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 がけっぷち芸能人サッカー部
 一応、プロの書道家が書いたという看板が、小さな二階建て建築物の門扉に貼り付けてある。
 都内某所。
 学区統合とかで、廃校になった小学校のグランド。
 5月まで、という限定つきで、エフテレビが都から借り受けたグランド――ここは、その片隅に急きょ立てられたプレハブ小屋の二階である。
「あっぢー」
「クーラーねぇのかよ、ここ」
「あ、勝ち抜けなしね、次、おまえ親」
 ジャラジャラジャラジャラジャラジャラ……
 つか、楽しいのかよ。
 ドンジャラの大人版だろ?いまいち、よくわかんねーけど。
 隅っこのベンチに腰掛けている雅之は、踵と甲で、サッカーボールを意味もなく回転させた。
 コンクリの上には全員分のロッカー。
 室内には六畳程度の畳が敷かれ、本来ならミーティング用の座卓が、今は麻雀卓として使用されている。
 麻雀卓を囲んでいるのは、一昔前にブレイクして、今はテレビのどこにも居場所がないお笑い芸人たち。その周辺で、寝そべって「キャプテン翼」「イレブン」などサッカー漫画を読んでいるのは、ブームに乗り損ねた若手芸人。
「あー、あのさ」
 いいかげんボール遊びにも飽きてきた。
 雅之は、立ち上がって、一応、キャプテンらしいことを言ってみる。
「……あー、つかさ、そろそろ練習しません?」
 ジャラジャラジャラジャラ。
「あー……試合とかも、いい加減、組まないとあれですし」
 ジャラジャラジャラジャラ。
「………………」
 嘆息して肩を落とし、雅之は、元通りベンチに腰を下ろした。
 判っている。決して悪気や悪意があって無視されているのではない。
 この狭い室内のあちこちに、実は小型の隠しカメラが備え付けてある。声も全て拾われており、実の所、ある程度の筋書きも決まっているのである。
 テレビ番組「いきなり夢伝説」のコーナーのひとつ。
「がけっぷち芸能人サッカー部」企画。
 引退の危機に瀕した崖っぷちの芸能人が十一人、寄せ集めサッカー部としてプロチームに戦いを挑むといった内容。
 集められたメンバーの共通点は、売れてないないこと、そしてかつてサッカーをやっていたこと、それだけだ。
 殆どが、「あの人は今」に出てきそうなタレントたちだった。プラス4人が、どう見ても売れそうもない若手芸人。これは別枠だが、助っ人としてついている元プロサッカー選手が2人。それから―― 一応現役アイドルである成瀬雅之。
 これ、いくら何でもひどすぎませんか?
 とは、企画書を読んだマネージャー小泉旬の第一声だが、雅之も、さすがに同様の気持ちを禁じえなかった。
 こういっていいなら、あまりに格の違いすぎる共演者の顔ぶれもそうだし、「崖っぷち」と銘打たれたことで、自分だけでなく「ストーム」のイメージみたいなものまで落としてしまいそうな気がしたからだ。
 が、
「金曜8時、ゴールデン中のゴールデン枠、こういっていいなら視聴率だけは約束された番組だ」
 雅之の迷いに、苦い顔で忠告してくれたのは、この仕事を取ってきた片野坂イタジだった。
「今が旬の、貴沢ヒデと河合誓也がメイン司会を務めるバラエティ、エフテレビも相当力を入れているし、どの事務所も手持ちタレントを枠に入れたくてしょうがない番組だよ。ある意味、今回、君は一番恵まれていると言ってもいいんだ」
 確かに、視聴率――露出度の点でいけば、その通りだった。金曜の8
時、しかもバラエティに強いエフテレビ。こういってはなんだが、ストームには逆立ちしてもお呼びがかからない枠。
 しかも、企画はサッカー絡みだった。自称「ストーム一のバカ」雅之が唯一誇れるのが運動神経。その中でも、サッカーは得意中の得意である。適当にやっていた中学でも常にレギュラーだったし、部活をしていなかった高校でも、体育では得点王だったほどだ。
―――まぁ、……これなら、いい格好見せられるかも。
 と、微妙に凪の目を意識してしまったのかもしれない。
 が、撮影が始まって早々、雅之は、自分の目論見の甘さを悔いることになった。
