を中心に活動しているせいか、立ち姿が綺麗で、声が腹に染みるほどよく通る。すらっとして見えるのに、肩にも腕にも、結構しっかりした筋肉がついている。
で……恐い。はっきりいって、マジで恐い。俺なんかから見れば、もう雲の上って感じの人だ。
事務所のタレントの中では、多分一番力がある。
芸能人としての力というより、事務所運営、マネジメントの力が、今では買われているみたいで、何年か前、タレントとしては初めての代表取締役に就任した。新人オーディションの選考も、全て美波さん一人がやっている。
事務所の創設者の一人である城之内会長に、一番信頼されていて、将来は、唐沢さんに代わって、代表取締役社長になるのではないか、とも言われている。
今日みたいに、こうやってレッスンにもちょいちょい参加してくれるから、若いKidsたちには絶大の信頼を得ている。実際、美波さんの崇拝者はものすごく多い。
が、ここが俺にはいまひとつ不可解なのだが、現在デビューして、事務所の看板として活躍しているタレントたちには――美波さん、ものすごく評判が悪いよう……なのだ。
今、うちの事務所でデビューして、現在でも活動を続けているユニットは、
大御所「キャノン☆ボーイズ」。
緋川拓海さん率いる「Galaxy」。
その「Galaxy」のバックバンドでデビューした五人組
「MARIA」。
一番最近デビューして爆発的に人気が出た六人組
「SAMURUI6」
それから、大阪事務所からデビューした二人組みのデュオ「スニーカーズ」
それくらいだ。
他にもいくつかグループがあったようだが、今では、解散したり、退所したりして、ばらばらになっている――らしい。
で、「キャノン☆ボーイズ」のメンバー三人を除けば、残る四グループの面々は、ほとんど全員、反美波派、つまり緋川拓海派……なのである。
まぁ、反美波派かどうかは知らないが、全員、緋川さんに、いや「Galaxy」というグループを、熱烈に信奉しているといっていい。
それに反して俺たち、デビュー前のJam,Kids。
これは、逆に、美波さんを慕っている奴が多い。
その筆頭が、すでにデビュー前から民放ドラマの主役、CM、映画のオファーが来まくっている、次世代を担うスーパーアイドル貴沢秀俊くんである。
思いっきり美人顔で、さらさらの茶髪、爽やかな笑顔、今から緋川拓海を凌ぐスターになると、事務所が一番目をかけて、売り出すタイミングを見計らっている……と言われている。
その貴沢くんと仲のいい、河合誓也くん、大原裕樹くん、このあたりが思いっきり美波派だと言われている。
で、SAMURAIさんがデビューして約四年、そろそろ次のユニットが、このキッズの中からデビューする……と囁かれている。
その最有力候補と言われているのが、
貴沢くん、河合くん、それから大原くんの三人。
ついで、こないだ事務所を辞めた片瀬りょう、それから……綺堂憂也だと言われている。
まぁ、俺の名前がそこにあがったことは一度もない。
で、憂也も憂也で、デビューするくらいなら、事務所を辞める、とうそぶいている。あいつは単に楽しいからここにいるだけで、それが仕事になるのは面倒だと言っている。本当に変った奴なのだ。
まぁ、余談になってしまったが、つまり……そんな風に、事務所は確かに二大流派に分かれて、二分している。
で、それぞれの派閥のトップ、緋川さんと美波さん。この二人が、マジで仲が悪い。
二人が同席しているところを見たことはないけど、すれ違い様、目も合わさずに去っていった場面だけは見た事がある。
正直、凍てついた吹雪が、相当離れて立っていた俺のところにまで飛んでくるかと思ったくらいだ。
美波さんはプライドの塊みたいな人だから、いくら売れているとはいえ、後輩の無礼は許せないに違いない。
緋川さんは――正直、俺にはよくわからない。
すっげー売れっ子で、気難しそうな人だけど、礼儀正しいし、後輩にも優しい。なんで、美波さんに反発して、まるで美波さんの後を追うようにして、同じように代表取締に就任したのか……それは、事務所に緋川さんがゴリ押ししたって聞いたけど、なんでそんな真似をする必要があったのか、俺にはよく判らない。
