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「はじめまして、ジャガーズのヒロトです」
 意外なほど優しい対応に、ある程度の冷遇を覚悟していた将は、拍子抜けしつつ片手を出して握手を交わした。
 渋谷にある収録スタジオ。
 ストーム専任マネージャー、片野坂イタジに連れて行かれた控え室。
 扉を開けて将を出迎えてくれたのは、ジャガーズのリーダーで、ベース兼ラッパーのヒロト、こと喜屋武比呂斗だった。
「まだ二十一かぁ、生で見ると可愛いね、柏葉君って」
 ひょろっとした細面の男は、桐で払ったような目を下げて、親しげに笑いかけてくれた。ジャガーズのトレードマークのようなミリタリーブーツにラフなジーンズ。
 無論、喜屋武比呂斗のことなら、将は紹介された以上の情報を知っている。
 RENと同じ沖縄出身で、同じ養成所に所属していた。ただしRENより、年は五つ以上も下である。
「セイです」
「カイトです、よろしく」
 ギターのセイ、こと反町靖也、そしてタンテ担当のカイト、こと長澤魁人。
 雑誌やジャケシャでしか見たことのないメンバーたちが、次々握手を求めてくる。
 写真ではいつも気難しげな彼らは、間近で見ると、意外なほど気さくで、親しみやすい感じがした。
 年齢は比呂斗が三十歳、後は全員が、二十代半ばだと聞いている。
「デモテープ聞かせてもらったよ」
「若いのに、いいものもってるよね、柏葉君」
 比較的年の近いセイとカイトは、すぐに将に話しかけてきた。
「はぁ、どうも」
―――若いって、年、かわんねーと思うけど。
 なんだか、すげー高見から見下ろされてる気分だ。将は、やや憮然とする。
 が、それでも、正直、気後れする気持の方が勝っていた。
 なにしろ相手はジャガーズ。
 将が中学時代から心酔している、ジャパニーズラップ最高峰のグループなのである。
 セイとカイトは、後から参入したメンバーだが、それでも、あのRENに認められたアーティスト。単なる技術以上の才能を持った、選ばれた天才集団の1人には違いない。
「作詞もいいよね、活きがいいっていうか」
「若い子らしいって感じだね」
「……どうも」
 将は、所在無く、渡されたコーヒーに唇をつけた。
 相手はリラックスしているのに、自分の声だけが頼りない。会話の糸口さえもつかめない感じだ。
 コーヒーを口にしてはじめて、喉がからからに渇いているのに気がついた。
 今日は、「TAミュージックアワード」の個別リハーサル初日。
 打ち合わせを兼ね、ジャガーズのメンバーと将との、初顔合わせの日でもある。
 室内には、比呂斗、セイ、カイトのジャガーズのメンバー。双方のマネージャーと音響スタッフが数人いるが、肝心のRENの姿は、どこにもないようだった。
「柏葉君、こっちきて」
 室内に設けられた練習用のミニステージ。ドラムセットの前に立つ比呂斗が、将に向かって手招きした。
「そんな、いつまでも緊張しないで」
「はぁ」
 たいがい、初対面の人間とすぐ打ち解けることができる将だが、今日はどこか勝手が違った。
 普通に立って挨拶しているだけなのに、手にも身体のあちこちにも、汗が自然に滲んでくる。
 憧れのグループと同席するという緊張感もさながら、やはり、目の前でJ&Mの最高峰「ギャラクシー」がこけにされた悪夢を見せ付けられたせいだろう。余計な警戒心がどうしても抜けない。
「そこ、座ったら?」
 比呂斗に苦笑まじりに言われ、慌てて傍の椅子に腰を下ろす。
「ほんっと、可愛いんだね、柏葉君って」
 タンテをいじり始めたセイがそう言い、ピアス鼻に皺を寄せて笑った。
 か、可愛い??。
「は……はは」
 喜んでいいのか、怒っていいのか。
 微妙に腹は立ったが、やはり、言い返すことはできない。
 片野坂イタジは、部屋の隅で、相手マネージャーとスケジュールの打ち合わせをしている。が、やはり緊張のためなのか、そのイタジの声も、妙なほどぎこちなかった。
「ま、わかるよ、柏葉君の気持ち、俺らも最初はそうだったから」
「RENさんと会う時、心臓ぶっこわれそうだったもんな」
「そうなんですか」
「そ、俺ら、オーディション受けて入った口だからね」
 頷きながら、話してくれたのはカイトだった。
 いつも赤いキャップを被り、童顔なのに目つきだけが鋭い男である。
「うちはメンバーが、ころころ変わるんだ、増えたり減ったり、忙しいよ」
