12


―――デビューして、……もう、六年か。
 移動のタクシーの中、美波は不思議なほど静かな気持ちで、今までの時間を反芻していた。
 アイドルとしてがむしゃらにやってきた六年。
 デビューが決まった最初から、どこかで終わりを覚悟していたような気がする。
 アイドルの寿命が夏の花火だとしたら、もう祭りの時刻は終わってしまった。今は、その光の余韻を引きずっているだけだ。
 その残滓に、永遠にしがみつくような人生だけは送りたくないし、送らない。それは、最初から決めている。
 世話になった事務所には、もう、十分の恩を返した。
 旬を過ぎたキャノンボーイズでは、凋落しつつあるアイドルブームの再興は担えないだろう。
 ヒカルの成功も、ひとつのきっかけだった。
 独立の時期。
 ミュージカルの主演が決まって以来、ずっと――それを、考え続けてきたような気がする。
(――そんな幸せな仕事、他には絶対ないですよ。)
 青臭いセリフだ。
 美波は不快感を拭えないままに、眉をひそめた。
 あんな女に何が判る。七年近くも、クソくだらないことばかりやらされたきた俺の何が。
「………おう、涼二か」
 到着した目的地。
 固く閉ざされた扉をノックすると、すぐに中から声が返ってきた。
 電話で伝えているからそれと判ったのだろうが、この男のカンの鋭さにはいつも驚かされる。
 室内は、病の匂いで満ちていた。
 いつ来ても嫌な場所だ。例えそれが、最高ホテルのスィート並みの設備を備えていたとしても。
「こんにちは、お久しぶりですね」
 丁寧に挨拶すると、ベッドの上に仰臥していた男は、片手だけをあげてそれに答えてくれた。
 以前会った時より痩せている――。
 美波は内心の杞憂を飲み込んで、微笑しつつ、見舞いの花束を差し出した。
 癌。
 それはもう、身体のあちこち転移していて、完治する見込みはないという。
 美波をスカウトして育て上げた――株式会社「J&M」の創生者で、現副社長職につく男――真咲真治。
「いいですよ、起きなくて」
 半身を起こそうとする真咲を、美波は急いで押しとどめた。
 焦点の定まらない目に、すでに視力はほとんどない。抗がん剤の副作用で、視神経がやられているのだという。
「何、病人あつかいするな、本当に病気だって錯覚しちまうだろ」
 真咲は薄い唇に、皮肉な笑みを浮かべてみせた。
 年を取り、病み衰えても、くっきりとした目鼻立ち、凛とした瞳に、往年の美男子ぶりがにじみ出ている。
 美波がかつて観た、真咲の現役時代のスチール写真は息を呑むほどの美しさだった。そして、その人並みはずれた容姿は、離婚した妻との間に出来た一人娘「しずく」に受け継がれている。
「相変わらずか」
「相変わらずです」
 会話はそれだけでも、互いの言いたいことは伝わった気がした。
 美波はソファの椅子を引き、病人の傍らに腰を下ろした。
 しばしの沈黙。
 が、この人と過ごす時に感じる沈黙は、美波には少しも苦にならない。むしろ心地いいのが不思議である。
 施設で育った美波には、家族という感覚は判らないが、もし父親がいれば――こんな感じだったのかな、と、時々思う。
「……お前には悪かったな、大切な時期を、本意じゃないことでつぶしちまったのかな」
 天井を見上げたうつろな目。真咲真治は独り言のようにそう呟いた。
「いえ、自分で決めたことですから」
「………ここで終わらすつもりじゃなかった」
「終わる気もありませんよ」
 美波は苦笑してそれに答える。病んだ男もその刹那、まるで美波の表情を読んだかのような笑みを浮かべた。
「だがよ、おめぇみたいな悪ガキが、アイドルなんてお上品なものを、よく今日までやってこれたよ」
「性にあってたんでしょう」
 それに――口で言うほど、確たる信念があったわけなかった。
 何かを目指すというより、ひとまず有名になって、チャンスと金が欲しかったあの頃。
 美波は目を細め、暮れて行く春空を見上げた。
 ここにいる男にスカウトされた時。
 美波涼二は、中学生になったばかりだった。
 ろくに通っていなかった学校は、すぐに転校した。施設育ちの美波には、その時から真咲真治が親代わりだった。学資援助を受け、アルバイトをしながらレッスンに通い、ひたすらデビューの機会を待っていた日々。
