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「……………はぁ…………」
 と、知らず自分の口をつくため息。
 まじー、
 と、将は気を取り直して車を降りた。
―――つか、俺まで、ドツボにハマってどうすんだよ。
 六本木。
 目の前には、J&M事務所本社ビル。
(今、私の方で判ってるのはこれくらい、上の煌さんに、今、調べてもらってる最中だけど)
 先ほど将は、九石ビルの冗談社を訪ねたばかりだった。
(美波君ね、事務所の反対押し切って彼女と結婚するつもりだったのよ)
「………………」
(その記者発表と日を合わせたように、彼女の過去がスクープされたってわけ。タイミングがタイミングだっただけに、リークしたのはJ&M側じゃないかって、そんな憶測も囁かれたけど)
 つか、それ、憶測どころか思いっきりうちの事務所のやり方じゃん。
(―――正直、あの当時、事務所で何があったのか、美波君が、今何を考えてるのか……それは私にもわからないし、調べようがないんだけど)
 いつになく歯切れの悪い九石ケイは、それ以上自身が関わることを、暗に拒否しているようにも見えた。
(もしかすると、真咲しずくさんなら何か知ってるかもしれない、美波君と彼女は、兄妹みたいに仲がよかったし、今でも時々一緒にでかけてるみたいだし)
「……………………」
 ダブルで嫌なことを聞いてしまった。
 にしても、重てぇ。
 想像もしていなかった美波さんの過去。
 何年か前、人気がまだピークだったにも係わらず、マスコミとの確執か何かで表舞台を降りたという噂だけは聞いていた。
 そこに――そんな、辛い事情があったなんて。
 しかも、その過去は、おそらく今に続いている。
 終わった話ならまだしも、完全に現在進行形ってやつだ。
―――つか、
 なんだって、九石さんは、雅に言えなかったことを俺に話したりするんだよ。
(―――この話、あの子たちにするもしないも、柏葉君の判断に任せるわ。いずれにしても、本気で調べたら簡単にいきつくとこだとは思うけど)
 俺に任せられてもなぁ……。
 エレベーターをやめて階段を上がる将の目的地は四階だった。
 この事務所の副社長でもある――そして、ストームのマネージャーでもある、真咲しずくのオフィス。
 ノックすると、中から「入って」と、明るい声が返ってきた。
 その刹那、少しだけ身構えている自分がいる。
 初恋。
 ガキの頃から好きで好きで、いつも傍にくっついていて、当たり前だが、結局相手にされなかった女。
 その挙句、他の男とのキスを見せられたり、憂也の前でおでこにちゅうされたりと、屈辱ばかりを味わされた今日までの日々。
 もちろん、十以上も年の離れた女が、小学生だった将に、真面目な恋愛感情を持ってくれると信じていたわけではない。
 でも――そんなものより、もっと強い絆というか、つながりみたいなのが、二人にはあるような気がしていた。
 出逢った日、初めてバイクの後ろに乗った時のこと。
 ライブハウス、一緒に歌った目茶苦茶な洋楽。
 夜の公園、二人で祝ったバースディ。
 バニーちゃん。
 そんな呼ばれ方さえ嬉しかった。
 君は将来、いい男になるよ。
 私なんて、頼んでも相手にしてもらえないくらい、最高の男になるから。
「………………」
 なのに、唐突に女は消えた。
 将に何も言い残さないまま、いきなり、日本から消えてしまった。
 たった一度、屈辱のでこちゅうの再会をのぞけば、手紙も電話も一度もなかった。昨年、唐突に帰国して、唐突にストームのマネージャーとして現れるまで。
「失礼しまーす」
 気持ちを切り替えて扉を開けた将は、そこに、思わぬ……というか、今一番顔を合わせづらい人の姿を認め、ぎょっと、思わず後ずさっていた。
「なぁに?今から出かけるから、用件は短くね」
 専用デスク。バックを手にする真咲しずくの傍らに立っているのは、美波涼二その人だった。
 上下そろいのブラックスーツを着て、タイまできちっと締めている。
 相変わらず、年齢無視の玲瓏とした美貌。
 美波はちらっと横目で将を見て、再びしずくに視線を戻した。
「じゃ、下の駐車場で」
「ええ、すぐ降りるわ」
 真咲しずくも、上品なチャコールグレーのスーツを身につけている。胸には薔薇のコサージュ。長い豊かな髪だけが波打って背に流れ、仕事なのか、プライベートなのか、微妙なスタイルだった。
「……仕事?」
「気になる?」
「別に」
 なるかよ!
 と、目をそらしつつ、目茶苦茶気になっている自分がいる。
 将は歯噛みしつつ、扉の前で棒立ちになっていた。
―――くそっ、雅のことなんて笑ってる場合かよ、自分。
「で、なに?こんな時間に」
「…………いや」
 聞けないし。
(美波君と真咲さんは、兄妹みたいに仲良かったし)
(今でも時々、一緒にでかけてるみたいだし)
 事務所の創設者でもある真咲真治が、自らの後継者として美波涼二を指名し、一人娘のしずくと婚約させた――とは、将でも知っているJ&Mの有名な伝説である。
「話があったから、来たんじゃないの?」
「……………」
 実際、どう切り出そうかと、迷いつつの行動だった。
 が、聞いても無駄かな、とあらためて将は思っていた。
 将より、さきほどまで同席していた美波の方が、きっと、今のしずくには近いし親しい。
 聞いたとしても――多分、その美波のプライバシーに関わることは、何も答えてはもらえないだろう。
―――バカじゃん、俺、またどっかで自惚れてたよ。
 自分ひとりが、こいつの特別なんだって。
 こいつがストームのマネージャーになって、……なんだか昔みたいな騒ぎが色々あったから、また、へんに錯覚してた。
 どっかで――昔みたいな感覚になってた。
「もういいよ、ごめん」
 うつむいたまま、将は言った。
「暇だったら、二時のワイドショー見てみなさい」
 しずくは、突っ立っている将を、さほど気をとめることなく、コンパクトでまつげのあたりを直していた。
「貴沢君と、河合君、ちょっとした記者発表があるみたいよ、なんだったら、ここのテレビで見てもいいけど」
「……ま、気が向いたら」
「昼ドラが好調で、すっかり落ち着いてるみたいだけど」
 しずくはすっくと立ち上がった。
「そこで満足したら、それまでの俳優で終わっちゃうわよ。ブイシネのオファーがいくつか来てるようだけど、判断は君に任せるから」
「……………」
「ま、地道にやってりゃ、いつか月九くらいには出られるんじゃない、せいぜいがんばって」
 将の傍らをさっさとすり抜け、背後でバタン、と扉が閉まる。
 さすがに将は唖然としていた。
 なんなんだよ。
 つか、誰のせいで、昼ドラに出てると思ってんだよ。
 ここで満足?
「………冗談じゃねぇよ」
 時刻は二時を回っている。
 将は苛立ちながらも、デスクの上のリモコンを取り上げた。
 あの女がわざわざ言うなら、絶対、何か意味があるに違いない。
「ではここで、日本のアーティストでは史上初めてになる、アジア単独コンサートツアーが決定したヒデ&誓也の二人に話を聞いてみたいと思います」
 貴沢秀俊の満面の笑顔が、画面いっぱい、大写しになった。
「とにかく、すごい活躍ですよ、まだデビュー前ですからね、ヒデ&誓也は」
「これも、ファンのみなさんのおかげだと思っています」
「アジアツアーにさきがけて、国内で四大ドームツアーを行うそうですが」
「はい、とにかく今年は目茶苦茶いそがしいんで、誓也と二人で、がんばっていきたいと思ってます」
 


