10


 
「ストームさん、入ります」
 そんな声がホールに響く。
「ちわー」
「よろしくっす」
 と、特になんの前振りも演出もなく、普段着の若者5人が、ステージの上に現れた。
 Tシャツにジーンズ姿。バンダナやタオルを頭に巻いて、なんだか、そこらのスタッフと変わらない姿。
「だっせ」
 と、凪の隣で機材を運んでいた男が呟いた。
 が、男のその着飾った衣服は、気の毒なほど埃と油にまみれている。
 首にはタオル、手には軍手。締め切ったホールは思いのほか暑く、男の茶髪は汗で額に張り付いていた。
 凪の口添で、即席のアルバイトに転じた海堂碧人。
 男は、さっきからまるで覇気のない表情で、だらだらと機材を運ぶ手伝いをしている。
「な、どこにでもいるじゃん、あんな奴ら」
 と、それでも強気で凪に囁いてくるが、
「こらっ、バイト、無駄口叩くな!」
 それをびしっと現場スタッフに怒られる。凪は内心笑いたいのをぐっと抑えた。
「じゃ、サウンドチェックいってみようか!」
 ステージで、リップマイクをつけた男が大声で叫んだ。
 服装も体型もストームと変わらないが、後ろに撫で付けた髪だけが、ちょっと白髪交じりの灰色だ。つるっと剥いた卵みたいな額。
―――前原さんだ。
 凪は少し嬉しくなった。
 満員電車と同じで、よく知った顔を見かけるとなんとなく安心する。
 電車で見かけていた勤勉?な人。降りる駅が一緒だったはずだ。
 だってこの人は、海堂家のすぐそばに、音響装置を詰め込んだウィークリーマンションを借りていたんだから。
「バカの真打の登場じゃん」
 ようやく機材運びから開放されたのか、碧人が軍手を脱ぎつつ、凪の隣に立った。
 凪はそれを無視して、ステージ上の人々を見る。
 ストームの5人は、何か声を掛け合いながら、しきりに立ち位置をチェックしているようだった。時折上を見ているのは、照明の位置を確認しているのだろう。
「前さん、電圧、なんとかなんない?」
 ステージ後方、ギターを抱えた長髪の男が殆ど怒鳴るような声で叫んだ。
 バックバンドの人だろう。こういったツアーに、雇われバンドとダンサーが同行することを、凪はよく知っている。ダンサーは大抵J&Mのキッズだが、今回、キッズの同行はないらしい。
「スライダックで調節して」
 と、やはり怒鳴り声で前原が返す。
「メインモニター、位置が照明と被ってる、動かして」
「照明なんとかしてくださいよ」
「無理だろ!何がメインだと思ってんだ!」
 大変そう――でも、
 でも、すごく、生き生きしてる。
 ツアーの主役であるストームもそうだが、スタッフ全員の目が輝いている。
 前原もそうだ。電車の中で、黙々とメモをとっていた姿からは想像もできない激しさだ。
「うわ、ガテン系ってこんな感じかよ、よかったぁ、俺、勉強できる子で」
 が、冷めた目のままの碧人は、そう言って座席に腰を下ろした。
「頭より身体使う奴らなんて、俺には信じられないね」
「…………」
 私には、そんなあんたが信じられない。
「なんで、お父さんのこと」
 熱くなるな――と、自分に言い聞かせつつ、凪は聞いた。
「なんでそんなに嫌ってるんですか」
 仕事だって、ある意味自慢してもいいはずだ。
 ブラウン管でしか観られないアーティストと、対等以上の立場で仕事をしている。ひとつの、巨大興業を作りあげていく仕事。凪からみれば、素直にすごいし、うらやましいと思う。
 が、父のことをそう嫌っていない風のミカも、父親の仕事に関してはかなり否定的だった。
 多分、仕事に夢中になりすぎて、家に寄り付かないからだろう。その意味では、前原も反省すべきだとは思うのだが。
「だって普通むかつかない?医者になれっつって、子供に勉強ばっかさせてた親父がさ、ある日いきなり、トラバーユだぜ?」
「…………」
「世界で一番尊敬する人、お父さんって、そんなバカなこと作文に書いた俺の立場ってどうよ?」
 碧人は、腕を組んで背をそらした。
「最近になって、お前はお前の好きなことやれってんの、自分はおふくろの稼ぎで好き勝手やってるくせに、ばっかじゃねぇ?」
 これも、ミサから聞いた話だが、前原は研修医時代に、病院を継ぐという約束で院長の娘と結婚したという。が、順調に医師の道を歩んでいたある日、いきなりのトラバーユ。
 昔の夢が捨て切れなかった――そう言って、義父と妻の前で土下座までしたらしい。
