12


「俺、車だから、みんな乗ってけよ」
 将がそう言って、今、全員が、将の車が置いてある事務所の駐車場に向かっていた。
 そういえば、免許を取ったとは聞いていたものの、実際、将の車に乗るのは初めてだったことに、聡は気がついた。
 しかも、このメンバー全員で。
「な、なんか、ちょっとわくわくする」
「なんだよ、子供じゃあるまいし」
 将は、ポケットに手を突っ込んで苦笑している。
「俺、腹へったから、コンビニよりてー」
 と、憂也。その声がいつもの憂也に戻っているので、聡は少し嬉しくなる。
「俺はコンビニ苦手、どっかで食べて帰りたい…」
 と、りょう。
 その声も、いつも通りだ。
「いいよ、どこでも寄ってやるよ」
 あ……なんだか、ほっとする。
 将は一番年上で、だから、やっぱ、こうしてお兄さんしてくれると、本当に俺は――多分、みんな、ほっとしてるんじゃないだろうか。
 デビューして、どこへ行くにも、マネージャーさんが同行してくれたから、こうやって、5人で、夜空の下を歩いているなんて……本当に初めてだ。
―――いや、5人じゃ……ないのか。
 その現実に思い至り、聡はわずかに眉を曇らせた。
 ここに、雅之がいたら、どうだったろう。
(―――将君の車?すげー、かっこいいーっ、のりてーっ)
 と、近所迷惑など考えずに、大騒ぎするに違いない。
 全員が、今はまた黙っている。
 多分、さきほど将の言った言葉の意味をかみ締めている。
 一人じゃ、無理だ。
 5人だから、できたんじゃないのか……。
「…………」
 5人でいたい。
 5人がいい。
 それは多分、全員が同じ気持ちとして抱いている。
 だったら、どうしたらいいというのか。
 5人でいたいというエゴのために、雅之の意思を――踏みにじって、引き止めなければならないというのだろうか。
 そこまでの、ものが。
「………ああっ??」
 と、いきなり素っ頓狂な声を上げた人がいた。
 それが憂也の声だったので、聡は倍驚いていた。
「お……俺、また幻みてんのかな」
 憂也、ごしごしと目をこすっている。
「なんだよ」
 と、いぶかしげに将。
「いや……前もこんなことがあったから、あ、それは幻じゃなくて、双子のおにーさんらしかったんだけど……」
―――?
 と、聡も、憂也の視線の方を追う。そして、
「あああっ」
 と、即座に憂也顔負けの声をあげていた。
「あ、」と、将ですら、驚いた声を上げる。
「え……?なに?」
 この中で一人、意味がわかっていないのは、りょうだけだった。
 事務所の裏手にある駐車場出入り口。
 そこに、所在なく立っている小柄な女の子。
 彼女は――ほとんど三年ぶりの対面になる元Kidsの流川凪は、それこそ、聡たちより驚いた顔で、その場に立ち尽くしている。
「な、凪ちゃん?」
 と憂也が声を掛けた時、さらに、あり得ない人が、駐車場の柱の陰からすっと出てきた。
 ぎゃーっっ
 っと、聡は叫びそうになっていた。
 キッズ時代、がんがんにしごかれたことが、いまだ強烈なトラウマとなって残っている。今でも顔を合わせると直立不動になってしまう人。
「………なにやってんだ、お前ら」
 出てきたのは、美波涼二だった。


