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「人恋しい季節ですね」
 普通の知り合いにそういわれたら、「そうですね、もうすっかり季節は冬になりましたね」などと答えるところだが。
「……そ、そんなもんかな」
 成瀬雅之は警戒しつつ、対面からじっと見あげるつぶら――いや、魔性の瞳を見返した。
「いいねいいね、満たされてる人たちは」
 と、憂也、すぐに本性を表して両手を頭の後ろに回す。
「え?なんの話?」
 と、一番満たされているはずの東條聡が、きょとん、とした顔で台本から顔を上げた。
 雑誌のグラビア撮影の待ち時間。
 撮影は一時間後で、あとは、柏葉将の到着を待つばかりだった。
 室内のテレビでは、丁度午後のワイドショー。
 芸能ニュースは、貴沢秀俊が、年始の舞台で最年少座長をつとめる話題がトップニュースだった。
 ちらちらと、雅之だけはその映像を見ていたが、憂也もりょうも、聡も、まるで無関心のように各々の世界にこもっていた――待ち時間。
 ふいに、冒頭のセリフで、憂也が均衡を破ったのである。
「つーかさ、アイドルの人達って、どうやって処理してるわけ」
 テレビをぶつっと切った憂也は、もくもくと台本を読み込んでいる東條聡、ぼんやりと鏡に向かって頬杖をついているりょう、で、弁当を食べていた雅之を一通り見てからそう言った。
「処理?」
 と、無視すればいいのに、東條聡が聞き返している。
「性欲」
 雅之は――のみこみかけた蓮のてんぷらが、喉に引っかかるのを感じて、大慌てでカップに注いであったお茶を飲み干した。
「だってさー、携帯みたいなもんが普及してから、どこ行っても下手すりゃガンガンに写真撮られるだろ、一体さ、あんだけ美男美女が揃ってる芸能界で、一体誰が誰と、どうやってセックスしてんのよ」
「セ、」
 と、さすがに聡も目を白黒させている。
「一昔前は、キャバレーとか借り切って、遊ばせてやってたっつー噂があるけどホントかな。でも、どうせなら、好きな子としたいよな」
 憂也は、ふうっとため息をついた。
「し、したいのかよ」
「してーよ、だって俺ら、まだこの若さよ?普通二日に一回は出したいっしょ」
 だ、
 さすがに限界を感じ、雅之は食べかけの弁当を閉じた。
「さ、さて、喉が渇いたから、お茶でも買ってくるかなー」
 と、視線を泳がせながら立ち上がったのは、聡である。
「東條君、最近、腰のあたりが充実してんなー」
 その背中を見ながら憂也が呟く。
 聡は、気の毒に、顔を引きつらせたまま、その場で動けなくなっている。
「ゆ、憂也は……どうなんだよ、お前、好きな子とかいねーっつったじゃん」
 雅之は慌てて、その話題を憂也に返した。少なくとも、その毒矢を自分だけは受けたくないと思いつつ。
「それはそれで面倒なんだよね。俺はさ、とりあえずおふくろがいない間にカーテン閉めて、俺の本棚から雅君コレクション出してきて、丁度いい写真で」
「だーっっ、な、な、なにゆってんだ、お前は!」
「なんてね、ああ、やだやだ、寂しい季節になっちまったよ」
 と、本気か冗談か判らない声で呟き、憂也もふらりと立ち上がった。
「将君まだだろ?俺、ちょっとスタジオ先言っとくから」
 そして、この話題に、唯一無関心そうなりょうにそう言い、憂也はそのまま控え室を出て行った。


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「つーかさ、俺もちょっと気になってた」
 と、静かになった控え室で、再び弁当箱を開いた雅之に、今度は聡が神妙な顔で擦り寄ってきた。
「な、なに」
「憂也と将君って、全然見えないじゃん、私生活」
「……………まぁ、そうだよな」
「2人とも誰かとつきあってる風でもないしさ、どうなってんのかな、とはいっつも疑問に思ってたけど」
 それは――そうだ。
 憂也なんて、長いつきあいだが、こと好きな子に関してはこれっぽっちも真意を見せない。
「将君は、結構やってるよ」
 どこか抑揚のない声で、そう言ったのはそれまで黙っていたりょうだった。
 雅之は――今度は、ちくわの天麩羅を喉に詰まらせかけていた。
「そ、そ、そ、そうなのかよ」
