STORM
in
ハッピーでロンリーなクリスマスナイト

   



              
    1


「ご、ごめ……遅くなって」
「ううん」
 にっこり微笑して顔をあげたその人の顔を見て、聡はほっとして肩に入れた力を抜いた。
「見てたわよ。Mスタ」
「え、マジ?」
 暖房の効いた暖かな室内。祈りが通じたのか、他の社員は全員出払っているようだった――初めてのクリスマスナイト。
「コーヒー飲む?」
 パソコンデスクから立ち上がったミカリが、そう言って給湯室のある方に向かっていく。
「コーヒーより、」
 言いかけて、聡はがっついている自分に照れて髪に手を当てた。
 こないだも、部屋に泊めてもらったばかりなのに。あー、なんだってこう、我慢ができないんだろ、俺。
 照明が半分落ちた室内。壁には「地球に優しい出版社」と手書きの張り紙がしてあるが、単に経費をぎりぎりまできりつめているだけな気がする。
 部屋の隅、応接用(仮眠用も兼ねているらしい)の長椅子に、おそろしい代物を見つけたのはその時だった。
 ダースベイダーの仮面とマントが、だらっと所在無くその椅子に引っかかっている。
「な、なんすか、あれ」
「ゆうりさんに社長からのクリスマスプレゼント、総額四万以上するコスプレセットなんだって」
「………はぁ……」
「あの人が泣いたの初めて見たわね、よっぽど嬉しかったのかしら、これで冬コミに行くって言ってたけど」
 な、泣いたのかよ、それくらいで。
 暖かなカップを両手で持ち上げながら、聡は対面に座る人を見上げた。
「そういや、ゆうりさんにお似合いの人がいますよ、鏑谷プロに」
「へー、どんな?」
「エヴァ鈴木さんっていって……確か、その、冬のコミックなんたらにも出るとかなんとか、俺、席の番号とかもらったから」
「ああ、彼ね、でもゆうりさん、ああ見えてかなりの面食いよ」
 ミカリは、ダースベイダーをちらっと見て、自分もカップを持ち上げた。
「そ、そうなんだ」
「この地球に自分にふさわしい相手はいないとまで言い切ってるから……どうかな、上手くいけば楽しいけど」
「は……はは、すごいですね」
 そのまま、ちょっと無言になって、お互いコーヒーカップに唇を当てる。
「……………」
 今日、部屋……行っていいかな。
 あ、でも今夜は、おふくろと姉貴が、パーティするから早く帰れって言ってたっけ。
 ミカリが無言で立ち上がる。
 こっちに――歩み寄ってくる。
 聡は、鼓動がマックスになるのを感じた。
―――こ、ここでキス……くらいしてもいいかな。
 だ、誰もいないみたいだしー、そのくらいしたって、いいよな、な。ほら、今夜はクリスマスだし!
 と、誰に聞くでもなく同意を求めたところで、ミカリは、さっさと聡の横を素通りしてしまった。
―――が……がく。
「雪よ、聡君」
「え……は、はぁ」
 慌てて、その後を追うようにして立ち上がる。
「………綺麗ね」
 暗い窓の外。
 結晶のような雪の断片が星屑のように舞っている。
 その雪よりも、聡には目の前の人が――まるで、奇跡のように美しく思えた。
 自然に手をつないでいた。
 指先が少し冷えている。
「……来年、どうしてるかな」
「一緒に決まってますよ」
 即答したが、ミカリはただ、かすかに笑っただけだった。
