がんばれセイバー
 負けるなセイバー
 悪いやつらをやっつけろ。
 どんな敵がきても、あきらめるな。
               



                   1


「スーパーマン?」
「まぁ、それに近い感じで」
 東條聡は、所在無く頭を掻いた。
「ミ、……ミラクルマンセイバー……って、いうんすけど」
「ふぅん」
 ベンチの横に座り、興味なさげに聡の話を聞いていた女は、やはり興味なさそうに鼻を鳴らしただけだった。
 午後の公園。
 都会のオアシスのように、ビル街の間隙にひっそりとある公園には、日が翳ってきたせいか、子連れの母親の姿がちらほらと見える。
 多分、ばれることはないよな、と思いつつ、聡はキャップを深く被りなおした。
 まぁ、素顔で街中を歩いていても、まず「あっ、STORMの東條君っ」と、呼ばれることなどないくらい――自称、限りなくパンピーに近い芸能人なのである。
 身長もさほどないし、顔立ちも平凡、自分でいうのもなんだが、アイドルと一般人の差なんて、本当に紙一重かそれ以下のもんだと思う。
 それでも今日ばかりは、素性を隠さないわけにはいかなかった。
 自分はよくても、隣に座っている女性に迷惑がかかってはいけないからである。
「セイバーって、saviour……えっと……救世主って意味で」
 どこかつまらなそうに、砂場で遊ぶ子供たちを見ている女――知り合ってかれこれ二年になる芸能記者、阿蘇ミカリ。
「へぇ」
 ミカリは、聡の言葉を聞いているのかいないのか、頬杖をつき、ぼんやりと前を見たまま曖昧な相槌を打つだけだった。
「今度、第一回がオンエアされる……あ、まぁ、一応試写会みたいなのは、あったんすけど」
「ふぅん」
 俺の話、つまんないのかな。
 と、聡は思った。
 まぁ、――そうなんだろう。
 聡は二十歳少し前、で、ミカリは多分、それより五つか六つ年上のはずである。今までもそうだが、取材――芸能記者であるミカリの本職を抜きにした部分で、二人の会話が盛り上がったことは一度もない。
「一応、……その、主役っていうか」
「ま、そりゃそうでしょ、仮にもアイドルなんだから」
 初めてこちらを見て、女はおかしそうにくすっと笑った。
 笑うと切れ長の目じりがさがって、少しだけ優しい顔になる。
「…………あ、まぁ、そうっすね」
 えーと、初主役なんすけど。
 その言葉は、言い出せないままに曖昧な笑みに変えてしまった。
 昔からの癖。
 いい癖だと言ってくれる人もいれば、そういうところが嫌いだとはっきり言われたこともある。
―――この人は……。
 聡は、飲み干したジュースの空缶を所在なく弄びながら、自分よりいくつも年上の美貌の女性を見下ろした。
 そのどっちのタイプなんだろう。
 俺みたいな奴を、好きといってくれるタイプなのか、嫌いとばっさり切り捨てるタイプなのか。
 二人の目の前を、からからと音を立てて、ベビーカーを押した母親が通り過ぎていく。
 今、何ヶ月くらいなのだろうか。こちらを見てにこにこする赤ん坊があまりに可愛くて、聡は思わず手を振っていた。
「……あたし、子供ってキライ、なんだか牛乳臭くない?」
 ミカリはふいにそう言うと、物憂げに立ち上がった。
「あ……、あ、スイマセン」
「子供好きなんだね。聡君は」
 くすっと笑うその表情は、聡を完全に子供扱いしている笑い方である。
 実際、20代後半のミカリは、聡には未知の領域にいる人だった。
 正直言うと、何を考えているのかよく判らないし、冗談社という芸能雑誌社に勤めているという以外に、彼女の私生活は全く知らない。
 知らないままに、なんとなく二年近く、こうして時々呼び出されるままに会っている。