「将君は上手いんだ、絡むのも離れるのも上手い、絶対に後に引かさないしね。実際、どんだけ将君がもてるか、言っとくけど俺なんかの比じゃないから」
 どこか自虐的な言い方。
 りょうは、真面目なくせに、女には滅法気弱なところがある。確かにKids時代から女性スキャンダルがつきまとい、それで何度か唐沢社長に叱責されたことがあった。それだから、そんな言い方をするのだろうが――。
「ミカリさんも流川さんも、警告しとくけど、将君にかかったらイチコロだよ。蛙より簡単に飲み込まれるね、青大将に」
「…………」
「…………」
 な、なんなんだ、それ。
 雅之は凍り付いていた。多分、聡も。
 つーか、いつも冷静寡黙なりょうの発言とは思えないドクドクしさ。
「……ちょっと、俺も出る、少し外の空気吸いたくなった」
 が、りょうは、そこでふっと息を吐き、どこかうつろな目でそう言うと、ふらりと外に出て行った。
「……なんか、今日はヘンだよな、りょうも憂也も」
 聡はけげんそうに、閉まったばかりの扉を見る。
「………まーな」
 雅之も――少し妙な気分になりかけていた。
 実際、
 どうやって、どこでやってるのか。
 知りたいのは、今は雅之も同じだった。
 先月、ようやく仄かな初恋を実らせたばかりの相手、流川凪。
 気持ちは全然プラトニックのつもりだった。なにしろ、つきあいはじめたばかりだし、相手は二つ年下の受験生である。なのに。
 先週、電話で、ちょっと掠れたような吐息を聞いただけで、うっ、と刹那に下半身が反応していた。いや、単に電話口の向こうであくびをしただけらしいのだが。
 先日の朝は、ちょっと手に負えないくらい――ってたので、つい、
「わーーーっっ」
 と、雅之は、今思い出していた過去を妄想ごと追い払った。
「ま、ま、雅??」
 今度は聡がびっくりしている。
「いや、……ごめん」
 前はそんなこと、全然なかった。キスしても、手を繋いでも、それだけで、それ以上妙な気分になることもなかった。
 なのに――
「……………」
 原因はわかっている。
 つい先月まで、憂也の言い方じゃないけど、二日に一回はしていた。それも、相当濃密なセックス。
 それは、今思い出しても辛いところがある思い出だが、が、身体だけは、その辛さなどお構いなしに過去の快楽を無意識に求めてしまうのだろう。
―――きたねぇよな、俺。
 そう思うと、たまらない自己嫌悪に陥ってしまう。
―――無意識に、流川のこと、そんな目で見てんだ、快感を得るための相手として。
 そうじゃなくても、目茶苦茶可愛くなってて――それだけで、心臓打ちぬかれそうだったのに。
 会いたいけど。
 そういう自分が怖くて、今は会えない。
 軽蔑されるような気がするし、上手く抑えられる自信もない。
 本当は、すげぇ。
「………東條君」
 すげぇ、会いたいんだけど、今も。
「………人恋しい季節だよね」
 雅之は呟き、唖然としている聡を残して、控え室を後にした。


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「すごい、運転上手なんだ」
「まぁね、結構乗ってるから」
 ステアリングを手繰る手が綺麗だった。
 手だけ見てもこんだけ綺麗なんだから、一体芸能人って、どういう造りになってるんだろう、と真白は素直に感嘆する。
「でも、いつ免許なんて取るの?すごい騒ぎになりそう」
「夜間に特別に時間とってもらうの、少し飛ばすよ」
 柏葉将は、そう言ってサングラスに指を当てる。
 かっこいいなー。
 と、真白は改めて、運転席に座る人を見上げてそう思った。
 どんなに見栄えがいい人でも、雰囲気やセンスの何もかも含め、一目でかっこいいと思える人はそういない。片瀬りょうでさえ、初対面の印象は、綺麗なだけの最悪な男だった。
 が、柏葉将は、最初から、わーっと思ったし、二度目に会った今日でも、へーっと思ってしまう。
 さほど身長があるわけでもないし、この程度――と言ったら失礼だけど、彼以上に顔の造りがいい人はいくらでもいる。顔の造詣だけとれば、むしろりょうの方が整っている。
 が――なんだろう。
 全身からかもし出している、……なんていうか、殺人光線みたいなの。
 こないだ読んだ古典じゃないけど、女殺油地獄?