「売れたくないの?今よりもっと」
「………え」
 黒い目は、まっすぐ闇を見据えていた。舞い降りた雪が風に煽られて浮き上がる。
「日本中の人が、聡君のことを、片瀬君、柏葉君、綺堂君、成瀬君、みんなのことを好きになって、こぞってストームを追いかけるようになるの。そんな風にはなりたくないの?」
「なりたくないって……つか、俺らは、そんな風には……ちょっと、無理目っつーか、なんつーか」
 想像もできない。
 それは、緋川さんとか、天野さんとか……貴沢君とか、そういう人たちのことを言うのだろうけど。
「……俺は、普通でいいかな」
「普通ってなに?」
 逆に問われ、聡は口ごもっていた。
 そういや、普通ってなんなんだろう。
「……ふ、普通に、そのー、恋愛とかして結婚とかして、で、普通に暮らせたらいいかなって」
「アイドルやめるってこと?」
「…………………」
 それは。
 ちょっとよく――わかんないけど。
「………今まで、色んなことやらせてもらって、俺」
「……………」
「ドラマの主役とか、ミュージカルとか、歌とか、コンサートとか、……はっきし言って、なんの才能も実力もないのに」
「そんなこともないよ」
 今度は、聡が即座に首を振る番だった。
「ある……それは俺、はっきり言ってものすごく自覚してるから」
「…………」
 手を握ってくれる指に、少し力が込められた気がした。
「例えばアメリカとかじゃ、俺らみたいなド素人が、舞台のセンターに立ってるなんて信じられないことだって、……ものすごく努力して、レッスンしてレッスンして、それでも舞台の端役さえもらえない人たちが、この世界にはいっぱいいるじゃないですか」
「…………」
「そんな中で、俺らがライトの下で、色んなことをやらせてもらえるのは、アイドルだからなんです。売れてて、客が呼べるから。俺………最近、やっとそれが判った気がする」
 もういいわよ。
 綺麗な唇が、そう呟いた気がした。
 だから聡は、言いかけた言葉を胸の中で呟いた。
 だから、俺、
 今の仕事っつーか、今の立場、多分、嫌いじゃないんです。
 これから先の――大きな夢に向かう、スタートみたいなもんだと思ってるから。
「……両立、しないですか」
「なんの話?」
 聡の問いを、はぐらかすようにミカリは微笑した。
「俺はできると思います!」
 大きな声で断言する。すると、ようやくミカリの表情が柔らかくなった。
 そのまま、視線が正面からあって――
 が、唇が触れる寸前、柔らかな手で口を塞がれる。
「………?」
「おはよ、ゆうりさん、よく眠れた?」
 ミカリの視線を追って、聡はぎょっとしながら振り返った。
 そして、ぎゃーっと叫んで逃げ出しそうになっていた。
 薄暗い部屋の隅、のっそりと起き上がったダースベイダー、心なしか、テーマ曲さえ幻聴のように聞こえてくる。
「い、いい、いたんすか」
「最初からね」
 立ち上がったダースベイダーは、完全にひっくり返ったマスクを元通りの位置に戻している。どう考えても人が中に入っているようには見えなかった――そうか、マスクがずれまくってたからか。
「じゃ、そうゆうことで」
 未練たっぷりの聡の胸を、ミカリは軽く押しやって微笑した。
「家で、家族と楽しく過ごしなさい、聡君。今夜のイベントはこれでおしまい」