「みっともないだろ、昨日まで僕のお父さんはお医者さんだったのに、今日からはフリーター、先生って呼ばれてたのが、おいこらバイト、って怒鳴られてやんの」
「…………」
「恥だよ、恥、一家の恥」
 医者だと尊敬できて、イベントスタッフだとできないとでもいうのだろうか。
 碧人の子供じみた感情は理解できなくもないが、やはり凪は、むっとしてしまっていた。
 凪は無言で、ステージの上、マイクのチェック、立ち居地のチェックをしている5人のアイドルに視線を戻した。
 ここにいる碧人と、ほとんど同世代の若者5人。
 今はライトの下にいる。が、その未来は、気の毒になるほど暗く、不安だ。
 でも――だからかな、と最近凪は思っている。
 だから、今、こんなに輝いているのかな、と。
 未来が見えない分、今を精一杯生きるしかないから。
 照明に指示を出している柏葉さん。
 倒れたと聞いたけど、普段より頬が少し削げて見えた。テレビが実物より太ってみえるせいもあるけど、今は、ちょっと痩せすぎのような気もする。
 一人でステップを確かめている片瀬さん。
 恋人と上手くいっていない彼は、今、どんな気持ちでステージに立ってるんだろう。それとも、そんなこと――今は、頭から飛んでるのかな。
 しゃがみこみ、何かをじっと読み込んでいる東條さん。
 ミカリさんに気づいてるかな。今、かなり近くでカメラ抱えてるはずなんだけど――あ、気づいた。表情でわかる。くー、ラブラブ。
 スタッフに話しかけている綺堂さん。
 相変わらずマイペースっぽい。この中じゃ一番リラックスしてて、楽しそうにしてる。
 それから。
 一番背の高い男は、東條聡の傍に立ち、身振り手振りで振り付けの確認をしているようだった。
 ちょっと痩せた……かな。
 ううん、かわんないか。
 つか、日焼けしすぎだよ、なんか太腿太くなった気も……てゆっか。
―――すごく、男っぽくなった気がする。
 久し振りに見たせいかもしれないけど。
 マイクを掴んだ柏葉将がステージ中央まで出てきた。何度かその調子を確かめ、それからおもむろに正面に向き直る。
「ストームの柏葉です、みなさん、ちょっといいですか」
 よく響く声。
 凪も驚いたが、予想外のことだったのか、誰もが不思議そうな顔になった。
 が、すぐに、客席にいたスタッフ全員が動きを止め、ステージ上の将を見上げる。
「今回のコンサートは、俺らの無理から始まったもので、準備期間もないし、色んな意味でリスクが大きかったし、本当に大変だったと思います」
 ステージ四方に散っていた残るメンバーが、ぞろぞろと柏葉将の背後に立った。
「引き受けてくださったスタッフのみなさんには、僕ら全員、本当に感謝してます、ありがとうございました」
 5人全員が頭を下げた。
 ぱらぱらと会場から拍手が飛んだ。
「今回のツアーは、僕らとお客さん、スタッフのみんなが、同じチームっていうコンセプトでやっていきたいと思ってるんで、チームストーム、どうか、最後まで気合いれてよろしくお願いします!!」
 再度拍手が上がる。それはやがて、スタッフ全員の、大きな拍手に変わっていった。
「で、これツアーの間、みなさんで着てもらおうと思って」
 軽く咳払いして、将が、少し所在なさげに背後を振り返った。
 ストームマネージャーの小泉旬と片野坂イタジが、両手いっぱいにダンボール箱を抱えて現れた。片瀬りょうと綺堂憂也が、その箱を半分受け取っている。
「聡君がデザインして、僕らで作りました。一応、スタッフジャンバーのつもりで」
「ちょー、かっこいいんで、記念にもなるしねー」
 綺堂憂也がそう言いつつ、ダンボールを抱えて客席の方に降りてくる。
「これから二週間、よろしくお願いします」
 片瀬りょうも降りてきた。
 片野坂と小泉、ステージでは将と雅之、東條聡、みんなでジャンバーの入った包みをスタッフに手渡し始める。
「ホントにもらっていいの?」
「え、君らで作ったの?」
 そんなざわめきの中、
―――う、嘘。
 凪は、さすがに、どうしようかと慌てて背後を振り返った。
 どうしよう、ここで顔あわせるのって、かなり恥ずかしいっつーか、なんつーか、どういう立場で、何を喋っていいか判らない。
「ストームは、だからいいんだよね」
 周囲のスタッフの声がした。
「無理な要求ばっかだけど、みんな優しいし、礼儀正しいし」
「手作りかぁ、俺なんかカンドーしたよ」
 が、
「ばっかじゃねー」
 一人、冷め切った目のままの男がいた。
