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「おう、やってるかい」
―――う、目が……見えない。
 もうもうとたちこめる白煙の中、聡は思わず目を瞑っていた。
 息をした途端、吸い込んだ煙にむせた。
 これはすごい。よく、頭上の火災探知機が作動しないものだと思う。
「今、第7話の構成話してたとこですよ」
 机から、煙草を灰皿にねじこみつつ顔を上げたのは、プロデューサーの新堂という男だった。さすがに聡も面識があるし、向こうも聡をよく知っている。
「あ、あれ……なんだ、東條さん、なんだってこんなとこに」
 40すぎのインテリ風の男だが、今は、どこか疲れて見えた。広い額が、いつにもまして油ギッシュに見える。
「いや、ちょっと……」
 と、聡もどう応えていいものか判らない。時間がないからと、撮影時間をぎりぎり削っておいて、こんな場所をうろうろしているなんて。
「あ、まぁ、丁度よかった。こちら、今度新しくライターチームに入ってもらうことになった、神田川洋司さん。テレビシリーズは初めてなんだけど、ゴジラとか、ああいう特撮の脚本家としては、有名な人でね」
 と、新堂は、その隣で煙草をふかしている長髪の男を指し示した。
 長髪。しかも、七十年代風の――おしゃれさは微塵もない髪型である。顔の造詣はひたすら寂しく、色白で、センスの欠片もないチェックのシャツに、ブラックジーンズを履いている。
 神田川と紹介された男は、少し横柄気に、軽く会釈しただけだった。
「テコいれかい、はええな、オイ」
 と、口を挟んだのは鏑谷会長だった。
「いや、はは、まぁ、そんなことは」
 と、新堂プロデューサーがちょっと気まずげに額の汗を拭う。
「テコいれ……?」
 思わず聡が呟くと、
「視聴率落ちてるからね、で、助っ人に僕が呼ばれたわけ」
 と、冷めた声で、初めて神田川が口を開いた。
「J&Mのアイドル使って15パーセント割ってんのは、テレビ局の常識じゃ、もうアウトなわけ。早めに路線変更するかなんかして手打たないと、この人の首が飛んじゃうわけ」
 冷たい眼のまま、神田川は続ける。
「い、いや、ほら、まだ始まったばかりだし、もうっ、大げさだなぁ、神田川さんは」
 新堂がさらに慌てている。
「君さぁ、」
 が、神田川は、蛇のような目色で聡を見上げた。
「透明だね」
「…………」
 なんと応えていいか判らなかった。
 透明。
 それが、褒め言葉か、けなされているのかも。
「僕はそっから、何かの色を引き出さなきゃいけないわけ、君は何がしたいわけ?嫌々やってんの、全部顔に出ちゃってるけど」
「俺、」
 反論したかった。
 初対面の人に頭ごなしにこんなことを言われて、でも。
「何が気にいらなくて、何が不満なわけ?特撮がオタクの分野だから?それとも、対象が子供だから?」
 心の中の目を逸らしたい部分に、いきなり切り込まれた気分だった。
 ゴールデン枠のドラマで、かっこいい役ばかりやっているりょう。
 映画で、玄人をうならせる演技を見せ付けている憂也。
 最先端の流行をさりげなく着こなし、センス溢れる将。
 その三人を――意識しなかったと言えば嘘になる。比較して、自分を卑下しなかったと言えば嘘になる。
「やりにくいのは判るわけ。主題歌のことでスタッフは全員怒ってるわけだし、どっかでアイドルをバカにしてるしね。君が、僕らをバカにしてるように」
「…………」
 聡はうつむき、唇を震わせた。デビューして、色んなことがあった。が、ここまでの屈辱を感じたのは初めてだった。
「で、君は期待通りのアイドルだったってわけ?」
「俺、」
 何を言うつもりもなく、ただ聡は口を開いていた。
 が、そこであえなく言葉は途切れた。言いたいことは――なんとなくだが、頭の中に固まっている。が、それを、はっきりと口に出来ない。
「言ってみなよ」
 と、ふいにしわがれた声でそう言ったのは、聡の背後に立ったままの鏑谷会長だった。
「あんちゃんにも、あんちゃんの言い分があらぁな。言ってみな。みんなプロだ、何を言われても、引きずるような奴はいねぇよ」
「…………」
「ほら、キレンジャー、はっきり言ってみろってんだ!」
 ばん、と背中を叩かれる。
 聡はよろっとよろめいて、その瞬間、腹が、不思議に据わっていた。
「はっきり言って、全然面白くないんす」
 そう言っても、誰も顔色を変えるものはいなかった。
