19



「じゃ、あと十秒で曲いきます!」
「柏葉君、立ち位置、オッケー?」
 奈落で、せり、と呼ばれる装置に乗りながら、将はただ、頷いた。
 せりは、そのまませりあがって、頭上何メートルか上のステージに押し出される。
 一歩間違えれば、命に関わる怪我をする危険もあるから、昇降時には必ず確認の声かけをするのが鉄則だ。
 その頭上からは、眩しい照明が差し込んでいる。
 耳をすます必要もない。奈落のスタッフ声も聞き取りづらいくらいだ。轟音のような大歓声が、ドーム全体を包み込んでいる。
 急速に、その光の下に押し上げられながら、将の耳に、自身を紹介するDJの声が聞こえた。
「SYO KASHIWABA!!FROM STORM!!!」
 その大音響でさえ、歓声に引き裂かれて聞こえづらい。
 手を突き上げる将の傍らを、演奏を済ませたジャガーズのメンバーが通り過ぎていく。
「ま、がんばってよ」
「曲、変更したんだって?楽しみにしてるよ」
―――舐めんなよ。
 将は無言のまま、横顔でそれをやりすごした。
 すでにステージ上、RENの姿はない。
 場内の半分は、いまだ興奮さめやらず、消えたRENの姿を求めて声をあげている。
 土壇場になって変更を決めた、曲のイントロが流れ出す。
 リップマイクに切り替えた将は、持たされたマイクを投げ捨てた。
 その――曲調に、場内に一瞬、唖然としたような雰囲気が広がった。
「REN出せーっっっ」
「ひっこめ、アイドル!」
 そんな声が、どこかから飛んだ。
 音楽が、再び巻き起こる轟音のような喚声でかき消される。
 目の前で演出用の火薬が弾ける。知らされていない不意打ちの演出、将は自分の足が、すくんだように一時動かなくなるのを感じた。
―――つか、すげーわ、ドーム。
 パノラマになって迫ってくる大観衆、圧迫感のある白天井。飲み込まれて、自分が点になったような錯覚さえ覚える。
 音割れもひどかった。ドームの音響がひどいって噂は本当だった。今、どこまで曲が流れているのか、判らなくなりそうだ。
 白い思考が、その一時、将を、呑み込む様に支配する。
 もし――ここで、みっともなく、失敗してまったら。
 最後まで、歌うことができなかったら。
 強い照明が、ふいにアリーナ席中央を照らし出した。
「………?」
 それは、将にも予測していない演出だった。
「hey hey hey hey!!」
「I am a super boys J & M representative、no、no、no、Japanese representative!!」
 アリーナ中央。
 強い逆光が、世界初のお披露目となる移動式ステージ、その上に立つ4人のシルエットを浮き上がらせる。
「…………………………」
 あの、馬鹿野郎。
 やってくれたよ、こんな土壇場で。
 半分眩暈を感じつつ、将は、ステージ上、4人のシルエットを見た。
 ドーム中央から将の立つメインステージに向けて、急速に動き出す移動ステージ。図ったように照明がそれを追う。
「なにあれ?」
「すげー、ステージが動いてる!」
 怒声と歓声がどよめきに変わる。
 いいのかよ、あれ、次でジャガーズが使うための、特別仕様だっつーのに。
 ああ、多分前原さんだ。後で問題にならなきゃいいけど。
 どよめきが、次第にブーイングに取って代わる。RENを呼ぶ声があちこちから巻き上がる。
 その間も、イントロのメロディは、ずっとリフレインされ続けていた。
 これが、少なくとも音響スタッフには事前に告げられていた演出だと、将は初めて理解した。
「The world representative We are storms!!!」
 腕を突き上げて、むしろブーイングを楽しむように叫んでいた憂也が、移動ステージがメインステージに辿り着くやいやな、即座に飛び移ってきた。
「いやぁ、ちょー気持ちいいわ」
「バカだろ、お前」
 将がそう言うと、暴動のような騒ぎの中、クールな小悪魔は、にやっと笑った。
「将君には負けるけどね」
 ほとんどやけくその表情で、何か喚きながら駆け寄ってきたのは雅之と聡。
「将君、死ぬなら一緒だからな!」
「かかってこい、来るならこい!」
「かましてやろうぜ」
 相変わらず、こういう場面ではクソ度胸があるりょう。
 将は、すでにアイドル丸出しの赤ラメ衣装に着替えている4人全員を見回した。
 つか。
 本当、馬鹿だよ、お前らは。
「行こうぜ、将君!」
「俺たちのスーパーキング将の底力を見せてやれ」
「アイドルを舐めんなよ!」
「J&M魂、見せてやろうぜ!」
 マジで、どこまでも馬鹿だよ。お前らは。
 憂也の目が面白そうに笑っている。将も笑い、そして二人は、自然に手のひらをぶつけあっていた。
「この曲で行くと思ってたよ!」
「これしかねぇだろ!」
 理由は後で聞いてやる。そう思いながら将は言った。
「舐められたんだ」
 結局とんでもないことの道連れは、5人一緒ってことなんだろう。
「舐めかえしてやるさ」
 5人、がつっと拳をつきあわせる。
 将は前に向き直ると、声を張り上げた。
「きけーーーーーーっっっっ」
 ふっと、ひと時、場内が静まり返る。
「アイドルNO1」