「今日は、泊まれるの?」
 低音で深みがあって、それでどこか掠れた声。
 真白は、ストームの歌の中でも、彼のラップ部分が特に好きだったことを思い出した。
 なんていうか――セクシー。
「うん―― 一応、そのつもりだけど」
「どこにしよっか……大きなホテルが無難かな」
「高くつきそう」
「いいよ、それくらい気にしなくても」
 それだけ言って、少しの間柏葉将は無言になった。
 電話で話したのが二度。年が同い年というのもあって、今はすっかりタメ語になってしまった。が、黙られると緊張する。
 真白は所在無く膝の上で指を組み、流れていく都会の景色に視線を転じた。
「……迷惑だったかな」
 思わず呟いてしまっていた。まだ、どこかで後悔している。こうやって、柏葉将を頼って上京してきたことを。
「なんで」
 男の声は笑っている。
「嬉しいに決まってるだろ」
「だって」
「俺は最高に嬉しかった」
「……そ、そう……?」
「今日の服、可愛いね」
「…………」
 お、女殺しだわ、この人。
 もしかして、言葉の一つ一つが、すでに凶器なのかもしれない。
 と、真白はどこか怖くなって柏葉将の足元を見つめた。
 まぁ、――でも、いい人なんだろう。りょうが、あんなに頼りにするのも判る気がする。
「どこいくの?」
 真白は、ふと不安になって聞いた。
「秘密」
 柏葉将は、わずかに笑っただけだった。


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「はい、冗談社でございます。はい、はい、入稿の件でございますか、いえ、私は留守番の者でして」
 早口の用件を何度も聞き返してメモを取り、真白ははぁっとため息をついた。
 緊張する――。
 つれてこられたのは、国道沿いにある妙にさびれた建物だった。
 エレベーターが故障中(説明によると維持費が出せないらしい)とのことで、階段を上がること二階。
 薄暗い廊下の突き当たりに「冗談社」と銘打たれたドアがあった。
「柏葉です、バイトの子、連れてきました」
 と、柏葉将は、驚く真白の背を押すようにして、その中にあっさり入った。
 正直その刹那、騙された!と、思ったものだ。
 このままヤクザ経由で香港かなんかに売り飛ばされるんじゃないだろうか、と。
 しかも、
「ありがと、助かったわ、柏葉君」
 と、出てきたのは、ヤクザの情婦のような凄みのある美人。うわっと思わず目をそらしたくなるほどなまめかしい胸元をしている。
「ごめんね、ゆうりさんがインフルエンザで……鬼の霍乱っていうのかしらね。まさかあの人が倒れるなんて思ってもみなかったから」
 と、すでにその背後で、慌しく電話が鳴っている。
「はい、冗談社でございます。ああ、トウケンさん?次号の見開きのデザインね、ええ、すぐにファックスします、今日中にお返事いただけます?」
 柏葉将も、その隣の電話に即座に出る。
「冗談社です。いえ、僕は留守のもので、ええ、今社員が出払っておりますので、用件だけお伝えしますが」
 と、実に手馴れた応答をしている。
 そこでようやく、真白にも理解できた。
 ここは、正真正銘雑誌の出版社で、今――限りなく人手が足りないのだと。
「ごめんね、夕方まで出かけなきゃいけないの」
 と、阿蘇ミカリという名刺をくれた人は、両手を合わせるようにしてそう言った。
「電話は用件だけ聞いておいて、緊急の用は携帯に電話して。で、届いたファックスは、順番通りに整理しておいてくれる?」
「は、……はい」
「俺も、そろそろ時間なんで」
 と、柏葉将もあっさりと車のキーを持ち上げた。
「じゃ、後はよろしく」
 と、二人揃って出て行かれ、そして――もう三時間はゆうにたとうとしている。
 ひっきりなしに鳴っていた電話は、三十分ほど前からようやく静かになった。
 一度、
