2



「………………」
「………………」
「………………」
「……………電話、出てもらえねーんだろ」
 沈黙に耐えかねて、先に口を開いたのは将だった。
 こっくりと雅之は頷く。
 それはもう、ひどく傷心した有様で。
 つか、普通になさけねーんだけど。
 将は嘆息し、運ばれてきたアイスコーヒーのストローを指で挟んだ。
 一応、腐っても、日本全国何万人?もの女の子たちを熱狂させているはずのアイドル(最近、微妙に自信がなくなりかけている)である。
―――恋愛程度で、主導権とれなくて、どうすんだっつーの。
 エフテレビの地下にある喫茶店。
 バラエティ番組の打ち合わせで来た雅之と、「嵐の十字架」の衣装合わせで訪れた将。
 携帯で連絡を取り合って落ち合った馴染みの喫茶だが、雅之は、席についた最初から、すでにがっくりと肩を落としていた。
「憂也を……恨むのは筋違いなんだけど」
「ま、あいつには、痛くも痒くもねーだろうし」
 むしろ、面白がるだけだろう。
「……………誤解だっつってんのに、聞いてもくれなくて、」
「………………」
「…………自宅も、いったんお母さんが、凪ちゃーん、電話よ、なんていってくれるのに、しばらく待ってると、あ、ごめんなさいねー、あの子今、出かけたみたいでって」
「………………」
 顔を伏せていた雅之が、がばっと起き上がる。
「それってどうよ、もしかして居留守使われてるってことなのかよ!」
 いや……。
「……………もしかしなくても、そうなんじゃない?」
「…………………ああ」
 絶望的な呟きをもらし、雅之が再びつっぷする。
 はぁぁぁぁぁっ
 うっとおしい!!
 将はうんざりしながら、一気にグラスを空にする。
「…………じゃ、俺」
 立ち上がろうとすると、顔を伏せたままの雅之に、がつっと、腕をつかまれた。
「将君」
「………お、おう」
「………流川ん家、知ってるよな」
「…………知ってっけど」
「………………将君………」
 俺にどうしろっつーんだよ。
 席に座りなおした将は、重いため息をつきながら、それでも、時間空くのいつだったかな、と思っていた。


                   3


「りょう?」
 休憩時間、ごっつい軍服を脱ぎながらスタジオを出たところだった。
「すげー、マジで軍人さんだ」
「今日から中国大陸に出征だからな」
 廊下のベンチ。
 座っている片瀬りょうの隣に、将は汗を拭いながら腰を下ろした。
「将君、今、時間いいの?」
 黒い髪が、肩先に触れるほど伸びている。りょうは黒目勝ちの目を伏せて、ちょっと気後れたように背後の様子を伺った。
「なんだよ、見学なら中入れよ」
「いいの?」
「いいけど、出演させられるかもしれねーぜ、結構なんでもアリだから」
 他の出演者が、どやどやとスタジオから出てくる。
「将君おつかれ〜」
「次の撮りも飛ばしていこうぜ」
 声をかけてくれたのは、ドラマの中では、将を徹底的にいじめている兄役の男優である。最近妙に仲良くなって、時々飲みにも行く仲だ。
「おう」
 と、笑って拳をつきあわせてから、黙っているりょうに視線を戻す。
 横顔を見せるりょうは、どこか寂しそうに見えた。
「………楽しそうだね」
「まぁな、色んなヤツがいるし」
「……………」
「……………」
「……………」
「……………」
 おい。
 このどん詰まりの沈黙は、確か午前中にも経験したぞ。
「……………」
「……もしかして」
「……………」
「末永さんから、連絡ないとか」
「……………………………………………………………………」
 く、くらっっ。
 頼む、誰かなんとかしてくれ。この恋愛ジャンキー共を。
「………ま、お前のは、自業自得はいってるよ」
 仕事だ。
 そして、りょうにとっては、成長への大切な試練。
 が、間違いなくフォローが足りないのも事実である。
 舞台の間はともかく、随分長い間休養していたんだから、一度でも大阪に行ってみればよかったんだ、とも思う。
「……今朝、ちょっと事務所に呼ばれて」
 うつむいたまま、りょうは、か細い声で続けた。
「………久し振りに叱られた。……ま、俺が不用意だったんだけど」
「なんの話だよ」
「…………少し、入院してたんだ、声が出なかったし、ちょっと起きれないくらい状態ひどかったから」
「……………」
 マジかよ。
「言えよ、それ」
「みんな、忙しい時期だったし、気使わせちゃ悪いから、黙ってた」
 将は、軽くため息を吐く。
「背負い込むなよ、頼むから」
「イタジさんがついててくれたし、小泉ちゃんも、結構きてくれたからさ、まぁ、……ようは、その時なんだけど」
 りょうには、そこからが本題だったようで、軽く唇をかんでうなだれた。
「どうも、写真、撮られてたみたいで」
「……………」
 写真?
