直木賞作家・新條直哉の再婚の影で泣いた女。

 
M(二十二歳)は、当時、大手出版社文芸部に勤める新人編集者だった。
 去年の四月から新條直哉の担当として、彼の仕事用マンションに頻繁に顔を出すようになっていたという。
 新條の元妻A子さんは、本誌のインタビューに、みるも痛々しく痩せた横顔でこう語ってくれた。
「もう、完全に妻気取りなんです、電話しても新條ですって、平然と答えるんです。妻ですって言ったら、直哉さん、電話ですって……今でも腹が立ってますし、許せません。私たちが離婚したのは全部あの女のせいですから」
 Mのこういった行状に、出版社サイドはまるで気づかなかったという。
 が、彼女の同期でもある女性O記者はこう証言している。
「とにかく、新條さんとつきあってることが、ひどく自慢のようでしたね。秘密よって、何度ものろけられました。セックスの体位なんかも、自慢げに話してくれるんです。正直、バカだと思ったし、実際取りえは身体だけで、頭はからっぽの女でしたからね。そもそもコネで入社した子なんですよね。だからバカなのは仕方ないかなって、私はずっとあきれてましたけど」
 Mは、すでにその出版社を自主退職しているが、実質、不倫が社内で噂になったことをきっかけに、解雇されたも同然だったという。
 退職後も、しばらくは新條さんと半同棲生活を送っていたというM。しかし今回、彼が再婚相手として選んだのは、人気女優の加藤美穂だった。
 一説には、Mは新條さんの子供を妊娠していたという話もある。その子供はどうなったのか……。
 今回、新條直哉が再婚を決めたことで、当社はMの実家に取材を試みたが、大学の教員をしているという両親は「娘とは縁を切っている」の一点張りだった。
 不倫に、正義はないということか。



 なんだろう。これは。
 文面から伝わる無言の悪意。聡は胸の悪さを感じ、その雑誌を伏せて置いた。
 意味がわからない。理解できない。
 Мというのは――もしかして。
「六年前まで、ミカリはその本出してる会社にいたのよ」
 が、九石ケイはあっさりと言った。
「その記事は、書いた人間の感情をのぞけばほぼ正確。ミカリの不倫がすっぱ抜かれたのは、そこに出てくるОって女記者が、ミカリから聞いた話をそのまま記事にしたからなんだけどね」
「……なん、で」
「さぁ?女心は複雑怪奇。ミカリにしてみれば、信用できる親友のはずが、相手はそう思ってなかっただけのこと」
「………」
「で、その新條センセーが、また性懲りもなく離婚することになったわけ。それでミカリに電話があったの」
 聡はさすがに顔色を変えてケイを見上げた。
「恋人に戻ることと引き換えに離婚のスクープを君にあげるよって、まぁ、そんなこと言ったかどうかは知らないし、そんな誘いに乗るようなミカリでもないんだけど」
 そこで、ケイは、ちょっと眉を寄せた。
「今回ばかりは、あいたた、な感じ。いっとくけど、ミカリを迷わせてるの、全部君だからね、ミラクルマンセイバー!」
「は……はい?」
 それだけだった。
 びしっと指で指され、聡は硬直して長身強面の女を見上げる。
「行くよ大森、心当たり探してみなきゃ」
「は、はいっ」
「このままじゃ、あの子、二度とうちに戻ってこないよ」
 大森が、大きな目をくるくるさせながら、聡と九石を交互に見る。
 その大森を無視して、九石は来た時と同じ勢いで出て行った。
「あれ、九石のおねーさまじゃん」
 憂也の声が廊下から聞こえた。
「じ、冗談社さん、困りますよ、アポなしでこんな……」
 困惑しきった小泉の声もする。
「東條君、来てるの?」
 りょうの声。
「カリロメさん!」
 聡は、とっさに出て行こうとした大森の腕を掴んでいた。
「ミカリさん、どこいるんすか!!」
「あ、あの…だから、それ、私たちも知らなくて…………カリメロ……?」
 ほとんど入り口に立つ二人の背後で、今、リハーサルを終えたばかりの四人と、そしてマネージャーの小泉が、驚いて足を止めている。
「お、俺が……あの人を迷わせてるって」
 聡は言葉を詰まらせた。
 どういう意味なんだろう。
(―――いい子なんです。よろしくお願いしますってな、あれはよっぽど惚れてるねぇ)
 わからない。あんなに――あんなにはっきりふられたのに、俺。
「……あのー、……二人の関係って……それ、むしろ私が聞きたいっていうかなんていうか」
 大森は、自分の背後に立つストームのメンバーと小泉の視線を気にしているのか、困惑したように立ちすくんでいる。
「小泉ちゃん」
 ふいに柏葉将の声がした。
「は、はい」
 将にはめっぽう弱い小泉旬が、びっくりしたように直立不動になる。
「今のリハで、カメラ位置がひとつだけ気になるとこがあったかな。スタッフさんと直接話ししたいから、ついてきて」
「え……は、はぁ、でも」
「時間ないんだろ、わかってるから早く」
 まだためらう様に聡を見ている小泉の、その腕を引っ張るようにして、将が来た方向と逆に歩き出す。
 気をきかせてくれたんだ――。
 さすがに、理解しないわけにはいかなかった。
 マネージャーの前では、決してこんな話はできないから。
―――将君……。
 将はいつだってそうだ。
 口には出さないけど、いつも、こうやってメンバーのみんなを庇ってくれる。
「俺には……」
 りょうと、憂也、そして雅之が見守る中、聡はためらいながら言葉を繋いだ。
「俺には、あの人の気持ちなんてわからないよ、俺には……あの人は大人すぎるっていうか」
「…………」
「お、俺といても、いつもつまんなそうだし、滅多に笑わないし、……気持ち……見せてくれないし」
 それは。
 それは、俺も同じなんだけど。
「うーん……と、」
 大森は困惑しながら、それでもちょっと困ったように聡を見上げた。
「……あ、あのー、私、ミカリさんからセイバーの特集担当引き継いだんですけどね。どうしても見当たらないファイルがあってですね。それー、その、パソコンからですね、そういうデータを探すのが得意な人が会社に約一名いましてー。そこまでしろって言わなかったのに、勝手にパス探してログインしちゃって、ミカリさんが書いた下原稿みたいなものまで、全部プリントアウトしてくれたんです」
 原稿っていうか、オンエア見た後の感想みたいな感じなんですけど……。
 大森の差し出した紙に、聡は急いで視線を落とした。


