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9
「残念、少しのところでシャッター切り損ねちゃった」
カメラを片手に歩み寄ってきたスレンダーな人は、からかうように微笑した。
聡は笑えなかった。
いつもように、曖昧な笑みを浮かべることさえできなかった。
「気をつけないと、東條君。アイドルのスクープは、どこにいても狙われるんだから」
「は……はぁ」
「しかもミラクルマンのゴシップなんて、しゃれになってないわよ」
ノースリーブのシャツから覗く肩が白かった。薄暗い通路で、そこだけ燐光を放っているように。
「び、びっくりしたっす、撮影所の中にまで来るなんて……」
その白さが眩しくて、そしてまだ、先ほどの動揺が収まらず、聡はおどおどと口ごもる。
「そう?たまに来てるのよ、他の出演者の話も聞きたいから」
普段どおりの横顔を見せて、阿蘇ミカリは、腕時計に目を落とした。
「いけない、あまり時間ないんだった、写真、一枚いい?」
「…………」
顔をあげたミカリが、初めていぶかしげな目になった。
「何?小泉君になら了解もらってるけど」
「……え、いや、」
カメラを片手に、ミカリが距離を取るために離れていく。
聡は、どんな顔をしていいか判らないまま、ぼんやりと、鈍く輝くレンズを見ていた。
―――てゆっか。
今、俺、キスしてたわけで。
そうゆうのって、この人的にはどうでもいいことなんだろうか。
俺が女だったら――って、男でもだけど、好きな人が目の前でキスとかしてたら、ショックだし怒るし、悲しいし。
「…………東條君?」
「……え、ああ、ハイ」
聡は強張った笑みを浮かべた。
どうしよう。
ここは、結構、正念場ってとこではないだろうか。
はっきり聞くべきかもしれない。
性格と同じで、曖昧に誤魔化し続けてきたこの何年かの関係を。
はっきりと――させるところなんじゃないだろうか。
「……お、俺と」
「はい?」
聡の呟きに、今、まさにシャッターを切ろうとしていたミカリは、不機嫌そうに眉を上げた。この人はこういう時はプロ意識が高いから、余計なことを喋りたがらないのは知っている。
「俺といて、どうですか」
「……どうって?」
再び視線をフィルターに戻したミカリの声は、素っ気無かった。
「その……なんていうか、男としての俺っていうか」
あー。
言いながら聡は赤面した。
「……その……どう思ってるって、いうか」
「…………」
限界だった。
聡は耳まで赤くなったまま、うつむいた。
ダメだ。やっぱり言葉には出来ない。出来るくらいなら、とっくに告ってる。
「……ありがたいと思ってるよ」
少し眉をしかめ、レンズを調整しつつ、ミカリはそう言った。
「Jの子は、みんないい子っていうか、余計なことを喋らないようによくしつけられてるから」
うん、こんな感じね。
と、一人で呟くミカリの眼には、今は被写体としての聡しか映っていないようだった。
「本音が聞けないのね。東條君は、素で話してくれる貴重な子」
「…………」
「感謝してるよ」
―――そっか……。
あ、ひょっとして、俺、今、ふられた……のかもしれない。
衝撃と、苦しさをごまかしたくて、聡は、ただ、うつむいて笑った。それだけしかできなかった。
「私のこと好きだったら、悪いとは思うけど」
が、ミカリはあっさりと続けた。
「世界が違うわ、東條君。これは君のためだからはっきり言うけど、私なんて女としては最低ランク、アイドルだって自覚あるなら、間違っても好きになっちゃいけないタイプ」
「…………」
そんなこと――。
そんなこと、考えたこともない。
そんな理由で人を好きになれないなら、アイドルなんて今日限りで廃業する。
が、ミカリが聡を受け入れられない理由は、それが原因ではなくて、今のはただの慰めというか、言い訳だろう。
