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「様子を見てきましたが、ご心配される様なことはないようですね」
 報告を始めた藤堂戒の第一声に、唐沢直人は露骨に眉をひそめてみせた。
「誰も心配などしていない、俺は尻尾をつかめと言ったんだ」
 東京、六本木。
 J&M本社ビル4階。
 唐沢のオフィスでもある社長室で、今、取締役専務――通称「別れさせ屋」藤堂戒と唐沢は、極秘の会議の最中だった。
「では、残念ながら、尻尾はつかめませんでした」
 藤堂はにこりともせずに、すぐに言葉を訂正した。
 相変わらず表情を変えない男は、それが怒っている時でも笑っている時でも、いっかな顔にはそれを出さない。
「柏葉の女関係は、高校時代にわずかに浮かんではきましたが、いつも上手く逃げられています」
「………」
「ただ、今回に限っては、男女の関係ではないと断言して、間違いないようですね」
 なんでもないように言う藤堂は、今まで、眉ひとつ動かさない冷酷さで、何人ものアイドルの彼女を切り捨てている。
―――使える男だ、しかしいまだに底が見えない。
 それが、唐沢の藤堂に対する、偽らざる感情だった。
 この得体の知れない男と唐沢との出会いは、まだ唐沢が、この事務所の営業平だった時代に遡る。
 いきつけのバーの常連同士だった。その程度の顔見知りにすぎなかったものが、夜の繁華街で数人の筋者に絡まれたのをきっかけに、人生の何かがクロスした。
 藤堂は躊躇なくその場の仲裁に入ってくれて――それが、初めて二人で話した馴初めとなった。
 元ヤクザで、今はボディガード。異相で無骨、プロレスラーまがいの巨体。しかしどこか知的な香りのする男は、指はあったし、刺青もなかった。最近のヤクザは、縁切りでさえ金で片がつくという。その代わり藤堂にあったのは、彼の立場では莫大とも言える借金だった。
 唐沢は――わずかな友情と、打算から、その借金を肩代わりしてやった。
 これから、ヤクザが横行する芸能界のトップに立とうという自分に、藤堂のような腹心はうってつけだと思ったのだ。元ヤクザならではの義理堅さ、それを、唐沢は金で買ったし、それは今考えても正解だった。
「……真咲しずくと柏葉か」
 唐沢は呟き、自分の唇に指を当てた。
 男と女の関係ではなかったか。まぁ――もともと半信半疑ではあったのだが。
 が、何故、バイトなどしたこともない真咲しずくが、わざわざ小学生だった柏葉の家庭教師など買って出たのか、その一点が納得できない。
「何かあるはずだ、二人の接点が、俺たちの知らないところで、――何か」
「一つ、面白い事実が浮かんではきました」
 藤堂は即座にそれに応じた。
「柏葉の血縁関係を調べました、すると、意外なところにいきつきまして」
「柏葉が養子だということか」
 あとで書類を見直して気がついた。契約時に提出させた戸籍謄本。その時、人事担当が母親から聞き取りもしている。
 民法817条の2による特別養子縁組。実の両親との縁は完全に切れ、戸籍上も、実子として記載されるから、実親の素性までは書面上判らない。
「死んだ兄夫婦の実子だという話だった、身元も確かだし、問題はないだろう」
 事業に失敗し、借金から逃げるようにして海外に居を構えた兄夫婦に養育は不可能。それで特別養子縁組をしたという。
「それが、うちにまんざら無関係な話ではないんです」
 藤堂は、細い目をわずかにすがめた。
「城之内会長が、孤児だったのはご存知ですね」
「………弟と二人で、施設で育ったという話ならな」
 J&Мの創始者、城之内慶。
 城之内会長のことなら、今、あまり話をしたい気分ではない。
 というより、藤堂の言いたいことが判らない。
「その施設は、十数年前に城之内会長が買い取り、莫大な資金を投入して、今では、国内でも最大級の児童養育施設になっています」
「その余計な借金のことを思い出すと、今でも反吐が出る」
「……契約当時、施設の持ち主は、仏教系の保育園でしたが、以前の持ち主はこの男でした」
 藤堂はそう言って、売買契約書のコピーのようなものを机の上に置いた。
 それに視線を落とした唐沢は、さすがに眉を上げていた。
 柏葉怜治。
 柏葉――か。
「柏葉将の父親の、実の兄にあたる男です、つまり」
 つまり、柏葉将の実の親。
 母親の言葉を信じるなら。
「…………………」
 それは確かに。
 見逃せない符号だ。
 しかし、そこに、どんな意味があるのか分からない。
「もしかして、柏葉将の実親は――施設にいた頃の、城之内会長と、そして弟の静馬氏を知っていたのかもしれませんね」
 弟。
 かつてこの部屋に飾ってあったスチール写真、闇に消えた天才シンガーSHIZUMA。
「この夫婦に、他に子供はいないのか」
「一時期は東電の大株主でしたが、事業に失敗して、もう二十年近く前に、シンガポールで客死しています、大変な道楽者だったらしく、親戚づきあいがあったのも弟夫婦くらいだったようで」
「………………」
「真相があるとすれば、それを知っているのは、今は城之内会長だけでしょう」
「………………」
 それか、もしくは柏葉将の養親。
「父親は、外務省の官僚だったな」
「今はアジア太洋州局長です、非常に激務な部署だと聞いています」
「…………」
 唐沢はわずかに嘆息した。
「いずれにしても、城之内会長は無理だ、もう、人の言葉を理解できる状態じゃない」
「ま、もう少し調べてみますよ」
「そうしてくれ」
 そこに、何が隠されているのか。
 ただのいけすかないガキだと思っていた柏葉将の背後に、ふいに得体の知れない影が現れた気がした。
「………SHIZUMAか、」
 断ち切ったと思った過去の呪縛。
 ここ数年、J&Mの加速度的な飛躍の陰で、ずっとなりをひそめている東邦プロ。いまだ会長職にとどまる男が、それを放置するような気質ではないことを、唐沢はよく知っている。
 真田孔明。
 最初から、最後まで、おそらくこの事務所の前途に立ちふさがるであろう男。
「柏葉の本命は、案外大学にいるかもしれませんね」
 そう続ける藤堂の関心は、唐沢とは違い、あくまでアイドルの女関係にあるようだった。
「付属中学から一緒だった連中が何人かいます、そっちの方面もあたってみますよ」
「………………」
 妙な不安を感じつつ、唐沢はじっと、空を見続けていた。



