3


○大学のキャンパス
  女ともだちに囲まれているサトシ。
サトシ「僕……ちょっと、忙しくて」
愛 香「……そう、サトシはいつもいそがしいのね」
友人A「いいじゃん、愛、こんな奴ほっとこうよ」
友人B「こんな暗いのがいたってつまんないよ、ほっとこうって」
愛 香「ね、もし時間できたら来て、私、待ってるから」
  愛香、友人たちと共に去っていく。
  サトシ、追いかけようとする。その時、腕の通信機がなる。
サトシ「はい……北条です」
トモヤ隊員(声)「バカ野朗、何やってんだ、さっさと集まれっつってんだろ」

○ GANキャリーの中
  サトシ、一人きりで客席に乗っている。
サトシ「くそっ、なんだって僕がセイバーなんだ、なんだって、なんだって、僕が」


「カット!」
 東條聡は、握り締めていた拳を解いて顔をあげた。
 なんとなく雰囲気で判る。
―――ああ、また、駄目なんだ。
「東條君……」
 降木庭監督が、メガホンをポンポン手のひらで叩きながら立ち上がる。
 カメラさんがはあっとため息を吐き、機材を下げる。
 現場の雰囲気がゆるゆると緩む。
 東京某所にある鏑谷プロダクション。
 妙に年期の入った薄汚い建物。その内部に設けられたセットの中は、熱気でうだるほどだった。
 立ち上がったサトシ――ではない、東條聡の傍に、即座にマネージャーの小泉旬が駆け寄って、ペットボトルとタオルを手渡してくれる。
 出番の合間、スタジオの隅の扇風機で、顔面を冷やしつつの撮影だった。
 広すぎる撮影所。冷房はあってもなくても殆ど意味がないらしい。
「あのさ、ここはさー、第三話のラストのエンディングにかかる大切なシーンなわけ」
 監督が、渋面を作りながら聡を見下ろす。
「はい」
「そんなに難しいシーンかなぁ、もうちょっと、苦悩してる感じに演技できない?」
「……すいません」
 素直に答えながら、聡は内心、そんなラストってありかよ、と思っていた。
 女の子と遊べないからって、なんで僕がセイバーなんだ?……って、そこまで深刻に、どう悩めばいいというのだろう。
 で、判っていたが、ドラマとは本当に細切れの撮影だ。
 キャンパスのシーンから連続して進むのなら、感情移入もしやすいが、さっきまで聡は、戦闘機初乗りシーンの撮影をしていたのである。のりのりに感情を爆発させた直後に、「なんで僕が……」って、躁鬱激しい奴なのかよ、サトシは、……という感じである。
 そこは、まぁ、聡も若干のドラマ経験があるから、まだ判るし順応もしているつもりだ。
 が、一番納得できないのは、回ごとに矛盾しているストーリーと、あまりに適当すぎる人物設定だった。
 五十回の放映が予定されているセイバーには、実に4人の監督、そして同じ数だけの特撮監督がいて、そのそれぞれが、それぞれのスタッフを抱えている。
 台本にしろ、5人からなるライターチームが手がけており、そのせいか、連続した話でもどこか繋がりがぎこちない。
 怪獣や特撮、すなわちスーツアクターの闘いの部分には、それはもう、うんざりするほど力を入れているのがよく判るが、その分、出てくる人物の人間関係が、笑えるくらいありきたりに描かれているのだ。セリフ回しも古臭く感じられるし、言葉づかいが大げさだ。
 聞けば脚本家は、みな、特撮の現場スタッフあがりだという。ああなるほどな……と、聡はちょっとがっかりした。これでは、人を描けるはずがない。
「あの、すいません、東條君、これからミュージックスターの撮りが入ってまして……」
 わざとらしいくらい時計をちらちら見ていた小泉が、申し訳なさそうに降木庭監督に訴えた。
「わかってるよ」
 降木庭勇二。
 特撮ものの世界では、高名な監督らしい。
 年齢不詳な顎鬚とサングラスがいかにも怪しそうで、言っては悪いがアキバ系の典型みたいなおっさんだ。
