18



「かんぱーい」
「さ、ささ、やっちゃってやっちゃって、今夜はもう、無礼講ですから〜」
「オイ!」
 真白は、ハイテンションな後輩を肘でつついた。
「何がやっちゃってやっちゃってよ、つか、人んちで勝手にもりあがらないでよ」
「なーーーーにゆってんですかぁ」
 彩菜は、指を一本立てて、真白にずずっと顔を寄せてきた。
 真白は、思わず後退した。
 信じられない。たったビール一缶で、もう目が完全にいっちゃっている。
「今日は、真白先輩のための合コンじゃないですか、何、その本人がしらけてんですか、ねぇっ」
 と、周囲に相槌を求める彩菜。
 今夜、おせっかいな後輩が引き連れてきたのは、バスケ部の後輩たちだった。
 女の子も含め、総勢六名。手に手にコンビニの袋を抱えていて、断るも否もない。速攻で即席合コンが始まったのである。
―――つか、同じクラブのメンバーで、合コンって言われても……
 と、一人首をひねる真白を尻目に、集まったメンバーは超盛り上がっている。
「真白さん、彼氏と別れたってマジ?」
「え?」
「じゃ俺、立候補、かなり本気です」
「は?」
「ずっりー、俺が先に告るって言ったのに」
「ちがう、それ俺だろ」
「………はぁ」
 唖然としている真白の背を、彩菜が思いっきり平手で叩いた。
「もーーーーっ先輩ったら、モテモテじゃないですかぁっ」
「………………」
 つ、ついてけないし。
 あれ、どこ行くんですかぁ。
 と、大声で言う彩菜に嘆息しつつ、
「実家に電話、ここだと煩くてできないでしょ」
 真白は言い捨て、携帯を持って部屋を出た。
 階段を降りながら、少しもどかしく携帯を開けてみる。
 待っている連絡も、メールさえないことも、すぐに判った。
―――今日が……千秋楽だったんだよね。
「…………」
 忙しいんだ。
 うん――そうだよ。
 それでも、顔を上げた時、月の輪郭が潤んで見えた。
―――やば……。
 あー、最低。
 この程度で、泣いてちゃいけないって判ってるのに。
「もう、真白さんったら、早く戻ってくださいよ」
 背後の階段、そう言いながら彩菜が駆け下りてくる。
 後輩は、真白を見て、そして呆れたように肩をすくめた。
「……てか、すでに泣いてるし」
「泣いてないし」
「泣いてますよ、あのねぇ、もういいじゃないですか、あんな無神経なサイテー男」
 真白が黙っていると、歩み寄ってきた彩菜は、苛立ったように唇を尖らせた。
「タクヤのことですよ、ストームの片瀬似の!」
 そして拳を握りしめた。
「あんな男、私だったら、二、三発殴って、ソッコーで切りますよ。アイドルがなんぼのもんじゃい、女を舐めんなって言ってやりたい」
「………………」
 つか、そこまで……彩菜が怒らなくても。
「もしかして、」
 真白は、唖然としつつ、呟いた。
「雅人先輩と別れた時……なんか、殴ったとか殴られたとか聞いたけど」
 あれは、もしかして、雅人が彩菜を殴ったんじゃなくて、
「ああ、あいつ」
 彩菜は、しれっとした目で肩をすくめた。
「男のくせに、いつまでもうだうだ真白さんのことにこだわってるから、むかついて、」
 そこで拳を突き出す彩菜。
 真白は思わず吹き出していた。
「か、かわいそう、雅人先輩」
 うるうる目のいじらしげな女の子に、まさか殴られるとは、想像もしていなかったに違いない。
 てゆうか、けっこう面白いかも、彩菜って。
「今度は真白さんが、合コン企画しません?」
 笑いながら彩菜が腕にすがりついてくる。
 酔ってるな、と思ったけど、なんとなくその温みが心地よかった。
「じょーだんでしょ、なんで私が」
「あれ?察してくださいよー、それくらい」
 彩菜はけたけたと笑い出す。
「だって、それが目当てですもん、アイドルとの合コン」
 彩菜が笑うので、真白もまた、意味もなく笑っていた。
 やばい、ビール一本で酔っ払ってるのは、私もかもしれない。
「彩菜ねぇ、今は、なにわJamが気に入ってんです」
「あ、いいねぇ、コージっていいよね」
「真白さんったら、超面食いーーっ」
「やっぱ、男は十代までよねー」
「超同感―っ」
 膝を叩いて笑っていた彩菜の表情が、ふいに止まる。その目が、不思議そうなものになる。
 真白もつられて、その視線の先を振り返っていた。
 アパートの建物の向こう、淡い月明かりと街燈の下、ぼんやりと白い影が浮いている。
 それはすぐに鮮明になった。
 少し――驚いた目で、真白と、それから真白の背後に立つ彩菜を交互に見ている男。
「あ……俺」
 ひどくかすれた声で、りょうは、戸惑ったように片手を挙げた。
「……タ、タクヤ、ストームの片瀬に似てるって、よく言われます……」
 沈黙。
 最初に笑い出したのは、真白だったか、彩菜だったか。
「もういいよ」
 一人戸惑っているりょうに、真白は笑いながら言った。
「え、いいの?」
 と、りょうは、背後の彩菜を気にしている。
「うん……いいんだ」
 いい。
 意味はちょっと違うけど、来てくれたから。
「真白さん、アイドルとの合コン、お、わ、す、れ、なく」
 ばしん、と背中を叩かれ、その彩菜が階段を上がっていった。
 なんだ、結構いい子だったんだ。色々誤解してた……私も、誤解されてたのかもしれないけど。
「…………」
 二人になると、りょうは少し気まずそうに、長く伸びた髪に手を当てた。
 少し痩せた。ううん、随分。
 髪も伸びて、なんだか体格のいい女の子みたい。
 白いシャツが、風にはためいている。
「おつかれさま」
 真白が言うと、ようやくりょうの表情が和らいだ。真白を見下ろし、わずかに笑う。
「……ただいま」
「………おかえり」
 自然に手を伸ばし、指先を合わせていた。
 


