12
コイントス。
先制キックは雅之だった。
目の前には、身長はさほどかわらないものの、肉体の厚みは――雅之の倍はあろうかという、プロのサッカー選手が立っている。
黒の縦じまユニフォームを着た東京イーグルスの戦闘集団は、今日のバラエティ番組の収録に、あきらかにリラックスした様子で挑んでいるようだった。
「あとで相羽さんにサインもらいに行こうぜ」
と、雅之の背後では、MFの2人が会話している。
(―――いいか、もし、得点のチャンスがあるとしたら、それは前半の試合開始直後だけだ。)
神尾の指示が頭をよぎる。
それが、今。
雅之は、前方に立つミラクル中田に視線を向ける。
すでに戦闘態勢に入っている元名門サッカー部の補欠は、目をぎらぎらさせて、その時を待っているようだった。
(―――イーグルスの連中は、試合が筋書き通りに運ぶと思いこんでる。本気でかかってくるとは夢にも思っちゃいない。チャンスはそこだけで、あとはその点を守るしか、勝機はない。)
実際、そうだろう、と雅之も思う。
卑怯なやり方ではあるけれど、まともに戦えないほど実力差がある相手。普通にやっても、いい試合などできるはずがない。
3万もの観衆と、数十万もの視聴者が見守る今日の試合は、テレビ局が意図した筋書きが狂えば、興行的な見せ場さえ作れない危険性をはらんでいた。
なのに、その筋書きを、今、雅之たちは狂わそうとしているのである。
全国区の生放送で、失敗も撮り直しも絶対に許されない世界で。
ホイッスル。
ある意味これは、テレビ局に対する造反だった。
しょせんテレビに飼われているタレントが、そこまでする。
これはもう、芸能人であるということ以前に、人としての意地とプライドとしか言いようがない。
そういう意味では、確かにここにいる全員が、「崖っぷち」なのだ。それぞれの人生の中で。
「中田さん!」
雅之は、何度も何度も、足が動かなくなるほど練習したパスを、右斜め前のミラクル中田に向かって放った。
このセットプレーだけを、気が狂うほど繰り返した。
得点を、ゴールだけを、ひたすら祈るようにイメージして。
それを膝で受けた中田が、ワントラップでボールを放つ。
サイドチェンジ。
予定された弾道に、フィールド最後尾、スイーパーの位置にいた神尾が猛スピードで走りこんできた。
開始五秒。
まだ、のんびりと会話していた選手もいた。
ウォーミングアップの延長のように、腕を回していた選手もいた。
息が止まったような沈黙の後、場内に、怒涛のような声が上がる。
ゴールを告げる審判の声を、雅之はまだ、信じられないような気持ちで聞いていた。
13
「嘘だろ、おい」
観客席。
緋川拓海の呟きを、相羽匡史は、冷めた気持ちで聞いていた。
―――なるほどな。
バラエティの収録だと聞いていた。
事前に話したイーグルススタッフの口ぶりからも、そこに一種の筋書きがあることがうかがえた。
当たり前だが、相手はアマ、プロが本気で挑む試合じゃない。
というより、はなから勝敗の筋書きが決まっている試合だからこそ、イーグルスはお遊び気分で引き受けたのだろう。
だとすれば、これはアクシデントか。
視力のいい匡史には、グランドの騒ぎが、選手の表情に至るまでよく見える。
フィールドでは、イーグルスのディフェンス陣が、集まって何かを言いあっていた。話が違う、そう言っているようにも見える。
「……………」
嘆息した匡史は、すでに、ここに来たことを後悔していた。
サッカーがバラエティの道具として扱われることに、嬉々として迎合している後輩たち。正直、正視するに堪えない光景。
筋書きが狂ったのは、J&Mサイドも同じなのか、緋川の背後にいた同事務所のスタッフ連中が、何人か慌てて席を立っている。
「拓海さんがバラエティ好きだとは知らなかったよ」
匡史は思わず、隣席の男に向かって呟いていた。
彼を通じてのオファーがなければ、正直、頭から断っていただろう。オファーというより、「一緒に観ない?」という誘いを。
「ま、正直、話がきた時はびっくりしたけど」
そう呟き、日本最高のトップタレントは、自らの斜め後ろに座る、険の強い白皙の男を横目で見上げた。