 男は頭の後ろで腕を組み、鼻で笑って天井を見上げた。
「何コビていい子ぶってんだって感じ、やっぱ、バカだな、アイドルなんて」
 ステージの上では、その父親でもある前原が、もらったジャケットを羽織ってはしゃいでいる。
「あーあ、バカ丸出し」
「……………」
 凪はさすがに、耐えかねて振り返った。その時だった。
「あーーっっ、凪ちゃんじゃん!」
 隠し事もへったくれもない、天をも恐れぬ綺堂憂也の大きな声。
「え、凪ちゃん?」
 はるか前方にいた、片瀬りょうも振り返る。
 まだステージに立ったままの雅之が、その刹那顔をあげるのが判った。
「どーしたのさ、こんなとこで、あ、もしかしてミカリさんの同伴?」
 注目しているスタッフの中、笑顔で歩み寄ってくる憂也は、それでも、ちょっと意味深な目をステージに向けた。
「つか、思い切りスタッフしてねぇ?」
「じゃ、これ着なよ、スタッフジャンバー」
 思いついたように、憂也の背後から、片瀬りょうが手にしたビニールの袋を差し出してくれる。
―――え……
 凪は、少しドキッとして、片瀬りょうの整いすぎた顔を見上げた。
「いいの?」
 だって私、スタッフでもないし、今日だけおまけでついてきたようなものなのに。
「いいよ、かなり作ったんだ、余らしてももったいないし」
「ありがと……」
 凪はゆっくり、それを手元で広げてみた。
 少し紺の入った黒地に、明るめの藍で、チームストームと、ロゴが入っている。
 その下には、全員の名前がローマ字で刻んであって、少し広めのスペースが空いていた。
「ここに白のサインペンで、各自名前書いてって感じでさ」
 憂也が、楽しそうに説明してくれた。
「いいだろ」
「いいね」
 凪は、嬉しくなって呟いた。
 本当にいい。
 なんだか――私も、ストームの一員かなって気持ちになる。
「あ、君も……スタッフさん?アルバイトさんかな」
 片瀬りょうが、凪の背後で固まったままの碧人に、そう言ってジャンバーを差し出した。
「今日はありがとう、よろしくお願いします」
「あ、……、は、はぁ」
 碧人、最初の勢いはどこへやら、さっきから完全に息を呑まれている。
 当たり前じゃん。と、凪は思う。
 生アイドルを舐めるなよ、と言いたい。
 なにしろ、億単位の日本国民から、選ばれてスポットが当てられた存在。どこにでもいるようで、絶対にどこにもいない存在なのだ。
 一般人と同じわけがない。対峙して初めて判る、持っているオーラが全然違うと。
「あ、お、……おう」
 が、そのオーラがちょっと弱い……というか、思いっきり普通に照れながらやってきた男がいた。
「き、来てたんだ」
「あ……うん」
 そんなに照れられると、こっちもその気もないのに照れてしまう。
 雅之と向き合ったまま、凪はもらったばかりのジャンバーを少し強く握り締めた。
「つか、ふ、不意打ちみてーで、びっくりするじゃん」
 と、目をそらしつつ、雅之。
「べ、別に邪魔する気はなかったんだけど、ミカリさんに頼まれて」
 と、同じように目をそらしつつ凪。
「…………」
「…………」
 で、沈黙。
 綺堂憂也と片瀬りょうが、少し笑いながら背を向けて去っていく。
「あー、……と、明日も来るんだよな」
「う、うん、適当に誰か誘って連れてくから」
 妙に照れながらする、どこかぎこちない会話。
 恥ずかしいから、なんだか目さえ合わせられない。
「へぇ、マジで知り合いだったんだ」
 ふいに背後から、揶揄するような声が二人を遮った。
 凪は振り返る。多分、精一杯の虚勢をはっているのだろう、すかした目をした碧人である。
「……誰?」
 と、ようやくその存在に気づいたのか、雅之が目をすがめた。
「俺なら、彼女と同じ東欧医科大のもんだけど」
 と、妙に大学名を強調して碧人。 
「……?」
 と、いぶかしげな目になった雅之は、へー、とさほど興味のなさそうな声で言い、「あ、やべ」とステージ上の将を振り返った。
「じゃ、また連絡するし」
 と、凪に手をあげ、きびすを返して駆けていく雅之の視界には、医者の息子の医大生など、まるで入っていないようだった。
 痛快。
 背後では、多分碧人が、屈辱で震えている。
 凪は肩をすくめ、
「昔さ、双子の兄貴がキッズに入ってたんだ、ストームとはその時の知りあい」
 と、一応言い訳をしておいた。


                11


「碧人」
 一回目のリハーサルが終わった所だった。