 今日のスタッフは、その降木場組。やたらとグリーンバックの撮影が多い組だ。つまり、ほとんどの場面がCGで合成される。そしてこのグリーンバックで、ひとり演技させられるのが、聡は一番苦手だった。
 その降木場は、短気な気性なのか、ちっと大げさに舌打ちした。
「おたくの会社の都合も判るがね、こっちは週一ペースの五十回放送なんだ。ただでさえ、かつかつのスケジュールが、主役の都合にあわせて、ぎりぎりまで遅れてるってこと忘れないでくれ」
「ええ、それはもう」
 小泉はぺこぺこと頭を下げている。
「それと、主役が大根だからだろ」
 背後でぼそっと呟きが聞こえた。
 もう、悪いわよ。と女の笑い声がそれに被さる。
 嫌味を言ったのは、地球防衛組織「GAN」の隊員、柳トモヤ役の、尾崎智樹という男で、悪いわよ、と笑ったのはヒロイン愛香役の夏目純だった。
 グラビアアイドル夏目純のことは、出演が決ってから、ああ、そういや雑誌で見たことある……程度には知っていたが、尾崎のことは、まるで知らなかった。
 尾崎智樹。
 ドラマはこの作品がデビュー作、それまではメンズモデルのようなことをしていたらしい。聡を見下ろすほどの長身で、やたらルックスが男前である。
 で、演技も上手いし、絶対にNGを出さない、さらにいえばスタッフへの気遣いなんかも堂にいっていて、現場は彼がいると盛り上がって明るくなる。
 で、その出来すぎ尾崎に、唯一冷たく――というか、露骨なまでに無視されているのが聡なのだった。
 スタッフも、それを知っていて何も言わない。というより、これも主題歌騒動の余波なのか、現場全体が、意識して聡一人に冷たくしているような感じがする。
「行こう、東條君」
 雰囲気が冷え切っている中、ためらう聡の背を、そっと小泉が押してくれる。
「……失礼します」
 聡は頭を下げ、しつこいくらいため息をついている監督から背を向けた。
 実際、セイバーの撮りが始まってから、聡のスケジュールはまさに分刻みだった。
 毎週30分放送とはいえ、特撮の五十回は、スケジュールが本当にきつい。
 他の仕事を入れたくても入れられないし、仕事が重なれば、睡眠時間がまるでなくなることも珍しくなくなった。頭は常にぼーっとしているし、自分が今、何処にいる……という感覚さえなくなりそうになる。
 小泉がつきっきりでスケジュール管理をしてくれているが、そうでなければ、とんでもないポカをしてしまいそうで恐い。
「尾崎君、今日飲みに行こうよ」
「オッケー、町田さんも誘ってるけど行けるってさ」
 そんな声が、扉を閉める直後の聡の耳にも入ってきた。
 サトシが入隊することになった地球防衛組織「GAN」。
 そのメンバーは、何故か嫌味なほど美男子そろいで、全員年が近いせいか、何かにつけてはスタッフと誘い合って飲みに行っているらしい。
 むろん、聡一人、その輪の中には入れない。そんな時間もないし、そんな――雰囲気でもないからだ。
 配役は、聡が一番最後に決ったらしく、撮影に入ったのも主役でありながら一番最後だった。その時には、現場の雰囲気はすでに出来上がっていたのだ。
―――アイドルの東條君。
 みんなそんな目で東條を見ていたし、全員が一線を引いているのがよく判った。
 というより、伝統あるミラクルマンの主役に、アイドルが抜擢されたこと自体に、スタッフ全員がひどく反感を感じているのがよく判った。いまだ、主題歌のCD発売の目処がたっていないことも、彼らがJ&M……ひいては、その代表である聡に、反感を覚えている一因になっているのかもしれない。
 なんにしろ、撮影に行くたびに監督から照明からメイクまで、その都度まるで違うスタッフに取り囲まれ、いまだ現場にも全然馴染めない。
 交わされる会話は外国語のようで、彼らの本性は全員オタクじゃないかと思う。いい年をした中年男がガンダムやフィギュアなどの話で熱く盛り上がっているのを聞くと、正直少し寒くなる。
―――ああ……早く終らないかな。
 まだ三話目の撮りの最中で、早くも聡は音を上げそうになっていた。


