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「なーにびびってんだよ、これくらいで」
 将に、こん、と、額を小突かれる。
 それでも聡は、クラブという、未知というか、自分には全く縁のないと思っていた今時の若者世界に、真面目にびびってしまっていた。
 夜の新宿、歌舞伎町。
 この前振りだけで、聡的には絶対足を踏み入れないであろう恐怖の世界。
「そ、その筋の人が多いのかな、やっぱ」
「さっきから、あの外人さん、りょうのお尻ばっかみてねー?マジで」
「声でけーよ、バカ、必死で目あわせないようにしてんだよ、こっちは」
 と、鬱状態など維持できるはずもなく、無理に引きずられてきた雅之も、りょうも、結構それなりにテンパっている。
 飲食店が入った雑居ビルの地下。
 将に導かれるままに薄暗い階段を降りると、妙にアンティークな扉に紙切れ一枚が貼り付けてあった。
 ウッディ・ハウス
 殴り書きのような英語である。
 扉を開けた途端、熱気と喧騒が襲ってきた。
 中は薄暗く、ほとんど満員といってもいいくらいの人が、ぎゅうぎゅうに詰め込まれている。
 轟音のような音楽、そして、意味の判らない英語のDJ。
 腰の高さまでの鉄柵が、ステージ思しき狭いスペースと客席を区切っていた。その鉄柵に身体を押し付け、腕を振り、声を張り上げ、年代も服装も様々な男女が、すでにのりのりで踊りまくっている。 
「よう、こっち」
 音楽が、スローになった時、ようやく雑踏の中から手が振られた。
 将と共に、いかにも強面のお兄さんたちの傍をすり抜け、待っていてくれた浅葱悠介と合流する。
「席も何もねーな」
「すげー人気だからさ、ここのライブは」
 将と話していた悠介は、傍らの聡と視線が合うと、にこっと目で笑ってくれた。
 聡は――微妙に笑えなかった。
 皮のジャケットにレザーパンツ。編み上げブーツに、腕には……刺青??髪はびしびしに逆立っており、眉は細くカットしてある。
 浅葱悠介。
 正月の、どこかハイソな袴姿とは別人のようないでたちである。
 が、そこはやはり育ちなのか、悠介は即座に居住まいを正すと、聡、りょう、雅之に、「こんにちは!」と、さわやかに一礼してくれた。
「ここ、ウッディっていう正体不明のDJが、気まぐれでやるライブなんだけど、ネットや口コミで話題になっちゃって、今じゃ、入るのも難しいんだ」
 顔は怖いが、笑うといつもの、どこかお人よし気なお坊ちゃまだった。
「で、時折そこに、妙な飛び入りが入るんだけど、……今日、そいつ出てくるかな?みんな結構期待してるみたいだけど」
 丁度閑談の時間なのか、音楽は静かなものが流れ続けている。
「アサミ、一緒じゃねぇの?」
「あいつ、煩いのは苦手なんだ、将が来るなら呼べばよかったな」
「別にいいよ」
―――アサミって誰だろ。
 ちょっと、意味ありげな2人の会話。
 将と悠介の会話を聞きつつ、聡は、店内に流れるメロディに、いつしか聞き入っていた。
 同じメロディに、違うリズムと旋律が重なり、それがやがてメインになっていく。そこにまた、他の旋律が重なり、いつの間にか、最初の曲とはまるで違うものになっている。
 その繰り返し。それが、不思議だし、心地いい。
「リミックスっていって、ターンテーブル使って、DJが、ふたつの音楽を上手く融合させて一つのメロディにしてるんだ」
 聡の表情に気づいたのか、将が、そう言って説明してくれた。
「ターンテーブルって?」
