15
「どうでした?」
運転席に座る部下の第一声に、ケイは、無言で肩をすくめた。
「玉砕、特攻隊より虚しい散り様よ」
よりにもよって敵将に言い負かされて、反論さえできずに空中分解。
自滅、みたいなものだ。
「ゆうりさんが、掴んだIPのことだけでも、うちでぶちあげますか」
アクセルを踏み込む大森の鼻息が荒くなっている。
「よしな、ゆうりは以前も、あそこに不正アクセスしたことがある。危険だし、そんなことをしても、今は何の意味もないよ」
それに、この件では、まだケイは半信半疑のままでいる。
あの筑紫が、あんな真似をするとも、下手をすれば犯罪ともいえる行為で、判りやすいミスをおかすとも思えない。
ケイの中には、あの日、ストームのコンサートツアーに来ていたモンスターの姿がある。
耳塚恭一郎。
モンスターなら、この程度の情報操作は顔色ひとつ変えずにやるだろう。
モンスター耳塚、東邦真田、この線と、筑紫が繋がれば、間違いなくビンゴ、だが。
「ケイさんが探してた女、いましたか」
「いたよ」
大澤絵里香。
ケイは煙草を取り出して火をつける。
よりにもよって、筑紫の下で働いていたとは、煌探偵事務所に聞きだすまでは想像もしていなかったが。
「ミカリさんの……スキャンダル、すっぱ抜いたのって、もしかしてその人ですか」
ハンドルを切りながら大森が呟く。
ケイは無言で、煙草の煙を吐き出した。
ミカリが宗栄社の編集だった時代。
担当していた人気作家との不倫がスクープされ、ミカリは追い出されるようにして会社を辞めた。
当時、相手の作家は直木賞を受賞したばかり、ハンサムでいくたの女優とも浮名を流し、マスコミに頻繁に顔を出す著名人だった。
時のヒーローとの略奪愛、病身の妻が何度もマスコミの前で涙の訴えを繰り返したこともあり、ミカリは、徹底的に叩かれた。まるで見えない悪意がその刹那凝縮されて、ミカリに襲い掛かったかのような騒ぎだった。
(光の下に立ち、羨望されているものの素顔を暴くことは、誰もが待ち望んだ痛快な「事件」なんだよ、九石、大衆が待ち望んでいるものなんだ)
(だったらどう説明する、インターネットに溢れるこの歓喜の声を、お前はどう説明する)
「………人の、本性か」
「え?」
「いんや」
あの時、ミカリを追い詰めたものの正体。
それを認めてしまったら、筑紫の言い分に、自分までも飲み込まれてしまう気がする。
「ま、すっぱ抜いたっつーか、」
ケイは首を振って、ガリガリと頭を掻いた。
「純粋に記者と被写体の関係だったら、まだマシだったのかもしんないけどさ」
「親友……だったんですっけ」
「大学がミカリと同じで、仕事も同期入社、最初の配属先も2人仲良く文芸誌。くされ縁みたいなもんだったんだろうね、まぁ、その仲のよさが、仇になるんだから、女同士ってのは難しいんだけど」
「まぁ、……わかんなくもないですけど」
交差点、周囲を見回しながら、大森は何故か得心気に頷いた。
「ミカリさんって、同性の目から見ても、頭いいし綺麗だし、性格いいし、完璧すぎて、ちょっと妬ましいって思う時もあるんですよね」
「んん?」
口から取り出した煙草を、ケイは運転手の頬の近くまで近づける。
「ケっ、けけ、ケイさん、熱いですっ、怖いですっ」
「あんたまで、そんなくだらないこと言うからさ」
「ミカリさん誉めただけじゃないですかーっっ」
「……………」
妬ましい、か。
そんなくだらない感情が、友情よりも大切なのかね。
「ま、わかんないけどさ、実際見ると、ちょっと可哀想な子だな、とは思っちゃったかな」
「可哀想?ミカリさんが、ですか?」
「大澤絵里香」
「??」
今度は、大森が眉をあげる番だった。
「だって、今回ミカリさんがいなくなったのは、その大澤って人が」
「……なんだかね」
ケイは、終始無表情だった女の横顔を思い浮かべる。
「ま、上手く言えないんだけどさ」
ミカリが何故、何も相談せずに消えたのか、それも少しだけ判った気がする。
