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「今回はまた、一段と豪勢ねぇ」
 場内を一瞥した九石ケイは、呆れ交じりに呟いた。
「たかだか歌の大会に、ここまで金かけてどうすんだっつーの」
 ねぇ、と相槌を求められても、ミカリには何も言えない。
 時代を代表するトップアーティストを擁する会社、アーベックスと東邦EМGプロダクション。
 今日は、その威信をかけたイベントだからである。
 東京ドーム。
 音楽界の一大イベント「TAミュージックアワー」開催当日。
 外野席側に設けられた特設ステージ、その周辺には巨大なスピーカータワーが、照明に照らし出されてきらめいている。
 アリーナ席の中央に向かって花道が延び、中央にも小さなステージ。その周辺を、スピーカータワーがアーチ状に囲っている。
 スタンド席は、四階まで。その大半が、すでに熱気と期待で埋め尽くされていた。
 どこを見回しても、人、人、人、ハウリングのような絶え間ないざわめきに、知らず酔いそうになる。
「それにしても、この広さは……、さすがドームだけあって半端じゃないですね」
 ミカリは、わずかな眩暈を感じながら呟いた。
 東京ドーム。
 建築面積46.755平方メートル。
 広さ、216メートル四方。
 国内初の屋根付ドーム型野球場である。
 ここに単独で立つアーティストは、日本でもまだ、数えられるほどしかいない。
 広すぎるドーム内、照明が帯状の霞になって浮かび上がり、対面のスタンド席が、うっすらとぼやけて見えるほどだ。
 もともとがコンサート会場ではないから当たり前だが、間違いなく音楽会場としては広すぎるキャパシティ。音というよりは、雰囲気を楽しむだけになるだろう。
 外野のほぼ中央に作られた特設ステージに立つアーティストは、フィールドを取り巻くスタンド席からは、到底肉眼で見られる距離ではない。
「目玉は、RENのジャガーズか」
 ケイが呟いて、バルコニー席、用意された記者用シートに腰を下ろした。
「そんなにいいものかしらね、おばさんには、ただ煩いだけだけどさ」
 関係者と記者用に設けられた特別シート。
 ミカリは、注意深く周辺を見回した。
 周囲は、同業者ばかりである。おもだった芸能誌、音楽誌の取材クルー。各局ワイドショー、ニューススタッフがひしめいている。
 それから――東邦プロと、アーベックスの首脳陣。
 わずか柱ひとつ隔てて陣取る両会社は、業界の噂では、イベントの主導権をめぐり、水面下で相当陰湿な応酬を繰り広げているとも言われている。
「真打の登場か」
 ケイがふいに呟いた。
 東邦の首脳陣がいっせいに起立したのはその時だった。
「お疲れ様です!」
「お疲れ様です!」
 口々にそう言って、彼らは、1人の老人を最敬礼で出迎える。
 数人の黒服に囲まれ、守られるようにして入場してきた長身痩躯、白髪の男。
「真田孔明、まるで妖怪みたいに変わってないわね、あのおっさんも」
「……こういった表舞台に姿を見せるのは、随分久し振りですね」
 ミカリも、驚きを抑えきれずに口にする。
「その隣にいる化け物の方が、むしろ私には怖いんだけどね」
「え?」
「先月も、そいつが、どっかのコンサート会場に来てたから、驚いたんだけどさ」
 それきり、難しい目になって口をつぐむケイ。
 ミカリはその態度を不審に思いつつ、アーベックスの荻野社長と握手を交わしている真田孔明の姿を見た。
 背の高い人だ。
 あの年であれくらいの上背があるなら、若い当時は相当の長身だったのだろう。
―――その隣の化け物……?