 有名になりたかった。金が欲しかった。どん底の、他人の残した飯を漁るような生活から、一日も早く抜け出したかった、当時の美波にあったのはそれだけだ。
「あの時代、アイドルは売れたんだ、アイドルってだけで馬鹿みたいに売れた。………俺は、そんなもんどうでもよかったんだがよ」
「…………」
 美波は黙って、真咲の皺だらけの手指を見つめる。
「決算に出せない借金がかさんで、当時の事務所は火の車だった……金がいったんだ、いくらあってもたりねぇくらい」
「アイドルも悪くはなかったですよ」
 美波が言うと、真咲はただ、鼻で笑っただけだった。
「うちを、日本一の芸能事務所にしたいってのは、慶の悲願だ、あいつの人生を賭けての望みだ。本格的なシンガーを目指してたお前みたいな若い連中には悪いと思ったが、……俺には何も言えなかった」
「……………」
 慶――城之内慶。
 真咲の相棒で、もう1人の創設者――現代表取締役社長。
 城之内と真咲、役職に差はあっても2人の立場は同等、株式保有比率も同等だ。が、会社の経営の全ては、会社設立当初から城之内1人が握っている。
 真咲は、常に現場にいた。全国をスカウトして回り、マネージメントとレッスンにその全力を注いでいた。タレントと共に汗を流し、共に笑い、共に泣く戦友のようなものだった。
「世界に通用するシンガーを育てたい」
 それが真咲の口癖で、
「事務所を日本一にしたい」
 それが城之内の口癖だった。
 おそらく2人は、最初から目指す方向性が違っていたのだろう。
 真咲が、最初に病に倒れたのが七年前。
 それを機に、会社の方針は雪崩を打ったように一つの方向に流れていった。
 売れるものを育てる。
 つまり、会社にとって利益率のいいものを育てる。
 シンガーではなく、会社を育てる。
 アイドル――それが、最初から今まで、ずっと城之内慶がこだわり続けていたものだった。
 赤ラメの衣装と、銀のバンダナ、キャノン☆ボーイズというコミカルなユニット名で、美波がデビューすることになったのは、それからわずか後のことである。
「お前、俺の株を全部やるから、しずくと結婚してうちの会社つがねぇか」
「遠慮しておきます」
「お前には経営の才能がある。若い連中をまとめるのも上手い、つーか、お前しかいねぇのよ、うちの事務所を変えていけるとしたら」
「………あなたでは、無理ですか」
「病気のせいじゃねぇよ、俺は慶が可愛いからさ」
 真咲は苦笑して、やせ衰えた頭を枕に沈めた。
「……慶が、どれだけ血を吐いたか、俺はよく知ってるからさ、あいつは臓腑を搾り出すほど苦しんで苦しんで、泥さえ食って、今の場所に立ってるんだ。俺には何も言えねぇよ」
「…………」
 詳しいことは美波にも判らない。
 城之内慶、真咲真治は、かつて「ハリケーンズ」というロックバンドを結成していた。
 ギターが城之内、キーボードが真咲真治。
 ボーカルと、曲作りを担当していたのが――SIZUMA、本名城之内静馬、つまり慶の実弟。
「ハリケーンズ」は東邦EMGプロダクションから本格的ロックバンドという触れ込みでデビューを飾り、あっという間にトップユニットに躍り出た。
 美波が知っているのは、かつて一斉を風靡したはずの「ハリケーンズ」は、今は音楽史から完全に抹消され、SIZUMAは現在行方不明ということだけだ。
 東邦EMGを解雇された城之内と真咲は、やがて共同で「J&M」株式会社を立ち上げる。彼らについて、東邦を飛び出したのが唐沢省吾と古尾谷平蔵。それが、この事務所の始まりなのだ。
「慶と省ちゃんが経営、俺とフルさんが現場、最初はそれで上手くいってたんだ、いつか、シズマが返ってくる、そうすりゃ、またハリケーンズを結成できる、それが俺たちの合言葉で、夢みたいなもんだった」
「…………まだ、夢は終わってないでしょう」
 それには答えず、真咲は形いい唇をかすかにゆがめただけだった。
「年寄りが、口を挟める時代じゃなくなったのかもしれないな。今、省吾の息子が、会社を支えてるってのも、皮肉なもんだが時代だろうよ」
 唐沢省吾常務取締役の息子、直人。
 美波は無言で眉を寄せる。