                 19


「酔ってんの?」
 肩を並べて歩きながら、最初にそう言ったのはりょうだった。
「なんで?」
「……いや、なんかすごかったから」
 ど、どこから聞いてたのかな。
 微妙に焦りつつ、真白は少し足を速める。
 男は十代までとか言っちゃったよ。なんかセクハラおやじみたい。
 人通りの絶えた住宅街。時折車だけが通り過ぎていく。
「ちょっと酔ってる、今、部屋に友達が来てて」
「そっか」
 そのまま黙ったりょうの横顔からは、何の感情も読み取れなかった。
―――男の子が来てるって……言ったら、
 どんな顔をするだろう。
 隠す必要もないけど、あえて不愉快にさせる必要もない。
 でも、何の反応も示さないような気もする。
「引いた?」
「なんで」
「酔ってるから」
「それくらいで……」
 りょうは息を吐くように、声もなく笑った。
「でも、早く戻んないとまずいな、お互い」
 かすれた声が痛々しい。
「俺もタクシー待たせてんだ、真白さんの、アパートの少し前」
「……うん、知ってる」
 りょうが、時間を気にしていることは判っていた。
 真白は、寂しさを押し殺して、ただ頷く。
「打ち上げ抜けてきたんだ。今夜の最終便で東京に戻んないといけなくてさ」
「大丈夫なの」
「……ま、今日のマネージャーさんなら……多分」
 曖昧に言葉を濁し、りょうは、風で乱れた髪に手を当てた。
 そのまましばらく黙っている。
 綺麗な横顔に、冷たい月光が映えていた。その表情がどんな感情を抱いているか、いつものことだけど――真白には想像さえできない。
「一年ってさ……」
 ふいにりょうが呟いた。
「え?」
 一年?
「365日?」
「……何言ってんの?」
「…………」
 顔をあげたりょうは、困ったように髪に指をいれて、何度かそれを後ろに流した。
「将君が……」
「……?」
 柏葉将?
「いや、将君はかんけーねーか、………」
 と、首を垂れ、そのまま再び考え込むりょう。
 そして、再び口を開いた。
「俺、1日いっぺんは、真白さんにキスしてる」
「は?」
「夢ん中で」
 そ、そうですか。
「時にはそれ以上」
「………あ、あのさ」
「だから、そういうことで」
 いや、意味がわかんないんだけど……??
「俺の人生の大半は……って、なにゆってんだ、俺」
 勝手に我慢の限界がきたようで、りょうは、心底呆れた顔で自分の髪をかきまわした。
「やべー、将君の青大将がうつりそうな気がしてきた」
「それ、なんの話なの?」
「いや、なんでもねーし」
 そう言って、今度はりょうが足を速めた。仕方なく、真白はその背中を追う。
 てゆっか、わけわかんない。
 でも――。
 なんとなく、りょうが伝えたかったことが判るような気もする。
 それが、自惚れじゃなかったらだけど。
「舞台……どうだった?」
 肩が並ぶと、かすれた声でりょうは呟いた。
「よかったよ」
 真白は、少し足を速めて、今度は自分がりょうを追い越した。
 りょうは同じ速度のまま、ゆっくり後からついてくる。
「……りょうはすごい、本当にすごい」
 辛くて悲しくて、身体も心も引き裂かれそうだった。
 それでも真白は、りょうの全身全霊を込めた演技に、諦めない姿勢に、素直な感動を覚えていた。だから――我慢できると思ったし、我慢しないといけないと思っていた。
「りょうはすごいよ……そんなりょうに選ばれた自分を、少しだけ誇りに思った」
「……………」
 りょうが、真白と肩を並べる。
 指が絡んできて、手を強く握られた。
 嬉しいのに、何故かその刹那、真白はりょうの顔を見ることができなかった。
「俺が選んだんじゃない」
「…………」
「俺が選ばれたんだ、真白さんに」
「…………」
 りょうが繋いだ手を引き寄せてくれる。指先に冷えた唇が触れた。
「俺、今でも忘れてない。俺にとって真白さんは……今の真白さんと、あの日の真白さんと、二人いて」
 あの日。
 それが何を意味するのか判らないまま、真白はりょうの横顔を見あげる。
「俺が……どっかでまた逃げようとしたら、真白さん、あの日みたいに俺のこと突き放して、二度と振り返ってくれないような気がするから」
「…………」
 あの日。
 郷里で行なわれた花火大会の夜。
 澪と初めて結ばれた夜。
「だから俺、がんばれるし……がんばってんだ」
「……………」
 もう一度、指先に、りょうの唇が触れる。
 もう一度。
 足を止める。
 周囲に視線をめぐらせてかがみこんだりょうと、もどかしく唇を合わせていた。
 そのまま、抱きしめあう。息が止まるほど、強く。
 誰かが見ているかもしれない、でも、そんなことは、もうどうでもいい。
 苦しいくらい――大好き。
 もうこの手が離れたら、生きていけないと思うくらい。
 もう一度キスをした。
 もう一度。
 壊れるくらい抱きしめられる。幸福と――それと同じくらいの突き上げる切なさ。目を閉じた真白は、別れの時間が迫っているのを感じていた。