 ミカリは目をこらす。
 が、大勢の黒服に取り囲まれている真田の周辺に、ケイが言ったような存在は見当たらない。
「どっかのコンサートって、ストームのコンサートのことですか」
 それにも、ケイは答えてくれなかった。
 その代わり、わずかに苦笑して肩をすくめる。
「東邦とJ&Mの間には、深くて暗い溝がある。それは、永遠に埋まらないし、多分この先、離れもしない」
「…………………」
 J&Mは、元を辿れば東邦から袂をわかってできた会社だという。そのため、東邦は、当初、徹底的にJ&Mをつぶしにかかった。
 真田孔明は、その当時の代表取締役社長である。
 業界では、犬猿の仲だといわれるJ&Mと東邦プロ。二社の因縁は、そもそもそこから始まっていると――ミカリが知っているのは、それだけだった。
 記者席が、ふいにざわめいた。
 全員の視線が向かう先を、ミカリとケイも自然に追う。
「……なるほどね、勝負は受けて立つってことか」
 ケイの横顔が笑っていた。
 記者席を数列離れた特設シート。
 確かにそれは、圧巻の光景だった。
 株式会社J&Mの顔ぶれが、その一角を占めている。
 唐沢直人。
 美波涼二。
 真咲しずく。
 藤堂戒。
 矢吹一哉。
 そして、
「嘘だろ、ギャラクシーが、全員揃ってる!」
「おい、カメラ向けろ、早くしろっ」
 各社のカメラクルーが一斉に色めき立つ。
 取締役陣の背後に陣取るのは、
 緋川拓海。
 天野雅弘。
 上瀬士郎。
 草原篤志。
 賀沢東吾。
 プライベートでは、まず、同席することのないスーパーアイドル。
「信じられない、マリアも、サムライも、全員来てる」
「こりゃあ……Jさん、今回のイベント、のっとるつもりか」
 ギャラクシーを囲むように陣取るのは、MARIAの5人。
 そしてSAMURAI6。
 貴沢秀俊と河合誓也が現れた時、その周辺は一瞬騒然となっていた。
 そして最後に、スニーカーズの2人が現れる。
 澤井晃一と澤井剛史。
「ヒデーっっっ」
「晃一―っっ、こっち向いてぇっ」
 アリーナ一階、押しかけた無数の女性客を、慌てて警備員が押しとどめている。
 そして瞬く、フラッシュ、フラッシュ、フラッシュ。
 場内の注目全てを、今は、絢爛豪華なアイドルたちが独り占めだった。



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「……なめてんなよ、俺たちを」
 低い声で呟いたのは、マリアの永井匡だった。
「緋川さんをコケにしやがって、許せるかよ」
「RENだかなんだかしらねぇけど、ざけんな、ボケ」
 元々ギャラクシーのバックバンドから始まったマリアは、ギャラクシーに、そして緋川拓海に、格別以上の思い入れを持っている。
「まぁ、確かにむかつくな」
「まだ、ようおさまらんわ、俺」
 苛立ったように呟き、スニーカーズの澤井剛史と澤井晃一が腕を組んだ。
 彼らもまた、東京でのデビュー当初から、緋川拓海との交流が深い。
「なんにしても、デビュー組が全員召集とはおそれいったよ」
 どこか冷めた口調なのは、異色のデビューを飾ったサムライ6の岡村準。
「つか、柏葉一人で何ができんだよ」
 爪をかみつつ、そう言ったのは河合誓也だった。
 その隣では、貴沢秀俊が、無言で目をすがめている。
「てめぇら、少しは黙ってろ」
 天野雅弘が、珍しく怖い声で口を挟んだ。
 ギャラクシーの5人は、先ほどから身じろぎもせずに、特設ステージを見つめている。
 その、睨むような眼差しに、彼らが――心中感じている、燃えるような怒りがにじみ出ているようだった。


 
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「演出の変更?」
 本番直前の控え室。
 将は、眉をひそめながら顔をあげた。と、いうより、今耳にしたことが信じられなかった。
 キャップを脱いだアシスタントディレクターは、曖昧に笑って頭を掻く。
「そう、悪いんだけどさ、どうしてもRENさんが、最初にいきたいって」
「………いや、それは」
 将は、言葉を途切れさせたまま、結局、一度もリハーサルに参加することなく、本番十五分前になって現れた男の姿を思い出していた。
 REN。
 現時点で、日本最高峰のポップアーティスト。
 それまで世界で馬鹿にされていたジャパニーズラップに革命を起こし、光を当てた天才とまで言われている男である。
 沖縄生まれ、生粋の日本人ではないという男は、生でみると、ひたすらでかい、という感じだった。身長からして、将を見下ろすほほどの上背がある。が、男を大きく見せているのは、おそらく体格だけではない。