 がんばれセイバー
 負けるなセイバー
 悪いやつらをやっつけろ
 どんな敵がきても、あきらめるな


 セイバー
 どんな困難にもくじけるな
 まっすぐまっすぐ、光の道を進んでいけ
 僕は、ずっと、応援してるよ

 
 セイバー
 一人で戦ってるなんて、絶対に思わないでね
 みんなが君を応援してる、みんなが君に見えない力をくれてるんだよ
 そして君も、誰かの力になってるの
 ねぇ、セイバー
 それを、絶対に忘れないで


 セイバー
 人は身勝手で汚い生き物だけど、それは寂しくて弱いから
 その力はね
 あなたを救うのと同時に、みんなを救うためにあるんだよ
 がんばれセイバー
 負けるなセイバー
 どんなに強くなっても、その優しさを忘れないでいてね


 
 セイバー
 あなたの力はあなたのもの
 それは、形ではないけれど、あなたの心に積もっていくもの
 あなたの強さを私にちょうだい
 セイバー
 助けて
 弱い私を、どうか助けて……。


 

「ミラクルマンセイバーが、初めてラブレターもらうとしたら、こんな感じじゃない?」
 最初に口を開いたのは憂也だった。
「お、お前、よく読めたな、この位置から」
 と、雅之。
「両眼、2・0ですから」
 聡はただ、呆然としていた。
―――ちょっと待てよ……。
 なんだよ、なんなんだよ、これ。
「ミカリさん、セイバーのこと、ものすごく詳しいんです。最初の取材の時、私すごい色々しゃべったけど、あれ、全部ミカリさんの受け売りだから」
 ぜんぜん興味ないって顔してたじゃないか。
 つまんねーって顔、してたじゃないか。
「ミカリさん、セイバーの企画段階の時から、すごく気合入れて下調べしてたんです。これは、東條君の代表作になるわよって。特集組みましょうって、編集長にごり押ししたのもミカリさんだし、オンエアだって何回も何回も見直してるみたいだし」
「…………」
 だって。
 だって、あの人は。
「……あのーー……」
 聡が黙っていると、大森は言いにくそうに口ごもった。
「それ、普通に判断すると、……恋って言うんじゃないかと………思うんですけど」
 勢いよくハードなメロディが聞こえたのはその時だった。
「これ……マリアさんの曲?」
「あ、あーっ、私です。すいません、ゆうりさんからみたい」
 大森が大慌てでかばんの中から携帯を取り出す。
「えっ、ミカリさんから電話?今? あの人どこにいるんですか、もう社長がカンカンなんですよ」
 聡は顔を上げた。
「え……まだ新條先生と一緒って、――会社やめる?マジですか、それ」
 一瞬聡を見上げた大森の声のトーンが下がる。
「……東條君、本番まで、あと五分もないけど」
 りょうが、済まなそうに口を挟んだ。
「わかってる」
 歌だけは事前収録で別撮りだが、他のシーンは生だった。いずれにしても基本的には生放送。差し替えは絶対に許されない。
 今が、男としての正念場だということはわかっていた。が、同時に、聡は、STORMであり、全国のファンの期待を背負ったアイドルだった。
―――どうして俺が、セイバーなんだ、どうして、どうして、どうして、
 サトシの悲鳴が、思考の中に絡まっていく。
 聡は眉を寄せたまま、ただじっと空を見つめた。







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