4


「……ほんと、ごめんな……」
 一時間後、狭いキッチンに立つ真白の隣には、疲れたような横顔を見せる澪がいた。そして、ひどく申し訳なさそうな声で、同じセリフを繰り返す。
「ほんと、悪かった。まさか……こんなとこまでついてくるとは思ってなくて、こっそり電話するつもりで離れた間に」
 そんなに言い訳するようなことでもないのに。
「もういいよ」
 それでも真白は、つい、冷たい声で遮ってしまっていた。
 だいたいの事情は判った。
 STORMの五人は、今日、撮影のため、早朝から大阪に来ていたらしい。
 日帰りの予定で――が、予定より早く撮影が終ったので、澪はそこで、真白の部屋に寄ろうとしてくれたのだという。
 それに何故か、残る四人がもれなくついて来ることになった。
 澪の言い訳を信じるなら、澪が電話しようと離れた隙に、四人が勝手にアパートの階段を駆け上がってしまったそうで。
「…………………」
 言っては悪いが、微妙な言い訳。
―――そもそも、私の住所、教えるかな、いくらメンバーだからって。
 それに、いくらなんでも現役のアイドルが、いくらメンバーの彼女だからって、ほいほいついてくるものだろうか、漫画じゃあるまいし……。
 真白は不信に満ちた目で、手を洗っている澪の横顔を見上げた。
 黒かった髪は、短くなり、意外なほど赤茶けていた。ドラマの役作りだと知っていたし、グラビアで見ていたから違和感はなかったが、実際に見ると、髪はいたんで、あまり澪には似合っていないようにみえる。
「いいねぇ、こういうの、なんか大学生って感じじゃない」
「ばーか、大学生したいなら、大学いけよ」
「つかさ……女の子の部屋って、こんななんだよなぁ」
「雅君、童貞だって宣言してるに等しいけど」
 1LDKの部屋。
 ひとつしかないリビング兼寝室では、四人の男たちが子供のようにはしゃいでいる。
「てめぇら、うっせーよ」
 口調はきつくても、彼らを振り返った澪の眼は、どこか楽しそうにも見えた。
 が、それは、真白に視線を戻した途端、ちょっと気後れたように伏せられる。
「……迷惑になるんなら、早めに引き上げるように言うし」
 部屋に入った最初から、妙に遠慮したような――必要以上に真白に気をつかっている澪の態度が不思議だった。
「いいよ、ここ、どうせ学生しか入ってないし、毎晩どの部屋も煩いから」
 真白もまた、澪の顔がまともに見れないままにそう答えた。
 澪は、無言で、ペットポトルのお茶をカップに注いでいる。
 狭いキッチン、すれ違うたびに、互いの体温さえ感じられそうだった。
―――澪がいる……。
 真白には、まだ信じられなかった。
 飾り気のないTシャツに、褪せたジーンズ。ひどい格好なのに、ベルトのところに鎖がついていて、それがひどく洗練されていておしゃれに見えた。
 少し痩せたかな、と思った。
 すんなり伸びた二の腕は、無駄のない筋肉だけが際立って見える。顎の線が鋭角になって、それが、ますます澪の美貌を冷たいものに見せていた。
 実際、その冷たい眼で、澪は一度も真白をまともに見てくれない。
 こんなに近くにいても、どこか距離を開けようとしているのがなんとなく判る。
―――なんだろ……この気まずさ……。
 先日の、あまりに素っ気無い電話といい、絶対に何かヘンだ。
 もしかして。
 ふと、真白は眉根を寄せた。
 さっきの言い訳は全部嘘で、本当は来たくもないのに、メンバーに引っ張られて、無理矢理つれてこられたのではないだろうか。
 本当は――。
 一時の感情はもう冷めて、郷里で一時過ごした女への思いがただの罪悪感だったと気がついて……。
「……電話……留守、入れたけど」
 そしてまた、どこか言い訳めいた声がした。
「うん、聞いた」
 真白もまた、冷たい声になってしまっていた。
「……忙しいんだってね、……大変だね」
「色々、……でも、忙しいのは、いいことだから」
 そこでまた会話が途切れる。
「真白さーん、こっちおいでよ、」
「自己紹介、自己紹介」
「ばか、お前、合コンじゃないんだから」
 背後で、陽気な声がする。
「ホント、ごめんな」
 トレーを持ってすれ違いざま、澪が囁くような声で言った。
