10


「すんげーなぁ、マジかよ、これ」
 憂也は、唖然としたまま、テレビに映る東京スタジアムの観客席、談笑している2人のビックタレントを見た。
 緋川拓海と、世界の相羽、こと相羽匡史。
 たかだか国内のバラエティ番組で、ちょっと、有り得ない光景だ、これは。
「盛り上げてもらってんじゃん、雅のヤツ」
 そして、苦笑してソファに背を預ける。
 つか、すげぇよ、実際。
 うちの事務所が、ここまでストームに入れ込むなんて、そもそもそれが有り得ない。
 東京。
 ここはストームの合宿所、もとい、雅之の部屋である。
 雅之の試合本番に合わせて設けられた、ライブツアー中日。
 舞台やドラマ撮影に追われる他のメンバーにとっては、中日も何もないが、比較的スケジュールに余裕のある憂也には、今日は、ちょっとした休養日だった。
「わりぃ、遅くなった」
 玄関の扉が開く音と共に、将の声がした。
「こんにちはー」
 と、いつもながら礼儀正しい、将の親友、浅葱悠介の声もする。
「雅の試合、始まってる?」
「いんや、まだ」
 今日は、ここまでのライブの反省会を、映像を観ながらする予定で集まった。
 とはいえ、セイバーの映画撮影で拘束されている聡、舞台真っ最中のりょうは来られない。今日集まれる面子は、憂也と、浅葱悠介と、そして将しかいなかった。
「これ、ライブのDVD、スタッフに借りてきた」
 憂也にケースを手渡しながら、将が、ソファに腰を下ろした。
「メールで知ったけど、緋川さん出てるってマジ?」
「マジもマジ、しかも世界の相羽も来てる」
「マジで??」
 それには、さすがの将も、目を丸くしているようだった。
「さっき、ライブの映像が流れてたよ」
「番組の中で?」
「5×5、フルで、いいのかよ、全国放送でって感じで」
「いいんじゃねぇ?」
「レコ大狙える名曲じゃん」
 声をたてて笑いながら、誰も、テレビを、コンサート映像に切り替えようとはしない。
『さぁ、いよいよ、試合開始間際、ここでもう一度、これまでの感動シーンをご覧ください!』
 アナウンサーの声がした。
 画面を揺るがす大歓声、応援カラー一色に染まったスタジアム。
「試合開始、遅れてんのかな」
「さっきから、似たような映像ばっか流してるよ」
 画面は、サッカー部のダイジェスト映像に切り替わる。
―――雅、がんばれよ。
 憂也は、軽く眉をひそめながら、胸のうちで呟いた。
 忙しすぎて余裕のない当の本人には実感が湧かないだろうが、雅之はすでに、知名度だけなら、ストームどころかJ&Mをはるかに突き抜けた存在に化けてしまった。
 この試合が、その集大成どころか正念場。
―――なのに、よりにもよって、生放送かよ。
 過去映像の垂れ流しは、舞台裏でアクシデントが起きていることの現われだろう。絶対に撮り直しがきかない生放送の、それが恐ろしいところでもある。
―――失敗すれば、………どうなっかな。
 談笑をはじめた将と悠介を尻目に、憂也は無言で、唇に指を当てた。
 この番組の視聴率の驚異的な伸びは、雅之だけでなく、サッカー部全員を、一躍全国区の人気タレントに押し上げた。
 にわかに、日本国民の希望の象徴のような存在にしてしまった。
 感動を求め、彼らの惨めな半生に自身を重ね、今、この瞬間、全国で何万もの視聴者が、奇跡の瞬間を待っている。
「勝てんのかな」
「まぁ……勝てはしないだろうけど、いい試合はしてほしいよな」
 将と悠介が会話している。
 憂也は無言で目をすがめる。
 常識で考えて、プロとアマ、いい試合などできるはずがない。