                20


「ええんか、これで」
 背後から、からかうような声がする。
「いいのよ」
 佳世は静かに言って、空になったグラスを持ち上げた。
 店の屋上。物置代わりになっているそこには、ビールケースが段になって積み重ねられている。
 階下では、賑やかな喧騒がまだ続いていた。
 月が綺麗な夜だった。風が、心地よく沁みたアルコールを覚ましてくれる。
「みんな、お前と片瀬が、二人してしけこんだっちゅう噂しとるで」
「彼女のところに行くんだって」
 佳世は、永輝の持ってきてくれた缶ビールを受け取りながらそう言った。
「初日の最前列……どの子だったのかしらね。みんな同じ顔してるから、判らなかったわ」
「辛らつやな」
 永輝が苦笑して肩を並べてくる。
「だって本当だもの。みんな、自分こそ片瀬りょうの恋人ですって顔でね、祈るように観てたから」
「………ラストのラブシーンは絶品やて、マリさん、誉めとったで」
 それには答えず、佳世は、暗く澄んだ夜空を見上げた。
「あれ、もしかせんでも、演技やないやろ」
「演技よ」
 即座に答える。
 例えそれが、演技と現実の区別がつかない、不安定な少年の眼差しに触発されたものだとしても。
「演技で本気で恋したのよ、私も、彼もね」
「……それで、今は一人で自棄酒かいな」
 肩をすくめる永輝に、佳世は静かに笑ってみせた。
「東京で、もしかして追加公演があるかもしれないって知ってる?」
「……いんや」
「舞台の上では、私が彼の恋人よ」
 彼の全てが欲しいわけじゃない。むしろ、アイドルとしての彼には何一つ価値を感じない。
「私にはそれで十分よ」
 自信に満ちた声でそう言い、佳世はビールを永輝に投げ返した。



