俺には、思い出したくない過去がある。


 あれは忘れもしない、小学校五年の夏。
 俺は、学区外のサッカークラブに、いきなり入部することになった。
 母親が勝手に決めたことで、理由はいまだによく判らない。
 自転車で20分かけて、初めて足を運ぶ小学校のグランドに、月、水、金、土、日。
 週に五日は通ってたように思う。
 で、そこに、すっげーむかつく奴がいた。
「笑うな、成瀬!」
「歯見せんな、成瀬!」
 顔をあわせるたびに、練習や試合で鉢合う度に、それだった。
 俺は――当時は、本当によく笑う奴だったらしい。
 口べたなせいもある。言葉が上手く出せない分、笑いで誤魔化すクセがあったんだと思う。
 表情のせいもある。いつも目を細めて、口元を緩めていたから、普通にしていても、笑っているように見えたんだと思う。
 が、そのせいで、俺はそいつに、思いっきり嫌われていたようだ。
 そいつはなんていうか、サッカー 一筋、みたいな真面目なヤローだったから、にたにた笑って(そんなつもりはない)プレーしている俺が、許せなかったんだろう。
 クラブのレベルは低かったが、一年から六年の面子の中で、多分、そいつが一番上手かった。
 何年のヤローだったのか?結局一夏で転校した俺には最後まで判らずじまいだ。
 背は低かった。それだけは覚えている。
 ファニーフェイスというやつで、口は悪いのに、顔だけはファンシーな雰囲気だったような記憶がある。
 が、長いものには常に上手くまかれる俺は、それでもなんとか、そいつとそつなく過ごしていた。
 時々は話もしたし、一緒にパスの練習なんかもしたりした。夏の半ばには、そこそこ仲良く……していたような気もする。
 最悪にして、最後の思い出は、そう、夏休みの終わりのことだ。
 大げさだが、俺の人格を変えた運命の日。
 その日、クラブのある学校で、サッカークラブの感謝祭、みたいなイベントがあった。
 色んな学校のクラブが参加して、賞品付きの、リフティング大会やPK大会なんかがあった。
 去年奴がたたき出した、リフティング600回っていう記録は、そのイベントじゃベストに入る記録だったらしい。
 俺は――800回くらいなら、当時は軽くできていた。が、長いものに巻かれろ的な俺の感覚では、やつの記録を抜くメリットなど何もないに等しかった。
 だから、記録大会では、なんとなく400を超えた時点で止めてしまった。
 PK大会も、最後に二人で競ったので、わざと外した。
 せっかく仲良くなりかけていたのに、これ以上、そいつに目をつけられたくなかったからだ。
 大会の後、俺は、そいつに下駄箱の裏に呼ばれ、そして初めて、ぐーで殴られるという衝撃の体験をした。
 俺の肩のとこまでしかない小柄な男に、思いっきりひねりの効いたパンチをくらった……俺の気持ち。
 俺は、その時も笑ったような気がする。
 他に、どんなリアクションをしていいかわからなかったから。
「―――笑うな、成瀬!!」
 そいつは――思い切り、そう怒鳴って、
 ふいに、ぽろぽろっと涙を零した。
 多分。
 俺はその日から、普通に笑えなくなってしまった。
act1 笑わない男
||NEXT|| ||BACK|| > top