 目的は――取材、というか、聡の口を通じて知ることができる、J&Mに所属するアイドルたちの素顔―――つまり裏話。
 むろん、差しさわりのないことしか話していない(というよりあまりよく知らない)が、話がつきても、大抵はわずかな間、ミカリは聡の傍にいて、たわいもない会話につきあってくれるのだった。
 まるで――それが、情報提供の報酬であるかのように。
 そして時には、それ以上の報酬をもらえることもある。
「……なぁんか、喉渇いたな、アタシ」
「あ、はい、ジュース買ってきますっ」
「ごめんね」
 俺、ご褒美ほしくて尻尾振ってる犬みたいだな、と、走りながら聡は思った。
 芸能界では、冗談社の阿蘇ミカリ、といえば、少しばかり有名な美人記者で――何人もの若手俳優が、そのセクシーボディに悩殺されているとも聞いている。
―――まぁ、つまるところ、……俺も、悩殺されてる輩の一人なんだろうな。
 そう思うと、ほとほと情けなくなる。が、それでも呼び出されればほいほいと出て行くのは、もう恋のなせる業としか言いようがない。
―――しょうがないよなぁ、好きになっちまったもんなぁ。
 その感情は、もう、一年以上も前から――最初にご褒美をもらった時から自覚している。
 この関係が、100%片思いで、聡といても、ミカリが心から楽しめていないということが判っていても、である。
 今も、所在無く公園のフェンスに背を預け、空の一点を見つめている女の横顔は、聡には、まるで理解できない表情を浮かべていた。
「じゃ、ごめん、あたしちょっと用事あるんで帰るわ」
 聡の差し出した缶ジュースを一口飲むと、ミカリはあっさりとそう言った。
 鼻にかかったようなハスキーな甘い声。頬骨に影を落とすくらい長い睫。
 抜けるような色白で、目も髪も、ナチュラルに色素が薄い。
 振り返った時、さらっと肩に落ちた髪から甘い匂いがした。
 華奢な首にはごついカメラ機材がぶらさがっている。それが、聡が一度としてまともに正視できない胸の間で、重そうに揺れている。
 この女性の本職は――芸能記者兼カメラマン。
 芸能スクープ専門記者に、あろうことかその被写体であるアイドルが惚れてしまったわけである。もう、どうにでもしてくださいという感じだ。
 聡がぼけっとしたまま、その横顔を見つめていると、女はいぶかしげな表情になった。
「……行くけど、いい?」
「あ、あ、ハイ」
「またね、聡君」
「あ……また、」
 ああ、また今日もこれだけか。
 今からメシでも。
 あ、今日俺仕事オフで。
 観たい映画とかないっすか。
 いくつも用意している言葉は、いつものように最後まで口には出せない。
 こんな時、将君なら視線で女を釘付けだ。
 憂也はいいかげんな奴だけど、トークだけは上手いから飽きさせることがないだろう。
 りょうは黙っているだけで、絶対相手が離れはしない。
 雅之は……どうだろう。最近の雅は、実はよく判らない。
 と、そんな莫迦なことを思っているうちに、エンジンのかかる音がして、公園脇に止めてあったミカリの車があっさりと遠ざかる。
「ねぇ、あのお兄ちゃん、ふられたよ」
「しっ」
 砂場にいた男の子がこちらを指さし、母親に叱られている。
「……なさけねー」
 聡は小さくうめき、そしてがっくりと肩を落とした。


                   2


「よっ、お帰り、ミラクルマン」
 控え室に入ると、からかうようにそう言って、雑誌から顔を上げたのは片瀬りょうだった。
「それ、新聞の見出しにもなってたじゃん、新ミラクルマン東條!」
 隣に座っていた綺堂憂也が、相槌を打って手を叩き、この男の癖で鼻に抜けるような独特の笑い声を上げる。
「はは……」
