17


「えっ」
 扉を開けて出てきた人は、まだ信じられない、とでもいう風に瞬きを繰り返している。
 すらっとした長身に肩まで伸びたロングヘア。
 抜けるような色白で、清楚な、一本筋が通ったような凛とした瞳が印象的な少女。
 初見の時も思ったが、苦手に思われるか思いっきり好かれるか、どちらかのタイプだろう。
 末永真白。
 真っ直ぐすぎる眼差しは、まるで穢れを知らないようで――時に嫉妬さえ覚えるほどだ。
 が、この少女の性格が、外見ほど硬質ではなく、以外にざっくばらんで気安いことを、ミカリはよく知っている。
「ごめんね、突然」
 阿蘇ミカリはそう言って、重い荷物を足元に下ろした。
「あつーい、この間まで冬だったのに、季節が変わるのは早いわね」
「あ、どうぞ」
 汚い部屋ですけど、というお決まりの謙遜と共に、すぐに、室内に通される。
「座っててください」
 真白は窓を開け放ち、そのまま台所に姿を消した。
 勧められたクッションに腰を下ろし、ミカリはそっと室内を見回す。
 2DKのこじんまりとしたアパートだった。本人の性格なのか、あまり女性らしい装飾がない。室内は綺麗に片付けられていたが、わずかに煙草の残香がした。
「……実家、どこだっけ、真白ちゃん」
「島根です」
 キッチンから、きれのいい声が返ってくる。
「確か、ご実家は食堂だったわよね」
「そう、年がら年中忙しくて、たまには手伝いに帰れって、電話する度に言われるんですけど」
 明るい笑顔と共に、冷茶の入ったグラスをトレーに載せた真白が戻ってきた。
「お父様は、よく来られるの?」
「いいえ?一度も」
 そ、
 ミカリは微笑して、冷えたグラスを受け取った。
「でもびっくりしたー、夢でも見てるのかと思っちゃった」
 真白は屈託のない笑顔になると、自分もグラスを持ち上げた。
「ここの場所、もしかして柏葉君から?」
「そう、大阪に出張するなら、真白ちゃんの様子みてきてくれって、彼、まるでストームのお父さんなのね」
「しかも、超心配性」
「言えてる」
 二人で顔を見合わせて笑っていた。
 ミカリが見ても、なんの憂いもない笑顔。どちらかと言えば、清楚で寂しげな顔だちなのに、笑うと目じりが下がって可愛いな、と思う。
「りょうは、元気ですか」
「ん?連絡してないの?」
 知っているけど、あえて何でもないように聞いてみた。
 開け放たれた窓から、少し冷たい午後の風が流れ込んでくる。
 一時黙った真白は、わずかに目を伏せて言葉を繋いだ。
「忙しくて……それに、なんとなく判るから」
「何が?」
 真白は顔をあげ、少し寂しげな微笑を浮かべた。
「電話してほしくない時って、なんとなくわかるんです。舞台の間も、一人にさせてくれって感じがもう、ビシビシ」
「すごい、以心伝心ね」
 なるほどね。
 笑顔で答えながら、内心ミカリは思っていた。
―――柏葉将の分析は、結構正しかったわけだ。
 似すぎている、この二人。
 多分、互いのことを気遣いすぎて、身動きが取れなくなっている。
「片瀬君だけど、……」
 しばらく近況を話し合ったあと、少し迷ってから、ミカリは片瀬りょうが入院していたこと、その間、写真週刊誌にスクープされたこと、などを説明した。
 真白は、ほとんど顔色を変えることなく、時折相槌を打ちながら、その話を聞いていた。
「片瀬君、今、狙われてるのかな」
 ミカリは、真白の反応を見定めながら、冗談めかしてそう続けた。
「もしかして、真白ちゃんとこにも、スクープ記者が張り付いてるかもしれないよ、最近変わったこととかない?」
「私?全然」
