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「どうなった!」
 衣装を脱ぎながら楽屋に駆けもどると、小さなテレビを取り囲んでいた出待ちの連中が、一斉に顔をあげた。
「後半、もうすぐ二十分」
「早く早く」
 腕を惹かれるようにして、聡は、その中央に座らされた。
「スコアは?」
「4−1、すげぇよ、まだ持ってんの、これで」
「マジ??」
 東京某所、鏑谷プロ。
 セイバーの撮影直前まで聡が見ていたのは、立て続けに3失点した場面。すでに全員が戦意を消失し、雅之でさえ、がっくり肩を落としていたところだった。
 さんざんダメ出しをされながらの撮影を終え、それでも聡は、祈るような思いで控え室に駆け戻った。
「雅は?」
「がんばってるよ」
 かつて、聡を散々無視していた尾崎智樹が、そう言って拳を握った。
「本当にすげぇ、マジかっこいいっすよ、成瀬さん!」
「……………」
 聡は、あやうく目が潤みそうになりながら、慌ててテレビ画面に視線を戻した。
(――なんとも、目が離せない場面が続いていますね。)
(――勝ち目という意味では、もう、可能性は極めて少なくなりました、崖っぷちサッカー部!)
 まくしたてる解説の傍で、意外にも、相当真剣な顔をした貴沢秀俊と河合誓也が映っている。
―――雅、がんばれよ。
 お前って、俺が言うのもなんだけど、いつもなんだか危なっかしくて。
 俺、親父な気分だよ、なんだか泣けてしょうがねぇよ。
「東條さん、なんですでに泣いてんですか」
「泣いてねぇよ」
 それでも聡は鼻をすする。
(――再び、ボールが、イーグルスのエースに渡ったぁ!)
 アナウンサーの声。
 全員がはっとして、テレビ画面に釘付けになる。
 ピッチの中央で、イーグルスのエースで日本代表選手でもある大型フォワードが、猛然とドリブル突破をしかけている。
 あっという間に抜き去られた、崖っぷちのディフェンス陣。
 雅之らフォワード陣は、カウンターの体制で、まだ自陣に戻りきれていない。
 必死の形相で雅之が走っているが、どう考えても追いつけない距離。
(――イーグルス得意のカウンター返しです。これは戻れない、間に合わない、万事休すか!) 


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「うおーーっっ」
「すげーっっっ」
 憂也と将が、同時に叫んで立ち上がる。それからがーっと抱きしめあう。
「将君!」
「憂也!」
「…………」
 ふざけてんのか、と浅葱悠介は、唖然としつつ、その光景を見上げていた。
 ファンが見たら、絶叫もんだな。
 しかも肝心のミーティングは、これっぽっちも進んでないし。
「つか、まだピンチだろ」
 あえて冷静に言ったものの、その実、悠介の手も、自分の汗で濡れつくしていた。
 テレビでは、レッドカードを突きつけられたモギーこと、お笑いマジシャンが退場する場面だった。
 捨て身のタックル。逆に、相手に跳ね飛ばされたほど情けないタックルだったが、やせっぽちのマジシャンが、死んだ気で守り抜いた一点である。
 崖っぷちチームの全員が、マギーの傍に駆け寄って、手荒い祝福?を与えている。
 手をあげて退場するマギーに、満場の拍手が送られた。
―――天下のイーグルスが、まるで悪役扱いだな。
 悠介は苦笑する。すでに会場全体が、ひとつの空気になりつつある。
 しかし、試合は、最悪な展開を迎えつつあった。
「え、なんで、そっから蹴るの?」
「馬鹿、お前ルールしらねぇのかよ、このエリアでファールすると、こっから蹴ることになるんだよ」
 将が、憂也を小突いている。
 イーグルスのペナルティキック。
 いわゆる、PK。
 ペナルティエリアラインから、ゴールキーパーと一対一でゴールキックが許される場面である。
 キッカーは、イーグルスのエースで現役の日本代表。
 キーパーは、何年も前にそのイーグルを解雇され、すでに現役を引退した男。
 崖っぷちチーム全員が、泥のように疲弊している後半三十分。
 これで、終りか――。
 悠介は固唾を呑み、キッカーの足があがるのを見つめていた。