「お前、直人が嫌いだろう」
 老人は、そんな美波の表情を察したのか、にやりと笑ってそう言った。
「別に、僕には関係ない人ですから」
「誤魔化してもだめだ、お前は直人を意識してるし、直人もお前を意識してる、こういうのはな、宿命っていうんだ、お互い出あった瞬間感じる、運命みたいなくされ縁だ」
「なんすか……それ」
 笑って誤魔化しながら、美波は老人の鋭さに、ひやっとするものを感じていた。
 直人との出会いは、今から十年近くも前にさかのぼる。
 当時、美波は中学生で、直人は高校生になったばかりだった。
 身ひとつで上京し、もらった名刺だけを頼りに、真咲真治の邸宅を訪ねた時。
 贅沢なリビングに通され、所在無くソファに座り、自分をスカウトしてくれた人がやってくるのを待っていた――その時だった。
「コソ泥にしては、落ち着いてるね」
 頭上で聞こえた声に顔を上げた。
 目の前に立っていたのが、唐沢直人だった。
 色白でほっそりとして背が高い。
 真っ白なシャツにネクタイ、そして折り目のついた学生ズボン。
 そのまま数秒、美波を見下ろす美しく傲慢な目には、妙な敵意がこめられているような気がした。
 時間にすれば一分にも満たない初対面の邂逅。その間、美波は一言も口を聞かなかった。開けば、より惨めな立場になる気がしたし、黙っている方が有利な気がしたからだ。
 今も美波は、その時の直感を信じて、直人とは極力顔をあわせず、口を聞かない立場を貫いている。
 それからも、直人はちょくちょく真咲家にやってきた。
 有名私立高校の制服を着て、友人に取り囲まれ、それを誇示するように、美波の前に姿を見せる。
 真咲家に居候しながらレッスンに通っていた美波は、徹底時に直人を無視していた。直人もまた、態度や視線で挑発はするものの、決して自ら口を開こうとはしなかった。
 2人が交わした会話とは――それを会話といっていいなら
「コソ泥にしては落ち着いてるね」
 だけである。
「直人も悪い男じゃない。あいつは、事務所が火の車だった時代を知っている。父親の惨めな姿を見ながら育ってきた。直人にも直人の哲学がある。……涼二も毛嫌いせずに、一度話してみるといい」
「……………」
 それが、本題だな。
 美波は理解し、病人を安堵させるつもりで、その痩せた手をそっと抱いた。
 実の父以上に、ずっと美波を見守ってくれてきた男。
 美波が、近い将来事務所の経営を握ろうとする男に抱えている感情、葛藤、それが将来どのような影響を美波自身に及ぼすか――そこまで真咲は、考えてくれているに違いない。
「努力はします」
「……努力家だからな、涼二は昔から」
「それだけが取り柄だって、真咲さんの言葉ですよ」
 この人は、本質的なところでとても優しい。優しすぎる。
 人を信じすぎるし、絶対に裏切れない。
 この人が経営に携わらなかったのは間違いなく正解で、城之内慶も、唐沢省吾も、その性格をよく知りぬいていたのだろう。
 自分の思いとは別の方向に事務所が流れていくのを――ただ見ているだけだった真咲の心を支えていたのは、苦楽を共にしてきた仲間たちへの絶対的な信頼だったのかもしれない。
「……仲良くしてくれ、うちの事務所はファミリーなんだ」
 真咲が呟く。
 それには、苦笑するしかない美波だった。
「誰にも、戻りたい場所がある。それがうちの事務所なんだ、……そうだろ、涼二」
「………そうですね」
「嫌な世界だよ、裏切りも騙しも当たり前、金はあってもむなしいだけ、気がつけば心も身体もぼろぼろだ、誰を信じていいかさえ判らない、だがよ」
「……………」
「仲間がいるんだ、同じ夢を抱えてる仲間だ、……ここが、お前の戻る場所で、みんなの戻ってくる場所だ、涼二」
 ろれつの回らない口調だった。痛み止めのモルヒネのせいだろうか、と美波はふと不安になる。
「……………夢に終わりはない、継いでくれる奴がいる限り」
「……………真咲さん、」
「お前が継いで、そしてお前も残していく、………俺は、そういう場所を作れただけで、満足だよ……」
「………………」
―――俺は……。
 美波を縛っていた見えない鎖。この人だけは、死んでも裏切れないと、ずっと思い続けてきた人。