 聡は曖昧に笑い、それでも「シュワッ」と決めのポーズをやってみせた。
「すげっ、超似合ってる」
「東條君が、まさかミラクルマンになるなんて想像してなかったよ」
「で、まさか俺らがその主題歌を歌うことになるなんてなー」
 楽しそうに話す二人の傍をすり抜けて、聡は部屋の隅に腰を下ろした。畳敷きの部屋で、長机には弁当とペットボトルが並んでいる。
 準レギュラーを勤めているバラエティ番組「SAMURAI・ロード」の撮り待ち時間で、今日の出番は憂也と聡、そして今撮りをやっている柏葉将の三人だけのはずだった。
 一時間もののバラエティなら、撮りは正味2日で終る。そして、呑気に台本らしきものをめくっているりょうの出番は、昨日で全部終ったはずだ。
「俺、四時からBスタでドラマ撮り、ここにいる方が落ち着くから」
 聡が何か言う前に、りょうはそう言うと、手にした台本をちょっと上に上げて見せてくれた。
「いいねぇ、売れっ子さんは」
「売れてねぇよ」
 憂也につっこまれ、むっとした風のりょうだったが、実際、片瀬りょうは、STORMの中では1番多忙な男である。
 雑誌の取材は1番多いし、ドラマでも、重要な役ばかりもらっている。
 好きなタレント、アーティスト、抱かれたい男……などの特集があると、単独でトップ10に食い込むのは、STORMではりょうくらいだ。
「なになに、ベッドに押し倒し、無理矢理キス、前から好きだったんだ……って、マジ、お前こんなことやるわけ?」
 と、その傍らでりょうが手にしている台本をのぞきこんでいる憂也にしても、知名度はりょうに勝るとも劣らない。今年の新人映画賞は、多分、この憂也の総取りになるのではないかと囁かれている。
 この春主演した青春映画は、大ヒットはしなかったものの玄人筋での評価が高く、俳優綺堂憂也の名前をはっきりと日本芸能界に印象づけた、という感じだ。
「へー、そっから先は、白紙なんだ、アドリブでエッチしろってこと?」
「…………」
「つかさ、こんなの真白ちゃん見たらショックじゃない?」
「…………」
「なぁ、前張りってつけたことある?」
「っるせぇなぁ、黙れっつーの!」
 普段寡黙で、滅多に表情を変えないりょうがマジギレしている。
 その……マジギレした横顔に、思わず聡は見惚れていた。
 男らしい。そして怒ってる顔でさえ花がある。これが、そう、オーラ煌く芸能人の横顔だ。
 そして、ふと寂しくなった。
―――こういう顔は、多分……俺には絶対に出来ないよな。
 聡からみた片瀬りょうは、不思議なアンバランスさを持つ男だ。 
 冷めていて、ふわりと軽い感じがするのに、時折、野性的な迫力を見せ、ライブの時は別人のようにワイルドになる。それが計算されているのかいないのか、スイッチの切り替わりが絶妙で、ファンの女の子たちは、そんな意外性を場面場面で見せ付けられているから、多分、めろめろになっている。
 性格も、雰囲気と同じでバランスが取れていない。
 クールそうに見えてお人よしの人情家だし、器用なのに、人付き合いが不器用だ。軽薄で不真面目そうに振舞っていながら、実は超がつくほど生真面目――、これは、STORMだけでなく、キッズ時代を共にした誰もが知っていることだ。
 聡は、そのアンバランスさを、りょうなりの計算だと思っている。自分の本性や本音を、他人に見せないため、自然に身に付いた演技だろう、と。
 が、本音を見せたがらないということは、ほっておくと、どこまでも自分一人でためこむということだ。
 聡が……りょうのことを、唯一不安に思うのが、その部分だった。
「ラブシーン、やってないなぁ、つか俺、最近キスもしてねー」
 と、りょうに相手にされないので、天井を仰いでぼやくのは綺堂憂也。