                  20



「…………つか」
 聡は、部屋のあちこちに分散する、何かこう、妙に暗いオーラがかった、人体の塊を見回した。
 キッチンで、簡易チェアに座ったまま、かれこれ半日、ただもくもくとジャガイモの皮を剥いているのは片瀬りょう。
―――りょ、りょう、お前じゃがいもレストランでも開くつもりかよ。
 ベランダで、手すりに肘を預けたまま、呆けたように、日の入りから星が瞬くまでの経過を眺めているのは成瀬雅之。
――― 雅ーーっ帰って来い!
 室内のソファで、親指を唇に当てたまま、じっと空を睨んでいるのは柏葉将。
―――………つか、マジで怖いんですけど。
 ど、どうなってんだよ、一体。
 頼みの憂也は、ラジオ撮りまでの足取りはつかめているものの、今は、携帯圏外の人である。
「あーーーっっっ」
 ふいに、がなり声がした。
 ぎゃっと叫んで腰を抜かしかけた聡は、髪をかきむしりながら立ち上がった将に視線を向ける。
「くそっ、めんどくせーっっ」
 しょ、将君……??
「うーっ」
 意味不明のうなり声を上げ、将は再びソファに腰を下ろす。
 聡は、ずるずると膝をついていた。
 こ、…………
 こわーーーーーっっっ
 もっと怖いのは、そんな最中でも、もくもくとジャガイモ剥きに精を出しているりょうと、それから、振り返りもしない雅之である。
―――い、一体、みんな、どうしちゃったんだよ。
 もしかして、自分がいない間に、宇宙人に脳を乗っ取られちゃったとか。
 と、特撮的思考に冒された聡がそう思った時だった、おもむろに携帯の着信音が室内に響く。
 なんの変哲もない呼び出し音は、将のものである。
「はい、俺だけど」
 と、意外にもごく普通の声で将は言い、持ち直した携帯を耳に当てた。
「あー、ユウスケ?え?今から?………あー、例の色モンのハコ?」
 ユウスケ……。
 一瞬、判らなかったものの、すぐに、あ、と思い出した。
 浅葱悠介。
 今年のお正月、みんなで行った初詣。そこに遅れて合流してきた、ひょろっとした長身の眼鏡君である。
 将の小学校からの幼馴染で、今も同じ大学に通っているという紹介だった。
 将君の友達らしく、おしゃれでかっこよくて礼儀正しい――が、なんとなく凡庸で、あまり顔のイメージが残っていない。
 なんにしろ、将君と小学校から一緒ってことは、目茶苦茶頭がよくて、なおかつお金持ちのお坊ちゃま――ということになるんだろう、そういえば初詣の時も、高級そうな袴姿だった記憶がある。
「俺的には、色モンはなぁ……え?なかなかいける?お前が言うならそうかもしんねーけど」
 どういう誘いなのか、将は気乗りしなさそうに、髪を手でかきあげている。
「ああ、悪りーけど、…………ちょっと待て!」
 いかにも断りそうな前振りだったが、将はいきなり声を高くして顔をあげた。
「いや、やっぱ行くわ、連れ誘ってくけどいいか、席は、えーと」
 と、将、室内を目で見回している。
「五人分押さえといてくれ、おう、二十分くらいでそっち行くから」
 え………?
 つか、すでに頭数に入ってる?俺?
 聡が瞬きしている間に、将は勢いよく立ち上がっていた。




















この物語は全てフィクションです。実在の団体、個人に一切関係なく、
実団体、個人に対する作者の感情が、小説内にそのまま反映されているわけではありません。


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