15


「読ませてもいいですか」
「いいんじゃない、全員十八歳以上だし」
 そんな会話を九石とミカリがしている頃には、最初の一枚に、すでに将が目を落としていた。
 パソコンからプリントアウトされた最初の一枚。
「………なんだよ、これ」
 将の唇が小さく呟く。
「なに」
 と、いぶかしげな目になった憂也に、将はその紙を手渡して、次にプリントアウトされて出てきた紙片を持ち上げた。
「……ひゅー」
 と、今度は憂也が口笛を吹く。
「な、なんだよ」
 じれて聡は手を伸ばしたが、その紙は、今度は憂也からりょうに手渡された。
 りょうは、眉をひそめたまま一読し、そしてものも言わずに聡にそれを手渡してくれる。




 彼の身体は美しい。
 張り詰めた弓のようでもあり、若い牡鹿のようでもある。
 十代最後の青さと硬さ、そして成熟途中の雄雄しさを同時に持っている絶妙な肉体。
 しなやかで、大胆。繊細で、無骨。
 まるで枯れない泉のように、あとからあとから欲望の情熱があふれ出てくる。
 その身体に抱かれる時。
 私は、まるで私自身が、彼を抱いているような錯覚に陥る。
 そして、極上のディナーを食べる前のような、ぞくぞくするような期待と興奮が、本能の部分からこみあげてくるのを感じるのだ。
 まず、私は彼の裸身を上から下まで観察する。
 綺麗な鎖骨。バランスの取れた肩。品よく張り詰めた上腕二等筋。
 なだらかな隆起を描く胸。それはなめし皮のように滑らかでもある。指で触れれば、はじかれてしまいそうな――若さ。
 その肌に浮かぶ鮮やかな血色に、私は刹那に嫉妬さえ覚える。愛しているから抱くのか、その若さをただ蹂躙し、汚したくて抱くのか、私にはいつもわからなくなる。
 が、淡く色づく乳首に視線を向けると、私の中から甘やかなものがあふれ出す。彼がそこを責められた時にあげる声――、それを連想するだけで、愛しくて、狂いそうになってしまうからだ。


「え、……えっ」
 聡はドキドキしつつ、次にりょうから回ってきた紙片に目を落とした。



 彼の手が私の膝を抱き、少しためらってから押し開く。
 私は、その、ためらいの瞬間に、無限ともいえるほどの愛しさを感じる。
 彼の唇が、熱を帯びたうわごとのように私の名前を繰り返し呼ぶ。
 腿に、膝裏に、何度も何度も乾いた唇が押し当てられる。
 触れ合う素肌は、互いの汗で濡れている。体と粘膜のこすれる音。吐息、シーツと体重の軋み合う音。
「あ……あ」
 私はうめいて、彼の背に両手を回して抱きしめる。若い肌は、私の手のひらに吸い付いて離れない。首筋にも、鎖骨にも、そして綺麗に引き締まった顎の線にも、彼の若さがほとばしっている。
 到達という終わりに向けて律動がはじまる。
 頂点が見えたとき、私は何故か衝くような悲しみを同時に覚える。
 いかないで。
 やめないで。
 何故に、セックスは理性を奪うように性急に私たちを高みに――高みに、精神の高みに押し上げるのか。
 彼は私の名を呼び、狂おしく突き入れてくる。
 私も――たまらず、彼の名前を、ほとばしる情熱とともに、まるで獣じみた声で呼んでいるのだ。無意識に。



「…………」
 なんだろう、これ。
 そして、ようやく薄気味悪くなった。
 なんでこんなものを、わざわざプリントアウトして、ミカリさんとケイさんは、僕らに見せようとしているのだろう。
 まるで告白文か何かのような小説、で、ここに出て来る彼って………。
「おい、これどういうことだよ」
 ふいに、将の怒りに満ちた声がした。
 ぐしゃっと、手元の紙を握り締めている。
「見せて、将君」
 と、憂也が手を伸ばす。
 無言でしわくちゃになった紙を手渡しながら、将は、椅子に背を預けるようにして腕を組んでいる九石ケイに詰め寄った。
「どういうことか説明しろよ、なんなんだ、一体なんの記事だよ、これ」
 表情を変えないまま、ケイは軽く嘆息した。
「あたしが聞きたいよ、むしろ」
「柏葉君、これね、私たちの雑誌の記事でもなんでもないのよ」
 横から、そっと口を挟んだのはミカリだった。
 ようやく聡の手に、いったん丸められ、しわくちゃになった紙が回されてくる。
 最初の一行で、さすがに聡は息を引いていた。