「お見舞いに来てくれたんだ、劇団ラビッシュで共演した女優さん、………ちょっと嬉しかったから、少し、外をうろうろしたんだけど」
「…………………」
 あの女だ。
 芝居の間中、全身でりょうを誘惑していた女。まぁ、そもそも、それも、演技のうちかもしれないが。
「出るのか」
「止められないって、社長に言われた」
「………………」
「まぁ、言い訳できる写真ではあるし、大した騒ぎにはならないだろうけど」
 そこでりょうは口をつぐむ。
 問題は、大阪にいるりょうの彼女だ。
 末永真白。
 将の感覚では、大事なりょうを任せられる唯一の女。
「誤解なら、早いうちに解いとけよ」
 今日、事務所に一報が入ったということは、来週の初めには発売される。記事を先に目に入れさせるより、りょうの口から告げた方がいい。
「……電話、ずっと、出てもらえないんだ」
「ずっとか」
「………………」
 少し考えてから、りょうは、わずかに眉を寄せた。
「正確には、いっぺんスルーされて以来、俺ができなくなったんだけど」
 な、
 情けねーーーーっっっ
 内心、がっくり肩を落としたいのは将の方だった。
 ど、どうして天下のアイドルが二人もそろって、こうも女に弱いのだろう。
「実は……」
 が、りょうは、少し迷ったように、傍らに置いた鞄から、皺になった封筒を取り出した。
「気がかりがもういっこあって、むしろ、こっちのが深刻なんだけど」
「………………」
 将は黙って、りょうの手からその封筒を受け取った。
「入院中に届いてた。差出人もあて先もなし、入ってたのは写真だけ」
 無言で開いて、それを取り出す。デジタルカメラをプリントしたものだ。あまり、鮮明な写真ではない。
「…………末永さんか」
「まぁね」
「隣にいるのは」
「知らないヤツ」
「…………………」
 居酒屋か何かのカウンター。
 グラスを傾けあって笑っているのは、りょうの彼女、末永真白と、それから大学生風で遊び慣れた感じの男だった。
 周りの席に人はいない。二人きりで飲んでいるようにも見える。が、
「……隣の席に、呑みかけのグラスあるだろ」
 写真をつぶさに見て、将はすぐに分析した。
「こっちには女ものっぽい携帯、末永さんのじゃないから、このカウンターに座ってるのは二人だけじゃなくて、グループ連れはずだよ」
「…………マジ?」
「……ま、というより」
 どうしてこんな意図的な写真が、りょうの自宅に――しかも、一般には絶対公開されていない自宅に、届けられたかということだ。
「去年の暮れにも、同じようなことがあったんだ」
 りょうは、嘆息しながら続けた。
「真白さんから届いたカード、ポストじゃなくて、部屋の玄関に落ちてたんだよな、しかも、一回開封した後があったし」
「…………………」
「その時は、気にもとめてなかったけど、今思うと、ちょっと怖い気がしてさ」
「お前があそこで、一人で暮らしてるって知ってるヤツ、何人いる」
「つか、いるよ、結構」
 りょうは、天井を見上げて髪をかきあげた。
「連絡先は、全部あそこにしてるし、高校の友達にも教えてるし、」
「……………」
 将は軽く舌打をした。雅之と違って、これはかなりやっかいだ。
 唐沢社長には言えないな。
 末永さんが絡んでいる以上、うかつなことは相談できない。
 将は封筒を鼻先に近づけた。かすかに匂うフレグランス。フェイクかもしれないが、女だろう、こんな陰湿なやり方をするのは。
「……あんま、つっこみたくないけど」
「…………言いたいことは判るよ」
「お前、……一人暮らししてから、しばらく一緒に暮らしてた子がいただろ」
「………………」
 ため息を吐いて、りょうは髪に手を差し込むようにしてうなだれた。
「もう連絡先も知らない、向こうからも一度もないし」
「……………」
「そんなヤツじゃないよ、それに」
「……………」
 りょうの弱さはよく知っている。