                  2


「こ、こ、こないだは、ありがとな」
 夜風が……。
 雅之は、身震いしつつ、携帯電話を耳に押し当てた。
 なんだって癖みたいに、電話する時、ベランダに出ちまうんだろう、俺……、と、思いつつ。
『ううん、こっちこそ楽しかった』
 女の声はあっさりしている。いつものことだが、緊張の欠片さえ感じられない声。
「………ま、また来いよ、おふくろも、喜んでたし」
『ま、受験が終わったらね』
 あっさりと拒否?
 されたのかもしんない、今――。
 つきあってるのかどうかいまひとつ判らない相手だけど、一応今夜は初めてのクリスマスナイト。
 約束もなければ、プレゼントも買ってない。(むろん、もらえる気配もない)
 せめてもの気持ちで、電話してみたのだが……。
「今日……え、Mスタだったんだけどさ」
『知ってる。塾で、まだ観れてないけど、ビデオ撮ってるから』
「そ、そっか、なんか今日は、結構楽しく踊れたっつーか、なんつーか」
『へぇ』
「………………」
 わ、話題つづかねーし。
 世界……違うもんな。今は、まるで。
 それも全部、俺のせいなんだけどさ……。
『……ちょっと聞いていいかな』
「な、何」
 珍しく、凪の方から降られた話題。雅之は慌てて携帯を持ち直した。
『……………』
「え、な、何?」
 なんなんだ、この沈黙は。い、いい話なのかな、それとも悪い話……。
『美波さんの……話で悪いんだけど』
「…………」
 今度は、雅之が沈黙してしまう番だった。
 これは、後日聡から聞いた話だが、凪と美波涼二――雅之から見れば天ほど高みにいる事務所の先輩は、あの夜、事務所の駐車場に2人きりでいたらしい。
『……あの人さ、結婚とかしてるの?ううん、恋人とかいるのかな』
「………いや、しらねーけど、」
 なんで?
 と、聞きかけて、雅之はその言葉を飲み込んだ。
 嫉妬。
 俺が……してる場合でも、できる立場でもないんだけど。
『そっか、ならいい』
 が、あっさりと凪はその話題を終わらせた。
「………流川さ、」
『ん?』
 本当に――俺のこと、好き?
『…………どうしたの?』
「…………」
 友達の延長とかじゃなく、本当の意味で、俺のこと――好きでいてくれるんだろうか。
『……雪』
 その声と同時に、雅之の鼻先にも、はらっと白いものが降ってきた。
「うわっ、マジ、雪じゃん」
 思わずはしゃいだ声が出る。
 携帯の向こうでも、笑い声が響いた。
『すごい、結構離れてるのに、もしかして同時?』
「カンドー、俺、こういうの弱いの」
『うん、私も結構感動してる』
 少しの間沈黙があった。
「………頑張れよ、受験」
『ありがと、でも、へんな意味で責任感じられても迷惑だからね』
 強い女。
 こいつは――昔から強いんだ。こうと決めたら、それがどんな突拍子もないことでもやってのける。あんなにちっちゃくて、可愛いのにさ。
「………好き………だ、から」
 言った刹那、冷えた指まで熱くなった気がした。
『……………』
「せ、……責任ってのは、違うけど、……お、応援はしてる。うん、してっから」
『……うん、……ありがと』
「じゃ、じゃーな」
 まだ話したいけど、男らしさの演出ってやつで、いさぎよく。
『あ…、』
「え?」
『………え、と』
「………?」
 舞い降りた雪の欠片が、雅之の唇に触れて溶けた。
―――私も、…好き。
 電話が切れる直前、最後に聞こえた声と共に、まるで見えない唇が、そっと、幻のように触れた気がした。
「雅君、近所迷惑だから!」
 思わずあげてしまった声。階下の窓が開き、母親の声がしたのはその時だった。