―――キスって……憂也にもそんな女がいたのかよ。
 聡は、その独り言にびっくりしていた。
 聡から見た憂也は、一言で言えば、火星から来た人だ。
 つまり理解できない。というか、想像さえできない。色んな意味で、想像の範疇を超えている。
 さばさばとしてあっけらかん。……に見えて意外に、というか相当執念深い。
 中学、高校の時、「俺、全然勉強してねぇ」といいつつ、百点をあっさりとるような嫌なタイプに少し似ている。いたずらされて「いいよ、気にしてない」と笑顔で言いつつ、一年後、されたことの何倍もの仕返しを、眉ひとつ変えずにやってしまいそうなタイプ。
 が、憂也の場合、そんな底意地の悪さも、まるで嫌味にならない不思議さがある。
 とにかくよく嘘をつく男だ。口の端にあんこをつけて、「饅頭?食ったの俺じゃないよ」と絶対に真顔で言える。で、聡は常に騙されてしまう。その表情が、どう見ても嘘を言っているように見えないからだ。そう――その、猫科の獣のように煌く切れ長の瞳に見つめられると、なんだかくらくらと幻惑されてしまうのである。
 天性の明るさと、その場の空気が即座に読める回転の早い頭、そして何をしても言っても嫌味にならないキュートさ。実際、コンサートなどにいくと、ファンは憂也を見て「かわいい〜」と必ず叫ぶ。
 えっ、と、その他のメンバーは一様に愕然とするのだが。だって実際の性格は可愛いなんてもんじゃない。
 そして……その憂也の、不思議さというか、真骨頂がいかんなく発揮されるのが、演技という分野なのである。
 ドラマにしろ、映画にしろ、キャメラの前では、まるで別人の憂也がそこにいる。
 上手い。
 現場に入った途端、まとった空気が別人になる。その瞬間は、見ていて鳥肌が立つくらいだ。昨年逝去した日本映画の巨匠渡辺明宏が「綺堂という新人はいいね、久々に使ってみたい俳優がようやく出てきたという感じだ」と映画雑誌に寄稿したのは有名な話だ。
 トークも上手い。
 バラエティでも、コンサートのMCでも、トークの掛け合いが絶妙で、どんなすべった話題でも即座に立て直して笑いをとる。それが憂也だ。
 ある意味、憂也は天才だと聡は思う。正直、アイドルで収まる器ではない。
 が――その反面、憂也が我侭で、人一倍自己顕示欲が強いことを、聡はよく知っている。
「あれ、もう読まないの?」
「うるせぇな、セリフは頭に入ってんだよ」
 憂也とりょう。
 並んで座っている二人とも、シャツにジーンズ、簡単な普段着なのに、そこにいるだけで空気が違って見えるほどかっこよかった。
 腕時計、ネックレスにリストバンド、ベルト、小物のチョイスと組み合わせだけで、褪せたジーンズもシンプルなシャツも、ジャケ写にそのまま使ってもいいくらい引き立ってみえる。
 2人の持つ独特のセンス――。それがなせる業だ。
 つけやきばの努力や勉強では、決して身につかないもの。
 そして、STORMで一番……J&Mの中でもずばぬけてセンスがいい、と、聡が密かに思っているのが、ここにいないメンバー、柏葉将だった。
 で、俺……
「…………」
 聡は、トップスからボトムまで決めに決めた服を見下ろした。
 最新の流行を追った服、でも、どこかぼんやりした自分の顔や雰囲気には、あまり似合っていないような気がする……。
 まぁ、いい。それはもうあきらめている。
 他のメンバーと自分を比べると、底なしの自己嫌悪に落ちていくだけだ。
 聡は部屋の隅に腰を下ろすと、鞄からこそこそ台本を取り出し、膝で隠すようにして覗き込んだ。
 明日は、新番組「ミラクルマンセイバー」のオンエアを記念した記者発表が予定されているのである。