 それは将も知っている。
 セイもカイトも創立時からの面子ではない。事務所が変わるたび、――RENの横暴についていけなくなったとも言われているが、ジャガーズのメンバーはその都度入れ替わっているからである。
 RENと同郷の比呂斗でさえ二期目のメンバーで、そういう意味では、創立時のメンバーは、今ではREN一人しかいない。
(―――ラップ界のモーニングガールだね)
 とは、憂也がふざけて言った言葉である。
「柏葉君は緊張しなくてもいいよ、RENさんこういう場所には、絶対にこない人だから」
 双方のマネージャーをはばかるようにして、そっと囁いてくれたのは、最初に出迎えてくれた比呂斗だった。
 こう言っては悪いが、桐で払ったような目じりが垂れて、RENとセッションをする時の、あくの強い声の持ち主には見えないほど、顔立ちが優しい男。
 比呂斗は申し訳なそさうに、ぎちぎちに編みこんだ自身のコーンロウに手を当てた。
「テレビの件は、本当に失礼したね。RENさんいつもああだから、俺らも心配してたんだ」
「やっちゃったーって感じだったよな」
「あの人、マジで神経いっちゃってるとこあるからさ」
「そうそう、特別に専任マネージャーがついてるくらいだし、RENさんが沖縄時代からつきあってるリアル親友」
「RENさんとまともに話せるのって、その人くらいなんだよね」
 カイトとセイ。
 どこか、揶揄するような口調だった。
 将にしてみれば、あまり、知りたくなかった天才の素顔と、憧れのユニットの寂しい実体。
 同じユニットでも、ここは、一心同体というわけではないのだろう。
 突き抜けた天才であるRENは、同じグループの中でも、別格の存在なのだ。
「じゃ、ちょっと流してみよっか、柏葉君」
「将でいいかな、俺らも名前で呼び合ってるし」
「あ、……はぁ」
 い、いよいよか。
 立ち上がった将は、軽く息を吐いて上着を脱いだ。
 準備の整ったリハーサルスタジオ。
 スタッフに見守られ、用意されたマイクの前に立ちながら、さすがに冷静ではいられなかった。
 照明が落ちて、マイクの周辺だけが浮かび上がる。
―――あ、足、マジでぶるってるよ、俺。
 自分の頬に拳を当てて、気合を入れる。
「曲どうする?将の持ち歌でいってもいいけど」
「いや……」
 背後の比呂斗に首を振って、将はマイクを持ち直した。
「ジャガーズさんの曲なら、俺、たいていは歌えますんで」
―――さすがに……歌えねぇだろ、ストームの歌は。
 TAミュージックアワード本番の段取りは、将がソロで一曲、その後登場するジャガーズとのコラボが一曲、そしてその後、ジャガーズの単独メドレー、という流れになっていた。
 曲目は、これから話し合って決めていく。
―――ま、ラップ中心の曲になるだろうな。
 このイベントでの将の役回りは、ジャガーズの前哨というか、引導役のようなものだ。
 最初から観客の期待がジャガーズだけに向けられている中、将にすれば、しょっぱなの一曲しか、自身の存在をアピールする場面はない。
―――アイドルにも、これだけできるって、魅せてやるよ。
 その覚悟が、将を必要以上に気負わせている。
「ま、のっけ一発目だし、かっこいい曲でいったほうがいいよね」
「じゃ、将の好きなの歌ってみてよ」
 将がファイヤーウォールをリクエストすると、すぐに比呂斗のリードで、イントロが流れ出した。
 大好きで、RENが歌う微妙な変則まで、全て暗譜しているメロディ。
 まだ、信じられない。
 中学高校と、あれだけ憧れたジャガーズが――雲の上の、そのまた上の存在だったグループが、将のバックで演奏をしている。
 将が好きだった当時のメンバーで、今も残っているのは比呂斗くらいだが、まるで、昔からの仲間のように接してくれている。
「ひゅうっ」
 演奏が終り、最初に口笛を吹いたのはドラム担当のセイだった。
「上手いね、ちょっとした驚きだな、これは」
「リズムも声質もいいし、アイドルにはもったいないよ、将」
「………どうも」
 どうだったのかなんて、正直、頭が真っ白すぎて判りもしない。
 マイクを握る手のひらが強張って、無理に引き離すと、汗でじっとり濡れている。こんなことは正真正銘初めての経験だ。
―――つか、最後まで神経もつのかよ、俺。
 初めて人前で歌った時も、J&Mのオーディションを受ける時も、絶対、ここまで緊張しなかったはずだ。
「じゃ、もっかい流してみよっか」
