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「ちょ、ちょ、ちょ、ちょ」
 片野坂イタジは口をぱくぱくさせた。させすぎて途中で呼吸困難になりそうだった。
「じゃ、そうゆうことで」
 赤いコートを羽織った女は、ひょい、とバックを掴んで立ち上がる。
「ちょっと待てい!!」
 とは言えなかった。
「ちょっと、――ま、待ってください、真咲さん」
 慌てて扉の前に駆け寄って立ちふさがる。
 一瞬眉をあげて足を止め、真咲しずくはからかうように微笑した。
「くどく気?」
 だ、誰が………。
 脱力しつつ、最後の抵抗のつもりで目の前のボスを睨む。
「冗談ですよね」
 いつもの、くだらない。
「ううん、本気」
「しゃ、唐沢社長は、その……許可とかは」
「必要なし、だって好きにしていいって言われてっから」
「あのですね、説明すると長くなりますが、アイドルっていいますのは、仕事を選ぶにも暗黙のルールというのがございまして」
 つまりJ&Mのブランドというか、企業価値というか、そもそもうちの会社の歴史的な
 女はうるさげに手を振った。
「今月中にはカタつけて。どんな手使ってもいいし、出演料は言い値でいいから。唐沢君には私から報告するから、イタちゃんは余計なことを言わない聞かない考えない」
 とん、と軽く肩を叩かれる。
 もう何を言っても無駄モード。
 イタジはよろめいて、あとずさった。
―――つーか俺、どうすりゃいいんだ。
「ま、真咲さん、ストームの連中が可愛くないんすか」
「んー?可愛いって年でもないでしょ、よく見りゃ脛毛も生えてるし」
「………………」
 いや、そういう問題ではなく。
「だ、大事に育ててやろうとか、そういう」
 扉に手をかけていた女は、初めて意外そうに振り返った。
「コマでしょ?」
―――コマ。
 目をしばたかせるイタジの前で、女はくるくると指で円を描いてみせた。
「タレントは会社のコマ、私にとっても楽しい玩具、じゃあね、ゆっとくけど、唐沢君に漏らしたら私がユーのクビ切るから」
「………………ま、」
 ぱたん、と鼻先で扉が締まった。
―――ど………
 イタジは呆然としたまま、先ほど手渡されたばかりのメモに視線を落とした。
―――どうすりゃいいんだ、俺。
 どう考えても、これは暴挙としか言いようが無い。
 片瀬と成瀬はともかく、いや、彼らも相当ショックだろうが、綺堂と柏葉がひどすぎる。
 あの二人の、プライドの高さと扱い悪さは折り紙つきだ。
―――ひょっとして自主的に解散させる気かよ、
 いやそうだ。そうに決まっている。
 ない頭をくるくると回転させ、イタジは今後の身の振り方を考えた。
 なんとしても、お、俺だけはクビになってたまるもんかと思いながらら。
 

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「内部リークですね」
 藤堂の声は淡々としていたが、どこか深いすごみがあった。
「………だろうな」
 唐沢も呟き、手にした女性週刊誌を机の上に投げ出す。

 <主婦に人気、ミラクルマンセイバー主題歌をめぐる金にまみれた裏事情>
 <J&М王国のかげり、鏑谷プロ、ジャパンテレビから総スカン>

 そんな、くだらないタイトルが踊っている雑誌。
 表紙では、見知らぬ韓国俳優が白すぎる歯を見せて笑っている。
 記事は、東條聡が、すでに決まったキャスティングの中に強引に割り込んできたことや、現場での態度の悪さ、そしてストームの柏葉が楽曲に不満を持ち、スタッフやメンバーに当り散らしているという内容だった。
 新曲リリースが流れた経緯まで、相当詳細に書かれている。
 これは、事務所の内部事情にある程度精通した者が、情報元になったのに違いない。
「…………ま、無視するしかないだろうな」
 唐沢は、苦々しい気持ちで天井を見上げた。
 金持ち喧嘩せずだ。
 ザ・ワイド。
 貴沢の件から尾を引いている確執。正直、この会社だけは手に負えない。
 しょせん週刊誌の記事は一週たてば忘れられる。テレビ局は押さえが利くから、これ以上大きな騒ぎにはならないだろう。
「こういった芸能ニュースは」
 が、藤堂は陰鬱な声で後をつないだ。
「今は、発売直後にインターネットを通じて一斉に広がりますからね。Jのゴシップはヤフーなどの主力サイトでトップニュース扱いになる。あまり、楽観しない方がいいと思います」
「それでもテレビにはかなわないだろう」
 唐沢は眉をひそめて立ち上がった。
 テレビ、テレビ、テレビ――そして視聴率至上主義。それが今も昔も、日本の芸能界を支えてきたし、この事務所を支えてきた。
 たった一パーセントの数字を得るために、テレビ関係者は土下座までして緋川や貴沢の出演を乞う。この芸能界で、J&Mが不動の地位を得ているのも、すべて視聴率至上主義のおかげである。
「長い冬が終わった。来年はうちの事務所がようやく上にいける年だ、貴沢もデビューする、関西の連中も、夏にはデビューさせる。ストームごときのゴシップでつまずいている場合ではない」
「内部リークのことは調べてみます」
 と、藤堂も立ち上がる。
「局への根回しも忘れるな、それから出版社への抗議も厳重にやっておけ、二度と、うちの商品に手を出すなとな」



 二人の足音が遠ざかる。
 美波涼二は、軽く息を吐いて背後のソファに背を預けた。
(―――成瀬雅之のことは、いずれ折を見てスクープしますよ、発売直前に本が流れた経緯くらい、面白おかしく書けるでしょ)
 先ほどの電話で、聞いたばかりの男の声。
 しかしその声は、今回の記事の出所だけは知らないと言っていた。
「……………」
 いずれ、成瀬の話が外部に漏れることは――それはある程度、唐沢も覚悟しているし、法的に押さえ込むことを検討してもいるだろう。
 が、そこにも内部リークが絡んでいたら、まるで予期しない記事が載る可能性もある。
 いずれにしろ、デビューして三年。美波からみたSTORMは、今、みっともないくらい、ばたばただった。
 唐沢が目の敵にする真咲しずくの出現は――、果たして、彼らにとって、希望なのか、破滅なのか。
「………実際、なに、考えて戻ってきたんだ、あの女」
 美波は舌打して煙草をポケットにねじこんだ。
 そして、一瞬ではあるが胸をよぎる、――自分が抱くものと相反する感情に、わずかに眉をひそめていた。






    




一番大切なもの(終)
                      
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