                    4


「東條くん」
 駐車場まで出た聡は、驚いて足を止めていた。
 夕暮れのスタッフ用駐車場、闇からすうっと滲み出てくるように、見慣れたスレンダーの、が、胸元だけが豊満なボディが現れる。
「あ、阿蘇さん、今日はよろしくです、時間なくて、ほんっと悪いんですが」
「いえ、こちらこそ無理を聞いていただいて」
 小泉は、事前にミカリが来る事を知っていたらしく、ぺこぺこと頭を下げている。
 聡はまだ、信じられないまま、わずか数メートル前に立つミカリの横顔を見つめていた。
 好きな人に不意打ちで会うって、こんな気分なんだろう。心臓に、いきなりクイを刺されたみたいだ。
 ぼうっとしている聡の耳元に、そっと小泉が口を寄せてくる。
「ごめん、東條君、撮りの最中に取材の依頼が入ってさ、スケジュールいっぱいだって言ったら、移動の車の中でいいっていうから」
「……あ、ああ、それは」
 いいんだけど。
 聡は慌てて、シャワーさえ浴びられなかった汗臭い身体に目を向けた。
 機密性の高いスーツを着せられて、ロープでつるされたりなんかしたもんだから、もう全身汗みずくだ。
―――うわっ、サイテー、俺、コロンも持ってねぇし。
 わたわたしても逃げ場はない。
 戸惑う間もなく車に押し込まれ、その隣にふんわりと柔らかな身体が寄り添うように腰掛けてくる。
「ごめんね、疲れてるのに」
「……いえ、全然っ」
 元気よく答えたものの、実際は泥のように疲れていた。このまま眠ってしまいたいくらいに。その、隣にある柔らかそうな――
 膝上のスカートからのぞく形よい腿。
 聡は咳払いして、毒のような光景から眼をそらした。
「実は、うちの誌でね、特撮ヒーロー東條君の特集組む事になったの」
 走り出した車の中で、テープをごそごそ出しながらミカリが言った。
「そんなの売れるんですか」
 ミカリから、極力身体を離しつつ、思わず聡は自嘲気味に苦笑する。
 ミカリの会社――冗談社が出す雑誌、ザ・スクープは、確か若年の主婦向けだったはずだ。
 が、顔を上げたミカリは、意外そうに眉をあげた。
「何いってんの、今、イケメンヒーローは主婦に大人気なのよ。知ってるでしょ、マスクライダーシリーズやファイブレンジャーシリーズから、ぞくぞく人気俳優が出てきてるの」
 ハスキーな声は、いつものように抑揚がないが、それでもいつものように聡には心地よかった。
 こないだまで全然興味なさそうだったのに――。
 と、それは思ったが、口には出さずに素直に頷く。
 おおかた社長の九石さんに指示でもされたんだろう。取材の時だけ、ミカリはいつも活き活きする。そして聡が喋る間もないくらいよく喋る。
「オダギリ丈二さんとか……雅集俊樹さんとか、そういえばそうっすね」
「永田大君や、遥潤君とか……、とにかくね、特撮は今、若手俳優の登竜門なの。注目されてるのよ、東條君も」
「はは……」
 そうだろうか。
 確かにマスクライダー……仮面を被って等身大のヒーローがバイクにまたがり、人間社会にひそむ異世界の怪人を倒すシリーズ。
 そしてファイブレンジャー。赤、青、黄色、緑、ピンク、スタンダードなスーツに身を包んだ5人の戦士が、やはり異世界の怪人を倒すシリーズ。
 サン・テレビが二十年近く続けている二大特撮シリーズは、ミカリの言うとおり、ここ数年、主婦を中心に人気が爆発し、今は若手俳優がこぞってオーディションに挑む人気ドラマ枠となっている。
 しかし、ミラクルマンは……それとは少し違う気がする。
 なにしろ、巨大化したヒーローなのだ。変身したら最後、銀と白の全身スーツ人間が現れ、人の言葉すら話せない。シュバッとか、デュワッとか、それも聡がアフレコをしているのだが、そんな言語しか発しない。
 で、敵は、唐突に出現した巨大怪獣。
 味方は、昔のマンガに良く出てくる地球防衛軍(何故か全員日本人)。
 ありえねーっ
 と、第1話の台本を見て、思わず叫んでしまったほどだ。
「じゃ、聞くけど、子供の頃、ミラクルマンは見てたわけ?」
 テープのスイッチを入れる指が綺麗だった。
 この人は、本当に、どこもかしこも綺麗だな、そんなことを思いながら、聡はちょっと困って髪に手を当てる。
 恋するミカリを前にすると、聡は営業トークができなくなる。ついぽろっと本音で喋って、あとであっと思うのだが、今日は、――いいや、と、どこか投げやりな気持ちもないではなかった。
 それだけ疲れていたし、さっきまでの現場にうんざりしていたのかもしれない。
「見てるって……ことになってるけど、見てない」
「と、東條君!」
 運転席の小泉が慌てて口を挟む。
「いいわよ、都合の悪いところはカットするから」
 ミカリが即座にそれを制する。
「で?」
