12
「……まずまずだな」
通しリハーサルの終了直後。
照明の灯り始めたホール内、足を組む唐沢の横顔に、安堵の色が浮かんでいる。
「柏葉にあんな芸当ができたのか」
「彼は入所時から、ラップを好んで歌っていましたから」
美波はそう答えつつ、斜め後ろ、隠れているつもりだろうが、丸見えの4人組をちらっと見た。
―――あいつらも来てたのか。
この微妙な時期に、とことん勝手な真似をする奴らだ。
友人のことが心配だったのだろうが、ドーム本番になれば、いやがおうでも召集されることを知らないのだろう。
小さく固まって座る4人は、この広い会場で、少し憐れなほど心もとなく見えた。
「………………」
今日、ステージに立つ柏葉の姿は、あの4人にはどう見えたのだろうか。
ふいに美波の中に、いつかの言葉が蘇る。
「と、友達の人生と、自分のしたいことと、は……はかりにかけるとして、ですね、美波さんならどうしますっていうか……」
あれはいつだったろう。深夜のファミレス。東條聡に真剣な目で訴えられた。美波に言わせれば、迷う必要さえない質問。
友達の人生など切り捨てるしかない。
そうしないと生残れない。
多分、その答えを、まだあいつらは見つけていない。
そして今、別の世界に羽ばたこうとしている柏葉を、ただ見るしかない4人の中には、どんな感情が芽生えただろうか。
そこにあるのは、嫉妬か、羨望か、置いていかれた寂しさか。アーティストとして成長するためには、どれも必要な感情だが、やがてその感情が、ユニットの絆を壊していく。
それが、どんな仲のいいユニットにも、必ず襲ってくる現実。
残酷なようだが、この芸能界は、誰もが同じ速度で歩ける場所ではないからだ――。
「ま、恥だけはかかずにすみそうだな」
唐沢の声が、美波を現実の感情に引き戻した。
「柏葉のソロはいいとして、問題は、今日も来なかったRENでしょうね」
美波が言うと、唐沢は形のいい眉を寄せた。
「……明日が、いきなりの本番か」
「そうなります」
ギャラクシーの時と同じだな、と、美波は多少の危惧を持って前列に陣取る東邦陣営を見る。
取り返しのつかない本番になっての仕掛け――そう、あれは間違いなく、意図的な仕掛けだった。しかし、この時期、なんのために?
一体何を考えているんだろう、あの老人は。
「んじゃ、そろそろ行ってきます」
ずっと、不機嫌な目でステージを見ていた男が立ち上がった。
一人、離れた場所に席を取っていた緋川拓海である。
「一人でいいのか」
美波が声をかけると、
「ガキじゃないんで」
と、ガキそのものの短気さを全国放送でさらけだした男は、吐き棄てるような口調で言った。
「やっちまったことは、責められても仕方ないことですから、みっともない庇われ方だけはしたくないっす」
「………なんだと」
そのみっともない庇い方に奔走した唐沢の眉間に、みるみる怒り皺が浮かび上がる。
嘆息しつつ、それを制し、美波は拓海に向き直った。
「お前はJの看板スターだ」
「……………」
「お前の醜聞は、うちの事務所の醜聞だ。勘違いするな、誰もお前を庇っちゃいない、事務所をくだらないゴシップから守っただけだ」
拓海の目に、燃えるような怒りが浮かぶ。
美波もまた、目をそらさずに拓海を見つめた。
いい加減大人になれ。
その子供っぽさが消えない内は、自分だけでなく周囲が見えるようになるまでは、とても、独り立ちなどできないだろう。
「お前の愚行の尻拭いを、今、お前の後輩がやってるんだ。我侭で傲慢なお前にはいい機会だ」
「……なんだと?」
「自分のしでかしたことの意味を、しっかりと自覚しろ!」
「…………………」
拓海は何か言いかけ、そして歯噛みでもするように口を閉じた。
そして、怒り任せに、椅子を蹴り上げるようにして、きびすを返す。
「あれで、人気がなかったら、とっくの昔に切っている」
苛立ったように、唐沢が吐き棄てた。
実際、この騒ぎが元で、J&Mがこうむった損失は、すでに金銭では変えられない。
その最も大きなものが、Jの緘口令に反発した民放キー局の一つ、サンライズテレビとの、全面的な戦争である。
「あら、スターは、予測不可能な存在でなくちゃ」
黙っていればいいのに、そこで余計な口を挟んだのは、唐沢の隣席に陣取る真咲しずくだった。
「今回の暴挙、話題になればなるほど、緋川君の株はあがると思うんだけどな。だってかっこよかったじゃん、彼」
「あなたは黙っててください」
むっつりと唐沢がそれを遮る。
肩をすくめた女は爪を弾きつつ、つまらなそうにあくびをした。
「うちのアイドルにも、その素質があると思ってたんだけど、今回はがっかりしちゃった」
―――なんの話だ?
