12
「やべー、振りが頭はいってねー!!」
「雅、振り移しするから前立って」
「将君、ここの構成、ちょっと変えられねーかな」
「いいか、これはホールのみの演出で、本番じゃ二通りあるから回線表は二部チェックして」
「このキー無理、前半だけ、半音さげて」
東京、六本木。
J&M本社六階のレッスン室。
通りかかった美波涼二は、扉の向こうから聞こえる喧騒に、足を止めていた。
―――ああ、そうか。
ストーム春のライブツアー「チームストーム」のリハーサルだ。
けなげな奴らだ。金がないから、打ち合わせもリハーサルも、とことん事務所内でやっている。
「ふざけるな、貴沢と河合が華々しくやってる横で一体なんの嫌がらせだ、これ以上Jに恥をかかせるつもりか!」
話を聞いた最初、頭ごなしに反対したのは、当たり前だが唐沢だった。
予算も最低限、スタッフもいらない、会場の手配も、演出も振りつけも、全部自分たちでなんとかする。
柏葉将の申し出に、「学芸会じゃないんだ」と、美波も冷ややかに突き放した。しかし突き放す一方で、面白いとも思っていた。
ひとつの試作品として、その仕上がりをみてみたい。それは――すでに解散が内定している、ストームだから許されることなのかもしれない。
「やらせてみたらどうですか」
美波がそう言うと、強面の上司は、わずかなためらいを見せたものの、意外なほど素直にゴーサインを出した。
唐沢の真意が、失敗を期待していることにあるのか、成功に期待していることにあるのか、それはいまひとつわからない。
――が、夏には余剰が出たはずの地方興行チケットは、今回、デビュー直後を上回る勢いで完売した。
それは、美波にしても驚きだったし、唐沢にしてもそうだったはずだ。
ただ、キャパが比べ物にならないほど小さいことを考えると、手放しで喜べる快挙ではないが――
「ワンツー、ワンツー、そこでターン」
―――振り付け担当は、東條か。
4人を前に、東條聡がまず踊り、それを残る4人が真似る。いわゆる振り移しと言う手法である。
キッズから身体に叩き込まれた振り付け習得法。最悪、それは本番直前のリハーサルで覚えさせられることもあるし、さらにひどければ、幕間でやらされることもある。
その意味では、ここにいる全員、紛れもないプロだった。
たった一度の振り写しで、どこか鈍い成瀬でさえ、すでに振りをマスターしている。数万人規模の観客の前に立つという、ある意味極限の状況に慣れているせいか、そのあたりはなんでもないようにこなしている。
「やっぱ、オールステージってのは、どうかな」
手を叩いて曲を止め、髪をかきあげながら片瀬りょうが言った。
「なんとかならないかな、今までと比べて平坦すぎるよ、せめて花道に出て行きたい」
「だから、それは今回なしにしようって言ったじゃねぇか」
「だったら今から組みなおせばいい、今のままじゃ、俺はやだね」
あの、素直で控え目な片瀬のセリフとは思えない。
ほとんど青筋の立っている柏葉に、真っ向からくってかかっている。
「確かに、立体感は演出してもいいと思うな」
「ホールならできても、ハウスじゃ無理だよ、観客に怪我でもさせたらどうすんだ」
「予算内で、そこ、なんとかしてみようよ」
舌打ちしつつ、柏葉将が卓上で図面を広げて頭を掻く。
「マジかよ、あと一週間だぜ」
呟きながら、それでも、出来ないとは絶対に言わない。
「そっちは将君に任せて、とにかく通しでもう一回やってみよう」
「将君の位置、悠介君入って、とりあえず」
「雅――っっ寝んなっコラっ」
苦笑して、美波涼二は、薄く開いていた扉を閉めた。
片瀬りょうは、明日が東京公演初日だ。
成瀬雅之は、連日の特訓と撮影。誰よりも肉体を酷使しているゆえに、疲労の度合いも段違いなのだろう。今も、暇さえあれば転寝している。
綺堂憂也は、二時間以上に及ぶライブの、二十五曲全ての曲のアレンジを担当したという。
そして、東條聡は、全曲の振り付けと構成。
それら全ての総監督が――柏葉将だ。
―――チーム、か。
野暮ったい、でもどこか心に残る響き。その時代遅れの野暮ったさが、どこまで観客に届くかが、この興行の成功の分かれ目になるだろう。
そして、ふと不思議に思う。
唐沢直人が取締役に就任してから、すでに十年以上がたつ。今までだったら考えられなかった。ストームのような存在は、それ自体が許されなかったはずだった。
タレントを束縛し、仕事も私生活もコントロールする。
それが唐沢のやり方だし、実際、そうしてきているはずだ。
なのに何故、気がつけばストームだけ、いつも特例続きなのか。
「………………」
ふいに美波の脳裏に、誰も掛ける者がいない、五つの、黒皮の椅子が蘇った。
その椅子をひとつひとつ、おどけた仕草で引く人間がいる。それは、―――父親譲りの凄みを帯びた美貌の女、いや――。
美波はそこに、死んだ男の幻を見た。
生前のように、どこかふてぶてしい顔で、笑っている幻を見た。
13
ん?