                   3

 
『あ、りょう?』
 何度か目のコールで、ようやく出てくれた恋人の声は囁くように小さかった。
「ごめん、もしかして、家?」
 そういえば、大学が休みに入ったら帰省するって言ってたっけ。
 自分のうかつさに眉をしかめながら、りょうは腕時計に視線を落とした。自宅の女の子に電話するには、少しばかり非常識な時間帯。
『……うん、ちょっと……待って』
 ふいに声がくぐもり、真白が何か――りょうにではなく、おそらく同室にいる家族に向かって、何か言っている気配がした。一瞬だが、笑い声と暖かな家庭の香りが、電話ごしに伝わった気がした。
「……………」
 もう。
 どのくらい、家族と顔、あわせてないかな――と、りょうは思う。
 真白が、多分携帯を持って移動している。電話からは沈黙しか聞こえない。
 もう、何年も前に、りょうの家族は「家族」としては意味をなさないものになってしまった。それが、自分が目指すと決めた夢のためだったとしたら――
『りょう?』
 明るい声。
 りょうは、はっとして我にかえる。
『ごめんねー、もうさ、お父さんが代われ代われってうるさいの、頑固者だから、りょうに説教する気かも』
「あはは、されてみたい」
『夏に、あんな派手に来ちゃうからだよ。もう、町内じゃ、ちょっとした噂なんだから』
 本当に明るい声。
 りょうは、つい数日前、この部屋に泊まってくれた恋人の表情を思い出していた。
 確かに楽しそうだった。でも――時々、ふいに寂しげに、心もとなげになって、その表情が、りょうをわずかに不安にさせた。
 最後の夜、真白が書いた「忘れたいこと」。
 それが何かは判らないが、2人の関係の何かが――大切な人の気持ちを不安に翳らせていることだけははっきりと判った。
『あ……ごめんね、クリスマス、今思えば、あれプレゼントだったんだ』
「ううん、いいよ、耳、あけた?」
 早く見たいな。
 りょうはわずかに笑顔になる。
 似合うだろうな、綺麗だろうな――と、思ってしまう。
『まだ……ちょっと怖くて』
「だから俺があけるって」
『それ、もっと怖いから』
 楽しそうな笑い声が、心地よかった。でも、今、恋人を心から笑顔にさせているのは、自分ではないような気もする。
『カード……とどいた?』
 少し、不安気な声がした。
―――カード?
 りょうは、少し驚いて眉を上げる。
『何も思いつかなくて、てゆっか……お小遣いなくて、今回は、クリスマスカード送ったんだけど』
「いや、今日ポストみたけど、何も」
 少し慌てて、テーブルの上に投げているダイレクトメールの類を見る。そんなものは何もない。
『そっか、おととい投函したけど、まだなのかな?』
「明日かな、楽しみにしとくから」
『うん……ごめんね、外しちゃって』
「いいよ」
 じゃ、そろそろ……と、少し遠慮気味の声がした。うん、とりょうは軽く受話器に唇を寄せて、電話を切る。
 家族といるんじゃ、仕方ない。
 クリスマスの夜、恋人との長話なんて、――頑固者だという父親が許さないだろうし。
「……………」
 それでもどこか憂鬱な気持ちになり、まだ、ヘアスプレーで固まったままの髪をかきあげた。
 携帯が鳴ったのはその時だった。
『りょう、暇だろ、メシでもいく?』
「つか、食ったじゃん、ロケ弁だけど」
 りょうは笑顔になり、携帯を持ったまま立ち上がった。
 いつもいつも、絶妙なタイミングで電話してくる。こんな奴は、今も昔も柏葉将しかいない。お互い最悪の時に出会い、その時を支えあって乗り越えてきた相手。
『じゃ、飲みいくか、いいだろ、たまには2人でデートも』
「いいね、憂也あたりが、また騒ぎそうだけどさ」
『最近浮気ばっかだけど、俺たちが一番ラブラブだって、たまには証明してやんないとな』
「誰にすんだよ、誰に」
 待ち合わせの場所と時間を決めて電話を切る。
 上着を掴んで、玄関に向かったりょうは、が、そこで足を止めてしまっていた。
「…………………」
 手紙。
 きちんと並んだ靴の上に落ちている、――赤地に白の花模様の散った封筒。
 かがみこみ、拾い上げる。
 きれいな字で、ここの住所とりょうの本名が記されている。
 筆跡でわかる、真白さんだ。差出人の住所は入っていない。消印は、故郷の島根。
―――これ……。
 封がされている部分は、妙に簡単に糊がはがれた。まるで、一度開封して、適当に貼り直したかのように。

 ハッピーメリークリスマス。
 大切なりょうへ。
            真白

 りょうの――ちょっとコミカルに描かれた似顔絵が添えてあった。
 思わず苦笑が漏れたものの、この手紙が、どうしてポストではなく、玄関に落ちていたのかということが、理解できなかった。
―――ダイレクトメールにまじってて、気づかずに、落したかな。
 それが一番あり得るが、こんな派手な封筒に、普通、気づかないものだろうか。
 玄関の鍵は閉めてある。小さな郵便受けはついているが、通常、ここまで配達人はこないはずだ。ここから落とした者があるとしたら、マンションに自由に出入りする人間に限られている。でも――それも、あり得ないし、薄気味悪い。
 再度、携帯が鳴る。
 ぼんやりしていたりょうは、はっとして我に返った。
『りょう?私』
 真白さん。
『ごめん、言い忘れた、あの――さ、年末とか、暇?』
「え……?」
 声は囁くように低い。りょうは携帯を耳に押し付けた。
『うち、両親が町内会の旅行に行くんだって、で、お姉ちゃんが……東京、行ってきてもいいって言ってくれたから』
「え、マジ?」
『しっ……って、りょうの声が大きくても関係ないか』
 笑いを含んだ声に、りょうの気鬱も、晴れていくような気がした。
「完全に暇ってのもないけど、うん、夜はあいてる。これるの、マジで」
『また、はっきりしたら連絡するね、じゃ、今日はこれで』
「カード、届いてたよ」
『え……』
「ありがとな、うれしかった。大切にして、俺のこと」
『し、し、してるじゃん』
「もっとして……俺もするから、大切にする」
『……うん……ありがと』
 暖かな気持ちになって、電話を切った。
 玄関を開け、外に出る。
「うわっ、降ってるし」
 舞い降りた雪の断片。りょうは、白く濁った息を吐いて、思わず感嘆の声をあげた。
 この雪が積もったら――積もる頃、真っ白な雪よりも綺麗な人が、また、ここに来てくれる。
 手紙のことは、気にしないことにしよう。
 多分、気づかずに落したんだろう。それ以外考えられない。
 りょうは、明るい気持ちのまま、ポケットに手をつっこんで、雪の降りしきる外に出て行った。