 
取り柄は顔と身体だけ
 それがアイドル J&M
 歌を歌えば口パクさ
 それがアイドル J&M
 彼女にちょっといれこめば
 たちまち社長が飛んでくる




「…………おい」
 傍らの人の冷え切った声に、小泉旬は、びくっと肩を震わせた。
 ああ、なんだって僕が、こんな危険な席に座らされているんだろう、と、元々席に座っているはずだった人を思い、恨めしくなる。
「あの曲は、なんだ」
 不機嫌を通り越し、すでに別次元にいる唐沢直人の声。
 小泉は、震えつつ、姿勢を正した。
「あ、あれは……ライブツアーの、アンコール曲で」
「俺は知らんぞ」
「き、綺堂と柏葉で作った曲です、ほ、殆ど冗談みたいな曲なんですけど」
 僕は――好きですけど、 
 それは、心の中だけで呟いていた。


 
二十四時間管理され
 それがアイドル J&M
 歌って踊って奉仕して
 それがアイドル J&M
 先輩直伝、一子相伝 やたら真剣
 鍛えぬかれたテクニック
 ピースサインにも磨きがかかる
 なまじのホストにゃ負けないぜ


 
 
俺たちの職業はアイドル
 顔がいけてるのは大前提、つまり問題にもなりゃしない
 研ぎ澄まされたヒップライン、つか違う?
 熱いハートとソウルが勝負
 知らないなら教えてやるぜ、こいつが世界最高峰



 
何をしたって結局は
 アイドルだからで終りだし
 夢をみてれば笑われて
 アイドルだろうってOh My God!

