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「いっそ、引退したい気分になってきたよ」
 苦笑まじりの男の声は、ふざけているようで本気だった。
 美波はそれには答えず、集まりつつある報道陣の顔ぶれに視線を向ける。
 背後の看板には、クラッシックなロゴで「シンデレラアドベンチャー製作記者発表」という文字が踊っている。
 ホテルプリンス。
 ジャパンテレビが用意してくれた記者会見場。
 美波たち出演者は、壇上に設けられた席に座り、会見の開始を待っていた。
 今日、この席で挨拶する予定になっているのは、舞台監督、プロデューサーの堀江仁、主演の美波と、日替わりで客演する同じ「キャノンボーイズ」の――矢吹一哉と、植村尚樹。
 そして、もう一人。
 集まった記者は、ほとんどが芸能雑誌やワイドショーのスタッフだ。昨今、目立つニュースがないからだろう、予想以上の数のカメラが、ひしめきあっている。
 その中には、リポーター亀梨の巨体もあった。相変わらず成金チックな男は、さきほどから何度も美波に目配せを送りつづけている。
「それにしても、おっせぇな」
 いっそ引退……と、嘯いた男は、美波の右隣で、舌打ちしてそう呟いた。
 キャノンボーイズの、実質的なリーダー、矢吹一哉である。
「魔法の馬車が、まだできてないんだよ」
 と、どこかふざけた声が、左から、矢吹の苛立ちにちゃちゃを入れる。
 もう一人のメンバー、植村尚樹。
 美波たち出演者は――いや、この会場に集まった記者たちは、今、たった一人のヒロインの到着を待っているのだった。
 二千人のオーディションを勝ち抜いて、シンデレラの座を射止めた、まさにその名のとおりシンデレラガールを。
 美波は当然、事前にプロフィールをもらっているが、ここに集まった記者たちはそれを知らない。オーディションが、結果ありきの出来レースだったことも。
 予定時間から、もう五分が経過している。
「にしても、しょーもねぇ内容だよな」
 矢吹一哉が、台本を投げ出してぼそっと呟いた。
「なんだって俺らが、こんな学芸会もどきの舞台に出なきゃいけねぇんだよ」
「悪かったと思ってる」
 美波が返すと、矢吹は鼻白んだように肩をすくめる。
「別に、……涼二が謝ることじゃないだろ」
 それでも、美波は悪いと思った。主演の自分に引きずられるように、共演が決まったメンバー2人に対して。
 矢吹は、本格的なダンスを習得しているし、そのテクニックはブロードウェイでも通用するほど秀逸だ。それが――意に添わない舞台で、しかも脇役。
 美波の左隣での席では、植村尚樹が、呑気に鼻歌を歌っていた。足を慣らし、指で膝を叩いてリズムを取っている。
 相変わらず、何を考えているのかさっぱり判らない。この仕事に不満があるのか、ないのかさえも。
 矢吹一哉、植村尚樹、そして美波涼二。
 デビュー以来、当時のレコード売り上げ記録を全て塗り替えてきたアイドルグループ・キャノンボーイズは、あまり性格も合わず、仲がいいともいえない、この三人でやってきたユニットだった。
「アイドルには冬の時代、だから我慢しろって事務所の連中は言うけどさ」
 両腕を頭の後ろに組み、それでも不平そうに矢吹は呟いた。
―――今日は妙に落ち着いてるな。
 美波は内心、不思議に思いながら、片目だけで相槌を打つ。
 予定された会見の遅れ――こういったスタッフの不手際を、何より嫌うのが矢吹だからである。普段なら、とっくにキレているパターンだ。
 外国の美少年を思わせる柔らかな髪に、溶けるほど甘いマスク。
 矢吹の美貌はキャノンボーイズの人気に火をつけた要因のひとつだが、ブラウン管には決して出てこない本性は、短気で粗暴。ちょっとしたことで切れるので有名で、スタッフもそれは知っているはずだ。
「どんな時代でも、いいものはいい、くだらないものはくだらない」
 矢吹は、呟くように言い、そして王子様のような煌く目で美波を見た。
「そのくだらないものをせっせと追いかけてるのが、うちの事務所のやり方じゃねぇか」