―――せめて、事務所のごたごただけでも、……俺に、何かできるのなら。
 小さな自分には、しょせん、何もできやしないだろうけど。
 大切な恩人から引き継いだものを、せめてそのパッションだけでも、大事な後輩に残したい。
 緋川拓海という原石が、いずれこの事務所を支えていく宝石に成長することを、美波は、随分前から確信している。
 半眼だった老人の瞳が、静かに閉じられていく。
 こうして、唐突に眠りに落ちるのも、よくあることだった。
 毛布を掛け直してから美波は立ち上がり、丁寧に一礼し、恩人の病室を後にした。



                13


「じゃ、美波さんは、本当に気づかなかったんですか」
 もう、何度か目になる同じ質問。
「当時、彼女の顔まで見てなかったんですよ」
「ひどい顔してたから、こっちはもう、見られたくなくて必死で」
 と、山勢あいは、恥ずかしそうに頬を染める。
 稽古の合間に入った、ティーンズ雑誌の対談の仕事。
 隣室で流れる、ダンスシーンの音楽を聴きながらの取材だった。
 美波と、そしてシンデレラ役の山勢あいだけが、取材のために呼び出されたのである。
 写真だけは、いかにも2人きり……という感じで撮影されるが、実際の対談は、記者の主導に沿って、各々質問に答えるだけ。それが、雑誌に載ると、いかにも楽しげな会話になっているから不思議なものだ。
「とにかく、今は楽しくて夢みたいです。ずっと憧れていた王子様が目の前にいるって感じで」
 すでに、夏にはレコードデビューすることが決まったあいは、完全にスター街道に乗った感があった。よほど嬉しいのか、取材中も終始はしゃぎつづけていたし、実際、完全にメイン扱いである。
「じゃ、あとは、衣装つけた写真を取らせてもらうってことで」
 と、取材クルーと共に、ようやくあいが退室したので、それまで我慢の笑顔を浮かべていた美波は、心底疲れたため息を吐いた。
―――やってらんねー……
「ちょっと、愛季ちゃん、何やってんのよ」
 そんな声がしたのは、その時だった。
 前かがみになっていた美波は、少し眉をひそめて顔を上げる。
 声は、薄く開いた扉の向こうから聞こえてくるようだった。
「事前に、衣装がいるって話してるじゃない。どうしてちゃんと用意してないの!」
 山勢あいの声。
 別人のように棘棘しい声になっている。
「ご、……ごめんね、だってサイズがあってないから、直してって、」
「そんなのどうでもいいじゃない、もーっ、ひどい、せっかくの取材なのに、どうする気なの」
「なんでもいいから、出演者のドレス、借りれないかな」
「見た目豪華だったら、もうなんでもいいからさ」
 取材クルーの声だ。
「わ、わかりました、なんとかします」
 愛季の声。
 ばたばたという足音が遠ざかる。
「……………」
 なんつーか……。
 美波は無言で、眉の端を掻いた。
 愛季がお気に入りの植村の言い草ではないが、本当によくやっている。
 人気が出てきた新人タレントが、情緒不安で我侭になるのはありがちなことだが、山勢あいの身勝手さは、美波でも目にあまるものがあった。
 稽古は休みがち、なのに要求ばかりが多くて、すでに、女性出演者からは総スカンをくらっている。同じ事務所出身で、オーディション次点だった早川明日香とはすでに犬猿の仲だ。
 衣装のことも、つい昨日、「サイズ、もうちょっと縮めてもらってよ、こんなんじゃ、あいが太って見えるじゃない!」
 と、出来たばかりの衣装を、愛季に押し付けていたのは、山勢あい当人だった。
―――ま、俺には関係ないか。
 のぼせあがった新人タレントより、青臭い説教を真顔でできる女の方が、何倍も苦手だ。 
「あのぅ……」
 背後で声がしたのは、美波が稽古に戻ろうと、立ち上がりかけた時だった。
「………」
 振り返ると、その苦手な女、保坂愛季が、相当――困惑した表情で立っている。
「す、すいません、無理を承知で、……美波さんに、お願いが………」
 もじもじと指を合わせていた女は、かなり聞き取りにくい声で囁いた。













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