 それがどうした騒ぐなよ
 男の嫉妬はみっともない
 邪魔する奴らはほっとけよ
 だって俺たちNO1
 こんないかした奴らもいない


 世界中の女の子に、愛と希望を届けるのさ
 夢見る時代をそうやって、一緒にすごしたら、僕は
 君を、本当に好きな人の元に届けるんだ


 世界中の女の子に、幸せを届けているのさ
 そう、僕ら、そのために生まれてきた
 そのために煌く光だから

 
 J&M J&M NO1
 最高の奴らがいる世界
 それが俺らのいる場所さ

 J&M J&M NO1
 それが俺らのいる場所だ





「亜佐美」
 浅葱悠介は、隣で楽しそうにリズムをとっている恋人に囁いた。
「なぁに」
 アリーナ最前列、ほぼ中央。
 友人が用意してくれたのは、ステージ中央が見渡せる、最高の良席だった。
「将の魅力って、何だと思う」
 一時黙った女の、美貌の横顔が、かすかに笑う。
「言ってもいいの?」
「……い、いいよ」
 多少、複雑ではあるけれど。
 恋人の心中を察したのか、亜佐美の手が悠介の手に重なって、2人は指を絡めていた。
「かっこいいのに、可愛いところ」
「…………」
「やんちゃなガキ大将みたいなところね」
「今の将は?」
 悠介は、全面のステージで、仲間と一緒に歌っている将を見ながら言った。
 亜佐美の横顔に、満面の笑顔が生まれる。
「――最高よ」
 そっか。
 悠介は、初めて感じるような静かな気持ちで、ステージ上、楽しそうに視線を交し合う5人と――その中心で、一番ご機嫌な顔で踊っている男を見た。
 昔からそうだったよな。
 お前は俺たちのガキ大将で、いっつもとんでもないこと思いついては、驚かせたり楽しませたりしてくれて。
 今のお前はあの時の、ガキの頃、みんなを引っ張ってたあの頃の、あの楽しそうな将なんだ。
 そっか。
 俺が、間違ってたのかもしれないな。
 お前の居場所は、ここなのかもしれないよ。
 多分、随分前から――最初から。


 
女にもてたいだけじゃない?
 言いたい奴にはいわせとけ
 そんなもんじゃない俺らの野望
 世界最高の人たらし
 至上最強の5人組

 アイドル アイドル NO1

 世界最高のアイドルだ
 J&M J&M No1
 そこが俺らのいる場所だ




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「すげーよ!!」
「つか、よく生きて帰れたよ!」
「ドームですげーことやっちまったし!」
 通路に飛び出した途端、全員が興奮気味にわめきたてる。
 圧巻だった。
 いや、自分たちにとってだけど、それでも最高に興奮した。ドーム何万もの観衆をこけにしてやったこの快感。 
「すげー、サイコー!」
「お前サイコー」
「俺、サイコー」
「ストーム最高―――っっっっ!!!」
 声を出して笑いながら、互いの手でハイタッチを交し合う。
 誰もが渾身の力で、手がしびれるほど強烈なタッチ。
「お前ら、馬鹿じゃねぇの」
 背後から、多数の足音と共に、そんな声がした。
 マリアの永井匡。
「今時、キッズでも、そんなふざけた歌、歌わへんやろ」
 心からあきれ果てたように、澤井晃一。
 その背後にずらっと居並ぶ、そうそうたる先輩スターたち。
 全員が腕を組み、何かもの言いたげに、ストームの5人を見つめている。
「い、……いやぁ」
 お、おこってっかな。
 将はさすがに、頭に手をあて、ひきつった笑いを浮かべた。
「ツアーじゃ、バカウケだったんですけど」
 その将の前に、ふいに、つかつかと歩み寄ってきた男。
 普段から怖い顔が、いつも以上に不機嫌に見えたので、さしもの憂也も「うおっ」と、将の背後に身を隠す。
 緋川拓海は、将を見下ろす位置まで来て、その背中を思いっきり叩いた。
「面白かったじゃねぇか、馬鹿野郎!!!」
「いっっ」
 いってぇーっっっ!!
 悲鳴をあげる暇もなく、手荒いお仕置きが待っていた。
「この恥さらしのガキどもが!」
「日本中にJの恥広げやがって!」
「アイドルが馬鹿だって、ますます確信されるじゃねぇかよ!」
 ばしばし頭を叩かれて、口々にどやされる。
 が、その口調とは裏腹に、全員の顔はどこか楽しそうだった。
「社長の顔、最後は大魔神みたいになってたな」
「お前ら、覚悟しといた方がええんちゃう?」
 スニーカーズの2人など、もう完全に笑っている。
「いやぁ、かなり持ち上げたつもりなんですけど」
「どこがやねん!」
 笑っていた澤井剛史の顔が、ふいに険しいものになる。
 その視線を追った将は、前方の通路から――おそらく出番を終えたばかりの、ジャガーズの一行が近づいてくるのを見た。
 中央にはRENがいる。ひときわ長身なので嫌でも判る。相変わらず、表情が読めない闇色のサングラス。
 その場に立つJ&Mサイド全員に、殺気染みた空気が膨れ上がった。
「黙ってろよ、てめえら」
 低い声でそう言ったのは、天野雅弘だった。
「拓海がなんのために詫び入れにいったか、知らないわけじゃねぇんだろ」
 息詰るような沈黙。
 将の前で、最後まで偽善者を装っていた比呂斗、セイ、カイトは、今は目も合わせないまま、軽く肩をそびやかし、かすかに笑って将の脇を通り過ぎて行く。
「アイドルラップか」
 低い声がした。
 ぼそぼそした掠れ気味の声は、歌っている時の伸びのいい低音を持つ人とは、別人のようだった。
「ジャパニーズラップじゃねぇ、アイドルラップだな」
 REN。
 将は、しばし呆然としたまま、自分の前で足を止めた男を見上げていた。その肉声のトークもはじめて聞いたし、彼の視界に自分が写るのも、初めてのような気がした。
 ぶっと、先を行くカイトが吹き出す。
「そりゃ、いいや」
「アイドルラッパーか」
「なんだと?」
 血相を変えた永井匡を、その隣に立つ緋川が、腕を掴んで抑えている。
「昔から、段取ってのが嫌いでな」
 RENは、誰に言うとでもなくそう言って、そのまま再び歩き出した。
「………なんだよ、あいつ」
「つか、でけー」
 将は無言で、ずっと憧れていた人の背中を見送った。
 ひどいことを言われたはずなのに、不思議なくらい腹が立たないのは何故だろう。
 緋川拓海の傍を通り過ぎ様、RENが何か言ったような気がしたし――それに対する緋川の表情も穏やかだった。
 色んな人がいる。
 でも、基本はみんな同じ、音楽を愛している仲間だ。
 そこに、上も――下もない。
 今回はそれ、マジで教えられちまったな。
「ん?」
 と、将に視線を向けられた憂也が、戸惑ったように眉を寄せる。
「なんでもねぇよ」
 将は笑って、憂也の肩を抱きよせ、それからちょっと抱きしめてやった。
「うおっ、将君ごめん、俺には雅が」
「一生言ってろよ」
 笑って悪友の頭を小突きながら、ふと将は思っていた。
 あいつ、いないな――。
 どこにいるんだろう、こんな時、一番に出てきてくれそうなのに。