 過度な期待。そして、それを煽るだけ煽ったテレビ局の過剰演出。
 それがもし、期待はずれに終わったら。
 神輿に乗せられた雅之たちは、どうなってしまうのだろうか。
 憂也は初めて、この番組が今後、ストームにもたらすであろう影響について考えていた。
 全国区のゴールデン枠。
 その、すさまじい、一歩間違えればタレント生命さえ奪いかねない威力について考えていた。
―――雅のバカが、何も考えてないのが救いだよな、
 思わず苦笑し、愁眉を開いてソファに背を預ける。
 考えたって仕方ねぇか。
 行き着く先は、天国か、地獄か。
 すべては、この試合にかかっている。



                 11



 場内の声援が、屋内の医務室にまで聞こえてくる。
「つか、それはないでしょう」
「なんとかならないんすか、神尾さん」
 集まった全員の悲痛な声も、ベッドで横臥する男には、なんら響いていないようだった。
「腹がいてぇんだ」
 神尾恭介は、乾いた声でそう繰り返した。
「ダメなもんはダメだよ、とっとと俺の代わりをたてて、行けよ、グランド」
 そして、ついっと目をそむける。
 壁を向き、布団をひっぱりあげる背中に、もう取り付く島はなかった。
「………」
「なんや、どういうことなんや」
「しょうがないやろ」
「でも、無責任にもほどがあるだろ!」
 憤りも、ため息も、言ったところでどうにもならない。
「すいません、そろそろスタンバってもらわないと」
 スタッフが、時計を見ながら眉をしかめる。
 どうしようもない憤りと失望は、雅之もまた同じだった。
 けれど、どう言葉を繋いでも、何故か心を閉ざした男は、目さえ動かしてくれそうもない。
―――なんで……だよ。
 絶望が拳を震わせる。
 わかんないよ、神尾さんだって、あんなにみんなと頑張ってたのに。
 口では「てめぇらには無理だ」とか「意味のない時間だよ」とか言いながら、1人1人の欠点や長所を丁寧に分析して、ほとんどマンツーマンで特訓してくれたのに。
 そして神尾自身も、あれほど鍛錬していたのに。
「………相羽が、来てるからだろうな」
 ぞろぞろと退室している時、ため息まじりに仙波が呟いた。
 雅之は足を止めていた。
「それ、どういうことなんですか」
 思わずその腕を掴む。仙波は、苦い顔で目をそらした。
「あいつの葛藤も理解できないでもないけどね、なにしろ自分を引退に追い込んだ張本人の観覧試合だ」
「………………」
 そうだったのか。
 雅之は、あらためて、緋川拓海の隣で、無表情な眼差しをグランドに向けていた男を思い出していた。
 まだ若いのに、座っているだけで世界のスターという風格を滲ませている男を。
「今となっては天の高みにいる相羽が、なんだって、こんな試合観に来るんだか」
 ため息まじりに仙波が呟く。
 そういうことかよ。
 ば、
 雅之は、脱力しそうになっていた。
―――ばかじゃねぇ??
 バカバカしいにもほどあるじゃん、それ。
 つか、ふざけんなよ。
 んじゃあ、俺はどうなるよ。そもそも最初から、同じ事務所の奴らに格下みたいな扱いをされて、今、天の高みにいる人々から、こぞって見下ろされてる俺の立場は。
「神尾さん」
 全員が見守る中、きびすを返した雅之は、再び神尾の背後に立った。
 とはいえ、どう言えばいいんだろう。
「成瀬君、時間ないよ!」
 スタッフの悲鳴のような声。
 スタジアム、試合開始時間の遅れに苛立ってか、大歓声と怒声が入り混じって聞こえる。
―――バカ、ふざけんな、立ちやがれクソ野郎!