                    3



「やっぱ、女がらみじゃねー?」
 沈黙の後、最初に切り出したのは雅之だった。
「将君と悠介君が?」
「ちょっとキャラ的に、ありえねーよな」
 と、半信半疑の聡と憂也。
「つか、悠介君って、彼女いるの?」
 聡の問いに、少し考えてから口を開いたのはりょうだった。
「いるよ、同じ大学で、超きれい系の人」
 へー、と全員、微妙に意外さをあらわにした。
「見たことあんの?」
「……将君の部屋で、アルバム……かなり綺麗な人だった、アサミさんっていってたかな」
「へー」
「ミスキャンパスだとかなんとか」
「へーーー」
 と、再び全員、意外さも露わに頷く。
 悠介とは、確かにいい男には違いないが、これは――将の印象が強烈すぎるせいもあるのだろう、どこか凡庸というか、地味なイメージがどうしても抜けない。
「将君じゃなくて、悠介君の彼女?」
「みたいだけど……」
「なんで、将君の部屋に写真があんのさ」
「友達だから、……だと思うけど」
 りょうは言葉を濁す。
「付属中学から一緒の彼女だから、多分、将君とも親しいんじゃないかな?」
 その言葉には、ひと時全員が押し黙った。
 穏やかきわまりない悠介が、将を殴った。
 ものも言わず、将もまた、言い訳ひとつしなかった。
「………怪しくねー?」
「かなりきたね、今」
「しかし、親友の女取りかよ、いくら将君でも、そこまですっかなー」
 憂也の楽しげな声に、やはりまた全員が黙り込んだ。
「将君、こないだ、流川とデートしたらしいんだよな」
「ミカリさんとも、時々、こそこそ会ってるみたいだし」
「そういや、真白さんとも、メール交換してるみたいだし」
「……………」
「……………」
「……………」
「ま、人間凶器と化した将君の下半身に、もはや節操はないってことで」
 この中で、一人余裕の憂也だけが、ただひたすら楽しそうだった。
「お前らもさ、自分とこの防衛策に努めた方がいいんじゃねぇの」
 返事がない。あれ、と憂也は顔をあげる。
 すでに全員が席を立っていた。








この物語は全てフィクションです。実在の団体、個人に一切関係なく、
実団体、個人に対する作者の感情が、小説内にそのまま反映されているわけではありません。


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