ケイは嘆息して、窓の外に視線を向けた。
「それにしても、筑紫さんって人ですけど」
「……うん」
「一体、唐沢社長と、何があったんですか、私怨にしては、やってることがちょっと度を越してますよ」
「恨みだけなら、まだマシだったのかもしれないねぇ」
私怨と、そして男の頑ななまでの信念。
ケイは、わずかに唇を噛む。
多分、無理だ、その壁を突き崩すのは。
「貴沢秀俊が、一度、失踪したことは覚えてない?」
「………噂、程度にですけど」
「まだ高校に入る前の頃かな、……急に消えたんだ、保護されたのは鹿児島の温泉旅館、女と一緒だった」
「…………………」
「当時、貴沢ヒデの人気は、すさまじいものがあってね、学生だったあんたの方が、よく知ってるかもしれないけど」
ケイは、当時の喧騒に思いを馳せる。
すごかった。
今のストームの比ではないほどで。ヒデ1人が、Jを支えていたと言っても過言でないほど、あの時のヒデは売れに売れまくっていた。
「当時のJ&Мは、ギャラクシーの成功と貴沢人気でまさに黄金時代だった。直人に、怖いものは何もなかったんだろうね。貴沢のスキャンダルを、唯一、スクープしようとした筑紫相手に、直人は……こういっていいなら、全面戦争をしかけたんだ」
筑紫1人というか、おそらくマスコミ全体に対して。
ただ報道されるだけの立場から、許可し、利用さえする優位な立場へと、マスメディアとタレントの地位を、直人はそこで逆転させたかったに違いない。
「そこまでやるかっていうくらい、あらゆる手を使って、徹底的に潰しにかかった。宗栄社の系列誌に、J&M全てのタレントの取材禁止を宣告して、実際、そうした。株主でもあるテレビ局まで使って揺さぶりをかけて、白旗あげるまで追い詰めた。言ってみりゃ、東邦がかつてJを潰しにかかった時と同じやり方でね」
緋川拓海、そして貴沢秀俊の二枚看板があったからこそ、起こしえた革命。
その後、J&Mは、ドラマ部門で性急に力をつけてきたエフテレビと提携し、マスメディア内で確固たる地位を得ることに成功した。
しかしそれは、同時に、取り返しのつかない遺恨を、マスコミ関係者の深層意識に残すことになる。
サンライズテレビの造反は、間違いなく、当時の遺恨が尾を引いていたから起きたことだ。
「雑誌は廃刊に追い込まれ、筑紫亮輔は宗栄社をクビになった。つか、直人がそうさせた、編集長である筑紫を解雇するまで許さなかった。実際……なんで直人がそこまでしたのか、私にはよく判らない」
ハンドルを握る大森からの返事はない。
ケイもそうだが、大森もまた、マスコミに身を置く立場である。どちら寄りに考えればいいのか判らず、戸惑っているに違いない。
「なんにしても貴沢事件以降、雑誌社が、あえてJの意向にそむいた記事を載せることはなくなった。その暗黙のルールが壊れ始めたのは、最近だね、ギャラクシーと貴沢ヒデが、かつてほど売れなくなって、Jに新しいスターがなかなか生まれなくなった」
そういう意味では、ストームは、直人が喉から手が出るほど欲していた超大型の綺羅星だった。
「あの勝負、直人は、半々の可能性で挑んだんだと思うよ、あたしは」
「あの勝負?」
「貴沢ヒデとのリリース勝負」
多分、どこかで直人は、ストームの可能性に賭けていたに違いない。
失速中のJを救う救世主としての価値を、自身の進退を賭けてをも、見極めたかったのではないだろうか。
捨石は、むしろ貴沢秀俊だった。それもまた、残酷な選択だ。
「ただ、ストームは貴沢ヒデとの勝負には勝ったけど……マスコミとの勝負には負けたのかもしれないね」
救世主として伸びきる前に、叩かれた。
そのバッシングを超えて、再びたくましい芽が生えてくることを、ケイはただ信じるしかない。
「……あの…ちょっと、思い出したんですけど、筑紫さんがやってる出版社って」
「冬幻社、さっき看板みただろ、大森」
「あの、もしかして、以前雅君の暴露本出そうとした……」