「………」
 本格的な舞台俳優を目指していた矢吹は、自身がアイドルとして売り出されたことそのものに、すでに不満を抱いている。
 しかし、それも時代だ、と美波は思う。
 キャノンボーイズがデビューしたのが、昭和57年。
 当時は、アイドル全盛期。
 顔がよくて歌が上手くて踊りもできる。美波が事務所の経営者でも、そうしただろう。俳優、本格的シンガー、ロックバンド――そんな、絶対に売れもしないものに憧れている馬鹿な少年三人を、アイドルとしてデビューさせることくらいは。
「事務所のやり方は、間違ってはいない。……現に今、うちが芸能事務所でトップクラスと呼ばれるようになったのは、アイドル路線を貫いた結果だ」
「はっ」
 矢吹は即座に皮肉な笑いを浮かべた。
「そのアイドルブームは、とっくの昔に終わってんだぜ?俺らはなんだ、一番いい時期を事務所をでっかくするために利用させられて、今じゃ、何も残らない馬鹿げた仕事ばかり回ってくるじゃねぇか」
「ヒカルがいる、まだ、ブームが完全に終わったとは判断できない」
 徒労を感じつつ、美波は続ける。
 最近、自棄になっている矢吹は、今、事務所の上の連中と一触即発の状況にある。特に、新しく営業部長になった唐沢直人とは、犬猿の仲だ。
 事務所内に、不穏な空気が流れているだけに、今だけは、誤解を招く言動は慎むべきだ――と、美波は思っている。
「ヒカルだと?」
 しかし矢吹は、そんな同僚の気も知らず、小ばかにしたように鼻で笑った。
「ヒカルが売れたのは、全て幸運さ。唐沢直人、実際、運だけはいい野郎だよ。あんな事件が起きなきゃ、ヒカルなんて売れもせずに消えてただろうに」
「…………」
 事件――いや、事故。
 ヒカルファンの男の子が、ローラースケートで路上をすべり、当時二歳の女の子を跳ね飛ばした。女の子は――その二日後に死亡した。
 一時事務所を震撼させたその事件は、しかし、皮肉なことにヒカルの名前を一躍全国区の有名人にさせることになる。
「……それでも、ヒカルは売れたんだ」
 美波に言えるのはそれだけだった。
 手持ちタレントが爆発的に売れた。
 そのきっかけが何であろうと、勝てば誰も文句は言えない。
「けっ、涼二もしょせん、唐沢派かよ」
 あきれ果てた声で言い、矢吹は忌々しげに舌打ちした。
「そういや、涼二と唐沢ジュニアは、俺らより長いつきあいだもんな、結構気に入られているみたいだしよ」
「……………」
 それには答えず、美波は無言で、視線を元通り記者席に戻す。
「つーか、マジで遅くない?魔法のノリでも悪いのかな」
 それまで黙っていた植村が、のんびりとあくびをしながら呟いたのは、その時だった。
 確かに――定刻からすでに十分経過。
 いまだ、シンデレラの、馬車の音さえ聞こえてはこない。
 さすがに集まった記者連中は不満顔だし、プロデューサーが慌てて席を立ち、舞台袖に走っていく。
「せめてヒカルが、マジで、東邦プロに移籍しちまえば面白いんだけどな」
 両腕を頭の後ろで組み、笑うような声で矢吹は呟いた。
「上手くいきゃ、それで事務所は真っ二つだ。直人の奴、慌てるだろうな。いい気味だよ」
 美波はかすかに嘆息し、唇だけをわずかに噛んだ。
―――拓海……
 デビューするかもしんない、と、控えめではあるが目を輝かせていた拓海。
 実の所、その話を聞いて以来、美波はずっと、ひとつの杞憂に取り付かれていた。
 人気はあってもその態度の悪さから、決して社長のお気に入りとはいえない拓海。その拓海が、アイドルにとって冬の時代にデビューなどさせてもらえるものだろうか。
「……………」
 しかも、ヒカルの移籍話でもめている最中。
 よりにもよって、唐沢直人と対立している――古尾谷サンダースからの電話。 
―――まさか……な。
「お待たせしました、ただいま、ヒロインが到着いたしました!」
 いきなりのアナウンスが響いたのはその時で、
「美波さん!」
 耳を塞ぎたくなるほどのハウリングと共に、可愛らしい女の子の声が、そこに被さった。
―――俺……?