                   13


―――つーか、俺、何やってんだ。
 顎を手で支えたまま、美波涼二は、食欲旺盛な若者たち5人を見回した。
 さっきまでがちがちに緊張してやがったくせに、なんなんだこいつらは、
 料理が運ばれた途端に、飢えた犬っころみたいになりやがった。
 そんなに食ってる場合かよ。
 余裕こいてる時じゃねぇだろ、マジで。
「でもさ、驚いたよ、凪ちゃんが美波さんと一緒にいたなんて」
 と、ようやく一息ついたのか、初めて東條聡が口を開いた。
 その話題に誰もが触れまいとしていたのか、ぎょっと全員の空気が白くなるのが判る。
「あ……あの、色々あって、美波さんに助けられたって言うか」
 美波の横に座る、ほっそりとした美少女は、ちょっと言いにくそうに口ごもっている。
 まぁ、説明できないだろう。
 美波自身も、昨日から今日にかけて、なんだってこんなことになったのか、自分でもよく理解できないくらいだから。
「俺たちこそすいません、食事……ありがとうございます」
 が、そこでようやく緊張の糸が解けたのか、柏葉将が、そう言って美波を見上げた。
「いや、これもなりゆきだから」
 と、美波は素っ気無く言って時計を見た。
「柏葉、お前車だな」
「は、はい」
「じゃ、この子、後は頼む。今夜はこっちに泊まるらしいんだが、後の面倒任せてもいいか」
「大丈夫です」
 成人した柏葉は、家も確かだし、人間も確かだった。
 アイドルなんかにならなきゃな。
 と、美波は内心、柏葉を見るたびにいつも思う。
 さぞかし、エリート街道ってやつを進んでいたんだろう。頭もいい、育ちもいい、資産もある、そして――これは、美波の個人的な感覚だが、アイドルという仕事の本質を、おそらく柏葉は嫌悪している。が、他の甘っちょろい連中と違い、そこが逆に、柏葉の面白いところだと美波はひそかに思っていた。
「流川、明日電話する。お兄さんは、その時に連れて行くよ」
「す、すいません」
 部屋からずっと緊張しっぱなしだった少女は、ようやくほっとしたように双眸を緩めた。
「……今日は、すまなかった」
 それだけは、他の連中に聞こえないように言い、美波は上着を掴んで立ち上がった。
「み、み、美波さん」
 背後から声が聞こえた。
 振り返った美波は、東條聡が立ち上がっているのを見て、わずかに眉をひそめていた。
「俺たち、か……解散することになりそうなんです、けど」
 思いつめたような口調だった。目もどこか泳いでいて、まともに視線を合わせてもいない。
―――ああ、こいつがリーダーだったな。
 東條聡。
 美波からすれば、わかりやすそうで、実は一番本心が掴みにくい男。
 で、悪いが一番芸能界向きではない男。ユニットが解散すれば、最初に表舞台から消えるのは東條だろう。
「知ってるよ」
 美波はそれだけ答え、肩をすくめた。
「で?」
「と、友達の人生と」
 そこで言葉を切らせ、ようやく東條は美波の目を見た。
「自分のしたいことと、は……はかりにかけるとして、ですね、美波さんならどうしますっていうか……」
「………」
「そ、その……どうしたら、いいのかっていうか」
 愚問だな、と思った。
 こんな子供に、いや、芸能人である自覚さえない奴に、答える気にさえなれない。
 が、
「……え、解散って……?」
 と、不安げに呟いている凪が、すがるような目で、今は美波を見上げている。
「………………」
 今夜ばかりは、どうしようもない負い目があった。
―――しかたない。
 美波は諦めて、席に座りなおした。
 これは、貸しだぞ、と思いながら。
「ギャラクシーは、今は仲がいいように見えるが、当初、草原は緋川に強烈なライバル心をむき出しにしていた。天野にしても、隙さえあれば、いつでも緋川のポジションを奪う気で仕事をしている。で、今、実際天野は、ある意味緋川をしのぐ活躍ぶりだ」
 全員が、今は食事の手を止めてしん、としている。
 らしくないことしてるよ、俺も。
 そもそも、何故、流川を助ける気になったのか。このことは、自ら東邦に売り込んだ件でもある。当時知り合った神崎は、今日、さぞかし驚いたことだろう。
「サムライもそうだ。剛と健が、その実、あまり仲がよくないことは知ってるだろう。俺らキャノンにしても、現役時代、プライベートで会うことは全くといっていいほどなかった」
 ふと美波は、言葉を途切れさせていた。
 自らの手で断ち切った友情の片鱗が、今もかすかに胸をよぎる。が、それはすぐに、冷めた感情と共に消えていった。
 傷を舐めあうだけの友情。それが、この世界で生残るために、なんの役に立つというのだろう。
「……仲、悪かったんですか」
 東條の声が、美波を現実に引き戻した。
「悪いとか、いいとか、そういう問題以前のことだ。俺たちは、仲間である以前に、芸能界でわずかなポストを争うライバルでもある。その道で食っていけるポストには定員がある。その定員枠に居座ってる連中を引き摺り下ろさなきゃ、食っていけない、ここはそういう世界なんだよ」
「…………」
「それができないなら、そもそも辞めろっていう話だ。友達の人生ってやつがいかほどのもんかは知らないがな、そんなもん気にしてる時点で、お前ら、芸能人としてやってく資格ゼロって話じゃねぇか」