「今度はさ、今のベースに、雰囲気で音つくってくから、適当に合わせてみて」
「はい」
 どうにも警戒心が抜けない将だったが、その日1日で、その警戒は期待に変わった。
 東京ドーム。
 まだ、立ったこともない大舞台中の大舞台で、憧れていたグループとコラボでの共演を果たす。
 想像しただけで、ぶっとんでしまいそうなほどのシチュエーションだ。
「RENさんのことは気にしなくていいよ」
「段取り通り歌ってくれたら、そんなに絡みもないし、トークすることもないからね」
 全員が、優しすぎるほど優しかった。
 当たり前だが、彼らの音楽に関する技術の高さ、知識の深さは、これまでの環境とは比にもならない。
 将の音程やリズムにあわせ、自在に曲調を変えてくれる。
 セッションだけでも、ライブが出来そうなほど強烈だったし、要求されるレベルも相当だった。即興でできあがったメロディの完成度に、思わず鳥肌がたったほどだ。
 予定された二時間があっという間で――やればやるほど、自分がより高みに飛べるような高揚感が、スタジオを出た将を包んでいた。
「将、よかったらこの後、飲みに行こうよ」
「カイトのダチがライブやるんだけど、一緒にいかねぇ?」
 むしろ怖いのは、あまりに上手くいきすぎることくらいだった。
 

                 9


「………すげー、かっこいいよ、これ」
 浅葱悠介は、思わず口に出して呟いていた。
 六本木にある貸スタジオ。
 2時間の予定で借りている狭い室内、歌い終わったばかりの将を、悠介は感嘆を込めた眼差しで見上げた。
「そっか?」
 マイクを離した附属幼稚舎時代からの親友は、まんざらでもない上機嫌な目で髪をかきあげる。
「そうだよ!」
 悠介は興奮気味に席を立った。
「やっぱ、ジャガーズとセッションしてるせいかな、すげー、なんかこう、詩が生きてるっていうか、なんていうか」
 どう言えばいいんだろう、言葉に詰まった悠介は、背後の憂也を振り返る。
「な、憂也!」
「だね」
 タンテを前に、ヘッドフォンをつけていた綺堂憂也は、それを外すと、少しだけ肩をすくめたようだった。
 その冷めた表情に、悠介は興奮に水を指された気分で鼻白む。
―――……いつもながら、感情の読めねー奴。
 綺堂憂也。
 将が信頼しているから、悠介も一応信頼している。が、一つ年下の生意気ですかしたこの男と、仮に将という仲介者なくして知り合いになっていれば――間違いなく苦手か嫌いなタイプにカテゴライズしていたろう、とも思う。
 将にしても、そんな肌感覚は悠介と同じはずだ。が、その将が、憂也をある意味かなり信頼している理由も、悠介は理解しているつもりだった。
 悠介は、将が作詞し、憂也が曲をつけた譜面に目を落とした。
―――ま、なんにしても、すげぇよ、2人とも。
 綺堂憂也と柏葉将。
 2人が持つ才能というか、ポテンシャルは、――同じジャンルに身を置く者としては正直認めるのは悔しいが、実際、かなりのものだと思う。
 綺堂憂也の音楽センスは、間違いなく、どこか別の世界に突き抜けている。
 多分突き抜けすぎていて、自分のような凡人には理解できないのだろうとさえ、悠介は思う。世界のどこにも属さない、自分一人のオリジナルなワールドを、きちんと自身の中に持っている、という感じだ。
 が、それが、今のメジャーなポップミュージックの世界にそぐうかといえば、それはよく判らないのだが。
 そして、将は――
 悠介は、顔をあげ、譜面に視線を落としている将の横顔を見た。
 いい男だ。
 何よりも将の魅力は、ルックスを含む全体の雰囲気と存在感、それに尽きる。
 悠介の冷静な分析では、正直、将に、特筆すべき音楽センスはない。
 歌も上手いとは言えず、むしろ不器用ささえ感じられる。
 が、ステージに立った時の、有無を言わさない迫力はどうだ。腹の底に響くような声音はどうだ。魂を揺さぶるような言葉はどうだ。
 初めて将のラップを聞いたのは中一の時だったが、下手なのに、むしろなまじのプロより聞き応えがあったのが、今でも悠介には忘れられない。
 もしかすると、あまりに原石が大きすぎて――、今は、その形さえ見えないのかもしれない、と思えるほど。
 そして、この2人がいるストームが、ただのアイドルグループで終わるなんて、それこそありえないと悠介は思っている。
「やっぱ、決めたわ、俺、留年する」
 譜面を置いた悠介は、思わずそう口に出していた。
