22
「と、とにかく、やるだけやったから」
さしもの前原大成も、微妙に顔色が青ざめている。
トーム地下、スタッフ用通路。
「わかってます、すいませんっっ」
片野坂イタジは、平身低頭で頭を下げた。
「………これで、東邦さんと、アーベックスさんから仕事がこなくったら」
「わかってますっっ、命にかえても、Jの専属になってもらいますっっ」
謝るしかない。
とんでもない無茶を言った。
社長とはいえ、今は、一音響スタッフである前原に――芸能界のトップに立つ二大会社の、その一代イベント本番で、とんでもないことをさせてしまったのだから。
―――そ、それにしても、なんつー女だ。
イタジには寝耳に水の今日の事件。が、すでに前日、真咲しずくは演出変更の情報を掴んでいた。
「REN君のマネージャーとは、顔見知りだったのよね、昔、ちょくちょくクラブでご一緒した縁で」
確かに昨日のリハーサル後、RENが個人的に契約しているというマネージャーと真咲しずくは、かなりフランクに――長い間、話しこんでいるようだった。
今回の演出変更は、事前に、RENと、そのマネージャーだけには了解を得ていたらしい。そこが救いといえば救いなのだが……。
が、それをである。意地悪くも当の柏葉には一言も漏らさず、ストームの他のメンバーに話すってのはどういう了見なんだろう。
もし、柏葉が激怒するか、もしくは怖気づいて逃げ出せば、そこで全ては終りだったはずなのに。
中央のステージジャックは綺堂が発案したことらしいが、それも、当の柏葉がステージにいなければ、何の意味もない空演出に終わる。
―――信じてたってことか、……柏葉を。
時々、真面目にわからなくなる。
柏葉将と、真咲しずくの関係が。
イタジ的に見て見ぬふりをしてをいるものの、柏葉の眼差しは、今はもう完全に男だ。
で、それを真咲しずくは、気の毒なほど完全に無視している。
無視しているのに――なんていうか、こう、なまじの恋人より強い絆が、2人の間にあるような気がするのは何故だろう。
「じ、実はとっくにできてるってオチじゃねぇよな」
イタジはハンカチで額を拭いつつ、その真咲が待つ通路に向かった。
なんにしても、それだけは阻止!である。
そんな格好のネタを知れば、唐沢社長が黙っているはずはない。速攻で、真咲しずくは解任され、下手をすれば取締役からも降ろされてしまうだろう。
「………………」
つか、俺もかなり微妙じゃねぇか?
もともと――俺、あの女が嫌いだったはずなのに。
「すいません、遅くなりまして!」
これから、ジャガーズの楽屋に謝罪に行く。遅れたことをどやされると思ったイタジは、そこに、待っているはずの女の姿がないことに気がついた。
「………あれ?」
慌てて視線をめぐらせる。
床に、見覚えのあるバックが落ちているのが、まず最初に視界に入った。
イタジは眉を上げていた。
「ま、………真咲さん?」
23
春の夜空。
都会の闇に浮かび上がるドーム全体を、白い炎が包み込んでいるように見えた。
かすかに響く騒音のような大歓声。事故でもあったのか、どこかで救急車のサイレンが鳴っている。
「…………すげぇな」
まだ、轟音が、その屋根を揺らしているような気がする。
将は足を止め、背後の巨大建物を見上げていた。
その傍で、憂也、りょう、雅之、聡も同じように足を止め、将の眼差しを追っている。
いつからだろう。
こういうのも悪くないなって思うようになったのは。
ファンの笑顔や涙や必死さが、すごく愛しく思えるようになったのは。
そしてこの春、将は、手作りのライプをやって確信した、ここが俺の立つ場所だと。
ここが、最高の場所なんだと。
ずっと体育会系の部活のノリでやってきたJ&M。同期の奴らに負けたくなくて、そこそこ必死にがんばってきたキッズ時代。
気がつけば、先輩に守られ、同期と競い、後輩に伝えた。そんな中で、培ってきたJ&Mの魂みたいなもの。
―――確かに、すげーよ、緋川さん。
りょう、雅之、聡、そして憂也。
ここにいる4人とは、昔も今も同じものを見つめている。そして、多分、これからも。
「………あの大観衆が、いつか、俺ら5人を見てくれたらな」
ドームを見上げながら、将は呟いた。
今は有り得ない夢。
でもそれは、昔みたいに、もがいても見えない光ではない。
手を伸ばせば、本気で延ばせば、絶対に届く光。
「最高にしびれるだろうな、そんな日がきたら、最高だよ、マジで」
「やろうぜ、将君!」
「絶対に立とうぜ、ドームに」
「俺たち5人でさ」
力強い仲間の声を聞きながら、将は静かに笑って頷いた。
「また戻ってくるさ、……全員で」
ここに。
この、最高のステージに。
「将君っ!!」
ふいに、背後から首に腕を回される。何故か雅之が、歓声をあげて将に抱きついていた。
「な、なんだよ、きしょいな」
「相手間違ってるよ、雅」
「うるせぇよ」
将君、覚えてねーかもしんねーけどさ。
前、将君、同じこと言ったんだぜ、キッズ最後のコンサートで。
観客全員が、俺1人を見てくれたら、マジでしびれる、最高だって。
それがさ、今は1人じゃなくて、5人になってる。
