向日葵
 ――2――

 




                                     


                  3
 

「はは、そりゃすごいね」
 話を聞き終えた上瀬士郎は、どこかシニカルに乾いた笑い声をたてた。
「すごいっつーか、こういうのってどうよ、俺、今でもまだ状況掴みきれてねーんだけど」
「で、まだいるの、彼女」
 士郎の問いに、拓海は無言で肩をすくめた。
 これで3日目。
 すっかり居着いた女が出て行く気配は微塵もない。
「……甘いなぁ……拓海は、外見もイメージも冷たそうなのに」
 そういうお前がそのまんまだろ、と言い返したいほど冷たい眼で、上瀬士郎はうっすらと笑った。
 上瀬士郎。
 Galaxyの一員で、多分、メンバー1マイペースな男。
 私生活を見せないため、今でも拓海には、この男の考えとか信条とか……そもそも根本的な性格とかが、いまいち掴みきれていない。
 が、他人事に無関心、というより絶対に干渉しない士郎は、拓海にとっては、ある意味天野より気安く話せる相手だった。
 その天野は、間の悪いことにドラマ撮影でずっと北海道につめている。
 何度か連絡を取ろうとしたが、いまだに成功していない。
「野良猫にいつかれた気分だよ、マジで」
 化粧台の上の煙草に手を伸ばし、拓海はそれを一本引き抜いて口に挟んだ。
 Galaxyがレギュラーを務めるバラエティ番組「夢をあなたへ」の収録合間。
 控え室、今日の撮りが入っているのは上瀬士郎と拓海の二人だけだった。
 士郎は、紙カップのコーヒーに唇に当て、手元の文庫本のようなものに視線を落とした。そのままあっさりとした口調で言う。
「追い出せばいいじゃん、そんなに難しいとも思えないけど」
「………ま、そりゃそうなんたけど」
 それはそうだ。
 拓海は、ちょっと憮然として長い髪に指を絡めた。
 実際、1日目は、結構きついこと言って追い出そうとした。が、結局は諦めて、無視しようにもしきれないまま、曖昧な同居を続けている。
「なんつーか、まぁ、行くとこないって言われたら、そうむげにも」
「金渡して、ホテルかどっかに泊まってもらえば?」
 士郎は、本から目も上げずに言う。
 それもそうだ。
 拓海は、そのことに思い至らなかった自分に舌打ちしつつ、が、それでもまだ、言葉を濁した。
「ま、一週間で……出てくって言ってるわけだし」
「寝た?」
「へっ?」
 士郎の口からあっけなく出た言葉に、拓海は吸い込んだ煙にむせて、咳き込んだ。
「ね、寝るかよ、んな、どこの馬の骨かもしれねぇ女と」
 それに、言っては悪いが、まるで好みではないのである。
 料理もできない。掃除も洗濯も、何もできそうにない。ただ、1日中家にいて、帰ればおかえりと言って飛びつくように出てくるだけ。
「新鮮なんだ、拓海には」
 ようやく本から顔を上げ、士郎は綺麗な唇で微笑した。
「……新鮮?」
「自分のことを知らない女が、新鮮なんだ、拓海、大学生で通してんだろ、彼女には」
「………………」
「その生活が、そこそこ楽しくなってんだよ」
 それは、考えてもみなかった。が、どこかで核心を衝かれた気がした。
 こんな風に士郎は、ふいに自分の本音に近いところに斬りこんでくる時がある。
 新鮮というか、気が楽なのだ。それはある。
 ただ……それだけでもない気がする。
「……ま、それは……騙してんのかな、みたいな罪悪感はあるけどさ」
「それとも、死んだペットの代わり?」 
 今度は、拓海は本気で驚いてしまっていた。
「向日葵ちゃんか」
 士郎は、初めて見るような楽しげな笑みを唇に滲ませた。
「案外、死んだ猫が、拓海に恩返しに現れたのかもよ?話聞いてて、なんかそんな気がしたな」
 そうして士郎は、手にしていた本をひょいっと胸元まで上げる。
 拓海の目に映った表紙。そのタイトルは、カフカの「変身」だった。