「あれ?あんたがミカリの言ってた留守の子?私ここの社長なんだけど、悪いけど、今夜は少し遅くなるから」
 とだけ言って切れた電話があった。ミカリからの連絡はない。無論、柏葉将からも。
 察するに、ここは――無人のまま、夜を迎えようとしているわけで。
―――は、話、全然違うんですけど、
 きゅるる、とお腹が鳴った。そういえば、朝から緊張してて、何も口に入らなかった。
「近いうちに、一度、こっちに出てこないか」
 とは、柏葉将が言ったことで、真白もそうしたくて――で、どうしていいか判らなかったから、素直に「迎えに行く」という言葉に甘えることにした。
 りょうに、すぐ伝えようと思ったが、
「黙ってた方が楽しみも倍だから」
 と、将に言われ、そんなものかな、と思いつつ、今日まで伏せておいたのである。
 それに、将からあれこれ言い含められたことも、気がかりだった。
 末永さんのことは、今、事務所に知られない方がいいと思うから、と。
 無論、判っている。
 りょうはただの、遠距離恋愛している恋人ではない。
 ゴシップが、下手をしたら命とりになるかもしれない立場の人なのである。
 が、真白から見ても、りょうには少し――頼りないというか、そのあたり感情に流されやすい部分があって、上京して二人で会うよりは、将に仲介してもらった方がいいと思ったのだ。
「……本当に……会えるのかな」
 真っ暗な空。
 さすがに少し心細かった。
 電話はできない。一応、りょうから時間の指定があってから、かけるようにしている。携帯を置いて撮影に出ている時、それが誰に見られるか判らないし、将の言う言葉を信じれば、事務所が着信をチェックする場合もあるという。
 で――もし、ばれてしまえば
「ヤクザみたいなこわーいおじさんが来て、念書取られて、お金もらえるよ」
 と、冗談みたいに将は言ってくれたが、その言葉が本当であることは、実は真白は、将よりよく知っているつもりだった。
 今も――時々電話でやりとりしている高校時代の親友が、実はそういう経験をしているからである。
 りょうと親友が実際どういう関係だったか、知りたくもないし、あえて聞かない真白だが、「あはは、なんかすっごい勘違いされてるっぽくてさ、おかげでプラダのバック買えちゃった。感謝してよね、私が上手くカムフラージュしてるから、真白の存在がバレてないんだから」
 声はさばさばしたものだったが、その実、相当嫌な思いをしたことは、言葉の端々から察せられた。
 りょうは――それを知っているんだろうか。
 できれば、知らないで欲しいし、知って欲しくない。
―――アイドルって……なんだろう。
 そんな風に、過去の思い出とも切り離され、現在の恋愛も監視されている。そんな――寂しくて悲しい存在。
 一体何が欲しくて、彼らはライトの下に立ち続けているんだろう。
 恋なんて、所詮、たった一人としかできないのに。
 何万人もの人に愛されることが、そんなに価値のあることなんだろうか。
「………私には、わかんないよ」
 今も、昔も、
 真白には、りょうの立場は判らない。
 平凡でも、ささやかな幸せがあればいいと思う。少なくとも――私は……
 そんなにかっこよくなくていいから、ずっと傍にいてくれる人と、恋愛したかったな、と思う。
「こんばんはー」
 背後でふいに声がした。
 今日、初めての来訪者。真白は緊張して振り返った。
 で、思った。
 どうして第一声で気づかなかったのだろう。そっか、電話ともテレビとも、生で聞く声は微妙に違うから――。
「ま、…………」
 と、絶句する恋人を見て、ああ、また今回も、柏葉君にやられちゃったんたなー、と思いつつ、
「久しぶり」
 真白もまた、所在なく片手を挙げた。






    





                      
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