14
「すいません、ストームの柏葉さん、到着が遅れるそうです」
現場に慌しい声が響く。
イタジは舌打して、腕時計に目を落とした。
―――何やってんだ、あのバカ大生。
クリスマス当日。
無論、芸能人にその日、個人の楽しみなどあり得ない。いや、あり得たらまずい。各地で特番、イベントの目白押し、こんな日に暇なアイドルの先など知れたものである。
そして、無論、マネージャーはその倍多忙でなければならない。
―――まぁ、……許してもらうしかないか。
ようやく帰ってきた優花とも、ほとんど口を聞く間もない日々。妻とは多少和解?しつつあるもの、娘とは、どこかぎこちないままだった。
このまま、娘が積み木崩しのヒロインになっちまったら――。
イタジはため息をつき、目の前に組み立てられたスタジオのセットに視線を戻した。
今日は、サンテレビの「ミュージックスタイル」の生放送収録日だった。
クリスマス特別版で、3時間枠。
オール生番組だから、リハーサルを含めると、朝からずっと通しで拘束される。
ストームがスタジオ入りしたのが午前十時。その時は、柏葉もカメラリハーサルに参加した。それが、午後からいきなり雑誌の取材が入ったのである。
「ごめんごめん、ダブルブッキングってやつかしら、ついついオッケーだしちゃって」
唖然としたが、しれっとした顔でそう言ったのがチーフマネージャーだから逆らえない。しかも真咲しずくには、今、少しばかり頭が上がらないイタジなのだった。
あの時。
サイレンの音を偽造して鳴らしたのは、柏葉将の友人たちだったという。
なんだって現役早大生がそんなものを持ち歩いているのかは知らないが、まぁ、護身用で、と柏葉は困ったように笑っていた。
ひどい怪我だった。実際、あのまま病院にいけば、間違いなく警察に通報されただろうし、同行した柏葉や、その友人にも迷惑がかかっていたはずだ。最悪――新聞にすっぱ抜かれたら。
が、そこで、何故か柏葉は、真咲しずくに連絡したらしい。普段、あれほど無視しているのに――不思議なものだと思ったが、それは正しい選択だった。
真咲は即座に車で駆けつけて、そしてイタジを顔なじみの病院に連れて行ってくれた。結果、すべてが内々のこととして収められたのである。
が、まぁ、それはいいとして。
その柏葉が、ランスルー。
つまり、本番直前の最終通しリハーサルになっても、一向に戻ってこない。
柏葉に同行した小泉に代わり、急遽この現場に呼ばれたイタジは、スタジオの隅で、所在なく出番を待っている残る四人のメンバーを見た。
全員が、すでに今日の衣装に着替えている。黒をベースにしたシャツに赤のラメ入りのスーツ。これはないだろってくらいアイドルチックな。
まぁ、クリスマスだからだろうが、一般人が着たら「あの人頭おかしいんじゃ……」と思われかねない。
久々にメンバーが揃ったせいか、四人の若者の表情は明るかった。
片瀬りょう。
成瀬雅之。
綺堂憂也。
東條聡。
短い間、彼らの現場に付き添ったせいだろうか。データでしか知らなかった頃より、妙に可愛く思えるのが不思議だった。
いやいや、彼ら商品だ、そして俺は商品管理の専門家。
イタジはそう自分に言い聞かせる。
「ストームさん、すいませんが、誰か一人、立ち位置に入ってもらえませんか」
Mスタのスタッフが慌しく駆けつけてきたのはその時だった。
「あ、はいはい」
と、返事をしたものの、その意味がイタジにはすぐ入ってこなかった。
―――あ、そっか。
スタッフが背を向けてからようやく気づく。
現場を離れすぎていたから忘れていた。
こういうリハーサルでメンバーが揃わない場合、穴は――スタッフの誰かがそこに立つことで埋めるのである。
で、今。
J&Mのスタッフは、俺しかいない……。
オイオイ、マジかよ。
普通なら、イタジの年のマネージャーのする仕事ではない。
憮然としつつ、ホストと見まがうほどドレスアップした美青年たちの傍に歩みよる。今日は春山のスーツだ、いや、そんなことはどうでもいいんだが。
「よっ、柏葉イタジ」
「片野坂将の方が、かっこよくねー?」
ストームの4人とも、その辺りの事情は了解済みなのか、綺堂憂也と成瀬雅之が、ちゃかしたよう口調で言う。さすがに閉口して、イタジはむっつりと腕を組んだ。
「すいません、悪いんですけど、ライトの色を調節したいんで、代わりの人も、衣装お願いできますか」
背後からふいにそう言われたのはその時だった。
―――………は?
衣装?
イタジの顎が落ちていた。
立っているのはインカムをつけ、スタッフジャンバーを着ている若い男である。男はにこっと笑って即座に背を向けた。
「あと十分です、ランスルー入ります!」
衣装?