「……っと、説明難しいけど、二枚のレコード、同時にかけられるレコードプレーヤーみたいなの想像して」
 悠介が頷いて、後を継いだ。
「二枚それぞれ、リズムとか、音質とか、あげたりさげたり、スローにしたりクイックにしたり、全部調節できるようになっててさ。二曲同時に流しながら、音調節して、それで全く別の曲作ってくのがDJってわけ」
「こする音とかあるだろ、ジャガーズのラップとかでも、キュキュキュって」
「あれもターンテーブルで、レコードを擦って出す音なんだよ、上手くやると超かっこいいよな」
 バンドをやっているという悠介は、この手の話題になると水を得た魚のように嬉しそうだった。
「今、また別の曲が入ったろ、これ、原曲がわかんねーほどリズム変えてるけど、元はシュガーベイビーラブだよ。ほら、また変わった。次々とレコード変えながら操作してんだよ」
「すげー、なんか難しそう」
 聡は面食らいながら、ステージの方を見る。そこには今は、誰もいない。
「DJは、ほら、あそこ」
 将が指を指す。
 ステージの半分くらいを黒い箱型のものが閉めている。上部に、わずかにガラス張りの部分があって、そこから、赤いキャップを被った黒人っぽい男の頭だけが見えていた。
「あのブースで音流してんだ、さっきまで踊ってたのはダンサーで、歌ってたのは、また別の奴。DJは喋ることもあるし、音だけの時もあるし、ま、人それぞれかな」
「……夢のカリフォルニア」
 隣でりょうが呟いた。
「すげー、この曲って、こんなにノリがよかったっけ?全然別の音みてー」
 と、雅も感嘆している。
「そろそろ行こうぜ、次のステージが始まるから」
 悠介が促し、5人はぞろぞろと前の方に移動を始めた。
「……将君、どうしてここに?」
 聡は思わず聞いていた。
「ストレス解消、俺の勝手なやり方だけど」
 将ははき捨てるように言うと、背後のメンバーを振りかえった。
「どんづまりの時ははっちゃけるしかねぇだろ、つか、もう俺は知んねーからな、りょうも雅も、自分の落とし前くらいてめぇでつけろ!」
 雅は心底情けない顔をして。
 りょうは、ただ肩をすくめている。
 そして、聡は笑っていた。
 将らしい適当さ。それでも、あの狭い室内で暗く沈んでいるよりは、雅之も、りょうも、何倍もマシになったような気がする。
 それに――面倒くせぇとか、知んねーとか言いつつも、結局最後まで面倒みてしまうんだろう。将君って奴は。
「雅、憂也は?」
 ようやく鉄柵の傍までたどり着いたとき、聡は雅之に聞いてみた。メールで場所は知らせたはずなのに、携帯を見てもいまだ憂也からは何の連絡もない。
 雅之は嘆息して肩をすくめた。
「こっちにも連絡なし、あいつ、時々夜中にこっそり出かけてるからさ、一体どこでなにやってんだか」
「ヘイヘイヘイヘイヘイ」
 ふいに照明が消え、甲高い声が響き渡った。
「レディース、&ジェントルマン、ウェルカム、ハッピーラッキーナイッ、アイ、アム、ア、スーパーラッキーボーイ、イッツ、ショウターイム!」
 なんだ、この目茶苦茶な英語は。
 が、途端にうぉーっっっと歓声が巻き起こる。女の悲鳴は聞きなれているが、野郎の悲鳴は初めてだった。
「でたよ、でたよ、色物DJ」
 と、悠介が興奮気味に拳をつきたてた。
「……ちょ、この声……?」
 雅之が、けげん気に呟く。
 雅之に言われるまでもなく、聡もすでに、耳を疑っていた。
「ユー、」
「ユー、」
「ユー!!」
 と、周辺の観客が、それぞれ拳を突き上げて叫んでいる。
 ユー?