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 猫の恩返し。
 いや……それはねぇだろ、多分。
 それを言うなら、意趣返しだ。
 茹で上がったパスタにソースを絡めながら、拓海は重いため息を吐いた。
 リビングのマットの上で、寝そべったまま漫画を読んでいた女が、いつの間に起き上がったのか、キッチンに立つ拓海の傍にひょこひょことやってくる。
 めずらしく、ふわっとした白いスカートを穿いていた。上は、ノースリーブのブラウスである。
「何つくっとるん?」
「見りゃ、わかるっしょ」
「うちなぁ、スパゲッティ熱々なのに、半熟卵のせたんが好きやねん」
「うるせぇな、卵ならあるから、自分で作れ」
 料理もしないくせに、注文だけは煩い女である。
 拓海の口調にびっくりしたのか、女が――向日葵が、少しだけしゅん、とする気配がした。
 言い過ぎたかな……と、拓海が手を止めて振り返ろうとした時、
「すいた、すいた、お腹がすいた」
 まるでハミングでもするような上機嫌な歌声。女は軽やかな足取りで、ターンして、勝手に冷蔵庫の中を覗いている。
 はぁっっ。
 本気のため息を吐き、拓海は手元の作業に没頭した。
 マジで意趣返しだ。
 俺、もしかして向日葵に、何か恨みでもかってたんだろうか。
 死にかけていたやせっぽちの野良猫。中学に上がる頃までは、なんだかんだとかわいがっていたような気がする。
 親がJ&Mのオーディションに応募して、気がつくとレッスンに通うようになって、向日葵のことは何時の間にか家族任せになっていた。
 が、家を出て、ここではない小さな賃貸アパートに移ることになった時、「向日葵、つれていきなさい、あんたが死ぬまで責任もつからって飼いはじめた猫でしょう」
 と、母親に無理に押し付けられた。
 無茶苦茶だ、どうすりゃいいんだ、こんなモノ、と思ったものの、結局は断りきれずに連れて行くことにした。
 多分母親は――勝手に事務所に応募したくせに、最後までデビューすることに難色を示していた母親は、向日葵を押し付ける事で、拓海に伝えたかったのかもしれない。
 子供の時、ランドセルを玄関に投げて飛びだす度にかけられた言葉を――「あまり遠くに行かないでね」と。  
 今ごろになって、ふとそんなことを思ってしまう。
「拓海君、器用やねぇ、いいコックさんになれるんやない?」
「そいつは、どーも」
「ああん、いい匂い」
 背後からひょいと、手元をのぞかれる。
 拓海は無視しようとして、そして、ちょっと躊躇して、女の顔を覗き込んだ。
 自分の肩先までしか身長のない女。小柄で、そして針金みたいに華奢な肩をしている。
「なに?人の顔じろじろ見て、恥ずかしいわぁ」
「……言ってろ」
 言っては悪いが、美人じゃない。可愛くもない。加えて言えば好みでもない。
 大きな口だけが、妙にセクシャルだ。やせっぽちで、そばかすの散った白い肌、髪は薄茶のベリーショート。目は綺麗だが、どこか寂しげで存在感がない。
 向日葵も、猫としてはブスの部類だった。
 よく、近所のガキからブス猫と呼ばれていたことを思い出す。
―――まぁ……ブスってほどでもないか。
 好みではないが、女性雑誌でよく見るモデルなんかは、結構こいつに近い系統の顔をしているような気がする。
「つか、お前さ」
 女の顔をまじまじと見ていた気恥ずかしさから、拓海は目を逸らし、少しぶっきらぼうな口調で言った。
「友達に連絡取る努力くらいしてんだろうな、1日部屋の中で何してんだ」
「電話してるー、あと、外見たり、お散歩したり」
「…………出入りには注意しろって」
「すっごい注意してる、もう、気分は探偵事務所」
「………………」
 会話の努力、ここで終了。
 拓海は無言で、ボールで完成したパスタを皿に移した。
「拓海君は忙しいね、バイトでもしようるん?」
「苦学生ですから」
「煙草はあかん思うよ、若いのに、肌が荒れてるのはそのせいやないかなぁ」
「…………」
「それに、時々お酒臭いし」
 ちょっと、煩いな、と思っていた。
 煙草のことは、事務所からもイメージ云々と煩く言われている。
 ほっとしてくれ、と拓海はその都度思ってしまう。
 俺のイメージってなんなんだ、俺は俺なんだよ、馬鹿野朗、と。心の中で反抗心を剥き出しにしている。
「いつから吸いようるん?1日にどのくらい?」
「………………」
 この女の煩さは初日からわかっているが、自分のことに口を突っ込まれたのは初めてだった。
「拓海君、」
「うるせぇな、テメーにそれが、何か関係あるのかよ」
 言ってすぐに、あ、やべー、と思っていた。
 感情より言葉が先行してしまった、という感じだ。
「サラダ、トマトぎょうさん入れてね」
 が、まるでスキップでもするようにかろやかに身を翻した女は、拓海の感情の起伏にはさほど関心がないらしかった。