 とたんに瞬いたフラッシュ。
 何が起こったのか合点がいかず、顔をあげた美波の視界に、白いふんわりとしたワンピース姿の女性が飛び込んできた。
 美波は、ただ驚いていた。何が起きたのか、咄嗟に理解できなかった。
「よかった、やっとお会いできた……」
 会見席の傍ら、立ったままの女は、そう言うと、いきなり双眸を潤ませた。
 その声は、胸元のマイクですでに会場全体に届いている。
「美波さんは、本当に私の王子さまなんです。夢みたいです……彼の相手役に選ばれるなんて」
―――………は……?
 こんな演出、あったっけ。
 というより、予定では。
 一瞬呆けたものの、そこで唖然とするようでは、芸能界ではやっていけない。
 美波は立ち上がり、意味も判らず、「困ったように」微笑した。
「紹介します、このたび、二千名の応募者の中からたった一人選ばれたシンデレラ、山勢あいちゃん!!」
 派手な音楽と共に、会場の照明が落ちる。スポットライトが、すんなりとした美少女と、そして美波に向けられる。
 ふわっとした猫っ毛のショートカットを揺らし、山勢あいは、観衆に向かって一礼した。
「今のは、どういう意味なんですか」
「美波さんと、以前面識があったということとなんでしょうか」
 テレビ局のレポーターが、質問開始と共にいきなり突っ込んでくる。
「はい、」
 答えられない美波に代わり、山勢あいはにっこりと笑って頷いた。
「私がまだ、スクールメイトにいた頃なんですけど、……ひどく叱られて、一人で局の駐車場で泣いちゃったことがあるんです、もう二年も前になりますけど」
 美波はただ、黙っていた。
「その時、こっそり、私の足元にホットコーヒーとハンカチを置いてくださった方がいたんです。振り返ると、美波さんの背中があって……」
 埋もれていた記憶の片隅。
 そういえば、あった。そんなことが。
 霜月の、サンライズテレビの駐車場。
 大した出来事でもないのに、あの夜のことは、妙に印象に残っていて……。
「それからずっと、美波さんが私の目標だったんです。夢みたいです、こうやってじかに、ハンカチをお返しできるなんて」
「………………」
 美波はまじまじと、上から下まで、涙で目を潤ませている女を見た。
「ありがとうございました」
 そっと、差し出される白のハンカチ。
 裾のところに、ちょっと独特の模様があって――確かにそれは、もう二年も前、美波の手元からなくなったものに相違なかった。
「本当のシンデレラストーリーですね」
「王子様のガラスのハンカチですか」
「2人とも、もっと近づいてください」
 そんな声と共に、瞬くフラッシュ、フラッュ、フラッシュ。
 ようやくこの会見の意図を理解した美波は、
「信じられないです、こんなこともあるんですね」 
 と、ナチュラルな驚きで質問に答えた。
 多分、背後では、何の意味もなく同席させられた矢吹が怒り狂っている。
 が、内心面白くないのは、美波もまた同じだった。
 妙だとは思った。会見が始まる前から、ヒロインを除くメンバーがすでに記者の前に座らされていること自体。まるで、脇役たちが、主役の到着を待たされているような状況。
―――なるほどな、
 と、笑顔で記者の前に立ちながら、美波は思う。
 すでに山勢あいを獲得しているであろう、東邦EMGプロダクションらしいやり方だ。
 およそ、新人タレントのお披露目として、今日ほどうってつけの演出はない…………。



                   6



「あいちゃん、お疲れ様」
 会見が終わると同時に、舞台袖から一人の女が飛び出してきた。
 おそらく東邦プロの人間だ。今から、本格的に売り出そうという新人タレントのマネージャーだろう。かっちりとした、オフホワイトのスーツに清楚な化粧、短くまとめたショートヘア。
 途端に山勢あいの顔から緊張が消え、甘えきったような表情が浮かぶ。
「アキちゃん、あい、上手くできたかしら」
「よかったわよ」
 アキちゃんと呼ばれた女は、ぽんと、新人タレントの背中を叩く。
 そして初めて――、美波と、そして矢吹らJ&M側のスタッフに気がついたように顔を上げ、ぺこり、と、気まずそうに頭を下げた。
「おい、てめぇ、新人!」
 が、カメラが去って我慢の緒が切れたのか、いきなり声を荒げたのは、矢吹だった。
 びくっと背を震わせて、退室しかけていた山勢あいが振り返る。