 その記者発表用の台本。主演の聡だけでなく、J&Mからは唐沢社長も出席し、制作プロダクション「鏑谷プロ」の社長も交えての大掛かりなプレミア記者発表会になるという。
 実際、聡の父親世代では神話的な人気を誇った特撮番組ミラクルマン。生誕40周年を記念し、十年ぶりにはじまったテレビシリーズ「ミラクルマンセイバー」は、放送する共同出資社ジャパンテレビにしても、制作の鏑谷プロにしても、相当気合の入った作品らしかった。

○ スモークの中、変身後のセイバー登場。
○ 主題歌に乗って、怪獣と戦う。
○ 再びスモーク、照明消えて、サトシ登場。

「……サトシはねぇだろ……」
 聡はため息をついていた。
 役名が、そのまま、サトシなのである。北条サトシ、なんとも気のはいらない適当な名前。というより、東が北になっただけかよ、といった感じである。

東條 「子供の頃から、ミラクルマンに憧れてました、自分がやることになるなんて、夢みたいだし、今でも信じられないです」
司会「サトシはどういう役どころですか」
東條「気の弱い、どこにでもいる大学生です。それがいきなりミラクルマンの力を得て、戸惑うというか、苦しむというか……この物語は、セイバーが地球を救うというよりは、サトシ自身の成長を描いた物語だと思ってください」
司会「セイバーは、変身したら人の心が読めるようになるそうですね。東條さんは、もし、人の心が読めるとしたら、誰の気持を知りたいと思いますか」

「東條、それはもちろん、このドラマを見てくれる子供たちの気持ですよ……って、なわけねぇだろ!」
 そんな声と共に、がつん、と頭を叩かれる。
 聡は泡をくったが、無論そんな真似をするのは憂也だった。
「なぁ、東條君、男が気持を知りたいっつったら、そりゃ、ガキなんかどうでもいいよな」
「み、みんなよ、勝手に」
 聡は慌てて台本を抱え込む。
 膝ですりよってきていた憂也は、少しだけ鼻白んだ顔になった。
「なんだよ、隠すことないじゃん、明日は社長引き連れての会見だろ、すげえじゃん」
「すごいよな、うちの社長が表に出ることなんてないもんな」
 憂也とりょうは真顔で言っているが、彼らにこの役が来たら、どうだったかな、と聡はふと思っていた。
 そんな風に、人事のように感心していられるだろうか。
 子供向け特撮番組のヒーロー役。
 聞こえはいいが、本格俳優を目指すなら、決してやりたがるはずのない役である。
 一度こういった役をやると、色物俳優として役柄が固定されるというのもあるし、なんといっても、巨大化したオーソドックスなヒーローが、着ぐるみ怪獣と戦うという、失笑したくなるような設定なのである。
 どんなに人気が出たところで、扱われる雑誌は、楽しい幼稚園とか、めばえとか、テレビくんとか、そんな所で、りょうのドラマのように女性誌やテレビガイド誌で特集が組まれることもない。憂也のように、映画賞がもらえるわけでもない。
「つかさ、そこんとこは、ちゃんと小泉ちゃんが話つけてくれないと」
 半開きの扉の向こうから、苛立った声が聞こえてきたのはその時だった。
「いや……僕は、現場マネージャーで、そこまでの力というか、そんなものは」
 おどおどした声がそれに被さる。
「テレビ用の曲は絶対にオンエアでしか流さない。コンサートでも歌番組でも歌わない、それが最低限の条件だって言ってるだろ!」
 柏葉将の声。
 会話の内容で、聡は、それが「セイバー」の主題歌「ミラクル」のことだと理解した。
 バタン、と扉が乱暴に開く。
 そこに聡がいたことが意外だったのか、疲れを滲ませた柏葉将の目が、わずかに戸惑った風にも見えた。
「あ……来てたのか」
「うん、ちょっと早いけどさ」
 聡は、気にしてないよ、と言いたくて笑顔を向ける。
 将は、眉をひそめたままで肩をそびやかし、