                   5


―――なんなんだよ……こいつ。
 夕食後、拓海はソファに所在なく身体をあずけ、見たくもないドラマを見ていた。
 ちらっと、女を横目で見る。
 女はフローリングの上に敷かれたラグマットの上で、クッションにもたれるようにして腹ばいになって少女漫画雑誌を読んでいた。
 鼻歌まで聞こえてきそうなほど、楽しげな表情をしている。
 なんていうか、自分一人がこの莫迦女に振り回されてるんじゃないだろうか。
「…………」
 拓海は嘆息し、リモコンを掴んでテレビを切った。
 ずうずうしく他人の部屋に居座ったまま、呑気に少女漫画雑誌を読んでいる女。部屋の主に、当然のように食事を作らせている女。はっきり言って、どこから見ても莫迦っぽい。
 なのに。
 女がようやく漫画から顔をあげると、少しだけほっとしている自分がいた。
 女は半身を起こし、膝で這うようにしてすりよってきた。
「なぁ、暇なら、外にいかへん?」
「やだね、行くんなら一人で行けよ」
「いきたいなぁ、いきたいなぁ」
「だから、誰も止めてません」
 話していると、そこそこ楽しいのは何故だろう。
 こいつが俺を知らないから――そうかもしれないし、それだけでもないような気がする。ずっと一人だった、それが当たり前の部屋で――今は他人と同居している。その、不思議で奇妙な安堵感。一人じゃないことにただ安心しているだけなのか。
―――いや……それだけでもないんだ。
 拓海は唇に指をあてた。
 わからない、この……例えていえば、なくしたと思い込んでいた箸の片割れにめぐり合えたような妙な感覚はなんなんだろう。
「行きたいなぁ、拓海君かっこええから、手ぇなんか繋いで歩きたい」
 女の声に、拓海ははっと我にかえった。
 できるか、ボケ。
 そんなもの、女性週刊誌にでも撮られてしまえば、海外に帰った後の女には無関係でも、拓海には致命的な記事になる。
 落ち目の時のスキャンダルは命取りだぞ、緋川。
 そう忠告してくれたのは、やはり、美波涼二だったし、その言葉の重さだけは理解しているつもりだった。
―――判ってる。
 投げてあった雑誌を取上げながら、拓海は思った。
 士郎の言うとおり、この女には一刻も早く、ここから出て行ってもらうのが一番なのだ。
 仮にもアイドル、しかも若干20歳のアイドルタレントが、女と同居しているのである。
 実際は、寝る部屋も別で、食事の世話も全部拓海がみている――まるで、ペットを飼っているようなものなのだが。
―――向日葵か……。
 拓海はちょっと眉をひそめて、顔をあげた。
 そんなこと――まぁ、絶対に有り得ないけど、まさか、向日葵の化身とか、そういうオチだったらどうすればいいんだろう。現れたタイミングといい、2人の関係といい、なんだか妙な因縁を感じる。
「子供の頃なぁ、超でっかい遊園地いったことあるねん」
 が、そんな杞憂も現実的な不安も、女の間の抜けた声を聞いていると、自然とどこかに流れていくような気がした。
「日本にいた頃?」
 うん、とどこか曖昧に女は頷く。
 フローリングの床の上にペタンと座った女は、楽しそうに足をばたばた動かした。
「そこになぁ、でっかい観覧車があってん、もういっぺん、行ってみたいなぁ、そん時は、お父ちゃんと乗ったんやけどな」
「へぇ」
 大阪生まれ――なんだろうな、と思いつつ、拓海は女から目を逸らした。
「………………」
 そして、ふと気がついた。
 大阪近郊なら、父の転勤で半年あまり住んでいた時がある。小学校最後の年。まてよ――向日葵を拾ったのも、ちょうどその時期じゃなかったろうか。
「……お前さ、…………」