「……うち、姉貴がチャンネルの主導権握ってたから、そういう番組は、見せてもらえなかった……マジで、名前くらいしか知らなかったかな」
「じゃ、決った時はどう思った?」
「……うーん、よくわかんねぇなって感じだった。本屋で絵本とか見て、冗談だろ、って思った時には、もう何もかも決ってたって感じ」
「嫌だったんだ?」
 さらりと、いつもミカリは核心をついて聞いてくる。こんな風に、プライベートでも核心をつかれたいといつも思うのだが、そっちの方では、いつも上手に避けられる。
 聡は、ちょっと嘆息してから、視線を窓の外に向けた。
「まぁ、決った以上は……逃げられないし」
 芸能界というのは、どんなささいな仕事でも、そこに、信じられないくらい多くの人間の立場や人生が絡んでいる。
 それら全てを敵に回し、哀しませたり困らせたりすることは、絶対にできない。その気持ちは、デビューする前も今も変わらない。
「デビューもそうだったね、東條君」
―――え……?
 いきなりそう振られて、聡は戸惑って視線を戻した。
「お姉さんがオーディションに応募したんでしょ、で、よくわかんない内にデビューが決ってた」
「……………」
「いつも受身なんだ。そういう性格?」
「…………」
 いつも受身なんだ。
―――それは……どういう……。
 どこか意味深な言葉は、もしかして、この人と自分の関係を言っているような気がした。
 デビュー前、同行したMARIAの北海道ツアー。
 バスから転がり落ちた荷物を拾ってもらったのが、そもそも、この女性との馴れ初めだった。その際、すっと手渡された名刺一枚が。
 冗談社・記者
 阿蘇 ミカリ
 それをまだ、聡は大切に持っている。
 憂也と、当時のキッズのメンバーが喧嘩するような騒ぎがなければ、それでも電話などしなかったと思う。
 姉以外の女性と二人きりで会うのは初めてだったし、最初は何を言われても聞かれても、ハイ、としか言えなかった。
 あれから二年。
 当時も今も、ミカリの目的は、聡の口を通じて知ることができる、J&Mの――主にSTORMの内輪ネタだというのはよく知っている。
 それでも、電話があれば嬉しいし、呼び出されれば時間と環境が許す限り出向いている。
 憂也や雅之などは、もう完全につきあっていると信じ切っているようだが、実のところ、そういう関係では全くない。いや、全く、というわけでもないのだが……。
「…………あー、すいません、なんか電波が、」
 言い訳交じりにそう言って、小泉がふいに車を路肩につけたのはその時だった。
「ちょっと社に電話いれてきます。渋滞で……リハに間にあいそうもない」
 慌しくそう言い、小泉が携帯を掴んで車を降りる。
 その間隙を縫うようにしてミカリの指が、そっと聡の指を包み込んだ。
 影がかがみこんできて――キス。
―――あ……やば、
 疲れてる時って、勃ちやすいってマジなんだ……。
 そんなことを思いながら、聡は急いで唇を開いた。
 体臭が、映りそうなほど近くにある。
 真っ白な肩に綺麗な鎖骨。
 不思議だった。離れている時は、この人がひどく年上で――手の届かない人のように思えるのに、こうして身体を密着させていると、ただの華奢な、包み込んだら壊れそうなほど弱々しい女性に思えてしまうのは何故だろう。
 近すぎる睫が震えている。
 このまま、何もかも忘れて、この先に進みたい衝動にかられる。いつも――いつも、キスされるたびに。
「すいません、おまたせっ」
 バタンっと扉が開いて、出て行った小泉が戻ってくる。
 その時には、もうミカリはクールな表情を取り戻していた。
「じゃ、続きしようか、東條君」
「は……はい」
―――う……、そっちじゃない方の、続きがしたい……。
 聡は嘆息しながら、動くに動けなくなった下肢を所在無く見下ろした。
 こんな関係が、もう二年も続いている。
 確かに聡は、二年間、いつも受身のままだった。感情的には相当攻めているはずなのだが、無論それは、微塵も表に出せてはいない。
 判っているから――このキスが、ただの報酬だということが。
―――人の心が読めるなら
 ミカリのハスキーボイスを聞きながら、聡はふと思っていた。
―――この人は、僕をどう思ってるんだろうか。
―――時々してくれるキスに、何かの意味があるんだろうか。
―――本当はいくつで、昔はなんの仕事をしてて、こんなに綺麗で頭もいいのに、どうして冗談社なんかに入ったんだろうか。
―――なんで……時々
「東條君?」
「あ、はい、えーと、なんでしたっけ」
「もう、人の話はちゃんと聞いて」
 切れ長の眼が柔和になる。その顔を見下ろした聡は自然に微笑していた。
 この人の、この笑い方が、俺は、本当に大好きだ。だけど、どうして。
―――時々、すっげ、寂しそうな目で、どこか遠くを見てるんだろうか……