「……と、特撮好きな人なら面白いのかもしれないし、子供が見たら受けるのかもしんないけど、……俺、特撮知らないし、子供でもねぇし、毎回毎回お決まりのパターンで怪獣でて、倒して、仲間と友情して……そんなの、どこに興味持ってみていいのか、わかんないっす」
「それで?」
 神田川が煙草に火をつけながら言う。
「サトシの……性格とか、悪すぎるし、なんか、ダサいっていうか、情けないっていうか」
「で?」
「怪獣が出てくるのがバカらしいっていうか、そんなのそもそも有り得ないし、それに地球防衛局なのに、えらい人数少ないし、そもそもなんで全員日本人なんですか」
 神田川と、背後にいた鏑谷が同時に吹き出すのが判った。
「で……?」
「あ、愛香のことも……なんつーか、普通なら好きになれないです。夏目さんは可愛いから、スタッフの趣味で決めたのかもしんないけど、俺は、どっちかっていったら」
「仲村レイラ?」
 あっさりと返される。
 聡は何故か赤らんでいた。
「いいとこつくね。今、7話でレイラの恋人の話を出そうって話になってんだよ」
 嬉しげに口を挟んだのは、それまで気まずそうに黙っていた新堂プロデューサーだった。
「恋人ですか」
 聡も、つい身を乗り出していた。
「そう、元パイロットで、怪獣との闘いで死んだパイロット。そのエピソードでレイラのキャラがさらに立つからね。サトシをからめていってもいいって話をしてたんだ」
「三角関係っすか」
「目が輝いてるね、東條君」
 笑いながらそう言ったのは、神田川だった。
 笑うと――存外優しいおじさんに見える。
「あの……トモヤを絡めてもいいかなって思ったんです」
 聡は、その笑顔につられるように口を挟んでいた。
「トモヤ……尾崎君か」
 それには、新堂プロデューサーは意外そうな目になった。
「さっきの撮り見てて……レイラさんの後ろ姿見てる尾崎さんの目が、なんていうか、結構いい感じだったんで、あ、ここで尾崎さんが絡んでもいいかなって」
「ふん……」
 と、神田川が、ちょっと難しそうな目で鼻を鳴らした。
「その視点は、スタッフの目、主役の考えることじゃないね」
 冷たい声。
「す……すいません」
 聡は、言い過ぎたことにしゅんとして口ごもる。
「いや、いい意味なわけ。ただ、これから、芸能界で上の人間引きずり落として這い上がろうっていう、若手のいうセリフじゃないじゃない?それは、美味しいとこをライバルにも分けてやろうって話なわけ」
「…………」
 それは、考えてもみなかった。
 そういうことになるんだろうか。
 でも――俺は、誰かを引きずり落とすとか、そんな風には絶対に考えられない。
「俺……そんな形で、芸能界でやってくつもりは……ないっすから」
「だったらいつか引きずり落とされるかもね」
 神田川はあっさりとそう言った。
「ま、それも君らしくていいかもね。僕は君の出たドラマも、バラエティも、歌番組の収録も、コンサートビデオも全部観たわけ。いや、僕だけじゃなく、監督、演出やってる人はみんな観たわけだけど」
 それには、聡は心底驚いて顔を上げた。
「サトシは、聡。STORMの東條聡が、そのまま描かれたキャラクターなわけ。企画も役柄も脚本も全て、君を中心に変更になったわけよ」
 言葉は何も出てこなかった。
 ダサい。かっこ悪い……そう思っていたキャラ。
 それを聡は、とにかくかっこよく見えるようにと、ひたすら粋がって演技していたような気がする。
 ふいに、背後に立つ鏑谷会長の言葉が蘇る。
 黄レンジャーが、かっこばかり赤レンジャーになりきった滑稽芝居なんてな、誰もみたかぁないんだよ。
「この撮影所にはさ」
 神田川はゆっくりと立ち上がった。
「むさい中年男の夢がぎゅうぎゅうに詰まってるわけ、みんな、この世界を心から愛して、心から誇りを持ってる連中なわけ。だから、損得なしに仕事をしてるわけよ、家庭も……人間であることも捨ててさ」
 新堂プロデューサーが苦笑を浮かべた。
「君はその主役なんだ。東條君。僕らの夢の世界の主人公なんだよ」
 聡は黙って、2人の男の顔を見つめた。
 降木庭監督も――じゃあ、STORMのドラマやコンサートビデオを観たんだろうか。あの人が。俺のことを、何も理解していないとばかり思っていたあのおっさんが――。
「そして、これからのサトシは、君と、そして僕らが共同で作っていく。サトシの成長は、君自身の成長でなきゃ意味がない。それを忘れないでくれ」
 新堂は最後に厳しい声でそう言った。


                     15


「こんにちは」
 声を掛けられたのは初めてだったので、聡は普通に驚いていた。
 翌週の撮影所。今から、第6話の最終シーンの収録が始まる。