「…………」
 綺堂憂也が、無言で眉を寄せるのがわかった。
 美波は、今度こそ最後のつもりで立ち上がった。
「解散でいいじゃないか。馴れ合いでつるんでるお前らにはお似合いの結末だよ。ピンで、がつがつやってみりゃ、俺の言うことも少しは判るようになるだろうよ」
「…………」
「友達も先輩も後輩もない、自分だよ、自分が上に行くことだけを考えろ、そう思える奴だけが、生き残る、他人を食って、のしあがれる奴だけが、この世界で上に立つことができる」
 誰も何も反応しない。
 こいつら、仲が良すぎるな。
 デビューして半年、ストームを指し、苦々しい口調でそう言ったのは唐沢直人だった。そしてそれは、美波もまた同感だった。
 仲がよすぎる5人をセレクトしたのが、かえって失敗だったのかもしれない。他人を押しのけてでも上へ行こうと言う欲望も覇気もない5人は、アイドルユニットとして、いつもどこか存在感を欠いていた。
 お坊ちゃま育ちの柏葉はそもそも仕事への意欲すらないし、シャイで口下手な片瀬は、自己プロデュースがまるでできていない。 
 東條は、他人に気をつかうことに慣れすぎているのか、常に日陰に回り、成瀬は、周りの空気が上手く読めず、いつも会話が空回りしている。
 綺堂が唯一の救いだが、その綺堂も、ピンでは光を放ちはするが、5人でいると、むしろ安っぽく埋没している。
 それが生ぬるい友情がもたらす産物なら、いっそ、解散した方が本人たちのためろだろう。
「俺がてめぇらだったら」
 が、それでも、嘆息しながら美波は続けた。
「成瀬をひきずって、ぶん殴って、ボコにしてでも続けさせるだろうよ、5人でなきゃ、この世界でやってけねぇって思ってんならな」
 それだけ言い捨て、美波はきびすを返して歩き始めた。
 新任のマネージャーには悪いが、正直、さほど売れる見込みのないストームがどうなろうと、関心外のはずだったのに。
 なんだって、こんなクソ説教垂れることになったんだ、と思いつつ。
「美波さん、やっと通じた、ひどいじゃないですか」
 と、出てすぐに鳴った携帯から、神崎琢磨の声がした。
「俺も、上から指示受けてやってることなのに、まさか、美波さんに邪魔されるとは夢にも思ってませんでしたよ」
「しょうがないだろ、あの子のお袋さんから電話もらった以上、立場的にほっとけなかったんだよ」
 美波は嘆息しつつ、車のキーをポケットから取り出した。
 流川の母という人は、娘が出発する直前、その携帯から、こっそり美波に連絡を入れたのである。その時、事情も全て聞き、正直、唖然としてしまった。
 母親は、娘には知らない部分で、三年前の夏以来、随分流川の動向を気にしていたらしい。
 母親らしい干渉といえば、それまでだが、流川が聞いたら激怒するだろう。が、それでも、見知らぬ――しかも、芸能人に勇気を振り絞って電話してきたのだから、母の愛ってやつはすごいと思う。
「そんなこと言われても……そもそも、流川が使えるって言うのは、そっちが言い出したことでしょうに」
 神崎がしつこく食いさがる。
「STORM潰しは、会長からストップがかかったんだ、それはお前も知ってるだろう」
 いいかげん眠かった。美波は不機嫌さをあらわにして低い声で言った。
「会長の真意まで俺は知らない、が、今となっては、成瀬はもう使えないし、STORM程度叩いても事務所に何もダメージを与えない。そして、もっと別のチャンスが目の前に転がっている。なんだって今更、流川兄妹にこだわってんだ」
「いい素材だからですよ、今日、見てたんでしょ、美波さんも」
「…………」
 それには黙り、美波は明るく輝く月を見上げた。
「それが、元J&Мのキッズだっていうから、話題性にもことかかない。俺だって、いい素材みつけて、この世界で一山当てたいんすよ。俺、あの子のこと諦めませんからね」
「……正攻法で説得するなら、好きにしろ」
 ため息を吐いて、電話を切った。
 今日。
 スタジオで――初めてカメラの前に立った少女を見た時。
 実際、美波は、心臓をわしづかみにされたような気分だった。
 2年前は、ただ、面差しが似ているという程度だった。
 その相似が、美波を苛立たせ、同時にたまらなく愛しくさせた、棒切れのような女の子。あの時も今も、何か言い訳めいた理由をつけて、いつも傍においていたような気がする。
 東邦に売り込んだのも、その愛しさを冷酷に突き放さなければならない、と思ったからなのかもしれない。
 その少女が、今日、まるで、――初めて会った時と同じ印象で、美波の視界に飛び込んできた。
 今はもう、二度とのその笑顔を見ることができない人と。
―――涼ちゃん?
 ねぇ、どうどう?この服似合う?似合うかどうか、言ってくんなきゃわかんないよ。
―――涼ちゃん……好き……大好き、愛してる。
―――涼ちゃんはね、神様が私にくれた、たったひとつの奇跡なの。
「………………」
 美波は目を閉じ、たまらなくなって、片手で、その目元を覆った。
 人はどうして、
 忘れることも、忘れないこともできないのだろうか。
 この憎しみも慟哭も、煉獄のような日々も、
 いつになったら、終わりがくるのだろうか………。