「ん?」
 まさかね。
 いや、それは有り得ない妄想だろ。
 まさか、……マジで死んだ向日葵の……。
「あ、そやそや、うち、半熟卵食べるんやった」
 拓海の杞憂をよそに、女は、嬉しそうに顔を輝かせると、ぱっと軽やかに立ち上がった。
 妙なことを考えているせいか、その身軽な仕草さえ猫っぽく見えてしまう。
「勝手に台所使ってもええ?」
「どーぞ」
 女は、ぺたぺたと肉球……いや、裸足のまま、キッチンに消えていく。
 鼻歌と共に、はたん、と冷蔵庫を開け閉めする音がする。
「なぁ、ちっちゃな鍋とかないん?」
「ねぇよ、あまり料理なんてしねぇから」
「……ふぅん」
―――俺……どうかしてるな。
 拓海は妙な妄想をふりはらい、手元の雑誌に視線を落とした。
「三十秒……四十五秒……どっちや思う?」
「知らねぇから、マジで」
「じゃ、一分」
―――聞くなよ、自己完結するくらいなら。
 まったく疲れる女である。
「………………」
 かすかな電子音を聞きながら、拓海はふと眉をよせた。
「お前さ」
「んー」
 女は、電子レンジの前に立ったまま、じっと中をのぞきこんでいるようである。
 レンジで卵を温めているのか――と、思った途端、拓海は立ち上がっていた。
「卵、まさか、殻のまま入れてるんじゃ」
「あれ、そろそろいいかなぁ」
「おい、開けんな!!」
 雑誌を投げて駆けだした拓海の視界に、稼動中の電子レンジ、その扉を開きかけている女の横顔が飛び込んで来た。
 腕を伸ばす。
 女が振り返る。
 バンッ、という、耳をつんざくような爆発音がしたのがその直後だった。
 衝撃が頬をかすめる。女を抱くようにしてキッチンの床に倒れた拓海の顔をかすめ、目の前のシンク下の戸棚に、黄色と白、そして凶器のように砕けた卵殻がぶち当たった。
「ひゃ……ひゃー」
「…………」
 女は、仰向けに倒れたまま、茫然とした目で、拓海を見上げ、畏怖したような声をあげる。
 実際、爆発に等しい衝撃と音だった。拓海は、バラエティ番組の実験で、殻つき生卵をレンジで加熱するというコーナーに立ち会ったことがある。卵は、殻つきのまま加熱すると、まさに小型爆弾に転じるのである。
 その時の衝撃はものすごかった。電子レンジのガラス機器が、卵の爆発で壊れていたくらいだ。
―――多分、うちのレンジも……ぶっこわれてるよ。
 拓海はため息をつきながら、ひとまず女が無事だったことに安堵した。
 キッチンの床も壁も、黄色と白の細かな汚れがいたるところに飛び散っている。
 こりゃ、掃除が大変だ、
 そう思いながら、拓海は、はからずも押し倒してしまった女を見下ろした。
 女の髪にも、白い肌にも、やはり卵の欠片が散っている。
「…………」
「…………」
 何故か、身体が動かなかった。そのままの姿勢で、拓海はぎこちなく言葉を繋いだ。
「大丈夫か」
「……うん、平気」
 見上げているのは黒水晶のようにきらきらと輝く瞳。
 何故か目が離せないまま、拓海が身体を起こすと、女もゆっくりと半身を起こした。その手が、そっと拓海の頬に触れてくる。膝をついたまま、ゆっくりと顔を近づけてくる。
 拓海はそれでも動けなかった。
 ぺろっと生暖かなものが頬に触れた。舐められたのだと、しばらくしてから気がついた。
「血……出てる、きれいな顔やのに」
「…………」
「ごめんな、うちがアホやから」
 ああ、そっか。
 こいつ、マジで猫なんだ。
 そう思いながら、そこだけはいつも性的な魅力を感じる唇に、拓海は自分の唇を寄せていた。
 ちょっと吃驚した風でもあったが、女はそれでも逆らわなかった。
 すぐに深くなっていくキスは、わずかに血の味がした。