まさかと思うが、一般人が着たら、頭おかしいんじゃないかと思われる――
「じゃ、イタちゃん、急がないと」
唖然としていると、綺堂憂也に腕を引っ張られた。
「メイク、俺いきまーす」
楽しそうに、片瀬りょう。
「ちょっと待て」
「ヘアは任せてくださいね」
そんな親切いらねーよ、東條聡。
「ちょっと待てっつってるだろ!」
ちょっとまて。本気でまて。
そ、そんなドハデな衣装、俺が着たらまるでコメディアンか、キミマロになっちまうだろうがーー!
15
「では、歌ってもらいます。ストームで、クリスマス特別メドレー」
女性アナウンサーの声がする。
イタジは、しゃちほこばりながら、先を行く四人の後を追った。
―――つか、この服、ものすごく歩きづらいじゃねぇか。
新品のせいか、ごわごわしていて気持ちも悪い。
最初の登場シーンで階段を降りる時も、司会のイモリとのトークの時も、スタジオのいたるところから向けられる視線が痛かった。
そりゃそうだ。
片野坂イタジ、三十五歳。
どんなに取り繕おうと、顔にも身体にもすっかり人生の積み重ねってやつが出てしまっている。
「イタさん、もう少し右」
隣から、片瀬りょうが囁いた。
ライトが――眩しい。頬が熱くなるし、目がくらみそうだ。
目の前に広がるのは真っ暗な闇。闇――じゃないけど、ライトのまるで当たらない裏方の世界。イタジがさっきまで立っていた世界。
何台ものキャメラ、照明スタッフ、タイムキーパー、ディレクター、ADが立ち並び、真剣な面持ちでこちらを見ている。
光と――闇か。
イタジは不思議な感慨にとらわれていた。
ここが、眩しいくらいの光の下なら、わずか数メートル先に闇がある。その――境界線を越えられるものと超えられないものの差とはなんなのだろうか。
そして、闇にじっとしがみつき、そこから光を見ている者の気持ちとは。
―――俺は……何、考えてたっけ
サムライの時、こうやって現場に付き添った。
失敗するんじゃないか、いい顔はできてるか、ステップは覚えているのか、はらはらしたり、心配したり、怒ったり――。
イントロ。
イタジを除く四人全員が、びしっと、同じポーズを決める。で、イタジも慌ててそれに続く。
「おじさんについていけるかなー」
からかうような囁きがした。綺堂だ。
「けっこう辛いのよ、口パクも」
なんだと?と、思った時には、もう最初の一曲目が始まっていた。
ステップは――頭にだけなら入っている。ここに来て何度かリハを見たし、基本、スタンダードなヒット曲の振り付けは、何度も見ている。
が、
―――つ、ついてけねー、
当たり前だ。踊りなんて、本格的に習ったことなんてない。
こっちが腕を上げている間に、もう他の四人は足を上げてターン。
技術以前の問題として、スピードが段違いだ。
それに加えて歌わないといけない。流れているのは歌入りの曲で、生声は拾われていないが、動きながら口を合わせるのは――確かに相当辛かった。辛いというか、自然にぶれる。
リズムと小節のタイミングを取りながら歌おうとすると、すでに収録済みの曲から、ワンテンポかツーテンポずれる。ずれちゃまずいから、慌てて調整する。
―――そっか。
イタジは初めて判ったような気がした。
イタジには――歌に関しては、相当深いこだわりがある。歌は魂だ。旋律通りに歌うのではない、心を開放して心の赴くままに歌って初めて聞く人の心を打つ。
しかし、口パクでは当たり前だがそれができない。
それが――イタジが、アイドルの歌をそもそも歌と認めていない所以だが、それは、歌う本人からしても、相当のストレスのはずだった。
心を開放できない。自分を解放できないまま――口だけを、定められた旋律に合わせる。
そんな歌い方を、
―――ずっと強いられていたのか、こいつらは。
ライトが眩しかった。それ以上に暑い衣装。
イタジの全身に汗もが滲んでいたし、隣の片瀬など、もう額から首まで汗で濡れていた。
それでも、歌う。
拾われていない声で。
窮屈に閉じ込められた旋律の中。
笑顔を絶やさず、踊り、そして歌い続ける。
何故。
何の――ために。
ここには届かない、が、おそらくテレビの前であげている、何万もの女性たちの歓声を聞くために……だろうか。
曲調が代わる。
ここからが、柏葉将のラップだった。
イタジは初めて、柏葉将が、デビュー当初から頑なにラップにこだわり、自らが作詞までして楽曲つくりに携わっていたか、判ったような気がした。
単にかっこつけやがって――と思っていたが、おそらくそれだけではない。
ラップは、このパートだけは、絶対に口パクが聞かないからである。
いない柏葉に代わって、それを勤めたのが綺堂だった。
柏葉ほど迫力とあくがない代りに、繊細でファンキーで滑らかだった。
2人の掛け合いを聞いてみたい、とふとイタジは思っていた。サム&デイブのように、相当いいものになるんじゃないだろうか。
