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「ストームの柏葉君?」
 梁瀬恭子は、眉をひそめて顔を上げた。
「ええ、本人一人みたいでビックリしたんですけど、梁瀬先生に会いたいって」
「…………」
 ストーム。
 恭子が思いつく理由はひとつで、それは、あまりありがたいものではない。
「売り込みかしら?Jの子が……そんなの、今までありましたっけ」
「さぁね、通してあげて」
 テレビ局の会議室。番組の打ち合わせが、今終わったばかりだった。
 午後五時すこし過ぎ。
 今から買い物をして、病院へ行かなければならない。正直、時間はあまりない。
―――ま、しょせん子供よ。
 恭子は、ポケットから煙草を取り出し、唇に挟んだ。
 どこで漏れたかしらないけど、今更どうこうなるもんじゃないし。
 それに、誰に何を言われようと、もう離す気はないし、離れられるつもりもない。あの――可愛くてどうしようもない少年から。
「すいません、お忙しいところ、柏葉です」
 予想外にしっかりした声がして、声の主が、扉の向こうに立っていた。
 ふぅん。
「はじめまして、梁瀬です」
 恭子は微笑してそう答えながら、上から下まで、歩み寄ってきた男を観察した。
 テレビで見るより随分クレバーだ、というのがその第一印象だった。
 綺麗な、まるで女のようなくっきりした目顔立ちをしている。相当の美人顔、が、それでも妙に男らしいのは、眼光と体格のせいだろう。
 首も腕もしっかりとした骨格をしていて、体つきだけを見れば、もう立派な大人の男。
―――セクシャルね
 恭子は、この男が、どういう表情で女を抱くのか、それを瞬時に想像していた。
―――十年後が楽しみな素材だわ、でも、アイドルとしては大成しない。
「ごめんなさい、実はあんまり時間がないの」
 恭子は内心抱いた感情を消して、クールに立ち上がった。
「話しがあるなら、歩きながらでいいかしら、今から少し行くところがあって」
「よければお送りしますけど」
 あっさりと言われ、恭子は少し驚いて目線が上の男を見上げた。
「僕は車で来ていますから、ご迷惑でなければ」
「どこへ行くか知ってるの?それも、お友達に聞いたわけ?」
 言いながら、恭子は、冷たい怒りが這い上がってくるのを感じていた。
 なんのつもり――?
 今すぐ電話して、詰問してやりたい気分だった。
 なんのつもりなの――雅君。
「残念ながら」
 柏葉将は肩をすくめた。
 その大人びた所作に、恭子は一瞬、かちん、ときていた。
「そのお友達なら、いまだ黙秘権を行使してます。あなたのことは、僕が独自に調べました。申し訳ないんですが、少しの間、僕に説得されてくれませんか」
「言っとくけど」
 恭子は冷笑した。
「二人でいるところが噂になったら、あとあと、あなたまで大変なことになるかもよ、柏葉君」
 それには答えず、柏葉将は、かすかに笑っただけだった。
「説得ってなんのこと?本のこと?それとも、彼から手を引けってこと?」
 わずかに吸った煙草を灰皿に押し付けながら、恭子は再度、目の前の男をねめつける。
 柏葉将は、肯定もしなければ否定もしない。ただ、一瞬、その視線を恭子の背後の壁の方に向けた。伸びた首筋と、そして厚みのある唇の陰影がセクシーだった。
―――ふぅん……
「私と寝る?」
 笑いを目に滲ませ、恭子はそう言って柏葉を見上げた。
「一度セックスしてくれたら、考えてもいいわよ、ただし、それ、小説にしちゃうかもしれないけど」
「面白いですね、それ」
 が、柏葉将の目にもまた、笑いが滲んでいた。
「実は、色仕掛けで説得するつもりだったんです……って僕なんかに言われたら、笑いますか、梁瀬先生は」
「…………」
 逆に、女の中に芽生えた一瞬の情欲を見透かしたようなまなざしだった。
 恭子は不快さをこらえきれず、バックを持ち上げて歩き出した。


