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6
「ごめんね、なんか……つまんない話になっちゃって」
優しい声でそう言ってくれたのは、東條聡だった。
立ち上がって、率先して机の上を片付けてくれている。
真白は慌ててそれを遮った。
「あ、いいよ、私がやるし」
「運ぶだけだから、悪いね、いきなりおしかけちゃって」
にこっと笑ってくれる。
東條聡は、STORMの中では地味な存在で、ドラマへの露出度は0に近い。が、コンサートに行ってみると、意外に人気があることが判る。
それも、この人柄のせいだな、と真白は思う。コンサート会場でも、ここまでしなくても……というくらい、精一杯ファンサービスに努めている。実際、優しい人なのだろう。
先ほどまで一番騒いでいた憂也が、今は一番暗い顔になっていた。
陽気な輝きに満ちていた目が、恐いほど鋭くなっている。じっと――目に見えない何かを睨んでいる、そんな感じがする。
それはまた、彼の隣りに立つ成瀬雅之も同じだった。
彼等は、何かの壁に直面しているのだ。
真白はようやく理解した。
それがなんなのは判らない。
もうじき単独か――そしてユニットを組んで、J&Mから貴沢秀俊がデビューするという噂がある。すでにソロの人気では、緋川拓海を越えたと言われる新時代のスーパーアイドル、貴沢秀俊。
それが、STORMの未来に、何か暗い影を落としているのだろうか。
「じゃあねぇ、真白ちゃん、また大阪に行く時はヨロシク」
が、玄関まで出ると、憂也がまず、元の明るさを取り戻した。
「お邪魔しました、つか、ごめんね、マジで邪魔だった?」
不安気な目で見下ろしているのは、成瀬雅之である。
「う……ううん、別に」
真白は、首を振った。
傍らでは、澪がかがみこんで靴を履いている。結局、一度も、恋人らしいことを話せなかった。
色々言いたいことも聞きたいこともあった、が、それは、今の澪に要求しても無理なのだろう。
「楽しかったから、本当に、澪にも会えたし」
明るい口調で言って、真白は澪の背を見下ろした。
澪は――今、仲間達と共に、ひとつの壁にぶつかって、それを乗り越えようとあがいている。
「……がんばってね」
澪の背中に向かって、真白は小さく囁いた。
それしか言えないし、それしかできない。そんな関係を寂しいとも思うけど。
「……………」
真白の声が届いているのか、いないのか、澪の背中は、固まったまま動かない。
気がつけば、狭い玄関には、立ち上がった澪と、そして柏葉将だけになった。
「末永さん」
いきなりそう言ったのは柏葉将だった。
微妙な空気に戸惑っていた真白は、驚いて将を見上げていた。
「俺が、ついて行こうって言ったんだ、末永さんが嫌がるのも、りょうが迷惑に思ってるのも知ってたけど」
「将君、」
澪が、戸惑ったようにそれを遮る。
―――迷惑……って
どういう意味だろう。
真白は表情を強張らせたまま二人を見上げた。
心臓が嫌な風に高鳴っている。
ついてこられるのが迷惑だったのか、ここに来させられたのが迷惑だったのか。
「……こいつ、ほんっとガキで……言っとくけど、俺、こんな風にりょうをへこませてたあんたが、実は結構嫌いだったんだけど」
が、将はいきなり笑った。ふいにくだけた口調になる。
「こいつ、かなり勇気だして電話したんだ。末永さんから、かかってくるの、ずっと待ってた、ほーんと滑稽なくらい、ちょいちょい携帯のぞいてんの」
「ばっ、そ、そ、そんなことねーって」
澪は、初めて見るような、動転しまくった表情をしている。
「……………………」
は?
それには、真白は逆に唖然としてしまった。
(―――仕事忙しいんだ……悪いけど、また連絡する。)
電話って、まさかアレ?
ひょっとして、私、アレに何か……答えてあげなきゃいけなかったわけ?