つり革にもたれたまま、半ば眠りかけていた凪は、背後に感じる異様な感覚に目を見開いた。
いつもの電車。いつもの喧騒。
凪の背中に密接している、どこか酒臭い体臭。そんな時間でもないのに、酔っ払いのサラリーマンだろうか。気持ちが悪いから、振り返りたくもない。
凪の腿あたりに、硬い鞄がおしつけられている。で、その鞄を握っている手の甲あたりが――。
間違いない、絶対に意図的に動いている。
「なにすんですか」
凪は小声で言って振り返り、その腕首あたりを強く掴んだ。
ぎょっとした顔の男は、「お前こそなにすんだ」と、即座に凪の手をふりほどく。
やや小太りな、そして見た目は若そうな、サラリーマン風の男である。 真っ赤な顔は、そこそこ飲んでいるのだろう。スーツも着崩れていてだらしない。
「触ってたじゃないですか」
凪がひるまずに反論すると、
「触ってねぇだろ、何いってんだ、お前、自意識過剰なんじゃねぇのか?」
と、激しい勢いで言い返された。
車内がたちまち、しん、とする。全員が、この騒ぎを注視している。
「こんだけ込んでるんだ、手ぐらい当たるだろ、そんなんでいちいち痴漢だって騒がれたら、やってられるかよ」
怒りを含んだ目で見下ろされ、凪はぐっと詰まってしまった。
絶対に触ってたくせに。
「ふざけんな、ばーか」
そう吐き捨て、男は混雑している人ごみをかきわけ、離れていこうとする。
「ちょっと」
と、穏やかな声がそれを遮った。
「あなた、前もこの車内で同じことやってましたよね」
凪は、はっとして振り返る。それは、今日は特に注目もしていなかった、例の濃い顔の、勤勉な、――絶対にサラリーマンじゃない風の男だった。相変わらず耳にイヤフォンをつけ、いや、それを外しつつ、じっと凪の背後の痴漢男を見上げている。
「その時も、今みたいに逆に怒って逃げていかれましたよね。次の駅で、僕と一緒に降りましょうか」
「ふざけんな、いい加減にしろ!」
男は怒りつつ、それでもそのまま人ごみをかき分けようとする。
凪が後を追うより早く、イヤフォンを耳から引き抜いた男が立ち上がった。
「すいません、誰か車掌に連絡してください」
そう言いつつ、意外な敏捷さで逃げた男を追う。その膝から、ばさばさっとノートや書類の束が落ちて――騒然とする車内の中、凪は、誰かに踏まれないよう、慌ててそれを拾い上げた。
最初の一枚が、否応なしに視界に入る。
片瀬、ソロ
え?
ぎっしり英字が書き込まれた意味不明な表に、そんな殴り書きが見えた。
綺堂センター
成瀬モニター位置ななめ下
「え……?」
なに、これ?
なんの偶然?
思わず、その下に隠れたペーパーの束を引き出す。
分厚い冊子。表紙の大きな字が、まず凪の目に飛び込んできた。
ストーム春のライブツアー「チームストーム」
渋谷JRT機材リスト
「はぁっ??」
男が座っていた席には、大きな鞄と、そこからこぼれている超小型の携帯オーディオ。
「……………」
凪は、悪いと思いつつ、イヤフォンを耳に当てていた。
「??」
そして、思わず吹き出していた。
ストームのデビュー曲。
ちょっと待って、もしかして、いつも同じ電車に乗ってたこのおじさんって――
14
「そうなんだ、ストームのファンかぁ、君」
JR駅での事情聴取の帰り、凪は、かはらずも知り合いになってしまった男と、肩を並べて改札を出た。
「だったらもっと早く声かければよかったなぁ、いやぁ、あんな電車にいつも女の子がぽつんと一人で乗ってるだろ、実は心配でちょいちょい見てたんだよ」
勤勉で寡黙そうに見えた人は、口を開けば、意外にさばけた男だった。というより、見た目より全然若い。話し方にも歩き方にも活力が溢れている。
「結構好みだなぁって、ははは、おじさんの純愛だな」
「ははは」
と、凪も笑うしかなかった。が、不思議と嫌な感じも、いやらしさもない。
駅構内で、駆けつけた鉄道警察官相手に、丁寧で的確な応対をしてくれた男は、小さいながらも企業の社長を務めていた。
「前原さん……でしたっけ」
凪は、もらった名刺を見ながら言った。
音響マネジメント会社Reinbow代表取締役社長、前原大成
そこには黒字で、そう刻まれている。
「いつも耳にイヤフォンをつけておられたので、英会話の勉強でもされてるのかと思ってました」
かかか、と男は豪快に笑った。
「もうここ最近は、暇があったらストームだね。演出のタイミングとかコーラスが入るタイミングとかね、曲を頭に叩き込んどかないと、どうにもならないから」
「社長さんでも、そういうことって必要なんですか」
駅を出れば、そこでいつも別々の方向に別れる。が、凪はまだ男の話が聞きたかった。
「あ、ごめんなさい……コンサートの裏側って、なんか興味があって」
コンサートというか、ストームを別の角度から見ている人の、その話をもっと聞いてみたい。