 りょうが抱えているものも――詳細はともかく、察してはいる。
 それを、自分の口から絶対に漏らさない頑なさも含めて、よく知っている。
 将が知る限り、りょうに「女」が途切れたことはない。三年も前、故郷の島根で一人の女性と出会うまでは。
 抱えきれない何かを、りょうはいつも、女性に依存することで癒しているのだ。多分それは、半ば病気みたいな感情で――これからも、よくも悪くも続いていくのだろう。
―――末永さんなら、それを受けとめられると思ってたんだけどな。
「……何度か、大阪に行こうとも思ったけど、いけなかったのは、そのせい」
 りょうは呟く。
 将も、それには頷くしかなかった。
 確かに、それが賢明だろう。
「……りょう、お前、もういいんだろ、調子」
「まぁね」
 撮影の時間が迫っている。将は時計を見て立ち上がった。
「お前、しばらく雅ん家いろ、今夜にも荷物もってあっちに泊まれ。俺も仕事終わったらいくし」
 りょうが、ようやく安堵した目で将を見上げる。
「末永さんには、俺から事情を話しとくから」
 余計なことは言えないけど。
 あまりにも違う環境と、離れすぎた距離。
 そして、どちらかといえば、似たもの同士の張り詰めた性格。
―――今のまま続けても、お互いが、辛いだけかもしんねーな……。
 一人、控え室に向かいながら、将は自然と眉を寄せていた。


                  4


 どうも俺って奴は。
 やられっぱなしってのが、我慢できない性質なんだよな、昔から。
 軽く息を吐き、綺堂憂也は腰に手を当てた。
 六本木。
 J&M本社ビル。
 今、憂也は、呼ばれもしないのに、その4階、社長室の前に立っている。
「綺堂か、入れ」
 事前に秘書から一報が入っていたのか、ノックをするとすぐに返事が返ってきた。
 てっきり、社長一人だと思っていた憂也は、少し驚いて一礼した。
 デスクに座る唐沢の隣には、この事務所のタレント兼取締役、美波涼二が立っている。
「………いい、いろ」
 退室しようとした美波を、そう言って留め置いて、唐沢はようやく憂也を見上げた。
 憂也は思わず後ずさっていた。
 き、機嫌わるっっ
 言っては悪いが、最悪な形相をしている。
 傍らの美波さんも、面白くない顔をしていたから、またぞろ、やっかいごとでも起きたのだろう。
 ま、まさか、また俺らがらみじゃねーよな。
 最近、社長室に呼ばれて叱責される常連になってしまったストーム。これ以上なんかやらかしたら、間違いなくクビになるだろう。
 が、
「………要件はなんだ」
 陰鬱な声で唐沢がうながす。
「………あ、あー、仕事したくて」
 憂也は、少しためらってから、姿勢を正した。
「仕事させてください、俺、もう一回、声優の仕事がしたいんです」
「……………」
「……………」
 唐沢と、そして美波が同時に顔を見合わせている。
「………お前は、……こんな言い方をしていいなら、うちの事務所の中で、相当レベルの高いポテンシャルを持っている」
 最初に立ち上がってそう言ったのは、唐沢だった。
「気の毒だが、ストームの解散は、今年の七月でほぼ確定だ。お前は、その後、ソロの俳優として本格的に売り出すつもりでいる」
「………………」
「以上だ、わかったら、下がれ」
 まだ何か仕事が残ってるのか、唐沢は書面を手にして美波に向き直る。
「…………いや、」
 憂也は所在無く、頭を掻いた。
「つか、俺の話は終わってないんですけど」
「……………」
 ぎろっと怖い目が向けられる。
「………謹慎は、社長の温情だ」
 唐沢に代わり、静かに口を開いたのは、美波だった。
「お前の、タレントとしての格を守るための謹慎だ。素人マネージャーに好き勝手に出演を決められて、迷惑しているんじゃないのか」
「………まぁ、もう乗っちゃった船なんで」
 タレントとしての格?