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「笑っちゃうよなぁ、アイドルラップか」
「RENさんも、上手いこと言いますよ」
「ほんと、冗談みたいな歌でしたよね」
 控え室に入った途端、全員が、気が抜けたように笑い出した。
「つか、ステージを舐めてるよな」
「ははは、もうバカバカしくて、笑いしかでてこねぇよ」
 手を叩きながら笑うメンバーを見ながら、比呂斗だけは――長年一緒にいたRENの、微妙な変化に気づいていた。
 相変わらずの無表情、が、今、多分、かなり不機嫌になりつつある。
 すでにこのグループに見切りをつけ、ソロで独立することを希望しているREN。
 今回のイベントも、テレビ出演も、独立と引き換えの――RENにとっては、ジャガーズ最後の仕事になるはずだった。
 RENにしてみれば、最初から最後までまるで意に添わない仕事。今日の本番以外、ほとんど無気力だったはずだ。
 こと、タレントとしては、不器用で融通が効かず、最低の男。しかし、アーティストとしては、天才の域を超えている男――REN。
「ジャパニーズラップも、創世記はバカにされ、笑われながらの船出だった」
 そのRENが、滅多に開かない口を開く。
 低いが、深く腹に響くような声音。
 笑っていたカイトとセイが、表情を止めた。
「他人の創ったものにのっかって、でけぇ顔してるだけのお前らに」
 顔をあげたRENの表情に、はっきりとした侮蔑が浮かんだ。
「お前らに、先人の苦労と惨めさがわかるのかよ」
 しん……と、控え室が静まり返る。
 が、椅子を軋ませて立ち上がったRENは、ヒロがはじめてみるような笑いを浮かべていた。
「俺は認めてやるけどな、柏葉将のアイドルラップ」













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