 真白は、心底意外そうに言って、笑顔で両手を振って見せた。
「りょうも水臭いなぁ、そんなことがあったんなら、言ってくれればよかったのに」
「彼の性格なら、言えないでしょ」
「臆病なヤツだから」
 この明るさを、どう捉えたらいいのだろう。
 不思議な違和感を感じつつ、ミカリは自分の携帯電話を取り出した。
「そんなわけで、これも、柏葉君オーダーなんだけど」
 真白は、不思議そうな目でミカリの手元を覗き込む。
「彼、最近はずっとオフで、雅君の家で家政婦やってるから、いつ電話してもいいと思うよ」
 登録済みの、雅之のマンションの電話番号。
「今なら、みんな仕事に出てて、一人じゃないかな」
「……………」
 しかし、ここからの反応は、ミカリと将の予想外だった。
「じゃあ、かけますね、今」
 真白は、拍子抜けするほどあっさりとそう言うと、自身の携帯を持ち上げた。
「いいです?ミカリさんがいる前で」
「私は全然……出てようか、じゃあ」
「いえ、すぐ終わりますから」
 この態度に、奇妙な違和感を感じなければ、それでもミカリは退室していただろうと思う。今から耳にするのが、随分久し振りになるはずの恋人同士の会話なら。
「あ、りょう?私」
 携帯を耳に当ててほどなく、真白は明るい声でそう言った。
「今、ミカリさん来てるよ、入院してたって聞いて、吃驚したけど」
 電話の向こうで、片瀬りょうは、どういう反応を返しているのだろうか。
「そっか、よくなったんならいいけど……無理しないでね、あ、記事のこともミカリさんから聞いたから」
 しばらくの沈黙。
 スクープ記事について、片瀬りょうが、どう言い訳をしたものなのか、携帯を耳に当てていた真白がふいに笑い出した。
「そんなこと、いちいち気にしてたらキリないでしょー、私のことは気にしなくていいよ、え?私?全然何もないよ?うん、平和に楽しくやってます」
 そして、クスクス笑いながら、片目だけでミカリを見あげた。
「そういうわけでー、今、ミカリさん来てるから、うん、いつでもしていいの?じゃ、またするねー、しばらく大学の方が忙しいから出来ないかもだけど」
 じゃ、元気で。
 携帯を切った真白は、すっきりした目で、「ありがとうございました」と言ってミカリを見あげた。
「よかったわね」
 と、言いながら、ミカリは内心ため息をついていた。
 これは―――想像以上に深刻よ、柏葉将。



                 18



 芸能人は、髪が命。
―――じゃなくて、歯か。
 とにかくだ。
 雅之は、鏡の前で、ばちん、と頬を叩いてみた。
 悩んだところで仕方ない。テレビで公開発表された以上、もう逃げられないのは明らかだ。
 どうせ坊主になるなら、せめて情けない負け方だけはしたくない。
 東京イーグルスといえば、世界の相羽――こと、現在ドイツリーグに所属している相羽匡史選手を生んだ名門チーム。Jリーグでも優勝の常連で、逆立ちしようと鼻血が出ようと勝てるような相手ではない。
 もう、己の髪の運命は、120パーセント決まったと言ってもいいのだが……。
「…………う、」
 それでも、未練の涙がちょちょぎれそうになっていた。
 元々短かった髪を、ここまで苦労して伸ばしてきた。今は襟足まで、けっこういい感じで伸びてきて、やっとアイドルらしくなったもんだ――、と自分で自負していた所である。
―――く、くりくり坊主かよ。
 幼稚園の時がそうだった。昨日、実家で当時の写真を引っ張り出してきて、思わず笑って、泣いてしまった。間違いなく女受けゼロの髪形。
