一


「雅君、そういえば、昨日、雅君に電話あったわよ」
「んー……」
 玄関でかがみこみ、スニーカーの紐を結んでいた俺は、ぼんやりとそう答えた。
 昨夜、久々に小学校時代の悪夢を見たせいだろうか。マジで寝起きが最悪で、正直、レッスンなんか休んでしまいたい気分だ。
 が、たまたまクラスの連中が冗談で出した履歴書が、なんだかたまたま一次審査を通過して、あれよあれよと二次審査も終り、よく理解できないままに、いつの間にかJam,Kidsというアイドル予備軍集団に入っている俺――を、実のところ、今は俺自身より、家族が思いっきり期待している。
 だもんだから、めんどうなので、今日は休む……とは、とても言えない。
「ほら、最近、雅君、ドラマにも出るし、よく雑誌にも出るようになったから、すっごい昔のお友達が、頻繁に電話してくるじゃない……?多分、千葉のサッカークラブにいた頃のお友達だと思うんだけど」
「…………」
 俺は、自然に手を止め、背後のおふくろを振り返っていた。
「……誰?」
 ムシの知らせというやつだろうか。昨日あんな夢を見たし、ひょっとして、過去の、最悪のトラウマが……。
 が、40過ぎても少女じみたところのあるおふくろは、唇に指を当て、うーんと、シンキングポーズをとった。
「それが……名前がねぇ……聞いた時は、ああ、あの子ってすぐにピン、と着たんだけど、切った途端に、忘れちゃった」
「……それ、ひょっとして」
 と、俺は口を開きかけて、やはり、母親と同じシンキングポーズをとった。
 あれ?
 ここまできてるのに、―――出てこねぇぞ。そいつの名前。
「…………」
「……ま、急用なら、掛けて来ると思うから、また」
「…………そだな」
 こういう呑気なところが、似た者母子と、嬉しくない嫌味を憂の奴に言われる所以なのだろうが……。
「雅君、スマイルスマイル」
 玄関を出たところで、おふくろがそう言って、両手を自分のほっぺに当てて見せてくれた。
 うん、スマイル――スマイル。
 俺は、営業……じゃなかった、アイドルスマイルを浮かべてみせる。
 心なんてちっともこもっていないのに、こうして笑うとそれだけで喜ぶ人たちがいるって、すごく不思議なことだと思う。
 そもそも二次試験。
 六本木のJ&M事務所のレッスン室で、ずらっと会社の人たちに囲まれて、俺は、結局、にこりともできなかった。
 審査委員長は、ドラマや映画なんかでよく見る「キャノン☆ボーイズ」の美波涼二さんで、「お前、変ってるな……じゃ、来週からレッスンに来いよ」って、それが合格ってことだったのか、その時はまるで判らなかったのだが、結局、レッスンに通う内に、ドラマに出たり、SAMURAI6さんのコンサートのバックで踊らせてもらったりと、何となく――これって芸能活動?みたいなことをやっている……俺、成瀬雅之。現在、高校二年生。
 哀しいかな、いまだ、普通に笑えない男、である。