 まだ、準備の真っ最中のスタジオで、聡は脚本に目を通している所だった。
ふいに背後に立った尾崎智紀――トモヤ隊員の衣装を着た百八十を超える美男子が、高みからじっと聡を見下ろしている。
「なんの真似ですか、演出に口出したそうじゃないですか」
「…………」
 その意味は、なんとなく理解できた。
 手渡されたばかりの第7話の脚本。
 そこには、驚いたことに、聡が口出しした――レイラとサトシ、そしてトモヤの三角関係を匂わすような展開が描かれていたからである。
「僕の出番を増やすように、言ってくれたみたいですね」
 キャリアこそ聡が上だが、年は尾崎が明らかに上である。そのせいか、敬語は使っても、尾崎の言葉にはどこかしら棘があった。
「いや……そういう意味で、いったわけじゃないっすけど」
 聡が戸惑って応えると、尾崎は、どこか皮肉気な笑みを浮かべた。
「余裕なんですね。びっくりしました。……やっぱ、大きな事務所がバックについてると、違うのかな」
「…………」
 余裕なんてない。
 一瞬むっとしたものの、聡は、そのまま口をつぐんだ。
 確かに、聡には、――大きな事務所で安定して仕事を得ている聡には、理解できないと思ったからだ。尾崎のような立場のタレントの気持は――。
「俺は、アイドルの東條さんと違って先が見えないから、毎日毎日が必死ですよ。……まぁ、ありがとうございますって言っておきます」
 やはり皮肉気な物言いでそう言い、尾崎は長身を誇示するように聡の隣に立って、撮影所に視線を向けた。
 なんなんだ。こいつは。
 聡はむっとしつつ、その場を立ち去ろうとして、ふと足を止めた。
―――先が見えないから、毎日毎日が必死ですよ……。
「…………」
 聡にしても先なんて見えない。
 尾崎と同じだ。事務所の大小なんて関係ない。一日一日を追うのに必死で、一年先のことすら、想像もできない。
 はっきり言えば恐い。もう二十歳になる。この道で生きる以外の選択肢は、まともに考えればあまりない。
 その恐さを、今、隣に立つ男も同じように感じているのだろうか。
 この――幻のような儚い世界で、自分の身体と才能、そして運だけを唯一の資本として生きていく恐さを。
「俺……のんびりしてるように、見えますか」
「え……?」
「本当は、毎日不安なんすけど」
「…………?」
 尾崎がいぶかしげに振り返る。
 聡は黙ったまま、ちゃくちゃくと出来上がるセットを見つめていた。背後で、「おはよーございまーす」という夏目純の声がする。
 シフォンのような人気の上に立つアイドル。人気の実体など、どこにもない。
 失敗すれば、二度とこの世界には戻れない。シフォンが潰れれば、あっという間にどん底まで転落する。
「この展開はどうなんですかね、一応、ヒロインはうちの夏目でしょう」
 スタジオのどこかから声がした。夏目純のマネージャーが、今回の監督に詰め寄っている声だ。当の夏目純は、その騒ぎを知ってか知らずか、スタッフとはしゃいでいる。
「いいんです〜、どうせ純は、ジメジメキャラなんですから」
 笑い声。それがどこか、痛々しく聞こえた。
 一緒なんだ。
 慌しい撮影現場を見ながら、聡は自然にそう思っていた。
 みんな、不安で、それぞれ葛藤を抱えている。だから、攻撃的になったり、無関心を装ったり、はしゃいだりして自己武装してるのかもしれない。
 ここにいる尾崎にしても。
 もしかして、将にしても、憂也にしても。
 最近おかしくなった雅之にしても……。
 そして、ついこの間までの聡自身も。
「僕のせいで、色々迷惑かけてますけど」
 聡は、素直な気持でそう言った。
 確かに、何もかも受身のまま、断れないままにここまで来た。でも、来たのは、自分自身の足だったはずだ。
 今、聡は現実にこの場所に立っている。逃げるという選択肢もあったはずなのに、逃げもせずにここにいる。沢山の人間の夢が詰まったこの場所に。夢を紡ぎだす一端として。
「いいものを作りましょう。僕も精一杯頑張ります。一年間、よろしくお願いします」
 聡は笑顔で尾崎を見上げた。
 尾崎は、初めて見せるような面食らった顔をして、ただ、綺麗な眼をすがめただけだった。





 セイバー。
 あなたの力はあなたのもの。
 それは、形ではないけれど、あなたの心に積もっていくもの。
 あなたの強さを私にちょうだい。
 セイバー。
 助けて。
 弱い私を、どうか助けて……。














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