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―――ど、どうなってんだ……。
「よ、雅クンおつかれさん」
「今日はどういう趣向?シークレット収録なんて、おたくの事務所もいちいちやることが凝ってるねぇ」
 と、なじみのスタッフに軽く声を掛けられる。
 スタジオの外の光景は全くのいつも通りで、誰も、通り過ぎる雅之にこれといった視線を向けてはこない。
「雅君」
 背後から声がした。
 かっちゃん――こと安藤克子が、が、目配せするような表情で立っている。
 収録後、携帯を返した時も妙な顔をしていたが、今はそれがあからさまだ。
 そして歩み寄ってきた安藤は、雅之の耳元でそっと囁いた。
「……今日のこと、意味わかってんの、結城さんと私くらい」
「…………?」
 その意味が、雅之にはまるでわかっていない。
「柏葉君と、おたくのチーフマネージャー通じて依頼があったの。ちょっとした企画で、びっくり収録するから協力してほしいって」
「…………」
 ビックリ。
 一瞬考えて、雅之はようやくその意味に思い至った。
「びっくり??」
 ちょっと待て。
 頭が――展開に追いついてってねえ。
 びっくりって、今のがか。
 今の――俺の、放送が。
「……私も結城君も内容までは聞こえなかった。でも、なんとなく判っちゃった」
「…………」
 無言で携帯を差し出される。
「あんたが携帯に出ないからじゃない?憂也を皮切りに、なんでか私の携帯に、さっきから、がんがんボイスメッセージが入ってんの。ちょっとどうにかしてよ、これ」

―――ピー、
『雅、とにかく家で待ってろ、今夜いくからな』
 東條君の声だ。

―――ピー
『雅、俺も覚悟できてる、一緒に乗り越えよう、俺らだったら大丈夫だから』
 りょう。

―――ピー
『雅、まぁ、……なんとかなるだろ、やばくなったら全員でとんずらすりゃいいじゃないか。とにかく明日、社長に事情話しに行こう、今夜、俺がいくまで、家で大人しくしといてくれ』
 将君だ。

―――ピー
『ばーか』
 憂也…………。


 雅之は、自分の鞄から携帯電話を取り出した。
 収録中は電源を切っている。それを、少しためらってからオンにする。
 メール。
―――恭子さんから………。
「……………」
「憂也のあんなに感情爆発させた声、初めて聞いたよ、あたし」
 メールを開こうとした時、楽しそうな女の声がした。
 雅之は、はっとして指を止めた。
「雅出してくれ、雅呼んでくれ、頼む、って、一体何があったか知らないけど、友達は一生の宝だからね、大切にしなよ」
 じゃあね、おつかれさま。
 ひょい、と手をあげて、安藤が軽快な足取りで去っていく。
―――憂也……
 恭子さん。
 迷った末、雅之は携帯を再び閉じた。
 開いてしまえば最後な気がした。呼び出しであれば、そのまま、自分はふらふらと病院に行ってしまうだろう。
 でも今は、
 そうしてはいけないと、もう会ってはいけないと、心のどこかが叫んでいる。
 わからない。
 廊下の隅にあるベンチに座り、雅之は頭を抱え込んだ。
―――俺……どうすりゃ、いいんだ。


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「………あ」
 放送局を出た雅之は、思わず声をあげていた。
 冬空には、もう宵の星が瞬いていた。
 駐車場の方から、見慣れた人影が歩み寄ってくる。
「セーフ、お姫様救いにきた王子の心境だよ、俺」
 片手をあげてそう言ったのは、柏葉将だった。
「……………」
 雅之は、言葉を失くして黙り込んだ。
「もう行くなよ」
 声は優しいようで、やはり怖いようでもあった。
「……将君、俺」
「もう行くな、お前はあの人より、俺たちを選んだんだろ」
「…………それは」
 背中を押すようにして促される。
「なんもかんもは無理だよ。……今の俺たちには」
「…………」
 駐車場の照明が、二人の影を幾重にもだぶらせて、アスファルトに刻んでいた。
 将は、わずかに目をすがめ、天を仰いだ。
「なんか捨てなきゃなんねーんだ。それが人的に酷いことでもさ、何かを……切り捨てなきゃいけないんだよ、何かを得ようと思ったら」
「…………俺のこと、信じてる、人たちでもか」
 酷い人だけど、実は弱くてもろいところある恭子さん。
 そして、麻友。
「りょうは家族を捨てた。知ってるだろ、りょうがかなりマザコンだってこと、なのに見舞いのひとつにも行かせてもらえない」
「………」
「憂也も、何かを振り切ってここにいる。東條君も、……お前だってそうだ」
 雅之が黙っていると、将は困ったように髪をかきあげ、そして嘆息して言った。
「って、まわりくどいこと言ってんな、俺。――辞めるなよ、俺もお前が必要なんだ、お前いないとやってけない。綺麗ごとじゃねぇ、ただ、お前にストームでいてほしいんだよ!」
 どこか怒ったような言い方だった。
 雅之は、初めて聞くような将の声に、ただ、こみあげる嬉しさをかみ締めていた。
「……んだよ、笑うなよ」
 ばかっと、頭を叩かれる。
 実際雅之は笑っていた。
「笑ってねーけど」
「なんだよ」
「―――将君みたいな男に告白される女って、超幸せかもしんねーって思ってさ」
 だって俺が。
 今、超幸せ感じてるから。
「………頼むから、そんな憂也を刺激するようなこと言わないでくれ」
 将が憮然として呟き、
 雅之は、今度は本当に爆笑していた。