「ま、真白さん、将君、何か誤解してるだけだから、また……お、俺から……電話とかしていいなら、するし」
「………………」
していいもなにも。
あんな……気障な決めセリフを吐いたくせに。
高校の時は、びっくりするくらい積極的で、強引だったくせに。
「ま、合格点あげてもいいかなって」
目に笑いを滲ませたまま、そう言ったのは柏葉将だった。
真白はその意味が分からないまま、顔をあげる。
「なにしろ、ファン限定の写真集買ってるような人だもんな、もう、それだけで俺的にはオッケーだった」
「わーっっっ」
と、それには今度は、真白が大慌てで手を振った。
信じられない。本棚の奥に、ちゃんと隠したはずなのに!
見上げた将は、テレビでは決して見られないような、優しい笑みを浮かべていた。
明るい、天性の華やかさが滲むような笑い方、一言文句を言おうと思った真白は、ちょっと面食らって口ごもる。
「気にいらない女だったら、俺がガン入れて別れさせようと思ってた。りょうは莫迦な奴だけど、よろしくな、真白さん」
「え……は、はぁ」
なんと言っていいのか判らない。
「……余計なこと言うなって、将君」
うつむいて、額を押さえている澪も、真白以上に困惑している。どうやら澪は、この柏葉将に完全に頭が上がっていないらしい。
「おい、まだかよ将君、タクシーの運ちゃん、怒ってるよ」
下に降りたと思っていた憂也が、ひょいっと顔をのぞかせたのはその時だった。
「ああ、急がなきゃな、じゃ、りょう、そういうことで」
「……?ああ」
澪は不審な目をしながら、真白を見て、そして躊躇いながらも、将の後を追おうとした。
「いや、お前は残りだろ」
そう言ったのは憂也だった。
その場に足を止め、将もまた、なんでもないように言う。
「明日の一番で戻ってこい、事務所には、お前こっちで友達に会って、そのまま泊まるってことで通してるから」
「………………は?」
澪の背中が硬直している。
「ちょ、待って、俺、何も聞いてねーんだけど」
真白も気持ちは同じだった。というより、この展開についていけない。
いきなりSTORMが来て、いきなり澪が来て、で、いきなり……泊まる?
「ま、この借りは高くつくから、覚悟しとけってことで」
澪の背を軽く叩き、柏葉将は、真白に目配せすると、そのまま玄関を開けて出て行った。
「…………つか……」
立ったままの澪はまだ、混乱している。
真白を見て、そしてもう一度誰もいなくなった扉の向こうを見て、それから意を決したように振り返った。
「悪い、ちょっと降りてくるから」
そして、そのまま玄関を飛び出していった。
真白は立ったまま、動けなかった。
―――ちょっと待ってよ、まさかね、泊まりって言われても……それは……ちょっと。
部屋には何もない。
シングルの小さなベッドに、というより、朝食さえ作れない。買い物は――食欲がなくて、飲み物くらいしか買わなかったから。
ドキドキ……というより、むしろ困惑しながら待っていると、下から静かな足音がして、多分、真白以上に戸惑っている澪が戻ってきた。
黙ったまま、後ろ手に扉を閉める。
「……こういうことに……なったけど」
「……うん……」
真白にはそれしか言えなかった。
7
「……お風呂……沸いたけど」
風呂周りと、洗面台の掃除を終えた真白は、汗を拭いながらリビングに戻った。
「うん」
澪は壁に背を預け、片脚だけを立てたまま、テレビ番組に見入っている。
バラエティ番組。それは、GALAXYがレギュラーをつとめている、もう何年も続いている人気番組だった。
楽しげな笑い声が響く中、澪は、にこりともしないで、ただ画面を見つめている。
「…………楽しい?」
「あ?……ああ」
絶対嘘だ。
正直、こんな陰気臭い顔でお笑い番組を見る男なんて、ちょっと勘弁してほしい。
が、同時に真白は、思い出していた。
