六
「……悪いな」
俺が缶ジュースを差し出すと、憂は、めずらしく素直にそう言った。
夜だった。
宿泊先ホテルの――駐車場前の自販機。
夕食後、ふいに姿を消した憂は、その傍らのベンチに座り、ぼんやりと空を見上げていた。
俺は自分も缶ジュースを持ち、憂の隣に腰掛けた。
「……らしくないことしたな、お前」
俺の言葉にも、憂は不思議と素直に頷く。
「……けっこう、俺、必死だったからさ」
そして、信じられないような言葉を吐いた。
「あったまきたからさ、一方的にあんなこと言われて……それを、あんな馬鹿げた嫉妬で、台無しにされたくなかったんだよ」
「…………それ」
一瞬、意味が判らなかったが、少し考えて、俺は聞いた。
「……こないだ、美波さんに叱られたことか」
「俺、他人から叱られんの、我慢できないタチだから」
「…………」
憂らしいな、と思いつつ、俺は缶のプルタブを切った。
みんなデビューのきっかけ欲しくて、必死になってる、が、憂だけは、夏のはじめ、自分を頭ごなしに侮辱した男を見返したいためだけに、結構マジで頑張ったんだろう。
「……お前……デビュー……マジで決まったら、どうすんの」
「……なんであの人が、あんなこと言ったのかしらねぇけど」
ぷしっとフルタブを引きながら、憂はつまらなそうに呟いた。
「多分、限りなくガセで、その可能性は薄いと思うよ。……俺が思うに、次のデビューは間違いなく貴沢君と誓也だろ」
「……ま、そんなとこだろうね」
それは、確実っつーか、競馬で言えば、順当馬ってとこだろう。
とにかく、貴沢君と誓也の人気は、kidsの中では郡をぬいている。特に貴沢君の人気はすさまじいものがある。噂では、すでにFテレビの看板番組、俗に言う月九の主役も決まっているらしい。
もう、このKIdsの中でどうこう、というレベルではない。日本の芸能界に、すでに燦然と輝くひとつ星のような存在になりつつある。
「メンバーは、せいぜい六人か五人、貴沢君がセンターに立つから、もしかして、三人くらいになるのかもしれないし……」
憂は缶を弄びながら、どこか遠くを見るような眼差しで言った。
「貴沢君がソロで立つかもしれない、なんにしても、貴沢君がセンターなら、俺が選ばれる事はまずないだろ」
「そんなもんか?」
「そんなもんだよ、バランス的にまるで合わない。貴沢君中心に考えるなら、まだ雅の方が可能性があると思う」
「……そ、それもねぇだろ」
慌てて否定すると、憂は少し寂しげに視線を自分の膝に落とした。
「……俺のデビューが決まってるなら、逆に貴沢君のデビューがないことになる。……それはいくらなんでも有り得ない」
「…………お前……」
俺は、少し間を置いてから、呟いた。
「もしかして、ほんとは、デビュー……したいのか」
「マジでする気ないなら、とっくに辞めてる」
「………………」
初めて聞くような言葉だった。
そして、それが――普段決して、素にならない憂の本音なのかもしれなかった。
「悔しいだろ、同じ事務所で長年競い合ってて、ここで負けて引き下がるっつーのはさ」
「…………そだな」
「ま、貴沢君が入った時から、ある程度先は読めてたけどね」
「先か」
「うん、緋川さんが出て、今井さんが出て……SAMURAIの豪賢が一斉を風靡して……ああ、次は、貴沢君の時代が来るんだろうなってさ」
「…………」
「唐沢社長も、美波さんも、もう何年も前から貴沢君中心のプロジェクトを組んでるはずだよ、……俺らは、そのコマみたいなもんだから」
「…………」
「俺はただ、そんな決められた未来に反発したいだけなのかもしれない。……くっだらねー意地だよな」
「んなことねえよ」
「いや、くだらねえよ」
「んなことないって」
「…………」
「…………」
なんとなく、背中あわせに互いの体を支えつつ、俺たちは暗い夜空を見上げていた。
「あそこにさ、すっげーでかい星があるだろ」
憂が、呟く。
「うん」
「あれ、緋川さん」
「Galaxyって、銀河だよな」
「そうそう、……で、あっこで輪になって輝いてるのが、MARIA」
「あ、丁度五つある」
俺は、少し楽しくなる。
「あっちの一群がSAMURAI6、で、あの端で、がんがんに光ってるのが、貴沢君」