 凪が碧人と共にロビーに出ると、先回りしていたのか、ベンチに座っていた男が、慌てた態で立ち上がった。
「…………」
 ずっと不機嫌だった碧人の顔が、目に見えて陰鬱になる。
「あ、君は――え?」
 駆け寄ってきた前原大成は、凪に気づき、戸惑った表情を浮かべた。
 たった一度、駅から一緒に歩いた女の子が、何故ここに、と思っているのだろう。
 三月半ばから、ストームのコンサートツアーの準備で、ずっと別宅につめていた男は、娘の家庭教師の顔も知らなかったらしい。
 そういう意味では、ミサや碧人がひねくれるのも何となく判る。
「私、雑誌社でバイトしてるんです、で、偶然」
 凪は、適当に言い訳しておいて、身を引いた。
 ここは多分、父と子の会話の場面だ。
「お前……、一体何してるんだ、こんなとこで」
 しかし、電車ではあれだけ威勢のよかった前原は、息子の前だと、気の毒なほど押しが弱い男だった。傍から見ても、負い目があるとはっきりと判るくらいおどおどしている。
「別に」
 碧人も、それが判っているのか、たちまち傲慢な目つきになった。
「見学に……来ると言っていたが」
 前原は信じられないといった目で、汚れきった息子の姿を上から下まで見下ろした。
「まさかと思うが、手伝ってくれてたのか、お前」
「はぁ?ざけんなよ」
 声を荒げた碧人は、ようやく自分が着ていたジャンバーに気づいたらしかった。
「てめぇがしょぼい席しか手配できねーっつーから、女連れてきたんじゃん、誰がこんなしょーもねぇ仕事やるかってんだよ」
 それは、本心ではない、と凪は思った。
 だって、リハーサルの間、この男は、結構みじろぎもせずに父親の仕事ぶりを眺めていたのだ。
 ステージで、全てを取り仕切る音響オペレーターは、実質、今日の主役とも言えた。
 ストームが彼を頼りきっているのもよく判ったし、スタッフを統括する手腕も、気持ちいいほど見事なものだった。
 社長ではなく、誰からも
「前ちゃん」
 とか、
「前さん」
 とか、呼ばれている。
 機敏に動き、時には激しく怒り、てきぱきとトラブルを処理していく前原は、とても彼の実年齢をイメージできないほど若やいでいた。
「……いや、それはそうだが」
 しかし、息子に毒づかれた前原は、今は、みじめなほど気の弱い一人の父親である。
「びっくりしたんだ……、スタッフの中にお前の姿を見た時は」
 が、呟いたその目に、抑えきれないわずかな喜びの色が、ふっと浮かんだ。
「昔、母さんと一緒に来てくれたことがあっただろう、それから、来てくれたことなどなかったから」
「そんなことあったっけ」
「あったさ、まだ俺がYAMADAの音響部にいた頃だった。あれはサザンのコンサートで」
 父親の喜びを、しかし息子は残酷な笑顔で一笑した。
「思い出したよ、あんたが若い連中に、奴隷みたいにこきつかわれてたあれか」
 そういい捨て、碧人は、来ていたジャンバーを脱ぎ始めた。
「あんな恥ずかしい思いをしたこともなかったね、つか、二度と思い出したくもねぇ」
 前原の表情から、笑いが消える。
「病院は俺がつぐし、あんたは好きなことやっててよ、で、一生低いとこで生きてけば?」
「………」
 言葉を無くした父親は、かすかに嘆息して、肩を落とした。
「……お前たちには迷惑をかけたと思ってるよ」
「迷惑なんてもんじゃねぇよ、恥だよ、恥、まわりがみんな医者の友達ばっかなのに、なんで俺の親父はリーマンなんだよ」
「……………」
「くだらねぇ、今日はっきりわかったね、てめぇはただのクズで負け犬だ」
 脱いだジャンバーをぐしゃっと丸め、碧人は、それを、傍らのダストボックスに投げ込んだ。
「んじゃ、帰るわ、お前ももう来なくていいから」
 とは、凪に言ったセリフらしかった。
 凪は無言で、ゴミの中からジャンバーを取り出した。
「………待ちなさいよ」
「あ?」
 碧人が足を止める。
「医者、医者、医者、医者……」
 ふざけんな。
 医者が、
「医者がなんぼのもんだっつーのよ!」
 通りかかりの女性スタッフが、きゃーっと声をあげたのを覚えている。
 ああ、またやっちゃった。
 凪は軽く後悔しつつ、握り締めた自分の拳と、殴られた頬に手を当て――呆けたように腰を落としている男を交互に見た。
 















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