「ちょっと待ってくださいよ、まだ、キャプ翼、十巻までしか読んでないんすよー」
「俺、やっぱ、フォワードだなぁ」
「ばーか、エースは俺に決まってるやん」
 牌をかき回す音と、どこか自堕落な笑い声。
 どんなに雅之が意気込んでみても、返ってくるのは怠惰な雰囲気ばかりなのである。
 それもそのはず、やる気が空回りするアイドル雅之と、やる気のない部員たち。「がけっぷち芸能人サッカー部」は筋書きのないアドリブ企画だが、基本としてはそういう設定で、全員が動いているのだ。
―――つまんねぇなぁ……。
 ボールを抱えたまま、雅之は、ぼりぼりと頭を掻いた。
 部として成立してはいるものの、まともな練習はおろか、いまだ、練習試合のひとつも決まらない。一応、この「崖っぷち……」の目標は、プロチームと試合して勝つこと、なのだが、そんな目標はどっかに飛んでいってしまっている。
 しかし、それでも初回、二回と視聴率は上々だった。全くやる気のないサッカー部員たち、果たして成瀬君の健闘は実るのか?と、いう文字が入って終わった先週分の放送。
 このだらだらした雰囲気と、芸人たちの冷めきったブラックトーク、その中でひたすら浮いている雅之――そんな構図が受けているというのだから、雅之一人が面白くないと言っても、どうしようもない。
 薄い扉が、ばたん、と開いたのはその時だった。
「うーっす」
 と、煙草をふかしながら入ってきたのは、元プロ選手、J一部リーグ東京イーグルスで活躍していたという神尾恭介である。
 がっしりとした体躯と日焼けした赤い肌、太い眉に黒目勝ちの双眸。逞しい太腿とラテンチックな縮れた黒髪。いかにもスポーツマン、みるからに頼りがいのある男だが――。
「おう、俺もいれろや」
「なんすか、神尾さん、今いいとこなんですよ」
「うるせーよ」
 神尾は、片足で乱暴に払いのける。横ざまに倒れたのは物ではなく、かつてぼやき芸で一斉を風靡したボヤキの吾郎、ことゴローだった。
「うごっ、いてっ」
 と、やせっぽちのゴローが大げさにのたうちまわり、全員がその様に爆笑する。
 何がおかしいのか全く判らない雅之も、とりあえず、雰囲気だけ合わせて笑ってみた。
 つか、ぜんっぜん、面白くねーんだけど。
 ぎゃはは、と下卑た笑い声が、元プロサッカー選手の口から聞こえる。
―――イーグルスの神尾さんったら、俺、憧れてたこともあったんだよなぁ……。
 雅之は嘆息し、さらに賑やかになった麻雀卓に背を向けて、ボールを抱えてグランドに出た。
 階段で、もう一人のプロ選手とすれ違う。
 仙波駿介。
 これまた、みあげるほどでかい百九十センチの長身。のっぺりとした能面顔に、桐で彫ったようなつり目が怖い。で、この男が感情を露わにした姿を、今まで雅之は見たことがない。
 ゴールキーパーで、やはり元、東京イーグルスのプロ選手。今は高校でコーチをしているという寡黙な男は、元チームメイトの神尾以外にはほぼ無関心で、今も雅之とすれ違っても、視線ひとつ合わせてはくれなかった。
 結局一人きりのグランドで、雅之は、もくもくとランニングを開始した。
 これも、仕事だと思えば仕方がない。どうせ、数回で終わるコーナーだし、少しの間我慢すればいいことだ。
「はぁ……」
 三周した所で息があがった。
 信じられない体力の低下。そういや、リリースもコンサートもなくなって、仕事が楽になった代わりに、暇ばっか増えたっけ。
 息をあえがせながら仰向けになる。
―――カメラ……ここまで写らないよな。
 雅之は目を閉じ、肩で息をしながら舌打ちした。そして、思った。
 将君に、もういいって言っとこう。しばらくは、流川に会わないし、会いたくない。
 あまりにもかっこわりーし、今の俺。



                6



「うん、いいよ、暇だし、うん、6時ね」
 適当に相槌を打って、真白は携帯電話を切った。
 あんま観たい映画じゃないけど、ま、いっか。
 電話が切れると、時計の音だけが耳につく。
 ベッドの上、真白は仰向けになって、天井を見上げた。
「………………」
 もしかして、これって浮気?