まぁ、それでも俺は、緋川さんラブ、なのだ。…………あ、いや、それは決して憂也の言うような意味ではなく。
音楽がやんで、全員の動きが止まった。
叱られてもなお、余計なことばかり考えてた俺も、慌ててうろ覚えのステップを止める。
「雅君、憂、これ」
と、斜め前に立つ男がふいに振り返り、俺と憂也に、紙切れをそれぞれ差し出してくれた。
「お前らが遅れている間に配られたんだ。こないだオーディションで入った奴らの新しい名簿、名前だけは覚えとくようにってさ」
「あ、ありがとう、東條君」
「いいよ」
ひょい、と片手を上げて、再び前を向き直ったのは、東條聡、俺や憂と同時期に入った――いわば、同期である。
優しげな顔をした男で、同じ優しい顔をしていても性格はサイアクな憂也と違い、マジで性格も優しい男だ。
どっちかといえば、レッスンをさぼりがちな俺や憂也を、何気にフォローしてくれるのも、この東條君だ。
寡黙だし、そんなに目立つタイプじゃないけど、歌は――マジ上手い、歌唱力は、このKidsの中ではナンバー1なんじゃないかと思う。
で、俺らは東條君を、結構仲良くしている割には、聡君ではなく、東條君と呼んでいる。
それにはちゃんと理由があって、憂に言わせれば「あのキャラで聡なんて、かっこいい名前は似合わない」ということらしい。まぁ、東條君、真面目な顔して、実は真性のボケキャラなのだ。
「へぇ……沢山入ったねぇ、でも何人残ることやら」
紙面に目を落としながら、憂也が呟いた。
オーディションは、基本的に年二回行われる。合格者の数はその時その時で、多いときは30人くらい一気に入ってくることもある。
が……半年で半分に、一年たつころにはそのさらに半分に減っているのが実情だ。あまり意識したことはないが、結構厳しい世界なのだ。
先月行われたオーディション、紙面にある合格者の数は25名だった。
ああ、そっか……と、俺は今ごろ気づいていた。だから今日は、やたらめったら人が多いし、知らない奴が沢山混じってるんだ。
なんとなく、並んだ名前を視線で追う。
さらさらっと一回流して、何かがふと、視界にひっかかることに気がついた。
あれ、なんだろう。
もう一回上から見て、もう一度――引っかかる。
アイウエオ順の、最後の一人の名前のとこで。
流川 凪
この名前、まてよ、どこかで……。
「じゃ、こっからは個別のレッスンに入る、来週からMARIAのコンサートについて回る奴、手あげろ」
美波さんのよく響く声が、ふいに耳に飛び込んできて、俺ははっとして我に返った。
やばい、また叱られるところだった。慌ててその紙をポケットにねじ込んだ時。
チャリラ〜、チャリラ〜
「………………」
いきなり「仁義なき戦い」のメロディーが、静まり返ったレッスン室に鳴り響いた。
誰だよ……センスのねぇ着信音だな、と、眉をしかめた俺の肘を、隣の憂がそっと小突く。
「……雅くんのだよ、多分」
「は?違うだろ、俺のはGalaxyさんの」
「俺が朝のレッスン中に変えたんだ、なかなか面白い着信だろ」
「…………………………」
がん、とその後頭部にエルボーをくらわしてから、俺はこそこそと鞄を投げていた出入り口付近に進んだ。
「成瀬…………レッスン中は電源切ってろって言われなかったか」
冷え冷えとした美波さんの声が響く。
「す、すいません……」
くそーっ憂也の野郎!そう思いながら、とりあえず電源を切るべく鞄から携帯を取り出す。
着信はおふくろからだった。
あ、と思ったが、咄嗟に見上げた美波さんの目が「出てやれ」と言ってくれたので、俺は慌てて携帯を開いて、耳に当てながら、部屋を出ようとした。
『あ、雅くん、ごめんね、お仕事中に、あのねー、また電話があったのよ、昨日の子から』
「あ……おふくろ?悪いんだけどさ、あの」
『思い出したの、ほら、やっぱり千葉のサッカークラブのお友達よ、ルカワ君、覚えてるでしょ?』
―――るかわ……。
ルカワ。
流川?