「なんてね、君のことは、私もちょっと悪かったと思ってる。おふざけがすぎちゃったかなって」
カメラから目を離し、ミカリはちょっと困ったように苦笑した。
「君があんまり可愛かったから……ごめんね。もう、二度とあんなことはしないから」
10
「なんか……今日は、」
控え室で、最初に口を開いたのはりょうだった。
「全員ちょっと、おかしくない……?」
聡は無言のまま、その声を聞いていた。
あと一時間で、歌のヒットテンのリハーサルが始まる。
本当はそこで、新曲「ミラクル」を披露するはずだったが、急きょ、ヒットメドレーに差し替えになった。
これもまた、将――つまり、事務所のクレームの結果らしい。
その将は、ヘッドフォンを耳につけたまま、書籍に何かを書き込んでいる。
実際、この中で唯一大学に通っている将は、暇があれば、勉強ばかりしていた。
憂也は、その将をあからさまに無視して、小泉をからかって遊んでいるし、雅之はぼけーっと外を見ている。心ここにあらず、という感じだ。
もう、いいや。
所在なくスポーツ雑誌をめくりながら、さすがに聡も、どこか投げやりな気持になっていた。
「ミラクル」を歌いたくない将の気持はよく判る。
昔から、将は、年上年下同級を問わず、あらゆる階層の女の子たちに、嫌というほどもてていた。いわゆるアイドルおっかけ連中にではない。まったくの普通の女の子に、普通に激モテ状態だった。
有名中学、高校に進み、服装もいつもおしゃれなシティーボーイ。一度見せてもらったキャンバスの写真、将を取り巻く友人たちも、全員、めちゃくちゃおしゃれでかっこいい奴らだった。
好きな音楽は洋楽。ゴスペルにソウルに、そしてことさら心酔しているのがラップ。STORM結成以来、自らが志願してラップの作詞に携わっているのも将だ。なんかもう、それだけでもジャパニーズポップしか聞かない聡には、カッコイイっと思えてしまう。
そんな将にしてみれば、いきなり子供向け特撮の主題歌をうたうなんて、冗談じゃない、という気持なのだろう。
かっこわるい。
実際、その通りだと、聡も思う。
が、そのかっこ悪い主題歌の、そのドラマの、主演をしているのは聡なのである。
―――いいんだ、どうせ俺なんて、
聡は投げやりな気持のまま、ばさっとスポーツ誌をテーブルの上に投げた。
その仕草に、りょうが眉をひそめているのが判る。
―――どうせ……俺なんて
他人に利用されるだけだ。
いつも受身で、自分の意思なんて、どこにもないんだ。
事務所に入ったのも、デビューが決まったのも。
なにもかも、この曖昧ではっきりできない性格のせいじゃないか……。
(―――聡、明日、六本木にいける?)
(―――オーディション、1次審査通ったんだって。行ってみなさいよ、どうせ受かるわけないんだから。)
ちょっと待てよ。
だって俺、野球やりたいし、こんなんしてたら、土日とか練習できないし。
(―――すごーい、聡、J&Mに入れるなんて、お姉ちゃんすごい自慢できそう。)
(―――がんばってね、聡、お母さん応援してるからね。)
だって俺、本当は歌も踊りも好きじゃないし。
(―――東條、夏のコンサートツアー、お前北海道メンバーに入ったからな。)
待ってくれよ。
今年は、バイトがしたいんだ。
俺、高校でたらアメリカ行って絵の勉強したいんだ。
もう、事務所は辞めるって、社長にも伝えたはずなのに。
(―――東條、お前来週記者会見だ。)
(―――なんて顔してるんだ、デビューだよ、曲のデモテープだ、これを明日までに歌えるようになってこい。)
だって、俺……
そんなつもりで、事務所に入ったわけじゃなくて。
(―――東條聡?いたっけ、そんな子?)
(―――ねぇ、どうして貴沢君じゃなくて、あんな目だたない子がデビューしたわけ?)