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「憂也……」
 扉の前に立っている人を見て、雅之は思わず呟いていた。
「やっと帰ったか、莫迦野郎」
 平然とした顔で、コートに両手をつっこんだまま憂也が顔を上げる。
「よ、恋人同士のご対面かよ」
 背後で、笑いを含んだ将の声がした。
「エスコートごくろうさん」
 その将に、憂也が笑って声をかける。
「いいよ、俺はナイトで、王子様はどうせお前だ」
 憂也が王子で、将君が騎士か。
 こんなかっこいい二人に守られる俺って、かなり幸せなお姫様かもしんねー。
 雅之は、苦笑しつつ、憂也の傍に歩みよる。
 気持ち的には落ち着いていたはずなのに、暗い廊下の照明の下、憂也の顔を見た途端、不覚にもこみあげてくるものがあった。
「これが男と女なら、抱きしめてキスくらいしてやりてー場面だけどよ」
 にっと笑って憂也が顔を上げる。
 次の刹那。
 雅之は、頬に激しい衝撃を受けて、壁に背中を打ち付けていた。
 計算したように、昨夜とは逆の頬。
―――いっけど……俺、相当ヤバイ顔になってんじゃねーだろうか。
 よろっとよろめいて体勢を整えながら、雅之は目の前に立つ憂也を見下ろした。
 殴った理由も、
 ここにいる理由も、
 その目に込められた感情が、すべてのような気がした。
「……………」
「……………」
 雅之はうつむいた。
 まるで意識していなかったのに、自然に、涙がこぼれていた。
「キモ……そんくらいでベソかくなよ」
「……うるせーっつーの」
 憂也の手が、肩を叩く。
 その腕にすがるようにして、雅之はあふれ出す感情をぐっと耐えた。
「雅、帰ってんのか」
「あれ、憂也も将君もいるよ」
 慌しい足音と共に、聡とりょうの声がした。
 昨日といい今日といい。
「お前らさ……」
 涙をぬぐって雅之は顔を上げた。
「いい加減にしてくれ、俺、このマンションにいられなくなるじゃねーか」


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「そうなのよ、お父さん、凪ったら合格、そうそう国立の医学部よ。もうどうしましょう。ずーっと、お友達にも会わず、遊びにも行かずにがんばってたからねぇ、何買ってあげましょうか」
 母親の弾んだ声が階下からする。
 凪は窓を閉め、はぁっ、と軽く嘆息した。
 机の上、山積みなった参考書をひとつひとつ片付けていく。
 受験という、人生最初の戦いは、これでひとまず終わってしまった。
 これで医者になれるわけじゃないけれど、最初のステップは、まず超えた。
 風汰の部屋からは、煩いロックが聞こえてくる。
―――風汰……少しは目、覚めたかな。
 事情は後で美波から聞いたものの、車内で聞いた「STORM BEAT」。
 切々とした雅之の告白は、芸能界が、決して楽しいばかりではないと――少なくとも人生の逃げ場ではないと、甘い風汰にも、判らせてくれたようだった。
(――戻りてぇよ!)
 まだ凪の胸には、今日聞いたばかりの、雅之の叫びが生々しく残っていた。
(――俺だって戻りてぇよ、もっかい、お前らとやりてぇよ!)
(――ダメなんだよ……戻ったって、お前らに迷惑かけて、最悪、ストーム解散になっちまうかもしんねーんだ……)
 あれは、誰と会話していたんだろう。
 相手の声だけが、聞き取れなかった。
(――俺、覚えてんだ。あの日、みんなで叫んだじゃねーか、でっかくなるって、てっぺんいくって、緋川さんみたいになるって、貴沢君超えようって)
(――俺のせいで、みんなの夢、…………台無しにしたくねえんだよ)
(――お前だよ、お前らだ、……ほかに、大事なものなんて、あるわけないじゃないか……)
 結局そこに。
 凪は苦笑して、片付けの手を止め、椅子に腰を下ろした。
 昔も今も、……多分、この先も、
 私の名前はないんだろうけど。
「…………バカ男」
 あんな奴ほっときゃいいのに。
 あんなバカ、いい加減忘れりゃいいのに。
「……風汰」
 凪は立ち上がり、隣室の風の部屋をノックした。
 風汰は机に座ったまま、ぼんやりと天井を見上げている。
「しっかりしろ、人生終わったわけじゃないでしょ!」
 凪はその頭を、拳で叩いた。
「明日、ちょい学校さぼる。悪いけど、お母さん適当にごまかしといて」




    

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