「マネージャーと約束してて、9時の新幹線で帰るんだ、あと、一時間もしたら、出てくから」
 その言葉の方が、むしろ真白を傷つけていた。
 が、背を向けた澪には、それが判っていないようだった。


                 5


「でさ、その時のりょうが傑作だったのよ、あれは思いっきり素になってたよな」
 五人の中で、一番よく喋るのが、綺堂憂也。みんなから憂と呼ばれている男だった。
 年は真白より一つ下、が、まるで高校生くらいにしか見えない。
 幼げな顔のつくり、身体つきも華奢で、男というより少年といってもいいような容姿だ。
「こいつさ、クールそうに見えて実は相当ボケ入ってるだろ、な、真白ちゃん」
 と、いきなり話を振られて、真白はうっと口ごもった。
 綺堂憂也。
 じっと見つめられると、吸い込まれそうな、魅力というか、むしろ魔力を持った眼をしている。
 一見どこにでもいそうな平凡な子なのに、その眼力だけで、彼が普通の人とは違う存在なのだと判るような気がした。
 芸能人―――そう言って言いのなら、ここにいる全員が、確かに普通の男の子なのに、持っている雰囲気が全然違う。
 一人一人が、目に見えないオーラを発しているような、そんな感じだ。
「つか、おかしくない?りょうが今だ”さん”づけで呼んでる人をさ、憂が”ちゃん”ってのはどうなのよ」
 と、口を挟んだのは、先ほどから何かにつけては、ひたすら突っ込まれまくっている男だった。
 しん……と、その瞬間、場が静かになる。
「バカッ、東條君、お前なんつー無神経なことを!!」
 男は、がつん、と、隣りに座る男に肘鉄を食わされる。
 肘鉄を当てた男は成瀬雅之で、「いてっ、何すんだよ」と、顔をしかめているのは東條聡だった。
「無神経ってのはなんだよ、だって……やなもんじゃん、自分の彼女をさ、そんな、別のヤローが」
 東條聡は思いっきり意外そうな顔で閉口している。
 髪型は短い茶髪をつんつんに立ち上げていて――攻撃的なスタイルなのに、顔立ちは優い。おっとりとした公家風というか、むしろお姫様風だ。女性にしたら、本当に可愛い綺麗な子になるだろう。そんな気がする男の子。
「ああ、そうだよな、やなもんだよなぁ、ミカリちゃん」
 と、にやにやしながら、いきなり意味不明のツッコミをいれたのは綺堂憂也だった。
「はっ、な、なんだよ、それ」
 東條聡は一瞬で真っ赤になり、しどろもどろになっている。
 ミカリというのが、この子の彼女なのかな――と、真白は思った。とすれば、今、自分はすごいスクープを握ったわけだ。同時に握られてもいるわけだけど……と、どこか所在ない表情で、黙ったままの澪をみる。
 澪は、真白の対面――小さな座卓を少し離れた場所に座り、壁に背を預けたまま、そこから動こうとはしなかった。
 この室内で、ほとんど口を聞かない真白と澪――彼らから見れば、りょうなのだろうが、二人の雰囲気が、どこかぎこちないことは、おそらくここにいる全員が感じているはずだ。
 だから憂也は一人陽気な話を続けているのかもしれない。
「ミカリちゃん、ミカリちゃん、ああ、いい名前だよなぁ、ミカリちゃん」
「よせって、憂、東條君がギャク切れしたらどうすんだよ」
「お前も言ってやろうか、雅君、な」
 ガンッと、今度は綺堂憂也が頭を叩かれる。
 真顔で憂也の頭を叩いたのは、またもや成瀬雅之だった。みんなからはマサとか、雅君とか呼ばれている。
 黒に近い深みのある茶色い髪は、短めに切りそろえられ、襟足だけが少し長い。
 五人の中では、一番荒削りというか――無骨な顔立ち、表情がない時とある時のギャップが激しい。黙っていると恐そうなのに、笑うと一番馬鹿っぽく見えたりする。
 やはり、どこにでもいそうな顔をしているのに、それでも、ふとした表情や眼差しが、ドキっとするくらいかっこいい。骨格がしっかりしていて、立ち姿が一番男らしいのも彼である。
「……末永さん、STORMの曲とか聴くんだ」
 ふいに、静かな声で口を挟んだのは、それまでずっと黙っていた柏葉将だった。
 彼は澪の隣りに腰を下したまま、さきほどから、無言で部屋の中を見回しているようだった。