 濃いサングラス、褐色の肌。短く刈られた髪。テレビと同じ、黒皮のつなぎ。
 挨拶に行ったジャガーズの控え室でも、彼は、談笑するメンバーとは一線を引き、室内の隅でヘッドフォンを耳にあて、自分ひとりの世界にこもっているようだった。
 さすがに将は近づけなかった。というより、他のメンバーの誰一人、RENには近づけないでいた。そんな――冷たく他者を遮断する空気が、男の近辺にはたちこめていた。
 あれほど憧れていた人だった。
 が、それは、ただ憧れていたときよりも、はるか遠くにいるように見えた。
「とにかく、ちょっと」
 戸惑う将の手を引くようにして、ADは、将を楽屋の外――階段の踊り場近くまで引っ張ってから、言った。
「実は昨日、ジャガーズさんの方から、変更できないかって、話があってさ」
 昨日。
 将自身は、何も聞いてはいない。
 昨日もいつもどおり、他のメンバーとリハーサルをしたばかりだ。
「RENさんがトップでいって、ジャガーズで一曲いくから、柏葉君は、その……後でってことで」
「……………」
 後か。
 将は眉をひそめていた。
 憂也にあんなことを言われたが、実力以前の問題として、RENに立ち打ちできないのは明らかだ。立ち打つどころか、あらゆる面で足元にも及ばない。憂也がどう思おうとも、それが現実的な事実である。
 なのに、
―――俺が……RENさんの後に歌うのか。
 将はさすがに、険しい目をして黙り込んだ。
 将が前哨として歌い、そしてジャガーズとのコラボ曲。その後にジャガーズのメドレー――それが、聞いていた筋書きだった。
 このイベントの主役はあくまでRENで、将はいわば、異色なゲストである。イベントを盛り上げる立場で参加しているのだという自覚もある。それが――主役の後に歌う。
 おそらく、REN一色に染まった大興奮の場内の中で。
 多分、おまけにもならない扱いで。
「俺はいいんですけど、構成としてはどうなんですか」
「それから……申し訳ないんだけど」
 進行役のアシスタントディレクターは、将の反論を無視して、すまなそうに声をひそめた。
「結局一度もリハであわせられなかったし、コラボは今回、なしってことにしてもらえないかな」
「……………」
「RENさんが、気乗りしないって言っててさ、あの人も気まぐれっつーか、我侭っつーか、僕らもほとほと困ってるんだけど」
「いや、そもそも、RENさんと絡みはないって話だったんですけど」
 将はさすがに、色めき立って言葉を返した。
「ないんだけど、――ないんだけどさ」
 ADは、へらっと媚びるような笑みを浮かべる。
「天下のジャガーズが、やっぱ、アイドルなんかとコラボ組めないって話なのよ、わかってよ、そのくらい」
「……………」
 判れ?
 判れって、そもそも、それ、そっちが言い出した話じゃねぇのかよ。
「イベンターが話題作りに打ち出した企画でさ、一度はジャガーズさんもうんっつったけど、やっぱ、いまいちってとこだったんじゃないの?ほら、違いすぎるじゃない、ジャンルがさ」
「………………」
「そ、そんなわけでさ」
 将の眼差しにただならぬものを感じたのか、まだ若そうなADは、少し慌てて真面目な目になった。
「とにかく、柏葉君は、紹介されたら奈落からステージに出て、で、予定通り一曲歌ってくれたらいいから」
「………………」
「あとは、適当にひっこんで。その後に再度ジャガーズさんが移動ステージで現れるからさ。盛り上がるよー、あの動くステージ、なんたって世界初の試みだからね。あ、もうスタッフに変更表も渡してるから」
―――ふざけんなよ。
 ぽん、と肩を叩かれる。
「ま、あとは楽しんでよ、柏葉クン、勉強だと思ってさ、せっかくの音楽祭なんだし、ゲストとしてね」
 完全に将を子ども扱いした言い方。
 将というか、「アイドル」を。
 オーロラスクリーンの、打ち上げ花火を擬したカウントダウンと共に、「TAミュージックアワード」がはじまった。場内の喚声は、地下にいる将にも聞こえてくる。
 こんな時に限って、マネージャーの片野坂イタジは最終チェックのために席を外している。
 怒り任せに歩き出した将は、そのまま、隣室にあるジャガーズの控え室に向かっていた。
 とにかく、段取りの変更を確認して――、が、冷静に話ができる自信はない。そうしている間にも、刻一刻と出番は近づいている。ただ、屈辱を味わうためだけに昇るステージが。
「彼さ、マジでRENさんの曲歌うのかな」