唐沢だけでなく、美波もそれには眉をひそめる。
「まるでジャガーズのコピーだもん、それで喜んでる唐沢君も唐沢君だけど」
顔を上げた女の目は、別人のように冷ややかだった。
「ある意味、テレビのギャラクシーよりコケにされてる気がするけどね、うちの事務所」
13
「ほ、本当にいいんすか」
雅之は、定まらない視線のままで、何度か目の質問を繰り返した。
まだ、喧騒のさめやらぬ、リハーサル直後の出演者控え室ブース。
「いいのいいの、ジャガーズでしょ?激励にきましたっつったら、喜んでもらえるわよ」
真咲しずくはあっさり言うと、すたすたと先頭に立って歩き出す。
「にしても、みんな水くさいなぁ、来るなら来るって言ってくれたら、私が連れてきてあげたのに」
人気スターの控え室が並ぶ、狭い通路。
なんとなく肩身の狭い気分で一列になる雅之、りょう、憂也、聡の横を、今をときめくアーティストたちが通り過ぎていく。
中には、歌番組で顔見知りになった者もいるにはいるが、しょせんその場限りの儚い友情。目で挨拶して、それで終りである。
「将君、かっこよかったなぁ」
聡がしみじみと呟いた。
「なんか、別の奴見てるみたいだったけどね」
りょうの声は、どこか寂しそうにも聞こえた。
憂也は何も言わないまま、ただ、前髪を指で払う。
雅之も、微妙に複雑な気持だった。
なんていうか――やっぱ、将君って奴はすごくて。
俺らとは違って。
浅葱悠介君が、時々熱心に勧めているように、アイドルなんてやめて――独り立ちしたら、かなりいい線いくんじゃないだろうか。
でも、そうしたらストームは。
俺たち5人はどうなるんだろう。今までも、ずっと将君頼ってきて、多分、将君いないと、どうにもまとまんない俺たちは。
もし、将君がストーム辞めたいって言い出したら。
そん時、俺は。
俺は、笑って――
「あれ、来てたんだ?」
控え室の将は、着替えの最中だったのか、半裸のまま顔をあげた。
半裸というか、思いっきり裸、身につけているのはボクサーパンツ一枚である。
「うおっっ」
と、顔を上げたその目が、雅之の背後で止まって見開かれる。
「み、見てんなよ、着替え中だろ!」
え?と思った雅之は、ようやく自分の背後に、真咲しずくが立っていることに思い至った。
「あ、ごめんごめん」
と、さほど悪びれもせずに、そのしずくが背を向ける。
「じゃ、出とくから着替えたら呼んで」
「呼ばねぇよ、つか、何しにきたんだよ!」
「REN君のマネージャーに用があってきたんだけどなー」
「いねぇよ、つか、出てけ!とっとと!」
「はいはい」
雅之は、少し唖然としつつ、そんな2人の会話を聞いていた。
アイドルは脱いでなんぼ、魅せてなんぼ。とは、キッズ時代に教え込まれた鉄則である。
なのに将君、たかが裸くらいで何照れまくってんだろう。基本、男にも女にもフランクな将君の態度とは思えない。
振り返って見た真咲さんの表情も、微妙に固まっていたような気がするし、なんか――こう、2人の間に、不思議な空気があると思うのは考えすぎなんだろうか。
「ジャガーズは?」
「ああ、……まだ、そのへんにいると思うけど」
ロッカーに向かいながら、将は微妙に言葉を濁す。
「少し前に緋川さんが来てさ、みんなで出てった。ちょっと吃驚したけど、謝罪したいってことで」
「えっ」
それには、雅之だけでなく全員がびっくりしてしまった。
そうか、それで今日――緋川さんが、氷よりも冷たい関係だと言われる美波さんと同席していたというわけか。
「双方のマネージャーさんも一緒に、別室で話してんじゃないかな、えらいよな、緋川さんも」
シャツを頭から被りながら将は続ける。
多少不謹慎だとは思いつつ、雅之は、つい将の身体に見惚れてしまっていた。
いつ見ても思うことだけど、将の肉体は本当に綺麗だ。
引き締まって筋肉もついて男らしい、なのに怖いほどなまめかしい。どこか女性的なりょうと違って、男臭いセクシーさに溢れている。
「別にえらくもなんともないだろ、自分でやっちまったことなんだから」
場違いに冷め切った声がした。珍しげに室内を見回している憂也である。
冷め切ったというより、妙に棘がある口調。
―――憂也?