 顔立ちは、一番可愛い、というか、思いっきり美人顔だ。色白の肌に薄茶色の髪、目が大きくて綺麗な二重。なのに、眼差しは一番恐い、そして一番大人びている。 その眼差しも、表情も、ある意味、年齢以上に成熟して見える。
「えっ、は、……まぁ、その」
 真白は、ラックの中に立てかけてあるCDの類を見られたんだ、と思い、ぱっと頬を染めていた。
「どの曲が好き?」
 柏葉将は、静かな……でも、有無を言わさない口調でそう続ける。
「あ……えっと、さ、最近の」
「新曲?」
「う、うん」
 他にも色々ある、が、それを口にするのははばかられた。全員が話しをやめ、今はじっと真白を見ている。その目色が、普段どおりに見えて、妙にほど真剣な気がした。
「どういう曲が好き?やっぱ……パラ―ドみたいなのかな、女の子だから」
 将は続ける。同い年のはずなのに、真白は、自分がひどく子供扱いされているような気がしたし、それでも不思議と違和感はなかった。
「……そうだね、うん、バラードの方が、好きかもしれないけど」
 好きといえば、確かにそうだ。
 胸が切なくなる恋の歌。にぎやかな明るい曲も嫌いじゃないけど、ふと聴きたくなるのはそんな曲だ。
「……テレビ、いい?」
 将はそう言い、真白が何か言う前には、もうテーブルの上の、テレビのリモコンを掴み上げていた。
「そういや、今日って月曜だっけ」
「あ、忘れてた、こっちじゃ何チャン?」
 彼等は口々にそう言って、全員がテレビに向き合う。
 十四インチの小さなテレビ画面に、ぱっと見慣れた顔が映し出された。
「……いきなりかよ、俺、心臓ばっくった」
 と、呟いたのは成瀬雅之である。
 テレビの中で、ちょっと皮肉めいた笑いを浮かべて映っているのは、「GALAXY」の緋川拓海だった。
 歌番組である、名前は忘れたが、有名なお笑いタレントが司会している人気番組。
 今日のゲストはGALAXYらしい。
 スタジオのソファに、五人全員が並んで座り、司会者相手のトークを繰り広げている。
 へぇ……と、真白は思った。ドラマ、バラエティなどでは毎日のようにお目にかかるGALAXYの面々だが、歌番組では最近滅多にお目にかかれない。
 というより、五人が並んで画面に納まっている事自体珍しい。
 楽しいトークだった。ドラマなどではシリアスな役どころを演じる緋川だが、けっこう面白いことを言っては周囲を笑わせている。会話のテンポもよく、五人の仲のよさというか、雰囲気の暖かさが伝わってくるようなトークだった。
 真白は、何度か笑いそうになったが、テレビを見ているSTORMの五人は、一種異様なくらいしん……としていた。
 そして、CMが始まると共に、堰を切ったようにほぼ全員が喋りだした。
 真白は、むしろその変容ぶりにびっくりしていた。
「上手いよなぁ、緋川さんのトーク、あれって絶対計算してるよな」
「天野さんのつっこみがあるからだろ、だからきついこと言っても、笑いになってんだ」
「ここで草原さんがボケてるのも、計算だよな、絶対」
「つかさ、もう空気ができてんだよ、計算しなくても、自然に演出できてんだ、この人たちは」
「俺はさ、あの上瀬サンの間がポイントだと思うわけよ」
「社長のネタって受けるんだな、あれって事前に了解もらってんのかな」
「もらわなきゃありえねェだろ、あそこまで暴露ったら、クビだよ、普通」
 そこに、先ほどまでのふざけた雰囲気は微塵もない。
 ずっと寡黙だった澪でさえ、熱心に身を乗り出して、熱っぽい口調で語っている。
 再び番組が始まる。CMから切り替わると同時に、GALAXYの新曲「スケール」が始まった。
 銀河を背景にして、黒いスーツのような衣装を着た五人が、静かなメロディにのって、語るように歌い始める。
 派手な曲ではない。
 雨粒がしずかに心に落ちて、そしてゆっくり染みていくようなメロディ。
 歌というより、恋人に語りかけるような不思議な歌い方。
 それでいてサビはドラマティックで美しい。大切な人への、痛いまでの愛情が、胸に切なく伝わってくる。
 聴いていると、不覚にも涙が滲みそうになる。
「いい曲だよね」
 そう言おうとした真白は、周囲を見回し、あわてて言葉を飲み込んだ。