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「おおおおおおっっっ」
 怒涛のような歓声の中、唐沢直人の周囲でも、すでに仕事を忘れたスタッフが立ちあがって拳をつきあげていた。
「すげーっっ、止めたーっっっっ」
「日本代表のキックをとめたーっっっっ」
「すげーっっ、すげぇよ」
 ラジオから聞こえる解説の声に、貴沢秀俊と河合誓也の歓声もまじっている。
―――あの、バカどもが。
 唐沢は、苦い気分でイヤフォンを引きぬいた。
 あと一点で、この恥さらしの中継も終わると思ったら、どうしてなかなか終りはしない。
 客の五分の一は帰っている。
 視聴率も、当初の見込みより随分低いものになるだろう。
 どうせ、勝てやしないんだ。
 唐沢は、眉をしかめたまま、組んでいた足を組みなおした。
 ピッチでは、再び崖っぷちチームのカウンター攻撃が始まっている。
 何度挑んでも阻まれるのに、懲りもせずにぶつかっている。
 失敗すれば、逆カウンター、その度に全員が、ピッチを一気に駆け戻る。その尋常でない運動は、おそらくフルマラソンにも匹敵するだろう。
 成瀬が何かを叫んでいる。
 頭まで坊主にして、顔も身体も傷だらけだ。
 すでに足をひきずっているアイドルは、明日から再開するツアー、おそらくまともに踊れはしないだろう。歩くことさえ、できないかもしれない。 
 なんのためにそこまでする。
 なんのために。
―――決して、諦めるな、
 唐沢の脳裏に、ふいにそんな言葉が閃いた。
 何故か、ひどく唐突に。
「…………?」
―――決して、諦めるな、決して、決して、決して、決して。
 直人、お父さんの好きな言葉を教えてやろう、これは5人の合言葉だ、お父さんには、4人の大切な親友がいる。
 Never give in― never, never, never, never,
「……決して、あきらめるな」
 決して、決して、決して、決して。
「…………………」
 一瞬、現実から切り離されていた感情を、唐沢はすぐに振り切った。
「ばかばかしい」
 しょせん、父親は負け犬だ。
 努力は何も報われなかった。誰よりも評価されるべき功績は、かつてのトップスターに奪われた。それに甘んじるような――奴隷根性のしみついた男に、いまや、尊敬すべき点は何もない。
 歓声が一際高くなる。
「ロスタイムですね」
 唐沢の隣で、比較的冷静なまま、試合を見ていた美波が呟いた。
「よくここまで持ったものです、興行的には可もなく、不可もなくといったところでしょうが」
 唐沢は時計を見る。
「気を抜かなければいいんですが」
 再び美波の声がした。
「ここで点が入れば、一気にワンサイドゲームになる可能性があります。ラストが飾れなければ、今までの奮闘も、なんの意味もなくなりますからね」
 ロスタイム表示は五分を示していた。


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「がんばって……」
 隣では、さっきからずっと、真白が両手を握り合わせている。
 祈るような気持ちは、拳を握り締める凪もまた、同じだった。
 ロスタイムは五分、すでに二分が経過している。
 必死の攻防――攻防、というより、一方的に攻められ、それを必死に守っている。
 誰の顔も泥だらけで、髪からは汗の雫がしたたっていた。
「あーっっっ」
 スタジアムを震わす悲鳴が聞こえる。凪も真白も緊張する。
 クリアミス。その浮き玉を頭で合わせられ、それが崖っぷちチームのゴールに突き刺さる。
 が、ぎりぎりで、身体ごとゴールに突っ込み、肩でボールを弾き返した男がいた。
「おおおおーーっっっ」
「すげーっっ」
 大歓声の中、泥の中に顔をうずめた雅之は、そのまましばらく動けないようだった。
 ぜえぜえと肩で息をしている。それを、駆け寄った神尾や仙道に抱き起こされている。
 やば……。
 凪はあわてて、視線をそらした。
 目の奥から、何かが浮き上がってくる。吹き零れて溢れ出す。
 ここで泣いてる場合じゃないよ、私。
 あいつががんばってるのに、泣いてる場合じゃないじゃん、私。