雅之は眉をひそめる。
リハーサル後半から、憂也はずっと無口だった。
機嫌がよくないのは判ったが、その理由までは判らない。
ただ、なんとなく、将君絡みのことかな……とは思っていた。
「そのせいで、将君がこんなに苦労してんだ、むしろ、最初に将君に謝るべきだと思うけどね」
「ま……別に俺は、苦労って思ってねぇし」
将も、いぶかしげに、そんな憂也に視線を向ける。
「苦労っていうより、むしろチャンスか」
憂也は笑った。
それは、やはりどこか皮肉な笑い方だった。
「おい、憂也」
雅之はさすがに口を挟んでいた。
まさかと思うけど。
これって、まさか、嫉妬ってやつなんだろうか。
今日のステージを見て、雅之も軽く感じた淡い感情。でも、こんな――こんな風に、憂也が、黒い気持ちを表に出すやつだとは思えないし、思いたくない。
しかし憂也は、そんな雅之の腕をあっさりと払いのけた。
「かっこよかったよ、今日の将君、いっそのこと、ストームなんて辞めちゃえばって思うくらいに」
まるで冗談でも言うような口調でいうと、憂也はパイプ椅子のひとつに腰掛けた。
将は、静かにロッカーを閉める。
「……なんだよ、それ」
やばい、雪がちらつき始めた。
「男の哀愁?人生の悲哀?そんなもんさー、アイドルには必要ねぇじゃん」
「………何が言いてぇんだよ」
ふ、降り積もってきたよ。
「将君さ、なんのためにここにいるんだよ、ジャガーズの一ファンか、それともJ&Mの代表か」
「なんだと?」
そしてついにブリザード。
「ゆ、憂也、」
雅之は憂也を止めようとしたが、こうなってはもう手遅れだということもよく知っていた。
「くそ回りくどい言い方しやがって、何が言いたいんだよ、てめぇはよ!」
「親切で言ってやってんだよ、感謝して聞きやがれ!」
「聞いてやるよ、言ってみろよ!」
将が足で目の前の椅子を払い、憂也が怒り任せに立ち上がる。
聡がなすすべもなく額に手を当て、りょうも、舌打ちをして視線を逸らした。
雅之は――ただ、唖然としていた。一体なんで、どうしてこんなことになっちまったんだろう。
嫉妬?
それとも、
「かっこわるいんだよ、今のてめぇはよ!」
が、憂也の第一声は、雅之の想像外のものだった。
「なんだと?」
将の腕が、憂也の襟首を掴みあげる。
憂也は動じず、むしろ噛み付くような眼差しになった。
「他人の真似してどうするよ、全然お前らしくねぇんだよ、そんなのが、俺たちの将君かと思ったら情けなくなるんだよ!」
一瞬眉を震わせた将は、しかし、次の瞬間憂也を突き放した。
開放された憂也は、即座に体勢を立て直す。
やや、鼻白んだように、そんな憂也に背を向けたのは将だった。
「……情けなくて悪かったな、俺だって必死だよ、判れよ、ぶっちゃけ、ついてくだけで精一杯なんだよ」
「必死?」
将の本音を、しかし憂也は鼻で笑った。
「なにを必死になるんだよ、精一杯ってなんだよそれ。俺らがやってることが下じゃねぇって、そう言ったの将君じゃねぇか!」
「……………」
将が、わずかに表情を変える。
雅之も、その言葉にははっとしていた。何かすごく大切で、当たり前すぎて忘れていたことを、ふいに――まるで、強烈な平手打ちで思い出させてもらった気分だった。
将の険しい横顔に、猛烈な反発と――かすかな迷いが、同時に浮かんだような気がした。
ノックがしたのはその時だった。
「ま、真咲さん、今、その、取り込み中で」
慌てて聡が扉を開けて――そう言いかけて、言葉を止める。
扉の隙間から垣間見えたのは、男物の背広の胸元、濃い臙脂のネクタイと、ダイヤが煌くネクタイピン。
「柏葉君は、おられますかな」
穏やかな、そして流暢で慇懃な男の声がした。
「私は、東邦EMGプロダクションの会長をやっている真田と言う者です、柏葉君にご挨拶したくて寄ってみたのですが」
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