                   6


「貧相な身体やろ」
 唇を離した後、女は、どこか楽しそうな声でそう言った。
「否定はしないけどな」
 ベッドの上で、着ていたブラウスをはだけられても、女はまるで無抵抗のままだった。
 と、いうより、どこかその表情は呑気そうに見えた。
「マニア向けやねん」
「俺、マニアじゃねぇよ」
 拓海はさすがに鼻白んだ。
 これからセックスしようという時に、いきなり女から口を開かれたのは初めてである。
 大抵の女は、こう言う場面では、ぼーっとしたまま、目をつむっているものなのだが。
「ブラのワイヤーが、いつも胸にくいこむねん、中ないのに、外枠だけが、ほら、ここ」
 女はそう言い、平らな胸の真ん中を叩いた。
 そこには確かに、赤い痕が滲んでいた。
「はぁ」
 としか、見下ろす拓海には言えなかった。
 なんていうか、リズムというか、主導権が取りにくい相手である。
 というより、本気でするつもりがあるんだろうか。
 キッチンでキスをして、なんていうか、欲情の赴くままに、勢いでここまで来てしまった。自分もすっかりその気だったし、女もそうなのかと思っていた。
 が、違ったとしても、もう止まらないのは、本能のようなものである。今は――自分がこの女をどう思っているとか、この女が何者かとか、そういう次元での抑制は効きそうもない。
 胸に沁みた赤い痣に、拓海は唇を寄せていた。
 何度もキスして、くすぐったいとでも言うように動く女の身体を、両腕を押さえて拘束し、そしてさらにキスを続ける。
 何度か身体が、反応を見せるものの、それでも拓海には、女が本当に感じているのかどうかわからないままだった。
―――ふ、不感症かよ、こいつ……。
 そう思いつつ、ちょっと恐る恐るスカートをたくし上げる。
 ここで止めれば、逆に、なんとも後味の悪い関係だけが残りそうな気がする。
「……恥ずかしい……んやけど」
「だって、このままじゃできないだろ」
「しなくてもいいやん」
「…………あほか」
 何言ってんだ、今更……と、わずかな抵抗には構わずに拓海は性急に動き出した。


 女は声を殺している、それが判るから、少し意地悪い気持ちになる。
「い……意地悪……なんやね」
 ようやく、溜まりかねたような声が聞こえた時、女の白い肌は、すでに薄赤く染まっていた。
 見上げた目は、涙で潤んでいるようにも見える。
「本当に意地悪い気分になるだろ」
 そんな目で見るなよ。
 拓海はそう思いつつ、女の背に片手を回して抱き上げる。
「脚……力、抜いて」
「…………できひん」
 女は、両足に、気の毒なほど力をこめたままである。がちがちに固まったまま、それ以上開かせないように止められている。
 拓海は辛抱強く、耳元で囁いた。
「その方が絶対に楽になるから、……抜いて」
「脱いで」
「…………?」
 一瞬言われた言葉の意味が判らなかった。
 拓海が唖然として見下ろすと、女は恨みがましい目を上げた。
「うちはこんなんなのに、卑怯やん、自分は全然脱いでへんし」
「…………」
「そんなん、嫌いやし、一方的にされてるみたいでいややし」
「…………」
 そ、そんなことかよ。
 夢中になっていて気づかなかった。まぁ、そう言われてみればその通りで、拓海はまだ、Tシャツとジーンズを身につけたままである。
 拓海は手早くシャツを脱いだ。
 ジーンズのボタンに手を掛けながら、女の頬に口づけた。
「一方的じゃないだろ」
「そうなん?」
「つか、それ、俺が聞きたいんだけど」
 裸になって抱き合うと、女の身体が、自然に柔らかくなってくるのが判った。
「……名前………教えろよ」
「……向日葵……」
「もういいよ、ギブアップ、教えろよ、本当はなんて名前なんだ」
「だから、向日葵」
「本気で言ってんのかよ」
 少しだけこちらを見た女の眼が、からかうようにすがめられた。
 綺麗だと思っていた。
 なんで気づかなかったんだろう。こんなに綺麗な女に、どうして俺は。
 再び仰向けに押し倒す。
「避妊して」
「わかってるよ」
 きゅうっと強く、肩を抱いてくる腕。爪が肌を掻いている、そうだ、こいつは猫なんだ。
 激しい欲望を叩きつけながら、拓海は、およそ相反するような愛しい気持ちで、女の耳に、髪に口づけを繰り返した。














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