 ただでさえ微妙な関係に成り下がってしまった凪と自分。もしかして、これが決定打になるかもしれない。
―――い、いや、それでも、かっこよく戦って負ければ、流川だって。
 あのやる気がなかった部員たちも、さすがに本気になるだろう。
 髪への未練度は人それぞれだろうが、少なくも全員、あるレベルまでサッカーに関わってきた連中なのだ。元プロ選手、名門高校卒業選手、社会人サッカー経験者――はっきり言えば、その意味で、一番格下は雅之である。
 で、こんな企画でもなければ絶対に試合なんてできない、一流のプロが相手だ。
 せいぜいサッカーは趣味程度だった雅之には、正直、びびるしかない相手だが、部員たちの中には、今のイーグルス一軍と同じ高校だった者もいるはずだし――
「おはようございます!」
 が、撮影準備を終えた雅之が、あえて気合を入れて部室に入ると、状況は、信じられないほど――まるで変わっていなかった。
 麻雀牌を回す音と、もうもうと漂う煙草の煙。
「とにかくさぁ、まともにやっても勝てないっつーか、どうにもならへん相手やし」
「それよか、どんだけ笑いとって負けるかだな」
「全員ディフェンスで」
「いや、全員ゴールマウスの前に立っとくってのはどないや」
 一応、それでもミーティングのようだった。
 が、殆どの部員の関心は、目の前の牌のようで――、そして何人かは、その輪にも入らず、寝そべって漫画を読んでいる。
 末席についた雅之は、まだ、今の状況が信じられないまま、周辺の会話を聞いていた。
「ま、気楽にいきましょうや」
「そうそう、てゆっか、試合まで持つんですかね、このコーナー」
「こん中でマジで焦ってんの、多分キャプテンだけっすよね」
 話題を振られ、雅之は、曖昧に笑って目をそらした。
 内心、さすがに愕然としていた。
 こいつら――プライドとか、そんなものは一欠けらもないんだろうか。
 いや、いいんだけど。
 別に――熱くなれって言ってるわけでもないんだけど。
 彼らの本業は、殆どがお笑いだから、――笑わせてナンボだから。
 多分、それでいいんだろうけど。
「あのぅ……」
 おどおどと、口を挟んだのは、この中では比較的寡黙で、真面目。相方に逃げられたというぼけ芸人「おはぎ」だった。
 元社会人サッカーでディフェンダーを経験していたというおはぎは、その体格だけならプロの選手に見劣りしない。が、どこか頭の回転がにぶいのか、私生活のトークでも、真性でボケていて、あまり周りから相手にされていないようだった。
「あー、あーと、その」
 今も、全員の注目を浴び、気弱なおはぎは、わたわたと雅之を振り返った。
「キャ、キャテプテン、一応アイドルだし、なんか気の毒だなぁと思いまして」
 コメディアンのくせに生来の上がり性らしく、気の毒なほど赤くなっている。
「す、少しは練習しても、いいんじゃないかって」
「ばーか、何いってんだ」
「だからてめーは、バカなんだよ」
「相方も逃げるわ、そりゃ」
 たちまち飛び交う毒舌に、いつものように一人で練習に行こうとした雅之は、さすがに足を止めていた。
「ま、本気でやるだけバカバカしいわな」
 と、珍しくミーティングに参加していた元東京イーグルスの選手、神尾恭介が、笑いながら立ち上がった。
「逆立ちしても、てめぇらみたいな寄せ集めのクズには無理だわな、大人と子供の試合より惨めなもんだ、ボールにも触らせてもらえねぇよ」
「………はは」
「ですよねー」
 迎合的な笑いが室内に満ちる。
 どうしてそこで。
 雅之は、初めて突き上げるような怒りを感じていた。
 ぜんっぜん、わかんねぇ、どうしてそこで笑えるんだ?