                14



「本当にいいんですか、こんな時間に」
 助手席を降りた凪が、申し訳なさそうに全員を見回す。
「いや、いいよ、もう連絡とってあるし」
 そう答えつつ、ひゃー、綺麗になったなぁ…と、東條聡は、内心ドキドキして、自分の肩先までしか背のない小柄な少女を見下ろした。
 もともと可愛かったから、想像できなくもないけど、彼女――雅之と今、どうなってんだろう。
「さすがに、俺や将君とこじゃまずいもんな」
 憂也が冗談めかして言う。
「俺んとこは、妹もいるし、いいんだけど」
 と、将。
 が、一番いいのがどこかのホテルか――知り合いの女性の家がいいわけで。
 本当に折りよく、携帯にミカリからメールが入っていたので、聡は即座に電話して、凪のことをミカリに頼んだのだった。
 で、冗談社。
 今、そのオンボロビルの階段を、男四人と女一人が歩いている。
 凪は――さきほどからずっと黙っている。
 解散するかもしれない、という顛末は、将が簡潔に説明してやっていた。
 驚いてはいたものの、凪は、不自然なほど、雅之のことを口にはしなかった。
 上手くいってない、というより、随分連絡を取り合ってないんだな――というのだけは、聡にもなんとなく判った。
 そして、先ほどのレストランで、美波が語った話については、誰も何も言わなかった。
 東京タワーのてっぺんから飛び降りる気分で口火を切った聡でさえ、その話は、今は口にしたくなかった。
 頭では理解できる。
 が、現実に置き換えると、どうも上手く咀嚼できない。
 ここにいるメンバーが、実際本当に大切で大好きだから、そんな風には……考えられない。
「お前もミカリさんとこに泊まりたいんじゃねぇの?」
 ふいに背後で、憂也が小声で囁いた。
「ばか、そんなことないって」
 と、言いつつ、今になって、聡は微妙に後悔していた。この面子で――ミカリさんと会うのは、あのFテレビの騒動以来だ。憂也が、妙なことを口走らなければいいんだが。
「こ、こんにちはー」
 聡は、おそるおそる扉を開けた。
「オッス、おら悟空!」
「…………誰、この人」
 いきなり出迎えた人を見て、憂也が凍りついている。
 いや、聡以外の全員が。
「い、いいから、全然気にしなくていい人だから」
 た、高見さん、今日は孫悟空かよ……と、思いつつ、聡は四人の背を押すようにして、すっかり馴染んだ編集室の中に押し込んだ。
「きゃー、どうしちゃったんですか、東條さん、すごーい、ストームが揃ってる。こんな時間にお疲れさまでーす、アイドルも楽じゃないですよね。つくづく思います。私たちもきついんですけどー、でも、若さで乗り切りますねっ、じゃ、私仕事が残ってるんで」
「…………今の人、何言ってたの?」
 今度はりょうが呟いた。
「い、いや……基本、ほっといていい人だから」
 カリメロさん……頼むから、少しは会話の勉強をしといてくれ。
「お、なになに、なんでこんなにいるわけ?」
 やっとまともな人(この中では)が、顔を出してくれた。
 編集長で、この会社の社長、九石ケイである。
「ハロー、おねーさま」
 と、憂也がすかさずウインクする。一度おばさんと呼んでひどい目にあってから、憂也は、嫌味のように「おねぇさま」と連呼するのである。
「東條君、」
 と、その九石の背後から、ふいに最愛の人が顔を出した。
 ああ――言っては悪いが掃き溜めに鶴。
 なんでこんなに綺麗なんだ、この人は!
「あ……すいません、今夜は」
 と、聡がぽっと赤らんで言いかけた時だった。
「ちょって来て、大変なことが判ったから」
 眉をひそめて歩み寄ってきた恋人の目は、わずかも笑ってはいなかった。








    

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