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「どうしたの、その顔」
 眉をひそめてくれたのは、アシスタントディレクターのかっちゃん――こと、安藤克子だった。
「いや、ちょっとチャリで転んで」
 雅之は無理な言い訳をして、ソファの上に荷物を置いた。
 STORM BEAT。
 午後六時から毎日十五分。
 ストームのメンバーで、交代でパーソナリティーをつとめているラジオ番組である。
 本番まであと一時間もない。今から打ち合わせをして、紹介するハガキや楽曲を決定して、そしてスタジオで生放送となる。
 実際、毎日生放送というのは不可能で、忙しい時のために何本か録り貯めもしてあるが、暇な時期は、この仕事だけしかない日もある。
 テーブルの上で、重ねられたハガキを所在なくめくりながら、これが最後の――出演になるかな、と、雅之はふと思っていた。
 思えば初めての看板で、初出演の時は目茶苦茶緊張して――で、隣の部屋に、憂也についててもらったんだっけ。
「ね、最近、持ってないのね。カンペケース」
 対面に座っていた安藤克子がおかしそうに言った。
「憂也君がその話題出してたから、思い出しちゃった。ほら、最初の一年はさー、ずっとカンペばっか持ち歩いてたじゃない、雅君」
「……そうだったっけ」
「そうよぉ」
 安藤克子は笑いながら手を振った。
「一回、それ、憂也君が隠して、大喧嘩になったじゃない。なんか懐かしいなぁ……ほんの一年前なのにね」
「……………」
「あんたたちの声ってさ、なんか独特で、あたし、好きよ」
 四十すぎても独身の女は、時々見せる表情が、まるで子供のように可愛らしいときがある。
 雅之は手を止め、思わず女を見上げていた。
「雅君の声は、舌足らずで甘ったるいのね、滑舌気にしてるようだけど、それも個性的でいいと思う。憂也君の声はファンキーで軽い。独特ね。で、りょう君はセクシーなんだけど、どこか子供っぽいアンバランスさがよくて、柏葉君は同じセクシー系でも、深みがあってハスキーで、ぞくぞく来る感じ」
「なんか、やーらしいな、かっちゃん」
 雅之は自然に笑っていた。
「いいのよ、おばさんは何言ったって、で、東條君の声はひたすら綺麗。完成された声ね。高温も低音もよく伸びるし、セリフも綺麗に言えてるし」
「東條君は、昔からすごかったよ」
 本人が無自覚なのが、すごいとこだけど。
 東條聡の歌声は、口パクでごまかすのが勿体ないくらい上手い。
 憂也だってそうだ。
 無理して自分に合わない歌を歌ってるけど、憂也が時々カラオケで選曲する歌や――ビリージョエルなんて歌わせたら、思わず聞き惚れるほど上手い。
 将君のラップにしてもそうだ。
 コンサートでは、飛んだり跳ねたり踊ったり、休む間がないから息もあがってひどい出来だけど、リハで時々見せる生歌はすごい上手い。
 でも、それを――魅せる時がないんだ、俺たちは。
 りょうは、テレビで見るより、生りょうが断然かっこいい。かっこいい男のオーラを常に発散している。ダンスの切れが得にすごくて、テクニックがなくても自然と魅せる踊りができる。
 俺たちはすごいのに。
 すごいのに――何故か、それが上手く出し切れない。
「成瀬君」
 ふいに扉が開いて、ディレクターの結城連が顔を出した。妙に慌てた顔をしている。
「今……成瀬君の事務所のマネージャーさんが来てるんだ、緊急で話があるそうなんだが、」
「はぁい、子猫ちゃん」
 その背後から、すでにそのマネージャーという人はこちらをのぞきこんで手を振っている。
「………どうも」
 雅之は戸惑ったまま、立ち上がった。
 それは、事務所で一回会ったきりの、新任マネージャー真咲しずくという人だった。

 
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「おめでとう、無事、引退できることになったわよ」
 打ち合わせ室を兼ねた来客室で、まるで女優のように綺麗な人は、楽しげにそう言って、ぱちんとウインクした。
「それは……どうも」
 としか言えなかった。
「ご迷惑をおかけしました……逃げ回るような、真似をしまして」
「いいのいいの、てゆっか、追っかけなかったから気にしないで」
 ソファで足を組む女の背後には、苦虫をかみ殺したような男が所在なげに立っている。
 新任のサブマネージャー、片野坂イタジという人だ。
 色黒の濃い顔にオールバック。イメージはゴキブリ……みたいな男の人。
「今夜、八時ごろかな?唐沢君…じゃないや、唐沢社長が、マスコミ各社にファックスで引退公表することになったから。でもさー、ひどいと思わない、それだけなの。普通引退公演とか派手にやってくれそうじゃない」
「……いや、それは」
 それはないだろうと、最初から思っていた。
 引退すると決めた日から、雅之は――ある意味、事務所の敵に回るのである。今後の活躍につながるようなイベントは、一切あるはずがないだろう。
「で、これは、私的ささやかな抵抗なんだけど」
 安藤が淹れたコーヒーを一口飲み、女は眉をしかめてそう言った。
「ユー、今日のラジオでさ、引退発表しちゃいなよ」
「はっ……?」
 さすがに顎を落としていた。
 今日の――ラジオって、今からか。
 てゆっか、この人、なんなんだろう。人形みたいに綺麗な顔してるのに、性格がどうもそれについていってない。
 雅之が唖然としていると、女は楽しげに鼻で笑った。
「唐沢君の鼻あかしてやろうじゃない。せっかく引退すんだからさ、最後くらい自己プロデュースしてもいいんじゃない?」
「それは、」
 雅之はさすがに言いよどんだ。
 そんなことをすれば――唐沢社長が、どれだけ激怒するかわからない。
「ん、何?後のことなら何も気にしなくていいわよ。どうせさ、もうユーに、芸能界でやってくチャンスは、二度とないと思うから」
「…………」
 自然と、自分の顔が強張っていくのを雅之は感じた。
 それは、その通りだ。
 二度とない。
 二度と、この世界には――この場所には、立てない。
 女が、涼しげな眼で首をかしげる。
「ユーだって、それくらい覚悟がして、引退するなんて言ったんでしょ」
「………」
 雅之は無言でうなずいた。
 判っている。
 言われるまでもない、それはもう、覚悟している。
「だったらさ」
 女は、自分の爪先をぱちんと弾いた。
「最後の十五分くらい、好きにやればいいじゃない。ユーのことあっさり切り捨てたメンバーにもさ、言いたいこと全部言って、せいぜいマスコミにゴシップのネタでも提供してやってよ、今後の話題作りのためにも」
 じゃ、そうゆうことで。
 と、女はさっさと立ち上がる。
「ユ……じゃない、成瀬君」
 と、ゴキブリ――ではない片野坂イタジが、そっと囁いた。
「言ったら最後だぞ、まだ時間はあるんだ、いったん引退するなんて言ったら、二度と取り返しがきかないぞ」
「こら、イタジ、何余計なこと言ってんの!」
「は、はいっ、すいませんっ」
 と、いかにも公務員風の男は、大慌てでボスの後をついていく、が、最後に、意味深な目配せを雅之にするのを忘れなかった。
―――引退……
 雅之は呆然としつつ、膝の上に置かれた自分の手を見た。
 脱退、そして、引退。
「……………」
 自分から言い出したことなのに。
 それが、時間にすれば、あと数十分後に迫っている。
 雅之は、さすがにわずかな身震いを感じていた。