「帰るぞ、仙波」
 神尾は、元チームメイトで元ゴールキーパーの仙波駿介に声をかけた。
 高校からの先輩後輩だったという2人。
 無口な仙波は神尾の舎弟のようなもので、2人は大抵行動をともにしている。今回の出演も、仙波のそれは神尾の推薦で決まったらしい。
「まぁ、せいぜい笑いとれや」
「ちょっと待ってくださいよ」
 雅之は立ち上がっていた。
 言うべき言葉が決まっていたわけではない。
 全員が、けげんそうな顔で雅之を見上げる。さすがに頬が熱くなった。つか、俺、今、超がらにもないことしようとしてるぞ。
「そ……」
 そんなんで。
「そんなんで、本当に、いいんすかね」
 言葉が何も出ないまま、握った拳だけがわずかにぶるった。
「ちょっと、みっともないっつーか、かっこ悪すぎっていうか」
「まぁまぁ、アイドルはんにはかっこが命やろけど」
 真っ先に笑って返してくれたのは、ブームにのって二番煎じでデビューしたものの、まったく売れないお笑いマジシャン、モギーだった。こう見えて天下の名門、帝協高校サッカー部のOBである。
「わいら的には、笑いがとれればおいしいんですわ、髪くらいなくなったところで、痛うも痒うもあらへんしね」
「シャンプー代が浮いてええわ」
 低く付け足したのは、弾き語り芸が飽きられて忘れられたミラクル中田。
 こちらも九州の名門、国実高校サッカー部出身だ。身長が低く、百六十そこそこだが、異様に底光りした目と肩のタトゥーが、なんだか怖い男である。
「散髪代ももうかるやんけ」
 そのミラクルが言い添え、全員がどっと笑った。雅之一人をのぞいて。
―――いや、そういう意味じゃなくて。
 髪とか、なんとか、そういう意味のかっこ悪さなら、もう、俺だって、とっくに腹くくって諦めてるけど。
「まぁ、顔がとりえの君には、気の毒やと思うけど」
 立ったままの雅之の背中を、かつてつぶやき芸で一斉を風靡したボヤキの吾郎、ことゴローが叩いた。
「アイドル君の断髪式が、ある意味一番見せ場なんだから、がんばってもらわんと」
「そうそう」
「男らしくばさーっといっちゃってよ、ばさーっとさ」
 周辺から笑いと、まばらな拍手が起こる。
「視聴率、かなり行くでー」
「試合までクビも繋がったってことで、だらだら楽しくいきましょうよ」
「じゃ、麻雀麻雀」
「ふざけんなよ!!」
 その声が、自分の口から出たものだとは、当の雅之にさえわからなかった。
 それくらいその刹那、頭が真っ白になっていた。
 がんばれって?
 がんばれってなんだよ。
 なんのために、何をがんばれっていうんだよ。
「たかが坊主が………なんだってんだよ」
 静まり返った部室。全員の視線が集まっても、雅之の気持ちは治まらなかった。
「そんなもん、どうでもいいし、面白くもなんともねぇだろ!」
 キッズになってからも、ストームになってからも色々あった。むかつくことも、腹が立つことも――けれど、ここまで怒りを感じたのは初めてだった。
「お、おいおい、アイドル君」
「うるせぇよ!」
 背中を叩くゴローの腕を払いのける。
 払ってから、我に返ってはっとした。
 空気が冷たい。全員がしらけきっている。カメラも回っている現場。
 一瞬、こんなに熱くなった自分が恥ずかしくなる。が、雅之は、やはり今言わなければならないと思っていた。今――ここで。
「さ……最後くらいは、真面目になりましょうよ。いっぺんくらい、真面目に、逃げずにやってみましょうよ」
 返ってくるのは、苦笑いとため息。
「一人で熱くなられてもなぁ」
「つか、お笑い番組やん、これ」
 雅之は、笑っているマジシャンモギーの前まで歩み寄り、少しためらってから、その肩に手を置いた。
「みっともないとかって、思わないですか」
「みっともないのが芸人の仕事やし」
 つやのいい童顔のモギーは、薄ら笑いを浮かべて目をそらす。
 次に、隣の男の肩に手を置く。デビューしても泣かず飛ばず、自虐ネタ手芸人カズシ。
 元ユースチームにいたという。
「かっこ悪いとか、思わないですか」
「それが仕事だしねぇ」
 やはり相手は、笑いながら顔をそらす。
「あのさ、俺らはアイドルとは違うんだ」
「笑わせてナンボなんだよ、わかってよ」
 ははは、と温い笑いが室内に満ちる。
「…………」
 雅之は、絶望を感じつつ立ち上がった。
 にげてぇよ。
 初めて思った。もう辞めたい、うんざりだ。この場から出て、二度と戻ってきたくない。