「一体ナニサマのつもりなんだ、こっちは30分も前からスタンバってんだよ、勝手な真似しやがって、一言の挨拶もナシってか!!」
 それでも怒りが収まらないのか、矢吹は立ち上がりざま、右手でマイクを払いのけた。
 それは激しい勢いで、新人タレントの足元の床で弾け飛ぶ。
 周囲の空気がしん、となる。
 実際、今までもっていたのが不思議なほどだった。
 会見の最後まで、矢吹の出番は一度もなかった。それが最初から判っているなら、そもそもこんな席に、矢吹レベルのタレントを座らせるべきではなかったのだ。
 周辺を取り囲んでいたスタッフも凍り付いている。
 が、山勢あいが顔色を変える前に、さっとその前に出てきたのは「アキちゃん」と呼ばれた、マネージャーらしき女だった。
「失礼をしたことは謝ります」
 女は、燃えるような目で矢吹を睨んだ。
「でも、これから売り出そうって言う女の子に、怪我でもさせたらどうするんですか、どう責任とるつもりなんですか!」
 一気に顔色を変えた矢吹が、怒り任せに壇上を飛び降りようとする。
「やぶっちゃん、落ち着けってば!」
 背後から、それを羽交い絞めしてに止めたのは、それまで唖然としていた植村尚樹だった。
 ようやく場内が騒然となった、が、山勢あいを背中に庇った女は、きっとした目で矢吹を睨み上げたままだ。
「今日の段取りは、全部事前の予定どおりです。よろしければ、ジャパンテレビさんと、おたくの事務所に確認してみてください」
 凛とした、よく通る声。
 美波だけでなく、全員が、あっけにとられて、矢吹と、その女を見つめている。
「なんだと?てめぇ」
 矢吹が、植村の腕を振りほどく。今度それを、正面から止めたのは美波だった。
「矢吹、落ち着け!」
「クソこけにしやがって、マネージャーふぜいがよ」
 罵倒されても、女に気おされた様子はない。まっすぐな目で、じっと矢吹を見上げている。
 そして、再び口を開いた。
「失礼なことをしたのは百も承知してます。でも、打ち合わせどおりなんです。無理を通したうちの事務所に何を言われてもかまいませんが、山勢を怒るのは筋違いじゃないですか」
 なだめられることには慣れていても、言い返されることにまるで慣れていない矢吹は――多分、怒りのあまり、口がきけなくなっている。
「……矢吹、その人の言うとおりだ」
 美波は、なんとも言えない気持ちのまま、歯噛みまでしている矢吹の肩をそっと押しやった。
「演出のことで、新人を怒っても仕方ない。文句は事務所を通して言おう」
「うっせぇよ!」
 暴力的な激しさで、美波の腕を振り払い、矢吹はそのまま、周囲の者を押しのけるようにして、舞台袖の方に消えていった。
「アキちゃあん、マジ、怖かった……」
「大丈夫だよ」
 半泣き状態の山勢あいを抱いた女が、ようやく安堵の表情を浮かべる。
 が、それは、壇上の美波に向けられた途端、気おされたように伏せられた。
「……理解していただけて、ありがとうございます」
 と、控えめな声でそう言い、女は山勢あいの肩を抱くようにして促した。
「あのぅ、美波さん」
 が、いかにも傷心そうだった山勢あいは、少しためらったように足を止め、そのまま美波を振り返った。
「少しの間ですけど、よろしくお願いします」
 涙は浮いていても、泣いているような顔ではなかった。
 透き通った桃のような、可愛らしい女の子。土壇場での演技力も大したものだ。
 売れるだろう、きっと。長い目で見れば、どうなるかは判らないが。
「二年前のことは、本当に感謝してるんです。こんな形でしたけど、またお会いできて、本当に幸せです」
「僕もです、これで舞台がいっそう楽しみになりました」
 美波は、丁寧な微笑でそう言い、胸に残る冷えた感情は、その傍らに立つ――矢吹に噛み付き返した女に向けた。
 おそらく、新人タレントのマネージャーに。
―――売れるためなら、なんでも利用するってわけだ。
 それが、なんの他意もない、綺麗なだけの思い出でも。
 顔を上げた女が美波を見上げる。刹那に視線があったものの、冷ややかに美波は顔を背けた。
「……ご、ごめんなさい、失礼します」
 何故か、矢吹に対峙した時とは別人のように元気を無くした女は、山勢あいの肩を抱いて促すと、再度、美波たちに頭を下げた。
 そして、逃げるように会見場を出て行った。








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