「とにかく歌詞の出来が悪いからさ、なんとかしてくれって上にもお願いしてんだけど」
 と、どこか言い訳めいた口調で言った。
「ミラクルのこと?」
 りょうが、気遣うように口を挟む。
 「ミラクル」は、STORMが秋に出す新曲であると同時に、テレビ番組「ミラクルマンセイバー」の主題歌でもあった。
 セイバーの制作会社、鏑谷プロとJ&Mとの間で、歌詞に「ミラクルマンセイバー」を入れるかどうかで、もめにもめ――まだ、その結論が出ないままになっている曲。
 入れないでくれというJ&Mサイドの申し出に、鏑谷プロのセイバー制作チームは激怒したという。テレビ局の仲介がなければ、東條聡の出演そのものが流れていたかもしれないくらい、両者の主張は平行線のままだったらしい。
 結局、二通りの歌詞とバージョンを用意することで、いったんはそれぞれが妥協することとなった。テレビ主題歌バージョンと、STORMバージョン。主題歌をB面扱いとして、A面がSTORMの新曲として売り出される。
 が、今度、それに難色を示したのが柏葉将だった。
 歌詞の出来が悪いというのである。
 将が出来が悪いといっているのは、STORM版のミラクルのことだ。原曲から、ミラクルマンセイバーの名前だけを消した歌詞。将はそれを、根本から書き換えるよう事務所を通じてアーベックスのディレクターに打診している。曲の使用条件のことにまで色々注文をつけ、今度は、鏑谷プロだけでなく放送局であるジャパンテレビも激怒しているらしい。
 実際STORM版ミラクルのレコーディングは、将のごり押しで流れてしまった。そしてまだ、新しい詩は出来あがっていない。
 正直……聡は、そんな柏葉将の行動力が少し恐い。
 なんといっても、聡も柏葉も、いまだサラリーでJ&Mに雇われている立場なのである。そんな一タレントが、事務所が立てた方針を飲まず、そこまで要求してもいいものなのだろうか。
「つかさ、カリカリすんなよ、歌くらいで」
 憂也が、嘆息まじりに小さく呟いたのはその時だった。
 聡はドキっとして、部屋の中央で寝そべっている憂也に視線を戻した。
「いっそさー、B面のセイバーをAにもってこようよ。こっちもスケジュールつまってんのに、またその合間でレコーディングするんだろ」
 その冷めた口調と視線は、最近の憂也と柏葉将の仲の悪さを物語っているようだった。
 実際、憂也は、最初のレコーディングが流れた日を境に、はっきりとした嫌悪を、柏葉に態度で示すようになっている。
「……歌くらいね」
 ひやっとするような空気の中、柏葉将は呟き、額の汗を拭いながら、畳の上に腰を下ろした。
「しょ、将君、何か買ってこようか」
 多分その空気を読み、おどおどしながら声を掛けたのはマネージャーの小泉旬である。
 30を越えたばかりの、中肉中背……若白髪まじりのばさばさ髪をしたどこかぱっとしない男。なんとなく自分と雰囲気が似ていると聡が密かに思っている男。
 マネージャーにも色々階級や立場があるらしく、小泉の役割は現場マネージャー。つまり、こうしてテレビ局や撮影現場などに同行し、細かなスケジュール管理や食事、衣装の世話、局と事務所との連絡、そんな雑務を現場で一手にこなす役目である。
 現場マネージャーは、他にも何人かいて、STORMのメンバーにそれぞれ個別の仕事が入ると必ず誰かが現場まで同行してくれるが、小泉は、その中で、「STORM担当」と正式に銘打たれている一人だった。
 が、聡から見ても、正直どこか情けない。
 これで大丈夫か?と思うくらい腰が弱くて頼りない男だ。なにしろ、STORMには、超我侭な綺堂憂也と、そしてある意味、非常に扱いにくい柏葉将がいるのだ。