                二


「雅君、相変わらず、気ィぬけてんね、君」
 レッスン終了後。
 廊下のベンチで、ぼやっと缶ジュースを飲んでいる俺の頭を、ぼこっと叩く奴。
 くすぐるように甘いのに、どこか嫌味な声だけで判る。
 同時期にオーディションを受け、一緒に事務所に入った……というか、合格したかどうかも判らないまま、レッスンをなしくずしに一緒に受けている綺堂憂也、――憂である。
 背はちょい低めで線が細い。そして、非常に微妙な顔をしている……といったら怒られるかもしれないが、それ以外に、俺は奴のことを上手く表現する術を知らない。
 子供っぽい顔だちなのに、その切れ上がった綺麗な目に不思議な光を湛えている。
 まるで大人のように見える時もあれば、年齢以上にガキに見える時もある……多分、それも目のせいだ……と俺は思う。
 きらきらと輝く恐いような瞳が、まるで猫の目のように複雑怪奇に変化する。可愛さとセクシーさを一緒に持っているとでも言ったらいいのだろうか。なんていうか、綺堂憂也という男は、顔立ちは平凡なのに、すうっと魅せられるような、不思議な魔力を持っているのだ。
「映画、どうよ、クランクアップしたんだって?」
 憂也が、俺の隣に腰掛けたので、俺は飲みかけの缶ジュースを差し出してやりながら、そう聞いた。
「ま、……あんなもんかなって感じ?」
 缶を受け取りながら、憂也は、なんでもないように肩をすくめる。
 憂也の持つ不思議な魅力は、多分、俺よりもクリエイティブな人たち――映画監督とか、ドラマ制作者とか、そういった人たちがより鋭く感じているようで、なんと綺堂憂也は、今年七月公開の邦画「春のエチュード……もう一度オンリーラブ」というよく判らないタイトルの映画に、準主演クラスで出演しているのである。これは、デビュー前のKiDSにしてみれば、破格の扱いと言っていい。
「……将君、今日も休んでたね」
 受け取った缶ジュースを指で弄びながら、その憂也が、少し複雑な目色になって呟いた。
 将君とは、おれらのいっこ上のKIdsで、柏葉将君のことである。
「……つか、まだショックなんだろうね、将君、一番仲良かったから、りょうとはさ」
「……そだな」
 俺もそのことに話が行くと、少しだけブルーになる。
 りょうってのは、片瀬りょう。
 今年の春、事務所を辞めたKidsである。
 俺より年は一つ下だけど、超がつくほど生真面目な男で、朝一でレッスンに来て、最後まで残っているような奴だった。
 黒目勝ちの濡れたような眼に、女も吃驚するほど綺麗な肌、なのに体格はすらっとした男らしい長身。
 どこか寡黙でシャイな片瀬が、……多分、次のデビュー候補の一人だったにも関わらず、ふいに事務所から姿を消した。
 そこに、何か――公に出来ない事情があるらしいのは、上の人たちの雰囲気で、なんとなく判る。
「りょう、島根に引っ越したんだってね」
 そう言って、憂也は結局飲まないままの缶ジュースを返してくれた。
「え、マジ?」
「マジ……あれはもう、帰ってこないね、マジで」
「……そっか」
「将君、ショックだろうね」
 将――柏葉将。年上だが、俺も憂も、Kidsの慣例に従って将君と呼んでいる。
 将君は片瀬りょうより二つ上だが、りょうとは同期入所したらしく、傍から見ても二人は兄弟……?って思うほど仲がよかった。
 将君は、甘い顔だちなのに、目が恐い、で、実際マジで性格も怖い。
 で、頭が――これまた、目茶苦茶いい人なのだ。
 よくは知らないが、どっかの有名私立高校に通っていて、お父さんは官僚か何かで、とにかく筋金入りのおぼっちらしい。
 どちらかと言えば、事務所の奴らとつるむより、学校の友人関係を大事にしているような――将君だが、唯一、片瀬りょうだけは別格の存在らしかった。
「ま、あの二人は怪しいからね」
 ふいにそう言って、複雑な目色になってにやっと笑うと、憂也は俺の手から、再び缶を取り戻して唇をつけた。
「将君があげたリング、りょう、後生大事に指にはめてるだろ、ありえねーよな、男が普通男にリングなんて贈るかよ」
「また、そっちの発想かよ、好きだなーお前も」
 俺がちょい閉口すると、憂也はにやにやと、さらに楽しそうな目になった。
「だって、インターネットなんか見てみろよ、J&Mのファンサイトなんて、そういうので溢れてるぜ?それが、結構マジエロでさ、読んでてあきねーんだよな」
 読むなよ…………頼むから。
 俺は、はあっと溜息をついた。
「……俺、ダメ、そういう話……ありえねーから、マジで」
「ばっかだなぁ、雅君は鈍いから知らないだろうけど、結構、ただの噂じゃないんだぜ、J&Mのホモネタは」
「…………」
 どこか中性的な憂也が、目を輝かせてそう言うと、なんだか、こっちまで妙な気になってくる。
「そもそも社長、あれはマジ入ってるよ、あの目はホンモノ」
「…………マジ?」
「ずばり、狙いは美波さんだと、俺は見てるけどね」
「………………」
 社長――事務所の社長とは、唐沢直人という人のことである。
 30半ばくらいだろうか、パンピーとは思えないほどの超イケメンで、びしっとダークなスーツで決めて、薄い縁なし眼鏡をかけた冷たげな人だ。
 若くして取締役についていたのが、数年前に代表取締役社長に昇格した。
 バリバリのエリートビジネスマンって感じで、俺なんか、ひょー、唐沢さんってかっこいいよなって、密かに憧れていたんだが……。
「ダメダメ、その憧れは事故の元だよ、雅君、一度目つけられたら終りだよ、君の後ろの貞操も」
 と、憂也は、引くようなことを平気で口にするのである。
 事務所の裏話に、何故か異様に精通している憂也は、この唐沢社長と、事務所に所属するタレントの誰かは、確実に関係を持っている――と妙な確信を持っている。
 その癖、俺が「えっ、それって誰だよ」と微妙に真剣になって聞くと、「いや、聞かない方がお互いのためだから」と曖昧に逃げられる。
 そんな妙な話題が好きな憂也が、実は一番怪しいんじゃないか……と、俺は密かに疑っているのだが……。
「ま、うちの事務所はニンゲンカンケー複雑だからね」
 と、結局一滴残らず飲み干した空缶を、礼ひとつ言わず、俺に投げ返して、憂也はひょい、と立ち上がった。
「上じゃ、唐沢社長と、真咲副社長が対立してるし、タレントじゃ、キャノンの美波さんと、ギャラクシーの緋川さんが対立してるし」
「お前、なんだって、そんなことにやたら詳しいんだよ、正式な社員でもないくせに」
 俺がつっこむと、憂也は立ち止まって、にっと笑った。
「地獄耳なのさ」
「デビルマンかよ」
「ま、俺は、こんなとこに長く居座る気はないけど、雅君、ここでデビューする気なら、真咲派か、唐沢派……美波派か、緋川派……どっちにつくか、覚悟決めといた方がいいと思うよ」
「知るかよ、んなこと」
「断言してもいいよ、……この事務所、将来、大変なことになると思う」
「…………」
「ま、芸能界は恐いとこだからね」
 それだけ言うと、憂也はいたずらっぽくウインクして、そのまますたすたと廊下の向こうに消えていった。
 俺は……なんだか、レッスン以上に疲れていた。 
act1 笑わない男
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