                21


「真白さん遅すぎ」
 扉を開けると、そんな声がした。
「つか、みんな呆れて帰っちゃいましたよ」
 真白が部屋に戻ると、待っていたのは彩菜一人だった。
「一応鍵が心配だから残ってましたけど、彩菜もあきれて帰りまーす」
 と、陽気に言った後輩は、扉を閉める真白を見て、けげんそうな目になった。
 帰り支度を済ませた彩菜は、ここに、今夜、りょうが泊まるとでも思っていたのかもしれない。
「あれ……一人ですか?」
「うん、仕事あるからって」
「うわ、ほんと、芸能人って感じですね」
「今夜には、東京、」
 靴を脱ぎながら、何故か、言葉が続かなくなっていた。
「………真白さん?」
「………………」
 わけわかんない。
 なんだって、今頃になって、涙が止まらなくなるんだろう。
「どうしたんですか、何か…、ひどいこと言われたとか」
 近づいてくる彩菜を手で制し、そのまま片手で顔を覆った。
―――俺、今でも忘れてない。
 りょう……。
―――俺にとって真白さんは……今の真白さんと、あの日の真白さんと、二人いて
 私の中に、もうあの日の私はいないよ、りょう。
―――俺が……どっかでまた逃げようとしたら、真白さん、あの日みたいに俺のこと突き放して、二度と振り返ってもらえないような気がするから。
 もう、あんなに強くはなれない。
 彩菜が、肩を抱いてくれる。
 せきをきったように、真白はただ、泣き続けた。
 もう、強い私はどこにもいない。
 こんな気持ちを知った今では。
 もう――二度とりょうの手を離せない………。



                22


「なんだよ、あいつ、態度わりーな」
「新人じゃねぇの、ほっとけよ」
 小さなイヤフォンから聞こえてくる音楽に、そんな雑音が混じっている。
 綺堂憂也は、キャップを深く被ったまま、椅子の背に深く体を預けた。
 窓から見える外はピーカンだ。
 なにやってんだろな、俺、とふと思う。
 携帯のベルが鳴ったのはその時だった。
「切っとけよ、ボケ」
 そんな陰口を聞きながら、携帯を持って扉を開けて外に出る。
『憂也、何やってんだよ、お前』
 声は、成瀬雅之のものだった。
「わりー、今仕事でさ」
『仕事?オフじゃなかったっけ』
「ま、微妙なとこなんだけど」
『え?』
 説明するのも面倒で、憂也はそのまま、携帯を切ろうとした。
『つか、お前、昨日は途中でふけるしさ、びっくりしたよ、隣見たらいねーんだもん』
 が、雅之はその暇を与えずまくしたてる。
「あー、急用入っちゃって」
『楽屋行って、りょうに会って帰ろうって約束してたじゃん、俺、一人じゃ入ってく勇気なかったよ』
「ばーか、ガキじゃないんだ」
 じゃ、後でかけなおすから、
 まだ何か言い続けている雅之を遮って、憂也は携帯を電源ごと切った。
「………………」
 まだ。
 昨日の舞台を見た時の、妙な胸騒ぎと、粟立つような感触が肌のあちこちに残っている。
 りょうに、一種神がかった不思議な魅力があるのは前から感じていた。それは、コンサートで見せる予測不可能な表情に、時折ふっと降りてくる。普段の生活、テレビやグラビアの仕事では、絶対に出てこないのもの――。
「二十八番、そろそろだよ」
 扉の向こうから、受付担当の男性の声がした。
 あ、俺じゃん。
 手首にぶらさけた番号札を見て、憂也は所在無く額を掻いた。
「どこの事務所だよ」
「帽子ぐらい脱ぐのが常識だろ」
 ひそひそと囁く声を縫って、隣室へ続く扉を開ける。
 広い一室。
 前面に二つ並んだ長椅子に、数人の男が腰掛けている。
 部屋の中央には簡易チェアがひとつ。ここに座れということだろう。
 就職試験って、経験したことねーけど、こんな感じかもしんねーな。
 全員がシャツにジーンズ姿だから、絶対まともな会社じゃねぇだろうけど。
 憂也はすたすたと椅子に歩みより、ずっと被っていたキャップを脱いだ。
 面接官は誰も顔をあげないまま、手元の書類に目を通している。
「じゃ、二十八番、名前と所属事務所言って」
 事務的な声がした。
 このオーディションの合格者は、スポンサーの意向もあって、すでに内定しているという噂だから、まぁ、妥当な対応かもしれないが。
「二十八番、綺堂憂也」
 何人かが、いぶかしげに顔を上げた。
「所属、J&M事務所」
 全員が――今は呆けたように顔をあげ、部屋の中央に立つ人を見上げていた。















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