 将君ならそう言うかな、聡君なら――ああ、どうすりゃいいんだ、助けてくれ、憂也。
「ご、」
 背後では全員が、息をつめるようにして、雅之の言葉を待っている。
「5×5、俺、30ってマジで答えたことがあって」
 その空気が、がくっと緩んだ。
「……あかんわ」
「雅君に期待した俺らがばかやった」
 そんなため息さえ聞こえてくる。
「いや、そ、それは、ド忘れっていうか、そういうことよくあるじゃないっすか」
「ねぇよ」
 即座につっこみが返ってくる。
 雅之は咳払いをした。
「い、今、ストームがやってるライブツアー、ぶっちゃけ、マジで全員のスケジュールがきつくって、で、打ち合わせの時、メンバーの1人が」
―――将君が。
「1人1人が、5人分フォローするつもりでやんなきゃダメだ、みたいなこと言って、で、俺がそこで、じゃ、全員揃ったら全部で30倍じゃんって、バカなこと言っちまったんだけど」
 その時大爆笑された心の傷を、まさか歌にされるとは、夢にも思っていなかったんだけど。
「まぁ、そんな感じなんすけど、俺、こないだ判ったんです。5×5は30って、それ、けっこう正解だったんじゃないかって」
 気のせいかもしれないけど、神尾の背中が、今、少しだけ笑ったような気がした。
「1人人じゃ、無理なんだけど、俺」
「…………」
「天才じゃねぇし、神どころか、何かの代表に選ばれたことさえないんすけど」
「…………」
「でもそういうの、俺だけじゃなくて、実はみんなそうで、1人1人の力には、やっぱ、どうしたって限界があって」
 上手く言えないけど。
「5×5は、25なんだけど、時には30にもなるし、50にもなるし、100にもなるし」
「………………」
「俺……そういうの、ストームやってて、すごく判ったっつーか」
「…………………」
「サッカーは11人だから、」
 この前聞かれた時も、そう答えた。似たようなことを、ひたすら焦りながら、言葉を捜して答えた気がする。
 その時は何が言いたいのか、自分でもよく判らなかったし、自信がなかった。が、今なら胸を張って言える。
「11×11が、どんぐらいでかい数字になるのかなんて、ちょっと想像できないっすよ、俺!」
 前は、雅之自身が、上手く咀嚼できていなかった思い。
「相変わらず、雅君、意味不明やわ」
 最初に笑ったのは、ミラクル中田だった。
 そして、
「神尾さん!」
「やりましょうよ!」
「仮病つかったのは、大目にみてあげますよ!」
「すごいことしてきましょうよ!」
「わいら、あんさんがいないとあかんねん!」
 沈黙、そして微動だにしない神尾の背中。
「………地獄の底ってのを、歩いたことがあるか、お前ら」
 低い声がした。その動かない背中から。
 地獄の底?
 息を詰めて神尾の返事を待っていた全員が、顔を見合わせる。
「アンダー21の時だ、はじめてブラジルのカナリア軍団と試合をした。前半20分でスコアは5−0、どんなフォーメーションも簡単に崩され、敵陣に入ることさえ許されなかった。何をしても無意味で、試合はすでにゴールショーだ。それでも残り時間は一時間近く。走っても走っても追いつけない背中、連中は鼻で笑ってボールを自陣で回している。地獄のような時間だった」
「………………」
「失敗したら、後なんてないぜ。客が引き始めた観客席を見ながら、それでも、お前らは、試合が終わるまでフィールドを降りれねぇんだ、怒声と罵声を聞きながら」
「………………」
「お前らは今から、そういう試合をやろうとしてんだよ」
 バカじゃねぇ?
 のっそりと起き上がって毒づいた神尾は、相変わらず表情の読めない顔をしていた。
「どこのバカが、そんな試合の前に、こうも張り切った目ぇしてられんのかね」
「神尾さん!」
 思わず駆け寄った雅之は、頭を思いっきりはたかれた。
「行ってやるよ、ばかやろう、こんなにうるさいと眠れやしねぇ」













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