大森の声が、低くなった。
「もしかして、ケイさん」
「……つか、今頃気づかないでよ」
「少なくとも、雅君とあの作家さんの記事は、これから出てくるってことなんですか」
「……………」
柏葉将。
ケイは、無言で、晴れた空に視線を向ける。
ごめんね、あんたに本当のこと話してやれなくて。
ミカリは戦ってるよ、あんたの言う通り、あの子はただ逃げるだけの女じゃない。でもあんたには、今、ストームのことだけ考えてて欲しいんだ。
正直言うと、あたし、あんたが一番心配なんだよ。
あんたの無鉄砲な行動力が、今は、一番怖いんだよ………。
16
「凪、今日誕生日って覚えてる?」
「あ、そうだっけ」
手を洗った凪は、母親を手伝うために台所に立つ。
今日はカレーか。
風汰がいなくなって、どうも手を抜いてばかりの気がすんだけど、この人は。
と、凪は、包丁を持つ母親を横目で見る。
「大学どう?」
人参を乱切りにしながら母。
「普通」
「バイトは?」
「儲かってます」
「誕生日プレゼント、くれる人なんていないの?」
「いないね」
そういやそうだ。誕生日。
毎年、風汰が女の子からプレゼントなんかもらったりするから、「そういや私も誕生日だった」と、おまけみたいに思っていたものだが、今年はその、双子の兄がいない。
で、息子がいた時は、盛大に料理を作っていた母親も、―――今はバーモンドカレーである。
「凪ちゃんも、年頃なのよね」
「まぁ、来年は成人だしね」
「ふぅん」
何故か、曖昧な母親の反応。
「………ナルカワ」
「は?」
「ナルカワ雅之君って誰?」
「はい??」
「棄てちゃおっかなー、気味悪いし」
「ちょ、ちょっと待って」
ぎ、偽名にしては判り安すぎる。バカじゃない?あの男。
慌ててリビングに駈け戻ると、小包が二つ。
小さい小包と大きい小包。
「………………」
昔話を思い出してる場合じゃなかった。凪はとりあえず、手元に近い大きな包みを持ち上げる。
存外手にすると軽かった。揺さぶるとかさかさと音がする。なんだ、これ?
宛名を見る。字で判った、思いっきりあいつじゃん。
雅之じゃなくて、将之か、まぁ、……それなりに頭を使ったんだろう。
「誰?」
「大学の友達」
それだけ言って、凪は包みを抱えて二階にあがった。
誕生日プレゼント?それとも、ただの偶然?
誕生日のことなんて話したことないし、知らないよね。私だって覚えてないし(←薄情)。
部屋に入り、包み紙を丁寧に剥がしていく。そうしながら気がついた、わ、結構有名なプランドじゃん、包み紙だけ別じゃなければ、だけど。
本物だとしたら、まだ大学一年で、すねかじりの身が持つようなものじゃない。
箱の上蓋を開ける時には、凪はその中身が、靴であることを察していた。
「…………………」
ちっちゃい。
最初に思ったのがそれだった。
アンクルベルトのついたパンプス。
靴というより、靴の形をした宝石みたい。
淡いプルーの光沢のある素材で、ガラスみたいな綺麗な石がその表面を彩っている。それが、頭上の照明を受け、眩しいばかりにきらめいていた。
踵が高くて、十センチくらいはありそうだ。
で、つま先部分が、拷問器具?ってくらい細いんだけど。
「…………………」
あいつ、そもそも私の靴サイズなんて知ってんだろうか。知らなけりゃギャグだし、知ってたら怖い。
「入んないし」
見た感じやばそうだったが、当たり前のように、つま先が入りきらない。で、踵が靴におさまらなかった。
あと少しで入りそうな感じはするけど、これ以上がんばると、この華奢な靴が壊れてしまいそうだ。
なんじゃ、こりゃ。
ベッドに腰掛けたまま、凪は、両足に靴を引っ掛け、それを持ち上げると、ぶらぶら揺れる様を見つめた。
「……ぶっ」
これって、どういうギャグだろ。
なんか、わけもなくおかしくなる。
あいつが、どんな顔してこれ買って、どんな顔して成川将之なんて名前を書いたかと思うと、なんだか笑えてしょうがない。
おかしい。