 聡は妙な胸騒ぎを感じつつ、周辺の客を見回した。
 必死で紙切れを振り回している女がいた。そこには、
 DJ you 
 と書かれている。
「you!」
「you!」
「you!」
「ヨー、ヨー、ヨー、ヨー、今夜はナイスでバイブスなベリーナイト、今夜はサイッコーの奴らが来てるから、この曲でゴーゴーヘブンで、ヨー」
 その曲の出だしで、聡ももう確信していた。
 ストームのデビュー曲。
――――ば、ばっかじゃねぇのか、憂也の奴。
 まず、将が柵を飛び越え、りょうが続いた。聡も慌てて後を追う。結構な騒ぎだったが、それでも店員が庇ってくれたのは、こうなることが予想されていたからなのかもしれない。
 初めて入ったDJブース。
「ラーリホー」
 と、すっかり上機嫌の憂也は、唖然としている4人の前で、深く被っていたニットのキャップを脱いだ。


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「ウッディは、俺が通ってるボイトレの師匠、かっちゃんの紹介で教えてもらえることになったんだけど」
 表では、ダンサーが踊っている。
 ターンテーブルを扱って音を出しているのは、幻のDJ、こと、ウッディと呼ばれている男だった。年は四十くらいだろうか。恰幅のいい黒人で、服のセンスもスタイルも、とにかく目茶苦茶かっこいい。
 その傍で、憂也は淡々と続けた。
「そのウッディが、時々ライブやってるって聴いてさ、俺も趣味で、タンテとかいじってっから、やらせて〜って感じのノリで」
「つか、すげぇじゃないか憂」
「………サザエさん、ルパン三世、それならまだしもドラエモンまでやったとか。噂の色物DJが、まさかお前だったとは……」
 将は、苦い顔をしている。
「いやー、適当にやったら、これがまた受けちゃってさー」
 くしゃくしゃの髪をかきあげつつ、憂也は、ははは、と軽く笑った。
「いや、適当なんてもんじゃねぇよ」
 口を挟んだのは、便乗してここまで入ってきた悠介だった。
「どの曲も、笑えねぇくらい目茶苦茶かっこよくアレンジしてあんだ、普通の才能じゃできねぇよ、絶対」
「いやー、それほどでも」
 と、憂也、本気なんだか適当なんだか、判らない受け答えをしている。
「ヘイ、ユー」
 背後でいきなり深みのある声がした。
「この騒ぎ、どうするつもり、みんなユーを待ってるけど」
 ウッディ。
 聡は少し、どきまぎして、見あげるほど長身の異国の男をうかがい見た。
 一体、どういう素性の持ち主なんだろう。かなり本格的に音楽をやっているということだけは判るけど。
 外からは、
「ユー、どうしたんだよ」
「でてこいよ、何のために、ここに来てると思ってんだよ」
「おらーっっ出てきやがれ」
 そんな声が聞こえてくる。
 こ、
 こわ……。
 聡は、同じくびびっている風の雅之と顔を見合わせていた。
 昔でいえば、パンクっぽいお兄さんが、怖い顔でチェーンなんかを振り回している。というか、憂也、こんな環境の中で音楽活動してたんだ。
 5人じゃなくて、たった一人で。
「さてさて、お楽しみはこれからじゃん」
 憂也は、しかし落ち着いて鞄からCDを取り出した。
「時間ないから、聞くのは通しで一回だけ」
 全員にイヤホンが渡される。
 流れてきた音楽を聴き、聡は眉を上げていた。
「……憂也、これ」
「せっかく全員揃ったんだ、今日は、はなからこれ流そうと思ってたんだけど、生アイドルの生歌で行こうぜ」
「………………」
 聡たけでなく、全員が一瞬言葉をなくした。
 ってことは、ここで、この場所で、今。
 5人で歌うってことだろうか?
「………お前、やけになってっだろ」
 静かな声でそう言ったのは将だった。
「ま、そこそこどん詰まってる」
 それよりもさらに静かな声で、憂也が将の顔を見上げる。
 怖かった将の目に、ふいにいたずらめいた笑みが浮かんだ。
「上等じゃねぇか」
 拳――それを、憂也は正面から、自分の拳で受け止めた。
「悪いけど、俺も今、憂也に負けないくらいどん詰まりなんだよ!」
「俺もだよ!」
「つーか、俺も!」
 俺は……なってないけど。
 それでも聡を含めた5人で、互いの拳を突き合わせていた。ぞくぞくするような興奮の中で。
「東條君は"ストーム"の二小節目から、テンポは八小節で、半音さげて」
「了解」
「将君は、この曲のタイミングで入って、ジャガーズの"ファイヤーウォール"ラップ部分、そらで歌えるよな」
「まかせとけ」
「りょうと雅はコーラスと掛け声、アドリブでかっこよく決めて、で、とにかく踊って盛り上げる」
「やってやるさ」
「ラジャー!」
 憂也は、デモテープの音源を切った。
「調整は全部俺がやる、ぶっちゃけ本番、しくじったら暴動モンの大すべりだ、行くぜ、みんな!」