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 後部座席で、ずっとふてくされている男は、運転席にいるのが天下の美波涼二だということも、さほど気にならないようだった。
―――ったく……風汰のバカ。
「本当にすいませんでした、昨日といい、今日といい、お世話になりっぱなしで」
 凪は何度も言ったセリフを繰り返し、丁寧に頭を下げた。
「いいよ」
 と、運転席の美貌の男はあっさりと言ってくれる。
 なんだかんだと逃げ回っていた風汰を捕まえて、そして今日、駅まで車で送ってくれている。それが――あの、美波涼二だと、凪にはまだ信じられない。
 信じられないといえば――。
「えーと、」
 昨夜のことを思い出し、凪はごほん、と咳払いした。
「風汰、お礼言いなさいよ、どんだけ迷惑かけたと思ってんのよ、あんた」
「…………」
 風汰はまだふてくされている。
 今年になって明るくなった髪色、だらしなく着くずしたシャツに、腰にひっかかったジーンズ。
「わざわざ家を出なくても」
 美波涼二は、腕時計をちらっと見てから、手を伸ばして、ラジオか何かのスイッチを入れた。
「きちんとお母さんを説得すればいいだろう。本当にやる気があるのなら」
「……電話あったよ、おふくろから」
 風汰は、美波を完全に無視している。さすがに凪はかっとなった。
「風汰!」
「凪、推薦決まったってさ、担任の先生から電話があったんだって、やったじゃん」
「…………」
 決まった。
 嘘。じゃあ。
 これでテレビも見れるし遊びにいけるし、好きな本も読めるし、――まともに寝れる。なにより、この緊張と灰色な日々からおさらばできる。
 飛び上がりたいほど嬉しいのに。
 なんか……いきなりすぎて、まだ実感がわいてこない。
「よかったな」
 美波は、さほど気にするでもなくあっさりと言う。
 それまで沈黙していたスピーカーから、ふいにストームのデビュー曲が流れ始めた。
―――あ、STORM BEAT。
 凪もようやく我に返った。
 もう、そんな時間だったんだ。
「……凪はいいよ、勉強もできるし、スポーツも万能でさ……俺だってわかってたよ、神崎さんが欲しいの、俺じゃなくて凪なんだ、俺はおまけ」
 その曲に、つまらなそうな風汰の声が重なった。
「なんもかなんも手に入れてる凪にはさ、俺の気持ちなんてわかんねーよ。正直、比べられんのはうんざりなんだよ。一人でやっていきたいんだよ」
「ちょっと静かにしてくれないか」
 美波の声が、冷ややかにそれを遮った。
『こんにちは、……成瀬雅之です』
 一瞬憮然とした風汰も、その声で、はたと表情を変えた。
「あ、成瀬さんだ」
 少し嬉しそうな声になる。風汰が芸能界にあこがれるようになったのは――多分、この成瀬雅之の存在もあるのだろう。
 音楽が途切れる。いつもより少し早い。
 それより、妙に沈んだ雅之の声が気になった。
『すいません……今日は、……最初に、謝らなきゃいけないことが……あります』
 動悸が高まる。
 凪は、隣に座る美波を見上げていた。
『俺……今日で、ストーム辞めます、芸能界、引退します』











    

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