「よせって、親父さんに勘当されっぞ」
 苦笑しつつ、将。
「いいよ、するならしてくれって感じだよ、マジで」
 悠介が希望していた大学院への進学は却下された。すぐにでも会社に入れという父親とは、今、まさに労使交渉の真っ最中である。
 大企業の創業者を一族に持つ悠介は、金には困らない生活の代わりに、選択肢のない人生を歩くことを強いられ続けてきた。いずれは会社経営に携わる覚悟はしているが、今は、もう少しだけ猶予が欲しい。
「亜佐美も好きにしろって言ってくれてるしさ、……もう一年、いや、三年は音楽やってたいんだ、俺」
 それが、今年の春、チームストームに関わったからだと、――もう少し、将やストームと一緒にいたいからだと――それは少し、照れくさくて口にはできなかったが。
「で、将、そういや、結局CDは出せそうなのかよ」
 話題を切り替えて悠介が聞くと、将は難しげに唇を引き締めた。
「いくつかデモができたら、事務所に掛け合ってみるつもりだけど、ぶっちゃけ、どうなるかはわかんねぇな」
 一年近く、CDリリースの企画から外されているストーム。
 将や憂也が、こうして二人で曲作りに励んでいるのは、自分たちで企画した曲を、事務所に売り込むためでもある。
「いっそ、インディーズで出してみろよ、アイドルなんて肩書きは捨ててさ」
 悠介は、膝を進めていた。
 実の所、それは、もう何度も将に勧めている話である。
 アイドル。
 その肩書きが、ミリオンヒットを産む代わりに、音楽的な評価さえされない所にまで、楽曲とアーティストを貶める。
 はっきり言えば、悠介の年代の男で、アイドルソングを嬉々として聞いている者など誰もいないし、そもそも話題にさえ登らない。
 もし、そんな肩書きから開放されて、将が一人のアーティストとして認められる日が来るのなら。羽ばたくことができるなら。
 それを想像するだけで、興奮でぞくぞくするほどだ。
「ま、最悪、そうするけどな」
 肩をすくめ、相変わらず気乗りのない返事をする将。
 だが、そこに、いつものような素っ気無さがなくなったような気がする。
―――こいつ、ジャガーズとのコラボで、何か変わったのかな、
 悠介は嬉しくなって、将の傍に椅子を引っ張っていった。
「その時は、今日の曲でいこうぜ。いいよ、これ、曲調がちょっと甘い気もすっけどさ、ラップなんて、ジャガーズのアルバムに入ってても違和感ないくらいの仕上がりだし」
「ばーか、よせよ」
「なんつーかな、人生の痛みとか男の悲哀みたいなもんが、すげー伝わってくるし」
 苦笑して手を振る将。
 悠介はますます嬉しくなる。
 最近、将には珍しく、鬱々と塞ぎこんでいたようだけど、今回のコラボで、どうやら、そんな気鬱も晴れたらしい。
「なぁ、憂也、お前もそう思うだろ」
 同意を求めて振り返ると、タンテを片付けていた憂也は、一瞬眉を上げ、少しおどけたように肩をすくめた。
「同じラップなら、俺はあれでいきたいけどね、アイドルナンバー1」
「ぶっ、まぁ、確かにあれも名曲だけどさ」
 コンサートのアンコール用に、憂也と将が即興で作ったラップナンバー。
 コミカルな曲調で、会場中が爆笑に包まれる歌である。
 憂也のジョークを、悠介は苦笑してやりすごし、そして、再び将に向き直った。
「マジで考えてみないか、将」
「だから、マジで考えてるって」
 すでに別のことを考えているのか、適当に頷きながら、将。
「資金なら、俺がなんとかするよ」
 悠介はさらに意気込む。
「ぶっちゃけ、お前のデビュー曲とか、1tアルバム聴いた時は、眩暈がしそうだったけどさ、あの頃と違って、今は割りに好きなことやらせてもらってるみたいだし、絶対いけるよ、インディーズ」
 と、畳み掛ける。
「あー、悪い」
 背後で、憂也の声がした。
 悠介が振り返ると、すでに帰り支度を済ませた憂也が、どこか所在なげに、髪に手を当てて立っていた。
「……俺、今夜はちょっと用事あんで、先帰るわ」
「おう、またな」
 譜面に目を落としていた将は、わずかに顔をあげ、片手をあげてそれに応える。
「悠介、ここんとこ、どう思う?」
 憂也の背中を見送っていた悠介は、将の言葉で我に返った。そして思う。
 気のせいかな。
 憂也、何かを――言いたかったような、そんな目をしてた気がしたけどな。















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