 でも。
―――毎週、ビデオ撮ってみてるよ、雅。
 将君――
―――正直、つまんないけど、雅が変えてくの期待してる。
 りょう。
―――雅の頑張りに、元気もらってるよ、ありがとう。
 東條君。
―――おかずにはいまいちなんだよね。
 憂也のバカ。
「そもそも俺らの仕事って……俺、違いがよくわかんないけど」
 雅之は、勇気を振り絞って言葉を繋いだ。
「違いなんて、あるんすかね、そもそも」
 いや、アイドルもお笑いも、根底は変わらないと思う。絶対に。
「同じですよね。観てる人、楽しませるのが仕事ですよね、それって、そんないいかげんなことで、できるもんじゃないですよ」
「………」
 あくびをする者、露骨に嫌な顔をする者、反応は様々だった。
「本気でやりましょうよ、頑張るだけ頑張れば、もしかして試合、勝てるかもしれないじゃないですか、努力してみましょうよ」 
「おう、アイドル」
 背中から、いきなり襟首を引っ張り上げられたのはその時だった。
 見あげるほどの上背。この中では長身の雅之、それより高い、元イーグルス選手、神尾恭介。
―――う、うわっ
 引っ張られた雅之は、そのまま壁に押し付けられた。
 てゆうか、目茶苦茶怖い。
「てめぇ一人で勘違いすんなや」
 しかし、そう言われて睨みつけられた時、雅之は、衝くような反発を感じていた。
「お、俺が何、勘違いしてるっつんですか」
 普段なら、怖くてびびって、目さえあわせられなかったろう。言い返している自分が、まだ自分ではないような気がする。
「お前の理屈でもの言うなっつってんだよ」
 俺の――理屈?
「毎月毎月給料が保障されてるてめぇとは違ってな、こいつらは歩合で、しかも、一回のギャラが千円かそこら世界なんだよ」
 ねじきれるほど強く襟を捕まれる。
 それでも雅之は、目の前の男を睨み続けていた。
 それがなんだよ。よくわかんねぇけど。
「この番組に、芸能人生かかってんだよ、お前みたいに、でかい事務所バックについて、呑気にやってる奴とは違うんだよ」
 それが、どうしたっていうんだよ。
「てめぇには、大切な髪が全てだろうがな、お笑いには笑い取るのが全てなんだ、そんなにこの髪が」
 ごつん、と頭を小突かれる。
「後生大事なもんならな、とっとと番組降りちまえ、くそアイドル」
 そのまま、ぺっと畳に唾を吐き、は、ポケットに手を入れてきびすを返した。
 バカじゃねぇか。
 雅之は、初めて獰猛な怒りを感じていた。
 髪、髪、髪、髪、どうしてそこに、話がいつも戻るんだ。つか、こっちは何もこだわってねぇなんだよ、そんなもん。
「今のこれが、マジで受けてると思ってんすか」
 雅之は、怒りをこめた口調で言い返していた。
 焼け付く喉を押さえ、掠れた声で反論していた。
「笑いとってる?笑われてるだけじゃないっすか、情けなくて、くだらないから、みんな、笑ってるだけじゃないっすか」
「それがどうしたよ」
「俺たちは、それでいいんだよ」
「ほっとけよ」
 周囲から、ぼそぼそっと、そんな反論が帰ってくる。
 雅之は、拳で壁を強く叩いた。
「笑いだって、人の心動かすことには変わりないだろ!それ、俺らの仕事だって同じだよ、人の心動かして、感動させてナンボじゃねぇか!」
 声を張り上げると咳がこみ上げてくる、それを堪えながら雅之は言葉を繋いだ。
「売れてるとか売れてねーとか、事務所がどうとか、そんなの、なんも関係ねぇよ、勝てないから笑いに逃げるより、マジでぶつかるほうが絶対に面白いじゃねぇか!」
「よう」
 沈黙の中、いったん退室しかけた元プロサッカー選手の神尾が戻ってきた。
 神尾は、ポケットに手を入れたまま、薄く笑いながら雅之を見下ろした。
「いいこと教えてやるよ、アイドル」
「…………」
「さっき、てめぇのマネージャーとプロデューサーが喋ってたよ、てめぇはな、番組引っ張るだけ引っ張った後、試合直前に降板だとさ。さすがのJ&Mも、現役アイドルの髪を切らせるのはヤバイと思ったんだろうよ」
「…………………」



















この物語は全てフィクションです。実在の団体、個人に一切関係なく、
実団体、個人に対する作者の感情が、小説内にそのまま反映されているわけではありません。


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