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「雅、最初のゴール、イメージできるか」
 抱え起こされた時、耳元で囁かれた。
 ほとんど意識がぶっ飛んでいた。雅之は、ただ、意味もなく頷いた。
 判ったのは、このラスト数分で、まだ神尾がゴールを狙っているということだけだった。
 すげぇよ。
 てゆっか、みんなすげー、俺含め。
 試合再開のホイッスル。
 イーグルスのコーナーキック。
 つか、このピンチで、攻めるなんて考えねぇだろ、普通はさ。
 正確なイーグルスのセンタリングが、再び頭で合わされようとしている。
「うおーーーーっ」
 妙な雄たけびと共に、おはぎが頭からつっこんだ。
 うわっ、と全員が青ざめたオウンゴールすれすれの弾道は、ほとんどかじりつくように飛び込んだ仙道がかろうじて止める。
「行けっ、雅!」
 が、それは、同時に最後のチャンスになった。
 神尾に怒鳴られるまでもなく、雅之は敵陣めがけ、全身の力を振り絞って走り出していた。
 文字通り全てを振り絞って――多分、試合が終わったら、当分立てないし、声さえでないだろう。
 何度も練習したセットプレーが、この土壇場で成功する。仙道の渾身のゴールキックが、図ったように雅之の目の前に落ちてくる。
 それをインサイドキックで弾きながら、雅之は顔をあげた。
 目の前に広がるフィールド。
―――……?
 まるで奇跡のように、その一瞬、雅之には全てが見通せていた。
 敵の配置、味方の配置。背後にいる敵と味方の動きまで全てが。
 なんだろう、この感じ。
 すげぇ、クリアだ。
 何も聞こえない、歓声も、味方の声も、敵の声も。
 なのに、背後から駆け上がってくる足音が聞こえる。
 確かに聞こえる。
 敵ディフェンダーが、雅之の前に立ちふさがる。
「中田さん!!」
 雅之は、ボールを斜め前に蹴りだした。
 今は誰もいないスペース、けれどそこに、黒い影が走りこんでくる。何か大声でわめいている――ミラクル中田。
 ほとんど無意識に雅之は走る。
 見える。
 右サイドから、おはぎとカズシが駆け上がってくる。敵のディフェンダーを引きつけてくれている。
 再び生まれたスペースに、雅之は走りこんだ。
 ゴールは目の前。
 ノートラップでボールを受けたミラクル中田が、渾身の力で、雅之めがけてセンタリングをあげる。
 コース――どんぴしゃりの――ゴールキーパーが構えの体制に入るのが雅之の視野に映る。
 ゴール前、ど真ん中に雅之は飛び込んだ。
 落ちてくるボールの弾道、ヘディングでシュート、頭の中にそのイメージが強く浮かぶ。
 が、
―――雅!
 聞こえない声が、その刹那聞こえた気がした。
 神尾の声。
 違う。
 全身に何かが閃くように、雅之は身をかがめた。
 違う、ここは、ヘディングじゃない。
 スルー――!
 頭上を鋭く、弾道が通り過ぎる。
 ほとんど前のめりに倒れた雅之の視界に、時間にすれば有り得ない位置から、駆け上がってきた神尾の姿が見えた。
 ボールは、飛び込んだ神尾の頭に、ダイレクトに合わされる。
 予測を裏切られたキーパーが慌てて飛び上がり、ディフェンダーが相次いで突っ込んでいく。
 悲鳴のような歓声がスタジアムを包む。
 もう雅之には、何も見えない。
 すげ……。
 奇跡、おきたじゃん、神尾さん……。
 つーか、俺、もう起きれないよ、マジで。
 空気を切り裂くようなホイッスル。
 試合終了。
 雅之は目を閉じた。誰かが何かを言っている、叫んでいる。でも、覚えているのはそこまでだった。

 














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