(成瀬、笑うな!!)
「―――――あーーーっっっ」
「成瀬!うるせぇぞ!」
「す、すすす、すいません」
携帯を耳に当てながら、俺はレッスン室に視線をめぐらせた。
まさか、そんな。
いや、名前……漢字でどう書くかまでは知らないから、たまたま偶然。
『流川カゼくんと、ナギ……だったかな。たしか、双子の子がいたでしょ。二卵性で、あまり似てないって言ってたけど、そのね、カゼくんから電話だったのよ』
カゼ?ナギ?
凪……って、なぎって読むんだよな。多分。
まて、双子?そんなこと、俺は全くしらねぇぞ。確か――確か、あいつの名前は、カゼじゃなくて、ナ……凪。
流川凪。
「………………」
『雅くん?……ごめんね、今朝、雅くん気にしてたみたいだから、ええと、一応向こうの電話番号、聞いてきたの、メモしてくれる……?』
「……いや、悪い、今……そんなことしてる場合じゃねーから、マジで」
―――また今夜にでも掛けなおすから、俺はそう言って、ひとまず震える指で携帯を切った。
「どうしたんだよ、雅君、顔色サイアクだぜ?」
元の位置に戻ると、憂也が眉をひそめて顔をのぞきこんでくる。
「いや……蹄の音が……」
「は?」
「ウマが……」
なんでもねぇよ。俺は説明するのを放棄して首を振り、こわごわと室内を見回した。
ミュージカルの群舞よろしく、ずらずらっと居並ぶ少年たち。俺は最後尾にいるから、見えるのは彼等の背中だけだ。
もともと何年もいる面子ですら、うろ覚えの俺が、新人の顔なんて見分けがつくはずもない。
この中に……いるんだろうか。
俺をぐーで殴って、俺が泣く前に泣き出した男が……。
あいつも、この事務所に入ってきたんだろうか。そりゃ、可愛い顔をした男だった、でも―――マジで、そんな偶然、あるのだろうか?
そうだよ、もしかして、名前が単に同じだけで。
「おい、見ろよ、雅君」
が、憂也は、ふいににやにやとした顔になり、俺の耳元に唇を寄せるようにして囁いた。
「あの子、超可愛い、ああいうのが唐沢さんの毒牙にかかりやすいんだよ、見てな、一ヶ月くらいで、お気になるか事務所を辞めるか、……どっちかになるからさ」
俺は、つられるように憂也の視線を追った。
そいつは――丁度美波さんに呼ばれたのか、一人、群集を抜けて前に歩み出ているところだった。
えらい小柄だ。多分、160もない。柔らかそうな薄茶色の髪。華奢な身体のライン。ぶかぶかのTシャツを重ね着していて、七部丈のズボンをはいている。
実は、そのシルエットだけで、俺は心臓をわしづかみにされた気分だった。
そいつは――俺はもう、そいつの名前を流川凪だと確信していたのだが、そいつは、ついっと顔をあげ、俺の方に視線を向ける。
(―――笑うな、成瀬!!)
いきなり、その口が、そう言うように思えた。
それくらい――奴の顔は、昔のまんまのファニーフェイス。
「…………マジかよ……」
俺は呟いて、そして力なく、憂也の肩に額を預けた。