「あ、六時だ、セイバーやってるんじゃない?」
ふいにそう言って、立ち上がったのは憂也だった。
聡は、はっとして我に返る。
「みよーぜ、みんな、東條君の変身ポーズ、かっこいいんだ、これがさ」
「…………」
「…………」
全員が、それには応じない。
憂也の真意が、将に対する挑発だとわかっているからだ。
ばたん、と本を閉じ、将が立ち上がった。
耳からヘッドフォンを外し、髪をばさばさと手でかきあげる。
「俺、ちょっと外」
そのまま背を向けて、扉の方に歩き出した時だった。
「……将君さ……、もう、いいかげんにしろよ」
低い声でそう言ったのは憂也だった。
「いつまでガキみたいに我侭ぶっこいてんだよ、歌くらいなんだよ、そんなにカッコいい曲にこだわんなら、さっさとSTORMやめて、独立でもなんでもしろよ」
憂也をまるきり無視して出て行こうとしていた将は、その言葉に冷ややかな目線で振り返った。
「……独立ね、つか、それしたいのは憂の方だろ」
「……将君」
ため息をついて、りょうが立ち上がる。
が、それを押しのけるようにして、憂也が一歩前に出た。
「ああ、したいね。お前みたいな横暴なヤローとは、もうこれ以上一緒に組みたくねぇからさ」
「じゃ、しろよ、社長に言ってさ、さっさと事務所なんてやめちまえよ」
「将君!」
りょうがたまらず声を荒げる。
が、将も憂也も、ここ数週間の抑えに抑えた鬱憤が、せきを切ったように溢れ出しているようだった。
将の激情をはらんだ目は、ただ見ているだけの聡ですら、びびるくらいの迫力があった。
「そんな度胸もねぇくせに、えらそうに言ってんじゃねぇよ、ちょっと芝居で認められたのが、そんなに自慢か、綺堂憂也」
「……ふざけんな、コラ、クソ下手な中途半端なラップなんかにはまりやがって、お前こそ、それでいっぱしのアーティスト気取りかよ」
憂也を睨んだままの将が、拳で背後の壁を叩き、憂也は持っていたペットポトルを背後に投げ捨てた。
「しっ、将君、綺堂君も、ほらっ」
唖然としていた小泉が、ようやく我にかえったように間に入る。
憂は、その小柄な身体を簡単に押しのけた。
「俺がどうしようが、てめぇにいちいち言われたかねぇんだよ」
「それは俺のセリフだよ、お前に俺のなにがわかんだよ」
「いいかげんにしろよ!」
叫んだ後、聡は自分の声にびっくりしていた。
俺が――今のは、本当に、俺が叫んだ声なのだろうか。
全員が、びっくりしたように聡を注視している。
その雰囲気に気おされて、聡は慌てて視線を下げた。
「……もう……よせよ」
「へぇ……東條君でもキレるんだ」
憂也が、きまずさを誤魔化すように、乱暴に背後の椅子に座る。
「……しょ、将君の気持、俺……わかるから、だから……憂も怒るなよ」
どうその場を納めていいか判らず、聡はつまりながら言葉を繋いだ。
STORMのリーダー。
じゃんけんで決ったものだが、一応、自覚だけは常にしていた。が、実質、こんな雰囲気になるまで、聡はその役目を将に頼りきっていたような気がする。
「……俺の気持……?」
黙っていた将が、いぶかしげに呟いた。
聡は、その目が見れないままにうなずいた。
「お、俺が将君の立場でも嫌だと思うよ、……まともな歌じゃねぇし、グループのイメージ……ちょっと悪くなるし、ああいう番組の主題歌歌うと」
「…………」
りょうが何か言おうとして、あきらめてため息を吐くのが判った。
憂也は、そっぽを向いたまま振り向きもしない。
「俺の気持ってなんだよ、……つか、そんなくだらねぇことで、なんで俺が怒んなきゃいけねぇんだよ」
将の怒りが、その刹那はっきりと聡に向けられたことに、聡は普通に驚いていた。
「誰がセイバーのせいだなんて言ったんだよ、どうしてそういう考え方になるんだよ」
「……将君、」
「東條、お前さ、セイバー決ってからなんか変わったよ、芝居にも態度にも、投げやりになってんのが全部でてるよ」
「…………」
「事務所でつかんだ役だからかよ、だからテキトーにやってんのかよ」
「…………」
「なめてんな、確かにそんな気の抜けた主役がやってるドラマなんて、歌ってる方が恥ずかしいっつーんだよ!」
ばたん、と扉が閉まり、将の足音が遠ざかっていく。
少し躊躇ってから、りょうがその後を追って駆けていく。
聡は、茫然とその場に立ったまま、打ちのめされたように動くことができなかった。
セイバー。
一人で戦ってるなんて、絶対に思わないでね。
みんなが君を応援してる、みんなが君に、見えない力をくれてるんだよ。
そして君も、誰かの力になってるの。
ねぇ、セイバー
それを、絶対に忘れないで。
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