綺堂は楽しそうだった。高温の伸びが弱い。そこを、コーラスですかさず東條がカバーした。アドリブだ。掛け合いというか、コールバックに似た部分があって、そこは片瀬と成瀬が交互に声を挟む。それもアドリブ。
お世辞にも上手いとはいえない。
が、イタジは、悪くないな――
と、思っていた。
歌に関しては、まだまだこれからだ。沢山練習しないと話にならない。が、このハーモニーとセンスのよさ、なにより、声のバランスのよさは見逃せない。
悪くない。
悪くないじゃないか、アイドル。
15
目の前のモニターでは、照明で眩しく輝く衣装に身を包み、5人の「アイドル」と称される若者たちが、リハーサルよりさらに熱のこもったダンスを披露していた。
午後九時少し前。
この収録が終わると、ようやくストームの、そしてイタジのクリスマス商戦が終わる。
「……ステキなプレゼント、ありがとう」
背後から囁くような声がした。
「俺の前では絶対に観るなよ」
イタジは振り返らずに言った。
スタジオの隅では、優花が女性スタッフと一緒に、ストームの撮りを見学している。
そんな異例がどうやって認められたものなのか。
イタジが混じったランスルーの映像は、そのままDVDに落とされて優花にブレゼントとして渡された。いや、そんなものより優花は、片瀬りょうと握手したことで相当舞い上がってしまっていた。さらにいえば、妻も。
お礼を言うのは俺かな……。
柏葉将のラップを聞きながら、イタジは思わず苦笑していた。
つまり、またもや、柏葉の妙な策略にまんまとはまってしまったということらしい。
「へんな形だけど、夢、かなったじゃない」
妻が囁く。
「こんなもの、夢じゃないよ」
イタジは苦笑しつつ、ライトの下に立つ5人を見た。
おそらく、ここに立つことで何かを求め、何かを探し続けている5人を見た。
「……もっとでっかい夢があるんだ」
それが何か判らないまま、自然に出ていた言葉だった。
こいつらを成功させてやる。
そんな陳腐なセリフ、死んでも口にする気はないけれど。
妻は笑った。
「ま、がんばって」
相変わらずさばさばした口調だった。
17
『インフルエンザ?そんなもの、気力で直しなさい』
電話から聞こえてくるのは冷たい声。
「ず、ずびばぜん」
イタジはそう言い、手にしていたティッシュで鼻を噛んだ。
「で、でづが四十度もあって、ぼ、ぼぐ、しぶんじゃないばど」
再びティッシュ。
『クリスマスが終わったと思って気を許したのが間違いよ。例の企画大丈夫なんでしょうね』
容赦ないボスの声。
「そ、そでば、ぼう。あと……のごるば綺堂と、成瀬だけで」
『あと2人も残ってるじゃないの』
「…………ずびばぜん」
はあっと受話器の向こうから嘆息が聞こえた。
『とっとと治して、さっさと出てきなさい、いい?ストームの未来は、イタちゃんの交渉ひとつにかかってんのよ』
がちゃり。
「………………」
―――本当にそうだろうか。
この女、単にストームで遊ぶっていうか……つぶそうと思ってるんじゃないだろうか。
が、
今になって、イタジには不思議に思うことがある。
セイバーのリリースの時も、エフテレビのアドリブ事件も、成瀬の引退騒動の時も、そして今回の――Mステで見学が許された時も。
柏葉一人の力でできることはたかが知れている。
そこには――間違いなく、上を動かせる人間の後押しがあったはずだ。
イタジがケガをした時、柏葉は迷わず真咲しずくを呼び出した。
それは、何を意味しているのだろう。
「…………」
眉をひそめていると、携帯が再度なった。
いいかげんにしたら?と、キッチンに立つ妻が睨んでいる。イタジは咳払いして電話に出た。
『……片野坂か、俺だ』
俺。
オレオレ詐欺――じゃない、
「か、唐沢社長っ、お見舞いなんて、そんなもったいないっ」
思わず声が裏返っていた。
『何の話だ?』
あ、それは……そうだよな。
『片野坂、柏葉のことだがな』
唐沢の声は、抑揚のないままだった。
「あ、そでば、……それはですね、あの夜は男友達と数人で」
『そんなことはどうでもいい。柏葉と、それから真咲しずくの関係を探れ』
「………………」
柏葉と。
あのバカ――じゃない、筆頭株主のお嬢様、真咲しずく。
『お前が真咲の一番近くにいるから頼むんだ。あの2人ができてるなら、その証拠を言い逃れできない形で押さえろ、これは社長命令だ』
「は、はは……はい」
できてる?
ちょっとまて、年の差……相当あるだろ。
いや…………。
「あり得る………か」
イタジは携帯を置き、布団の上で腕組みした。
いや、あまり想像したくないし。むしろ、あり得ない組み合わせだが。
問題なのは、相変わらず真咲と唐沢が対立していて、どうもイタジは、どっちつかずの立場になりかけていることだった。
なんつー辛い立場なんだ、俺。
というより、これから、何を信じて動けばいいんだ――。
act11 アイドルマネージャー事情終わり
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