俺―――上手く言えねぇけど。
それが、最高に嬉しいんだ、将君―――
「雅、いいかげん離れろよ」
「りょうの視線に気づけよ、そろそろ」
「……だから、その手のジョークは二度と言うなっつってんだろ!!」
風が気持ちいい夜だった。
春の夜空に、5人の声だけが響いていた。
24
「……そうか、残念だよ、柏葉君」
真田孔明は柔らかな口調で言って、受話器の向こうから聞こえてくる、耳障りのよい声に聞きほれていた。
「君はまだまだ、子供だ、しっかりと……そう、しっかりと、勉強しなさい」
現実をね。
それは、心の中で囁いて、真田は受話器を置いた。
今日のイベントで感じた血の騒ぐような興奮は、胸の奥に押しとどめる。まだ、これを開放するには早すぎる。
紛れもなく、君は、……彼の息子だよ、柏葉君。
彼の最後の血を引く者。少しばかり甘く見積もっていたが、それはなんと、甘美な誤解だっただろう。
そう、もう少し、待ってやろう。
やがて彼が、自ら庇護を求めて私の胸に飛び込んでくるまで。それは、そう遠い未来ではない。
「で、いつまで待てばいいんです」
ソファに座っている男は不機嫌そうだった。三流ゴシップあがりなだけに無礼な男だ、が、その粗暴さは、決して嫌いではない。
「指示は、私がする、それまでは今まで通りだ」
真田はそう言い、グラスに残った琥珀の液体を飲み干した。
身体が、その刹那熱くなる。胸に刻まれた傷に、アルコールがしみていく感覚。
「指示ねぇ」
冷めた声でつぶやく痩身の男は、執念というべき恨みを唐沢直人に抱いている。
「ま、スポンサーに文句は言えませんけどね、スクープってのは、新鮮さが命だ、そこを忘れてもらっちゃ困る」
かつて、芸能マスコミのドンのまで言われていた男は、貴沢秀俊のスクープに絡むJ&Mとの確執で、完全に裏舞台に追いやられた。ずっと底辺であえぎながら、復讐の機会をうかがっていたはずだ。
彼を追い詰めた男、唐沢直人に。
「まぁ、もうしばらく待ちたまえ、物事には、効果的な時期というものがある」
苦笑してそう言い差し、真田は、もう一人――この室内に来て以来、ずっと黙っている美貌の男に視線を向けた。
今も、男の表情に、さしたる変化はない。ただ、暗い光を宿した目で、じっと夜を見つめている。
美波涼二。
この男を突き動かす信念は、ある種病気だとも言っていい。が、真田には、それさえあれば十分だった。
「そう待たせはしない」
時間をかけて張り巡らせた罠が結実するのは今年の夏。
小鳥を自由にさせるのも、それまでだ。
「年内には、あの事務所は地上から消えうせるだろう」
―――よう、真田のおっさん
私の命。
―――夢に鎖はつけられねぇぜ
私の魂、私の全て。
そして私は、SHIZUMAの遺伝子を手にいれる。
絶対に逃がしはしない。絶対に、何をしても――どんな手を使っても。
25
じっと腕組みをしたまま、目を閉じている男を、美波は不思議なほど静かな気持ちで見つめていた。
傍らでは、ストームのマネージャー陣――真咲しずくを除く2人が、固唾を呑んで、男の口から出る言葉を待っている。
唐沢直人。
J&M株式会社代表取締役社長は、かれこれ五分以上もじっと瞑想したまま、動かなかった。
彼の次の一言で、おそらくストームの運命が決まる。
解散か、存続か。
ほんの一日前であれば、その答えは明確だった。
が、「TAミュージックアワード」でのストームの演奏の後、立ち上がった唐沢が、目立たないようにだが小さなガッツポーズを作ったのを、傍らに座る美波は見逃さなかった。
―――この人は、変わった。
一体何が、この冷徹な男に影響を与えたのだろう。
そして、美波自身も、揺れ動く自身の感情と、常に対峙し続けている。
「………結論だ」
やがて唐沢は、怜悧な目をうっすらと開けて、呟いた。
ぎっと、彼を支える回転椅子が軋む。
立ち上がった男は、冷ややかな目でそこに集まった全員を見回した。
「全て予定どおりだ、今年の7月末を持って、ストームは解散させる」
片野坂イタジと小泉旬が、同時に息を引くのがわかった。
「お前たちのボスはどうした」
唐沢に問われ、呆然としていた片野坂が、我に返ったように困惑の表情を浮かべる。
「あ、ま……真咲さん、なら」
「私ならここよ」
同時に扉があいて響く軽快な声。
「遅れちゃってごめんなさい」
ストライプのシャツに、黒のパンツ姿の真咲しずくは、事態の深刻さをまるで理解していない足取りで、ソファに座り、薔薇のように嫣然と微笑した。
「あなたも異論はありませんね」
唐沢は念を押した。
「ストームと共に、あなたにもこの会社から消えてもらう」
わずかに目をすがめた女の、表情はまるで変わらない。
そして唐沢もまた、初めてみるような冷静さで、目の前の女を見つめていた。
「ケリをつけましょう、私とあなたの最終局面だ」
「もちろん」
足を組んだしずくは、楽しそうに右頬に笑窪を浮かべた。
「最初からそのつもりよ」
第二部(終)
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