「……ま、余裕だよな、憂也には、歌なんてどうでもいいもんな」
 案の定、柏葉将は、小泉の言葉を無視して憂也の呟きに応酬した。
 憂也もまた、冷ややかに肩をすくめる。
「いい曲じゃん、ミラクル、奇蹟をおこーせー、セイバー♪」
「じゃ、お前がそれを、デパートの屋上かなんかで歌ってみろよ」
「……なんだと」
 憂也が猫のように身体を起こし、その美獣を思わす視線を鋭くさせる。
 将も無言で眉をしかめ、その場に険悪なムードがたちこめた。
「いい加減にしろよ、二人とも」
 さすがにりょうがそこで口を挟み、りょうの言葉にだけは素直に頷く将が、軽く舌打しながら立ち上がった。
「セイバーのオンエア、来週からだろ、東條君」
「え、ああ、うん」
 いきなり話をふられ、雰囲気に飲まれていた聡は、大慌てで頷いた。
「……いいもんにしろよな」
 それだけ言って、再び立ち上がって控え室を出ていった将の言葉が、本心なのか嫌味なのか、今の聡には判らなかった。
 ひとつ判っているのか、歌に1番こだわり、STORMらしい曲を常に模索している将が、子供向け番組の主題歌を歌うことに猛烈な抵抗を感じているということだけだった。
 そして、そのあたりから、もともと楽曲にさほど関心のない憂也が、将の態度そのものにうんざりきていることも。
「一人でSTORM背負ってるつもりかよ」
 と、今も、ひとり言のように吐き捨てる憂也の目は、完全に冷え切っている。
 STORM結成当時は、むしろ、最年長の柏葉将に甘えていた感のある憂也だった。関係がどことなく冷えてきたのは、将が大学生になり、オフを完全にプライベートに当てるようになったことと……そして、憂也もまた、個人の仕事が忙しくなり、2人が直接意志疎通を取ることが難しくなったこともあるだろう。
 が、その亀裂が表面化したきっかけは、間違いなく、セイバーの主題歌だった。
 それが、聡には申し訳ない。
―――ああ……
 俺のせいだなぁ……。
 聡は、頭を抱えたくなった。
 そりゃ、ドラマの仕事をくれ、と事務所には言っていた。が、だからって、なんだって俺に、こんな役がまわってきたんだろう。
 もらえる役は主役ではないが、聡は、それでも、少しずつ俳優としての仕事を増やそうと思い始めていた。
 演じることの面白さを、感じはじめていたところだった。
 存在は地味だが、こういった形で成功した人に、「Galaxy」の草原篤志がいる。今はまだまだ足元にも及ばないが、自分もいずれ、草原さんのようになれたら……セイバー役が決ったのは、聡がそう思い始めていた矢先だった。
 鏑谷プロとJ&Mの強力タッグ
 ミラクルマン、10年ぶりにブラウン管に復帰。
 ミラクルマン生誕四十周年記念特別作品「ミラクルマンセイバー」主演は超人気アイドルユニットから選出?
 そんな記事が芸能紙面を飾ったのが今から半年前。
 その1ヶ月後には「ミラクルマンセイバー東條」という記事が載ることになった。
 聡には、全てが事後承諾、事後承諾のままに進んでいった話だった。
 撮影が始まり、主題歌も決り、記者会見も決り、来週には第1話がオンエアされる。断ろうにも断る選択肢がないままに、もう後戻りできないところまで来てしまったという感じだ。
「…………」
 聡はぱたん、と薄っぺらい台本を閉じた。
 同じだなぁ、とふと思った。
 まるで。
 まるで、J&Mで「STORM」としてデビューすることが決った時のように。


 セイバー
 どんな困難にもくじけるな。
 まっすぐまっすぐ、光の道を進んでいけ。
 僕は、ずっと、応援してるよ。









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