「Jって、綺羅星の集団みたいなもんだよな」
「うん、で、俺らは、見えない」
「何それ」
「……クズ星ってこと」
俺は吹き出して、憂の背に体重を預ける。
「今……妙な予感した、俺」
少し楽しそうな声で憂が言った。うん、普段の憂の声だ。俺はマジで安心する。
「なに」
「雅君とは、やっぱ、離れられないような気がする」
「なんだよ、そりゃ」
「……上手く言えねーよ……たださ、…………何年先も、こんな風に、二人でバカみたいに愚痴りながら、星見てる気がした」
「…………最悪だよ、それ」
「最悪だよな」
笑いながら憂も答える。
俺は不思議なほど心地よさを感じつつ、缶に唇をつけながら、背中の温みを意識していた。
最悪だけど、最高の未来。
なんだろう、ふいにそんな言葉が、閃いて消えていく。
「……なぁ……雅君」
「ん……?」
「どうでもいいけど、凪ちゃんのことはほっといていいの?」
その言葉で、俺は思いっきり我に返っていた。
七
ああ、青春って……青い春か、今は夏だが、そんなことはどうでもよくて、青春ってなんて忙しいんだろう。
考えることがありすぎて、もうパニックになりそうだ。
そうだ、問題は夜なんだ。
夜――このホテルに宿泊する、今日と明日の二晩。
基本四人部屋で、総勢13人だから、四つに分けて押し込められる計算になる。
俺は、憂と、東條君の三人で、ひとつの部屋を使うことになっていた。
流川は―― 一体誰が部屋割りを決めたものか、最悪なことに、有栖川、そして滝川ナオさんと三人部屋になっている。
夜までになんとかしてやろうと思いつつ、リハの後の騒ぎで、すっかり忘れてしまっていた。
俺は、客室階の廊下を走りながら腕時計に目を落とした。
八時少しすぎ。
つか、今ごろあいつ、何やってんだ?しっかりしてるし、ある程度覚悟も準備もしてついてきたんだろうから、まぁ――そんなに心配することも、ないのかもしれないが。
「なんだ、雅、何血相変えて走ってんだ」
と、背後からいきなり声が掛かった。
俺ははっとして、急ブレーキのように足を止める。
振り返ると、エレベーターホールの方から、浴衣姿の将君が缶ジュースを片手に歩み寄ってくるところだった。
「お前、風呂入ったのか?今、下の大浴場に、お前ら以外全員いたぞ」
「あ……ああ、うん、じゃあとで、東條君と憂誘って」
俺は気もそぞろに走り出そうとして、ふと足を止めていた。
「……って、全員」
「……だけど?」
「マジで全員?」
「……いたよ、だって、この時間、社長がわざわざ貸しきりにしてくれたんだから、大浴場」
「………………」
「早く寝ろよ、明日は本番なんだから」
それだけ言うと、将君は髪をかきあげながら、すたすたと自分の部屋がある方に行ってしまった。
―――え……?
全員で風呂?
つか、それはありえないでしょ……?
どうしたものかと立ちすくんでいる俺の前で、エレベーターがちん、と止まる。
たちまち賑やかな声が溢れ出し、将君同様、浴衣姿のKIdsのメンバーがどやどやと降りてきた。
その中に――やはり有栖川と肩を並べている流川を見つけ、俺は普通に顎を落としていた。
しかも浴衣姿である。
オイ――それは、いくらなんでもないだろう。
どこをどう誤魔化してるのか知らないが、それは、無防備にもほどがあるんじゃないだろうか。
「……なんだよ、お前、何やってんだ」
先ほどの遺恨があるのか、その場にいたナオさんが、どこか嫌味な視線をぶつけてくる。
そのまま、俺をシカトするようにすたすたと歩み去っていく集団に――俺は、声をかけてしまっていた。
「る……流川……君」
君ってのもないだろうと思うが、他にどう呼んでいいものか判らない。
流川が、少し驚いたように足をとめる。
そして即座に俺から視線を逸らす。視線っつーか、顔ごと思いっきり逸らしている。
「ちょ……いいかな、話があんだけど」
なんなんだ、そのリアクション。
俺はそう思いつつも、ぎこちなく言葉を繋ぐ。
流川は目をそらしたまま、その隣に立つ有栖川だけが、眉をひそめて俺をじっと見つめているようだった。
「……悪いけど」
顔を背けたままの流川の返答に、俺はちょっと愕然としてしまった。
「疲れて、眠いんです、明日にしてください」
それだけだった。