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 ターンテーブルの擦りから、その曲は始まった。
「……なに、これ」
「ジャガーズのファイヤーウォールじゃねー?」
 いきなり、それがアップテンポでハードなメロディに切り替わる。
 暗かったステージに照明が灯り、うつむいた4人の男たちが照らし出された。
「この曲……聴いたことない?」
「ほら、なんかバレーか何かでデビューしたアイドルの」
「えー、アイドル?」
 ざわめきは、柏葉将のラップが始まると歓声に変わった。
「うそ、本物?」
「誰?」
「ありえないよ、どうなってんの?」
 ジャガーズのミリオンヒット曲、ファイヤーウォールのラップが、アイドルのデビュー曲と見事にマッチして、異色の旋律を奏でている。
 しだいに、アイドルソングが音をひそめ、激しいロック調のファイヤーウォールがメロディの全てになる。そこに、綺麗に澄んだ歌声が重なった。
 ストームのサビのメロディを、東條聡が歌っている。それが、また、絶妙にマッチしている。
 掛け声とコーラス、そしてダイナミックなダンス。
「踊れーーっ」
 りょうは、もう降りてきている。
 雅之は、さすがジャガーズのファンだけあって、掛け声のタイミングが申し分なく決まっている。
 全ての神経を手元と耳に集中させて、憂也は音を調節する。完璧だ、想像以上に、すげぇ興奮するコラボレーション。
 メロディとラップの調和、動と静、アップとスロー、心と言葉、旋律とメッセージ。
 身体の底から、何かが湧き出すような――曲と言葉で伝えていく心。
 わかった、将君。
 これが、俺たちの目指してる曲なんだ。
 

―――憂也……すげぇよ。
 言葉を放ちながら、将は思う。
 やっぱ、あいつは天才だった。
 こんなリミックス、趣味の域では絶対に作れない。テクニックも申し分ない。ファンが熱狂するのもうなずける。これは――センスがもう、突き抜けている。
 どれだけ努力したのだろう、天性の才能の影の負けず嫌いを、将はよく知っている。
 お前がいてよかったよ。
 いや、
 聡を見て、りょうを観て、雅之を見て、将は思った。
 5人でよかった。
 5人だから、とんでもない夢も可能になる。



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 最後に憂也が姿を現して、場内はさすがに騒然となった。
「うそーっ、マジで本物?」
「ユーが、綺堂憂也だったの?」
「マジかっこいいじゃん、生アイドル」
「すげー、俺、ファンになったよ」
「いいぞ、アイドル!」
「かっこいいぞ、ストーム!」
 曲の余韻がかもしだす興奮の坩堝の中、さすがにこれ以上の騒ぎを警戒した店側の配慮で、5人は裏口から外に出された。同行した悠介も一緒に。
「サイコー!」
「スゲー、さいっこーに面白かった」
「びしびし来たよ、燃えまくった」
 口々に叫んで、夜の新宿を歩き出す。
「なんか、俺の街って感じ」
「ばーか、最初、あんだけおどおどしてたくせに」
 楽しかった。
 ただ、意味もなく楽しかった。
 それぞれが背負った葛藤も、なんだかどうでもいいと思えるくらい。
「………やろうぜ、みんな」
 立ち止まって将が呟いた。何かをふっきったような静かな眼差しが、夜の繁華街のネオンの下で輝いている。
 全員が足を止め、その言葉の続きを待った。
「今は、やりたいこと、とにかく思いっきりやってみようぜ、バカにされようと、クビきられようとさ、それが間違いだっていいじゃねぇか」
「…………………」
「自分のやりたいことを、悔いのないようにやってみようぜ!」
 しばらく黙って、最初に笑ったのは憂也だった。
「そっか、だからここがいいんだ、俺」
 意味不明のセリフ。
 しかし憂也は、それを説明する気もないらしく、ニットのキャップを脱ぎ捨てた。
「どうせ俺たち、いつだって崖っぷちだしな」
「そうそう、なくして困るもんなんて、端からどこにもねぇんだよ」
 雅之も、拳を握って天を仰ぐ。
「クズ星だしな」
 苦笑しながらりょう。
「クズの底力、見せてやろうぜ」
 聡。
「よっしゃーっっ」
「うっしゃーっ」
「おらーっ」
 と、全員が奇声をあげて駆け出した。
 まだ、光のきざしさえ見えない、真っ暗な夜明けに向かって。





















この物語は全てフィクションです。実在の団体、個人に一切関係なく、
実団体、個人に対する作者の感情が、小説内にそのまま反映されているわけではありません。


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