                  5


サトシ(声)「 僕は……本当は交通事故で死んでいた。それをセイバーに救われたんだ。セイバーは、力を継承する肉体を求めていた。でもなんで?なぜそれが、僕でなきゃいけなかったんだ……?」

○ 渋谷の交差点に立っているサトシと愛香。信号が青になり、人がいっせいに動き出す。途中で足が止まるサトシ。愛香も同時に足を止める。

愛香「サトシ君、どうしたの?」
愛香(声)「どうしたのかしら……本当にへん、この人って」
通行人(声)「なんだ、こいつ、ぼけーっとした顔しやがって」
通行人(声)「頭おかしいんじゃないの」
通行人(声)「へんな人、目、あわせない方がいいみたい」

サトシ(声)「やめてくれ」

○ トラックの運転手、横断歩道の半ばに立つサトシに気付く。
運転手(声)「なんなんだ、この兄ちゃん、やばいんじゃねぇの」

サトシ(声)「やめてくれ、こんな力なんていらない。僕は、人の心なんて読みたくない」

○ 再び横断歩道 愛香とサトシ
愛香「ねぇ、どうしたの、気分でも悪いの」
愛香(声)「もう、いいかげんにしてよ、こんな人につきあった私が馬鹿だったわ」
サトシ「うあああああーっ」