                  4


「へー、すごいじゃん、じゃ、やっと兄貴もゴールインかよ」
 憂也はテレビをつけながら、気のない返事を、いかにも楽しげに口にした。
「うん、マジかよ、いや、そりゃ歌うけどさ、いっとくけど、俺、生歌なんて歌ったことねーし、マジで、いやギャグじゃねーって」
 電話料金を気にしてか、いつも短めで切れてしまう電話。
「じゃ、次は結婚式で」
 それだけ言って、憂也は子機の通話ボタンを切った。
 なんつー兄弟かな、と思う。
 2年ぶりに会うのが当人の結婚式なんて、ありえねーだろ、普通。
「………………」
―――ふぅん。
 電話を投げ出し、そのままベッドに仰向けに倒れこんだ。
―――どんだけ長い春だったかしらねーけど、ついに結婚かよ、あのスーパー兄貴がさ。
 階下から、楽しげな笑い声が聞こえてくる。何かとパーティ好きなおふくろが、またぞろご近所さん集めて大騒ぎってやつ。
「憂?寝ちゃった?」
 憂也は返事をせずに立ち上がり、薄く開いたままの扉を閉めた。
 おばさまたちの玩具にされるのは、ちょっと今日は敬遠したい気分だった。
 「かっこいいから」だけの理由で自分の子供に憂鬱の憂の字をつける母親。普通はさ、裕とか優とか、そんなだろ、と思う。小学校の時、どんだけ苦労してこの字を書いたことか。
「……よかったじゃん」
 憂也は呟き、閉じた瞼に一瞬よぎった人の面影を打ち消した。
 さて、結婚式。
 1人で歌うのは初めてだけど、ストームのデビュー曲でも歌うかな。思いっきり口パクで。
 立ち上がり、上着を羽織ってキャップを被り、憂也は足音を忍ばせて階下に降りた。
 リビングへ続く扉の隙間から――にぎやかな笑い声と、そしてあり得ないことにストームのメドレーが流れている。今夜のミュージックスタイルの録画だ、多分。
 ポケットから眼鏡を取り出し、それをかけてから、夜の住宅街に出る。こういう時、基本放任手主義の親はありがたい存在だ。
 吐く息が凍っている。
 もう、帰宅中のサラリーマンにも出くわさない時間帯。
「……あ、俺、今からいってもいい?ちょっとバカやりたくなっちゃってさ」
 携帯を取り出してそう言うと「オーケー」と、いかにも陽気な声が返ってきた。その背後では、家よりもにぎやかな喧騒が流れている。
 自宅から少し離れたところにある駐車場。停めてあるのは、半年も前に購入したバイク。アメリカ製で、値段もちょっとしたものだった。
 車はいいが、バイクは厳禁。
 の事務所にばれたら、多分大目玉の代物だ。
 キャップをリュックに納めてヘルを被り、跨ってエンジンをかける。
「……………」
 はらり、と目の前に雪の欠片が降りてきた。
 指先に落ちたそれは、すぐに溶けて水滴に変わる。
 何故か今、ここにはいない仲間たちみんなが、この雪を見ているような気がした。
 わずかに苦笑して、憂也はアクセルを強くキックする。
「さ、俺も俺で楽しみますか、ちょいとロンリーなクリスマスナイト」
 ふいに明るくなった夜の街、憂也は妙にすがすがしい気持ちのまま、舞い降りる雪を抱いた天を見上げた。










                   
(終わり)














         

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