 そんな声が聞こえたのは、その時たった。
「つか、怖いものしらずもいいとこっっーか、若いよね、可愛いけど、無駄に自信過剰っつーかさ」
 くっくっという笑い声が、ずっと将に親しく接してくれた人たちのものだとは、にわかには信じられなかった。
 控え室の前のベンチで、彼らは煙草を吸っていた。ジャガーズの、RENをのぞくメンバー全員が。
 控え室の中にはRENがいるから、気を使って外に出ているのかもしれない。わずかに離れた将にも気づかず、彼らはリラックスした風に談笑していた。
「アイドルなんてそんなもんだろ」
「そこそこ上手いんで驚いたけど、まぁ、……ものまね大賞とかに出れる程度?」
「ひでぇなぁ、カイト」
「ぶっちゃけ、むかつくんだよね」
 冷ややかな声でそう言ったのは、一番優しいはずの比呂斗だった。
「俺らが必死に辿り着いた場所に、ただ、人気だけでのこのこあがってこられたんじゃね」
「ま、ラップを舐めてるよな、アイドルのくせに、」
 と、言いかけたカイトが、その視線を止める。眉を上げた彼は、初めて将に気づいたようだった。
「変更、聞きましたんで」
 ここで、普通にしゃべれる自分が不思議だった。
「あ、ああ」
 と、戸惑ったように、比呂斗。
「よろしくお願いします」
 将は怒りをぎりぎりで抑えて、頭を下げた。
(―――当たり前だろ、台本にないことやっちまった。)
(―――迷惑かけたな、お前にも。)
 握り締めた拳が震えている。
 もし、あの人の言葉を聞かなかったら。
 多分、椅子を蹴り飛ばすどころじゃすまなかった。


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「た、たた、大変でっ、す」
 ふいに、息を切らして駆け込んできた男がいた。
 その男は、わたわたと周囲を見回しながら、その大変です、を説明する相手を探している。目まぐるしく翳る照明。そして歓声。何か口走る男の声は、周囲の喧騒にまぎれてかき消される。
「どうした、小泉」
 真っ先に立ち上がったのは、美波涼二だった。
「何があった」
 プログラムは前半が終わった。あとわずかで、全ての観衆がいまかいまかと待ち望む、ジャガーズの出番となる。
 スタンド席を、外野からずっと突っ切ってきたのか、息をきらした男――ストームのマネージャー、小泉旬は、ぜっぜっと肩で息をした。
「か、柏葉の出番が変更になりました」
「変更だと?」
「RENさんの希望で――い、今、僕らも聞いて、し、仕方ないと、」
「何がどうなった、言ってみろ」
 座ったままの唐沢が、その先を促す。
「コラボは、中止に……それから、歌う順が逆になって」
「………逆?」
「ジャガーズが歌って、その後で、柏葉さんが……一曲」
 そこで顔をあげ、小泉は困惑した目で周囲を見回した。
「柏葉の出番はそれだけで、後は、ジャガーズのメドレーに変更になったそうです」
「ふざけるな!!」
 怒り任せに席を立つ代表取締役を、傍らの美波が制した。
「もう無理です、そもそもここは、他人の土俵だ」
「だからなんだ、柏葉は降ろす、そうするしかないだろう!」
「それではうちの負けを認めたことになる」
「……なんだと」
 美波の声は冷静だった。
「柏葉が降りても東邦には痛くも痒くもない。むしろ、思うツボだということです。こうなった以上、柏葉には、意地でもステージに立ってもらうしかない」
「……………」
「決着は、違約金でつけさせるしかないでしょう」
 照明がふいに落ちた。
 前方と、四方を囲む巨大スクリーンに、カウントダウンの文字が浮かぶ。
 観客が総立ちになった。
 地鳴りがするほどの興奮が場内を一気に包む。
 総勢何万もの大観衆が腕をつきあげ、そして、叫ぶ。
「REN REN」
「REN!REN!」
 轟音のような凄まじさ。
―――これが、RENの人気か、
 唐沢は、眩暈のような絶望を感じつつ、興奮の坩堝となった場内を見回した。
 想像以上だ。予想してもいなかった。これは、ギャラクシーを降ろしていて間違いなく正解だった。
 そしてこの中で、
―――うちの柏葉が歌うのか。



「しょせんは、飾り物だ」
 腕を組んだ真田孔明は、低く呟いて苦笑した。
「………せいぜい、己の立場を思い知るがいい、アイドル集団」
 そして、私がこれから大切に愛しんで育てていく小鳥。
 君も――自分の実力を、ここではっきりと自覚したまえ。













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