 
「カット!」
 声の口調で判った。
 一応合格、が、監督の降木庭には不満の残るカット。
「いいんすか」
 隣に立つ助監督が低く囁いている。
「しょうがねぇだろ、タイムオーバーだよ」
 エキストラがばらばらと引いていき、歩道に詰め掛けていた見物客から、きゃーっという悲鳴があがった。悲鳴、というか歓声。
「東條くーん」
「かっこいいっ、最高っ」
 上空では、ぱらぱらとヘリの音がする。
 このシーンは、同時に空中からも撮影されているのである。
 ヘリと、百人近いエキストラを動員して、通行する車まで止めて、たったこれだけの……叫びのシーン。
 正直、バカみたいだな、と聡は思っていた。
 ドラマなんてこんなものなのだろうか。
 舞台やステージは違う。何回も同じシーンを繰り返し繰り返し、それこそ喉が枯れ、足に血まめができるほどレッスンして稽古して、そして本番。気持も身体もぱんぱんに張詰めて、一気に駆け抜けるようにそれを開放し――そして、終わりを迎える。その満足感が、ドラマではいまいち感じられない。
 確かに何度も叫ばされたが、実際、なんのために叫んでいるのか、聡には上手く理解できないままだった。
「あのさぁ、東條君……」
 顎鬚をごしごしやりながら、降木場が歩み寄ってきた。ロケバスに乗り込む直前、バスの周辺には、ファンが色をなして集まりつつある。
「君、台本とかよく読んでる?理解してる?」
「え……はぁ、一応」
 読むもなにも、撮りの分までしか手渡されていないのである。実の所、聡にも、この話がどうなっていくのかまるで判らない。
 しかも、話の半分以上は、変身後のセイバーである。聡の出番は、アフレコの「デワッ」とか「デュワ」とか、そんなのばかりである。正直、読むのさえ馬鹿馬鹿しくなる。
「いいんだけどさ、……まぁ、無理かなぁ、ドラマは初めてだったよね。慣れないか、こういう撮り方は」
「……いや、……別に」
 そういう問題じゃない。
 聡は初めて、同じ仕事をするスタッフに対してむっとした感情を覚えていた。
「初めてじゃないです……バラエティで……少しやったこともあるし」
「そういうのと一緒にされてもね」
 降木場は苦笑したが、くだらないのはどっちも同じだろ、と聡はめずらしく反抗的なことを考えていた。
「ま、構成は視聴率でも変わってくから、僕にしても先がこうなるとは、はっきりいえないんだけどさ」
 聡の顔が強張ったのを察したのか、降木場は疲れたように嘆息した。
「もう一度、設定資料とか細かいとこまで読んでみなよ、東條君、言っちゃ悪いけど、君の演技は学芸会なみだ」
 演技の問題じゃなくて、内容じゃないか。
 それは口には出せなかった。が、自分の気持のどこかが、ひどくささくれだっているのが、聡自身もよく判った。普段なら――スタッフに何を言われても、こんなにやぐされることはないのに。
「……すいません、次の仕事はいってますんで」
 小泉がおどおどと口を挟む。
「なんなの、あのおっさん」
「ちょっとー、聡に何いってんのよ、デブ!」
 そんな声が詰め掛けたファンの間から起きている。まさか聡に注意しているのが、この場で一番えらい人だとは知らないのだろう。
 聡は何も言わないまま、黙って車に乗り込んだ。
「このシーン、使えますか」
「ラッシュ見てみるまでなんともな、それより、主役が使えない分、トモヤの出番増やすようにライターに言っといてくれ」
 背後で、監督と助監督の声が聞こえる。
 小泉が、その会話を遮るように慌てて車のドアを閉めた。
 沿道では、詰め掛けたファンらしき女の子が、まだきゃーきゃーと大騒ぎしている。
 聡は、無言で目を閉じ、キャップを深く被りなおした。
 わずかに芽生えかけていた演技へのプライドが、この刹那、がたがたと崩れていくような気持だった。




 セイバー
 人は身勝手で汚い生き物だけど、それは寂しくて弱いから。
 その力はね。
 あなたを救うのと同時に、みんなを救うためにあるんだよ。
 がんばれセイバー
 負けるなセイバー
 どんなに強くなっても、その優しさを忘れないでいてね。










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