高校時代、綺堂憂也が出演していた映画を、ぼんやりと見あげていた横顔を――寂しさとやるせなさを、無気力という殻で、必死に隠そうとしていた澪の姿を。
―――何を……悩んでるの……。
聞けない代わりに、真白は黙って澪の隣りに膝をついた。
澪が、わずかに首を傾ける。その目が意外に優しかったから、真白はほっとして肩の力を抜いた。
「Jの人ってすごいね、アイドルなのに、結構いろいろやらされてるんだ」
「俺、こないだバンジージャンプやらされた」
「見たよ、それ」
「見なくていいのに」
そこで途切れてしまう会話。
「……………」
「……いや、見てくれるのは、嬉しいけど」
「あ、うん」
別に「見なくていい」という言葉に傷ついたわけではなく、その口調が、あまりに自棄的だったので、言葉を繋げられなくなっただけだ。
が、澪は、軽く舌打し、苛立ったように自分の前髪をかきあげた。
まるで、自分の不器用さに腹を立ててでもいるかのように。
「今度さ、ドラマ出ることになって」
「……うん」
知ってる。
「それが俺とは真反対の役でさ、……似合わねーだろ、これ」
「そうだね」
自分の髪を、憂鬱そうに引っ張る澪を見て、真白は寂しさを殺して笑った。
秋の新ドラマ。
準主役として出演する澪の役どころは、年上の女性をひっかけては捨てる、高校生ホストのような役だった。
過激なラブシーンがあることで、それは、早くから芸能誌の話題になっていた。STORM片瀬、アイドル卒業か、とまで書いていた週刊誌もあったくらいだ。
「話……来た時はびっくりした、……でも、ここで数字取れれば、ゴールデンで主役もらえるチャンスだって言われた」
「…………うん」
本当は、記事を見るのも嫌だった。
オンエアされても、多分そのドラマだけは、絶対に観れないだろう。
「役者さんって大変だね、カメラとかの前で、ラブシーンもやるなんて、……」
私には、理解できない。
できないから、つい想像してしまう。
キスしたり、抱き合ったりする刹那、澪は相手の人に、どんな感情を抱くのだろうか。
何かの返事を求めて聞いたわけではなかった、が、澪は、ちょっと冷めたように鼻先で笑った。
「仕事だよ、気にする方がどうかしてる」
素っ気無い言葉。
恋人の胸の痛みなど、想像さえしていないことが、真白をわずかに傷つけていた。
「そ……だね、ごめん」
「別に……謝んなくても、」
気まずい沈黙が室内に満ちる。
テレビでは、緋川拓海と天野雅弘が漫才さながらの掛け合いをしている。
澪は無言でテレビを切った。
「……いつまでも、デビューと同じスタンスじゃ仕事できないから、こんな仕事も回ってくる……不安だよ、実際、」
「……そんな、すごい人気じゃない、STORMは」
「真白さんには判んないよ」
冷えた声に、かすかな苛立ちが滲んだ気がした。
真白は黙って視線を下げた。
澪は私が判っていない、それと同じで、私も、澪の本当の気持ちが判ってない。
今、澪が抱えている痛みが想像すらできない。
澪が、沈黙に窮しているのが判っても、真白には、これ以上、何を言っていいのか判らなかった。
―――やっぱり、こんな風にいきなり会うんじゃなくて、
事前に電話とかで――よく、意思疎通を図っておくべきだったのかもしれない。
「真白さん……」
澪が呟く。
その目は、まだどこか、遠くを見ているような気がした。
が、腕を柔らかく掴まれ、真白はそのまま、澪の胸元に引き寄せられた。
暖かな鼓動が聞こえる。首筋から澪の匂いがした。
口づけをしながら、澪はまだ迷っているような気がした。真白が……やはり、迷っているように。
チャイムが鳴ったのはその時だった。
「ごめん」
真白は咄嗟に澪を押しのけ、澪は、少し驚いた目をしたものの、そのまま素直に手を離した。
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