「雅、お前、憂がいるのに、今度は流川に乗り換えんのか」
「マジでホモってんじゃねぇの、お前」
そんな嫌味を浴びせ掛けられながら、俺は、だた、呆然と去っていく集団を見送っていた。
なんなんだ、そりゃ。
つか、昼間のナイスバディ事件を、まさかまだ怒ってんのか。
俺って――なんなんだ、あんなことまでした俺って、なんなんだよ。
八
「やっぱ、行くわ、俺」
午後九時すぎ。
俺は、悶々と布団の上で寝返りを打ち続けていたが、意を決して立ち上がった。
「……ケンカすんなよ」
と、並んだ布団で腹這いになって雑誌を読んでいる憂が、自分のことなど棚に上げて、さらっと言った。
普段、こういった合宿もどきの場所では、夜通しふざけて、やれ野球ケンだのなんだのくっだらない遊びばっかりしたがる憂だが、今夜は、どこか疲れているのか、早々に布団に入ってしまっている。
「……しない、つか、こんなことでケンカすんのもバカバカしい」
一番隅の布団では、すでに東條君が、すやすやと寝息をたてている。
「そう?場合によっては、アリちゃんぶん殴るみたいな目してるよ、さっきから」
「…………してねぇから」
といいつつ、俺の妄想は、結構危ないとこまで突き進みつつある。
着崩れた浴衣の帯を締め直し、俺は鍵を掴むと、出入り口においていたスリッパを履いた。
「……お前さ、……あの子のこと、実際どう思ってるわけ」
憂の声が背後でした。
え……、と思って振り返る。憂は、俺に足を向けたそのままの姿勢で、まだ雑誌に目を落としているようだった。
「どうって……どうもなにも、女の子だろ」
「キスまでしてさ、マジでつきあうとか、彼女にしてやる気、あるわけ」
「………………」
それは――。
「悪いけど」
ようやく憂は起き上がった。
「俺、ずっとお前見てたけど、……あれじゃ、彼女が可哀相かな、とは思ってた」
「…………かわいそう……?」
「シカトなんてもんじゃない、お前、露骨に逃げ回ってたろ」
―――逃げる……?
いや、そんなつもりはなくて、俺はただ、ただ、その……気恥ずかしいというか、どうしていいか判らなくて。
「雅君らしいリアクションだって、微笑ましく思えるのは、長い付き合いのある俺くらいだよ」
憂はからかうように言って、雑誌を隅の方にひょい、と投げた。
「雅君が相変わらず何も考えてないなら、いっそ何もしない方がいいんじゃない?」
「…………何もって」
「期待させんなよ、その気がないなら、ほっとくのもやさしさだろ」
「そ、そりゃ、そうだけど、今夜は」
今夜は――そういう問題とは別に、
やっぱ、女が男と同室で寝るのは、非常によくないと、そう思うわけで。
しかも、有栖川みたいなやばい男と同室なら、いくら正体が女とはいえ、それなりの危険があるわけで。
「……アリちゃんの話が嘘っのは、知ってるよな」
半ば呆れたような声がした。
――――は??
それでもやっぱ、行こうとしていた俺は、その言葉でずっこけかけていた。
「まさかマジで信じてた?なわけねーだろ、あいつはただのおせっかいのお人よしで、地元に彼女がちゃんといるよ」
「……………………」
オイ。
て、てめー…………。
「……ま、理由はよくわかんねぇけど、あの子には美波さんがついてんだ」
憂の言葉に、俺ははっとして、眉を寄せてしまっていた。
「雅君が心配する必要はないと思うよ。今日のことも、美波さんがいいように図ってくれてんじゃないかな、多分」
「………………」
まぁ……そうだよな。
だから流川も、あんなに落ち着いていたのかもしれないし。
そっか――。
俺は、気勢をそがれたまま、いったん履いたスリッパを情けなくまた脱いだ。
―――美波さんは、大人で。
俺は子供だ。
別に、ひがんでるわけじゃないけど、再び布団で仰向けになりながら、俺は――憂と一緒に見た星空を思い出していた。
美波さんも、きっと、夜空に輝く綺羅星のひとつなんだろう。
今はユニットとしての活動は殆んどしていないが、キャノンボーイズといえば、80年代を代表する怪物みたいなアイドルユニットだ。リアルタイムで知らない俺でも、彼らのヒットソングはなんとなく知っている。
なんだかんだいっても、あの人はすげぇよな。
で、
俺は――地上からは見えない、クズ星か……。