「雅之……」
 そして彼もまた、熱にうかされた獣みたいに私の名を連呼する。
 まだ若い彼は、テクニックをさほど知らない。
 ただ突き入れて、そして勝手に果てていくだけ。
 なのにそれは、私の中で、何度も何度も蘇る。手術で避妊している私と彼は、妊娠など気にすることなく、いつでも素肌で求め合う。萎えていく様も、滾っていく様も、私には同様に愛しい感覚。
「雅君、好きよ……大好き」
 耳元で囁き、私は彼の熱を一滴残さず奪い取る。
 彼の若さを、アイドルタレントとしての彼の未来を、彼の人生の可能性を、
 愛で縛って吸い尽くす。
 なんと甘美で、そして罪深いセックスだろうか。
 そしてその罪が、いっそう私たちをかきたてるのだ。
 彼の眼差しが、今は


 印字されている文字はここまでだった。
 雅之
 雅君
 アイドルタレント
……ほかに、そういう奴っていたっけ。
 これ、実話……?それとも小説……?
 聡が、呆然としつつ、頭が混乱したままでいると、ケイが、はっと息を吐いてからぼさぼさの髪をかきあげた。
「正確には、来年早々冬源社から発売される私小説「愛裸」、同棲中の現役アイドルタレントとの赤裸々な愛の日々っていうのが、帯タイみたいよ、ベタだけど」
「……発売日は、成瀬君の誕生日」
 ミカリが、その後を告いで、言いにくそうに呟いた。
「彼が二十歳になった日に出るの。偶然かもしれないけどね」
「ここに抜粋されてるのは、多分、帯か、宣伝用の引用だね。本文は、もっと過激な内容になってると思った方がいい」
「もういいよ」
 ケイの説明を、将が遮る。
「……こんな悪趣味なもん、誰が書いた」
 先ほどより落ち着きを取り戻してはいるものの、将の声は、怖いものを含んでいた。
 ミカリがわずかに眉をひそめる。
「……元作家で……今はテレビ局の構成作家やってる、ヤナセキョウコさん。成瀬君がレギュラーしてる番組のスタッフロール見れば、どういう字かわかると思うけど」
 それだけで、十分な気がした。
 名前、アイドルタレントという職業、そして接点。
 どこをどうごまかそうと、これは雅之のことである。
「……雅、本当に同棲なんてしてるのか」
 りょうが、半ば呆然と呟く。
「残念だけど、……確かに半ばしてるんでしょうね」
 息を吐き、ケイが難しい顔のまま天井を見上げた。
「このヤナセさんって人には子供がいてね。今、病気で入院中。都内の有名病院の個室でヤナセさん、ほとんど泊まりこみで看病してんだけど、どうも、その個室の隣にある仮眠室が、彼女と成瀬君の密会場所みたい」
 誰も何も言わなかった。
 聡も、どういっていいか判らなかった。
「道理で、直人がいくら探っても尻尾が出てこなかったわけだ。番組のスタッフが一人入院してるみたいでね。成瀬君、その人のお見舞いで病院に行ったのが……きっかけだったのか、まぁ、それも一種のアリバイ作りだったのか」
「ここまで、見せて……悪いんだけど」
 ミカリが声をひそませて言った。
「この文章も、今の情報も、すべて違法な手段で手にいれたものなの。これをあなたたちの事務所にリークするつもりもないし、今見てもらったものは、すぐに処分して、私たちは忘れるつもり」
「どうやって手に入れたんだよ、ハッキングでもやったのか」
 吐き捨てるような将の嫌味に、隣の部屋から激しい咳払いがした。カリメロ――こと大森の咳らしいが……。
「ま、うちの上には、凄腕の探偵事務所が入ってるからね。蛇の道は蛇ってことで」
 ケイがこりこりと眉を掻く。
「なんにしても、ここまで準備して、今更冬源さんも引かないとは思うよ。直人も調べてるらしいし、たどり着くのは時間の問題かもしれないけど……圧力が効かないとこだから、所詮どうしようもないかな」
「このこと……雅は、知ってんのか」
 りょうが呟き、全員がそれには黙った。
―――もう、疲れた、俺、自由になりたいんだ。
―――……一般人に戻って、普通に平凡に暮らしたいんだ……。
 平凡に生きたいと言っていた雅之。
 知っているはずがない。
 だとしたら。
「成瀬さん、今どこにいるんですか」
 ふいに、場違いに冷静な声がした。
 聡は、いや、全員が、はっとして振り返った。
 その人は、聡の、ちょうど背の辺りに隠れるようにしてたっていた。
「あ、……やばっ」
 ようやく聡は気がついた。
 俺、凪ちゃんに――順々に回ってきた紙、そのまんま回してなかったっけ?
 ばきっっと、歩み寄ってきた憂也に頭を叩かれる。
「お前、なんつー、無神経なことを」
「だ、だって、こう、つい自然に」
「成瀬さんのところに、連れてって欲しいんですけど」
 凪の口調はよどみなかった。
 というより、全員が――将を含めて全員が、微妙にパニックになっている今、ちょっと不自然なくらい冷静だった。
 将がわずかに眉を寄せる。
「行ってくれば?柏葉君」
 と、口を挟んだのはケイだった。
「万が一発売を止める可能性があるとしたら、書いた本人説得させるしかないわけだからね。ま、そこで、うちの名前出されても困るんだけどさ……」









    

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