あまり芸能界に関心のない匡史でも名前は知っている。かつて、一斉を風靡したアイドルタレント、美波涼二。
「つか、結構面白くてさ、崖っぷちサッカー部」
緋川拓海はそう言うと、足を組んで前かがみになった。
「ふぅん」
見てんのか、じゃあ。
「うちのアイドルで崖っぷちなんて、どこのバカだよって思ったら、やっぱあいつらだった」
そう言って、拓海はサングラスを少しずらすと、端整な目に男らしい笑みを浮かべる。
「昔、コンサートでバカやらかした連中の片割れでさ、面白い奴らなのに、うちじゃずっと低迷してんだ」
「へぇ」
「……結成当時のいきさつを知ってるだけに、気になるといえば気になるんだよな」
その意味は判らないし、拓海も、それ以上語ろうとはしなかった。
「悪かったな、予選控えて忙しいのに」
「いいよ、たまの息抜きだ」
あーっとため息のような歓声があがる。
「シーソーゲームかな」
拓海が呟いた。
いや、シーソーゲームにはならないだろう。
指をあごに当てつつ、匡史は思う。
腐ってもプロを本気にさせてしまった以上。
開始一分。今度はイーグルスのゴールだった。
14
また一点。
凪は、思わず目を覆っていた。
場内の歓声は、もはや失望とため息に変わっている。
立て続けに三点。
まだ、視界が開始してから、20分しかたっていない。
「一体何点いれられるんだよ」
「つか、コールドになるんじゃねぇ?」
背後の大学生風の男たちから、そんな囁きが聞こえてくる。
実際、本気になったプロを相手に、しょせん素人の寄せ集め集団は、なすすべもないようだった。
「顔あげろ、前を見ろ!」
ゴール前に立つスイーパー、―― ディフェンダー の一番後ろで、カバーリングや指示を出す役目の選手だが、 そのポジションに立つ元プロサッカー選手の神尾が、必死で激を飛ばしている。
が、フィールドに立つ全員は、すでにがっくりと肩を落とし、まるで戦えない状態だった。
「…………」
凪の隣に座る真白も、今は息を詰めるような横顔になっている。
試合がセンターから再開される。
果敢に攻める縦じま軍団に、あっという間に崖っぷちサッカー部のミッドフィルダー陣が突破される。
フォワードの雅之も、すでに自陣深くまで、ディフェンスのために戻っている。
基本的な戦術は、マンツーマンディフェンス。
凪もよく知っている。弱いチームが格上のチームに勝つにはそれしかない。
がっちり守って、わずかなチャンスをついてのカウンター攻撃。
しかし、日本屈指のチーム相手のディフェンスは、想像以上にきつそうだった。
なんでもないフェイントにあっさりとかわされる。スピードでもかなわない。むろん、当たりの強さでもかなわない。
ディフェンダーが次々交わされ、あっという間にペナルティエリアの間際までもってこられる。
こうなれば、いつ点が入ってもおかしくない。
イーグルス得意の波状攻撃。弾いても弾いても、ボールは容赦なくゴールを襲う。
大量得点をかろうじて抑えているのは、ほとんど孤軍奮闘ともいえる、元プロのスイーパー、神尾恭介のおかげだった。
しかし、試合開始直後から、攻守にわたって走り続けている神尾は、すでに肩を激しく上下させている。
右へ、左へ、面白いようにサイドチェンジが繰り返され、それを追い続け、翻弄され続けていた崖っぷちディフェンス陣の足が止まる。
「馬鹿、走れ!」
凪は立ち上がって叫んでいた。
案の定、その穴が基点となってセンタリング。
死角を衝かれたスイーパーは膝をつき、ゴールキーパーが反射的に右に飛ぶ。
が、上がったセンタリングを受けたイーグルスのフィニッシャーは、それとは逆の方向にキックを放った。
左隅。
どうしようもない角度で、ボールは、ゴールに吸い込まれる。
4対1。
場内の声は、失望というより怒りに変わる。
「………………」
凪は、激しい感情を拳に固めたまま、フィールドの上で、がっくりと膝をついている雅之を見つめた。
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