 ふと思ったものの、まぁ、そんなに深刻に考えなくてもいいか、――と、思い直す。
 どうせ集まるのはいつものメンバー、二人きりで行くわけじゃない。
 とはいうものの、今、電話をくれた相手の態度を「ただの好意」と受けとるほど子供でもない。
「………………」
 仰向けになったまま、携帯を目の上まで持ち上げる。
―――断ろうかな、
 と、思うのと同時に、もう随分長く、連絡を取り合っていない恋人のことを思い出していた。
 顔――りょうの顔、
 そういえば、どんな顔してたっけ。
 最近、女性週刊誌でよく見る「片瀬りょう」の顔は、どこか嫌味ですかしていて、私ってこんないや〜な感じの男が、マジで好きだった?
 と、思わず自問してしまいたくなる。
 ストーム片瀬りょう、年上の舞台女性と本格交際。
 そんな記事をネットで見た時も、不思議なほど冷静でいられた。
 電話もないし。
 一度、着信だけはあったようだが、こちらからかけるタイミングは、いつもりょうの指示待ちだから、うかつに掛けなおすこともできない。
 そう思って放っておいたら、そのまんま。
「………………」
 連絡が途切れてしまえば、住む場所よりも遥かに離れた遠い人。
 接点さえなくなれば、この世界で、多分二度と、係わり合いになることがない人たち。
 りょうが東京に戻った夜――あんなに強く抱きしめられた夜。
 しばらくは、苦しいほど寂しかった、切なくて毎晩泣いた。でも、ふと気づくと、いない日々にも馴染んでいた。
 合コン好きな彩菜に、あっちこっちと引っ張りまわされたせいかもしれない。慌しくて、騒がしくて――でも。
 決して自分だけを見てくれない男を、人目に怯えながら思い続けるという束縛。
 放たれてしまえば、そこにあるのは、なんと心穏やかな生活だろうか。
「………………」
 好きだけど。
 真白は、額を手のひらで押さえた。
 まだこんなに、苦しいくらい好きなんだけど。
 なんていうか、少し、疲れた。
 思い続けることも、待ち続けることも。こうして一人でいることも。
 どれだけ待っても、りょうは、どこかで心を閉じて、多分、自分ひとりで色んな思いを胸の中に閉じ込めている。
 それは、りょうなりの優しさで、その優しさが――同時にりょうの魅力でもあるんだけど。
 柏葉将から、以前、りょうの家庭について聞かされた時も、同じような寂しさを感じた。
(りょう、兄貴がいたんだ)
(今はいない――詳しいことは聞いてないし、あいつも言う気がないみたいだし)
(ただ、りょうが何か抱えてるとしたら、根源は、そのあたりにあると思ってんだけど)
 その時将に、「いずれりょうから話が出ると思うから、その時は支えてあげて」とだけ言われた。が、まだ、りょうは、真白にその片鱗さえ見せてくれない。
―――私、やっぱ弱いよ、柏葉将。
 支えるなんてできそうもない。今は逆に、誰かに支えてもらいたいくらいだ。
 頭ではちゃんと、判ってる。
 今、りょうにとって一番大切なことは、自身の芸能界での成長で。
 多分、恋愛も、りょうにとっては、大きくなっていくステップで。
 それを私一人のために、抑えることなんてできないってことは。
 なのに。
 真白は強く目を閉じた。
―――……強くなんか、……なれない。
 本当は、逃げたくて、忘れたくてたまらない。
 一時的に逃げても無駄だということはわかっている。りょうが、芸能界で仕事を続けていく以上、絶対にまた、同じ葛藤にぶつかる日がやってくるから。
 他の女に、それが例え演技でも、本気で恋したりょうを、これから――多分、何度だって見続けなければならないから。
「………………」
 それでも、笑えるのか、末永真白。
 自分に問いかけて、笑おうとして笑えなかった。
―――なんか、………やばいかも。
 耐えられそうもない、これ以上。
 そろそろ、本当に限界かもしれない。


















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