 憂也は内心、失笑したい気分だった。
 わかってねぇなぁ。
「今更降りるのも、なんなんで、できれば、続けさせてもらえないかと」
 それくらいで傷つく格なら、むしろそんなもん、いらねーんだよ。
「だめだ」
「どうしても、だめっすか」
「だめだ」
「………………」
 少しの間、頭を掻いてから、憂也はおもむろに、手にしていた封筒を目の高さまで持ち上げた。
「様式、わかんなかったんで」
 なんだ、と、唐沢の目が言っている。
「辞表っす、辞めます、俺」
 は??
 と、唐沢が目を剥くのが判る。
 隣の美波は眉を上げている。
「契約違反だ、綺堂」
 それをデスクにおく前に、冷ややかに言ったのは唐沢だった。
「お前らの契約は、今年の7月31日までのはずだ」
 今、唐沢社長が、それを絶対に受け取らないであろうことは、事前に聞いた入れ知恵から知っていた。4月にはNINSEN堂のCM契約が入っている。違約金うんぬんより、そのステイタスは、絶対に逃したくないはずだ。
 それでも、これはぎりぎりの、危険な賭けであることは間違いなかった。
「うち、幸いなことに金持ちなんで」
 憂也は、封書を、丁寧に机に置きながら言った。
「払いますよ、違約金くらい」
「…………親のすねかじりか、恥ずかしくないのか」
「一応、人生かかってるんで」
「………………」
 険しい目をした唐沢が、封書に向かって手を伸ばす。
 受理されたら、そこで終わり。
 それでも憂也は、どこか静かな気持ちのまま、その手の動きを見つめていた。
 ふいに羽がもがれて、そして新しい何かが身体から舞い上がる感覚。
 その刹那憂也は、自分がストームにいたいのか、鎖を切って自由になりたいのか、本当に判らなくなっていた。
「……待ってください」 
 封書を取り上げようとした唐沢に、ふいに美波が声をかけた。
「綺堂、」
 そして美波は、静かな目色で憂也を見下ろす。
「何故仕事を選ばない」
「選んでます」
「その仕事が、お前の芸能人生にプラスになると思ってるのか」
「……………」
 芸能人生ってのが、どうもよくわかんねーけど。
「人生のプラスになるとは思います」
 憂也はきっぱりと言い切った。
 逃げたくない。
 あんな半端なとこで、舐められたまま、逃げたくない。
 アイドルの底力を、絶対にあいつらに見せてやる。
「…………よし、いけ」
 はっきりと言ったのは、美波だった。
 唐沢が苦い目になって腕を組む。それでも、美波には何も言おうとしない。
「行って来い、ただし、くだらない結果に終わったら、その時は俺がお前のクビを切ってやるからそう思え!」
 腸に響くような声。
 やっぱな、これでこそ美波さんだよ。
「はい!」
 憂也は内心沸き立つ気持ちを抑え、深々と頭を下げると、飛び出すように社長室をあとにした。














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