 誰も、息さえ殺しているかと思うほど、身じろぎひとつしていない。
 じっと――まるで、憎い相手でも見るような目つきで、食い入るようにテレビ画面に見入っている。
「いったんチャート外に下がったスケールですが、今、じわじわと売上が伸びてランク入りですよ。これは今までのGALAXYになかった現象ですよねぇ」
 サブ司会者の女性が、歌が終ると同時にそんなコメントを述べた。
「じゃあ、次のゲストは、モーニング」
 そこでテレビは切られた。柏葉将が、無言のままリモコンで電源を落としたのである。
「スケールは……GALAXYさんの、代表曲になるだろうな」
 最初にぽつりと呟いたのは、妙に神妙な目をしたままの綺堂憂也だった。
「そうだね」
「社長も仰天してるだろ、ヒット曲叩きだすって意味では、あの人、GALAXYには何も期待してないって言ってたから」
「俺たちも、作詞、頼んでみるか」
「ばーか、そんなの勝手に決められねぇし、しょせん、GALAXYの二番煎じじゃねぇか」
 将の声は、真白がひやっとするほど冷たく恐いものだった。
「じゃあ、将君のしたいことはどうなんだよ、ラップなんてしょせん今の流行追ってるだけだろ」
 むっとした声で雅之が反論する。
 将が眉を寄せ、その場の空気がふいに張詰めたような気がした。
「俺たちの曲は、俺たちらしいものでいいじゃん」
 妙に冷めた声で、憂が、その空気を遮る。
「だから、俺たちらしいってなんなのよ」
 雅之が、悔しげに爪を噛んだ。
 腕組みをしつつ、天井を見上げたのは東條聡だった。
「俺はさ、今までの曲、結構好きだよ、歌ってて楽しいし、みんな元気になれるじゃん」
「STORMっつったら、元気ソングがイメージだもんな、こないだ近所の運動会行って驚いた、幼稚園の運動会でさ、バックの曲が俺らの曲なわけ」
 りょうだった。
 澪って……こんなに、熱く喋る奴だったっけ、と、真白はむしろびっくりしていた。
「末永さんは、どう?」
 また、いきなり話題が振られる。
 自分を見つめる柏葉将の視線を感じ、真白は戸惑って顔を上げた。
「STORMの曲って、好き?友達にさ、好きなアーティストはって言われてSTORMって言える?」
 言えない。
 真白は口ごもる。
 言えば、多分、ミーハーな馬鹿女だと思われてしまう。
「今まで聞いた曲で、あなたはどの曲が一番好きですかって言われてさ、STORMの曲を上げられる?」
「…………」
 上げられない。
 いい意味でも、悪い意味でも、STORMの曲は歌謡曲だ。言葉を変えれば使い捨ての歌。流行っている間だけ楽しく聞かれて、あとは忘れられていく。
 でも。
「……新曲は……いいと思ったよ」
 真白は、言葉を選びながら続けた。
 全員が自分を注視している、さきほどの、GALAXYを見る目と同じような眼差しで。
「最初のラップのとこ……いい意味でアイドルっぽくなくて、かっこよかった。それが、アンバランスな感じもするけど……出だしのかっこよさが、結構、後を引くって感じで」
 全員、黙っている。何のリアクションもない。
 彼等は何を迷っているのだろう、と真白は思った。
 出す曲はすべてオリコン1位、全国コンサートも毎年している彼等が、今更――何を真剣な顔で言い合う必要があるのだろうか。
「そろそろ……新幹線、時間だろ」
 沈黙を破ったのは、澪だった。
「真白さん、困ってる。……こういう話は、俺らだけでしようよ、将君」
「…………リサーチは必要だよ、俺は、知り合いの女の子にはみんな聞いてるよ、今のと同じ質問」
 高校生以下には聞かないけど。
 そう続けると、将は苦笑して、それでも腕時計を見ながら立ち上がった。
「リアクションは、ほとんど末永さんと同じだけどね」
 それでも、高校生以下の女の子たちは、そこそこ夢中になっているだろう、と真白は思った。
 熱狂的なファン層は、殆どが中高生だ、そもそも彼等の曲もイメージも、中高生の女の子たちをターゲットに作られている。それでは――いけないのだろうか。

  





       
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