「じゃ、もう少し一緒にいこうか」
前原は気さくに言うと、先に立って歩き始めた。
「うちの会社は小さいからね、社長っても、ただ名前だけ、僕の本業はモニターオペレーターなの」
「モニター……オペレーターですか」
「コンサートで音出すでしょ、ボイスもそうだけど、ドラム、ベース、ギター、キーボード、それらは全部、沢山の回線でつないで、アンプとスピーカー通して音出してるわけ」
身振り、手振りを交え、いきいきと話し出す男は、警察に言っていた五十二歳という年齢には見えなかった。
「僕らの仕事はね、楽器が出す音を拾って、コンサートホール全体に届ける仕事なわけ。会場が狭くても大きくても、ノイズやハウのない綺麗な音を、客席に座るお客さんに届ける仕事なんだよ。いってみれば、アーティストとお客さんを繋ぐ架け橋」
虹の橋だよ。
男は、きらきらと輝く目で言い添えた。
「だからReinbow、ストームの将君とは長いつきあいだけど、今と同じ話したら爆笑されたよ、前原さん、夢見すぎって」
「あはは」
凪もつられて笑っていた。
「音拾うのってマイクで拾うんですか」
「歌はね。でも楽器は違うよ、ものすごい量の回線がいるんだ、例えばドラムひとつとっても、10以上、トップL、トップR、キック、スネア、スネア・ボトム、ハイハム、ハイハット……」
「すごい」
「回線の数だけでも、気が遠くなりそうなくらいあるよ。曲によってそれらを切り替えて使うからね。機材やマイクも、アーティストの好みもあるし、曲によって合う合わないがあるでしょ。僕らは、そういうの全部わかってて、アーティストが一番伝えたいとこをお客さんに届けなきゃいけない」
「じゃあ、曲のこともよく判ってないといけないんですね」
「曲だけじゃないね、僕はアーティストのポリシーとか世界観も大切にしてる。そういうのも全部理解して、マジで親友やってるくらいの愛がないと、いい音は拾えないし、伝えられないでしょ」
「……ストームの……」
静かな夜更け。多分前原は、凪を送ろうとしてくれているのだろう。
本当は海堂家はすぐそこだった。が、凪はわざと遠回りをして話を続けた。待っているミサには悪いけれど。
「ストームの世界観って……前原さんからみたら、なんですか」
「なんだろうね」
前原は楽しげに笑った。
「僕が感じたのは、……前から感じてて、今も強く感じてるのは、儚さ、かな」
儚さ。
凪は、口の中で呟いた。
「今にも消えそうなものを必死で追ってるっていうのかな、上手くいえないけど、今日は明日になったら、もう二度と戻らない時間でしょ」
「……はい」
頷きながら、凪はその言葉の意味を考えていた。
今日は明日になったら、
二度と――戻らない時間。
「その消えそうな時間の中で、必死になって輝こうとしてる原石って感じかな、その必死さが本当に大好きなんだ、僕は」
「……………」
「愛しくなるっていうのかな」
あ、なんとなく、それが判る。
その感覚。ストームを見る時に思う、ちょっと切ないような、愛しい感覚。
「今回のライブ、正直僕でも腰がひけるくらい、ぶっちゃけ、どたばたなんだけど、僕らにしても、なんだかむしょうに燃えるんだよね」
夜空を見上げる前原の横顔に、綺麗な月が映えていた。
「あんなに必死になってる連中、応援してやりたいじゃない、損得なんて関係なしにさ」
「はい」
なんだか――うれしい。
凪は自然に笑っていた。
こんな風に支えてくれる人がいるんだ。そっか、あのバカは一人じゃない。5人でもない。こんなに素敵な人たちに、支えてもらってんじゃない。
「流川さんだったっけ」
「あ、はい」
不思議なほど暖かな気持ちをかみ締めていた凪は、名前を呼ばれて顔をあげる。
「君、本当にストームが好きなんだね」
「えっ」
「僕の仕事を聞くと、大抵の子は、サインもらってくれとかチケット回してくれとかね、君はそういうこと言わないかわりに、ただ楽しそうだから」
「………」
まぁ――必要がないほど近くにいるから、とも言いにくい。
「今日もバカ息子にチケットを無心されたばかりでね、どうせナンパの道具にされるかと思うと、腹がたつんだが」
「息子さん……ですか」
「子供の頃から苦労させてきたからね、まぁ、だめな父親だ、威厳ゼロだよ、恥ずかしながら」
まさかね。と思う。そこまでの偶然もないだろう。それに、苗字も全然違うし。
「そういえば、海堂さんって方、スタッフにおられます?もしかして」
それでも凪がそう聞くと、前原は、ん?と、露骨に不思議そうな顔になった。
「うちの大学に、ツアースタッフの親戚だっていう男の子がいるんですけど……」
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