おかしくて、なんだか、涙まで出てきちゃったし。
最近、連絡してなかったな。
「…………………」
だって、すんなって言われたし。向こうからもしてこないし。
凪は、ポケットから携帯を取り出した。
でも、どっかで距離開けようとしてたのかもしれない。一時高まった恋愛比率、元のケージに戻したかったし、ちょっと冷静になって、自分の気持ちみたいなもの整理したいと思ってたし。
真白さんや、美波さん、他のことで、頭が一杯……だったのかもしれない。
少し考えてから、新しい携帯のナンバーをコールしてみた。
出るかな。
無理だろうな、忙しそうだし。
少しだけドキドキして待つ。
が、返ってきたのは、意外にも話中のコールだった。
「………ま、いいけど」
今、携帯で話してんだ、誰とだろ、綺堂さんかな。なんたって最大のライバルだもんね、あの人は。
「凪ちゃん」
母親が、とんとんと階段を上がってくる音。
がばっと身を起こした凪は、大慌てで出した靴を箱に押し込める。
「慌てて隠さなくても、入らないわよ」
扉の外から、少しあきれたような声がした。
「もうひとつはどうするの?」
「もうひとつ?」
ケースを、ベッドの下に押し込みながら、凪。
「小包、二つあったでしょ、あれ二つとも凪ちゃん宛よ」
「え、そうなんだ」
うそ、もう一個あったんだ。すごいサービス満点じゃん。
「真咲しずくさんって方からだけど、どういう知り合い?」
「……………」
包装紙をゴミ箱に入れようとしていた凪は、そのまま手を止めていた。
あれから五日。
もう連絡はないものと、諦めていたところだった。
16
「……話し中かよ」
ちょっとむっとしつつ、携帯を切る。
雅之は、唇を尖らせたまま、畳敷きの楽屋に仰向けになった。
せっかく、なんだ?1人になれる時間を、ものすげー迂遠なプロセス踏んで作ったつーのに、話し中?
「俺にかけろよ」
まさかと思うけど、あのなんたらとかいう医学生のガキ(←同い年)と話してんじゃないだろうな。まさかとは思うけど。
だったら、すげ、むかつくんだけど。
しかし、苛立ったのはひと時で、すぐに雅之の思考は、送った靴を見た凪の反応への想像に切り替わる。
気に入ってくれたかな。
店の前を通るたびに、ショーウインドウに飾られたあの靴が妙に気になった。
なんかこう、運命、みたいな。買ってーって訴えられてる、みたいな感覚。
―――似合うだろうな。
流川に、マジで。
ちっこくて細い足だし、ブルーって似合ってそうだし。
身長もあれで十センチアップだろ?てことは、キスの時、あんなに不自然に身をかがめなくてもオッケーってことだし。
「へへへ」
ってにやけてる場合かよ、今の俺。
と、咳払いして居住まいを正し、雅之は再度携帯を持ち上げた。
のんびりしている暇はない。この収録が終わったら、六本木の事務所でコンサートツアーのスケジュール説明。久しぶりに、5人で揃う。
最近、ぎすぎすしてっけど、今日はじっくり時間も取れそうだし、5人だけで話もできる。
憂也とも――腹割って話せばきっと、前みたいに戻れるはずだ。
聡君とりょうだって、きっとそうだ。
その前にもう一回電話、――と思ったところで、逆に携帯の着信を告げるコールが鳴った。
念のため非登録にしている相手。番号はメモにして常に持ち歩いている。
「恭子さん?」
向こうから掛かってくることは珍しい。携帯を耳に当てながら、自然に声が明るくなる。
「俺もかけようと思ってた、こないだはありがとう」
「……こないだ?」
「俺がしょーもないこと考えてた夜、恭子さんのおかげで、立直れたし」
「……………」
「………恭子さん?」
様子がへんだ。
雅之は眉をひそめ、携帯を持ち直す。
「何……なんか、あった?」
返ってくるのは沈黙だけ。
しかし、背後の雑音が、相手が今屋外にいることを教えてくれる。
「あのね、雅君」
泣いている。
雅之は、ふいに頭から水を浴びせられたような気分になった。
「……………」
「恭子……さん?」
沈黙。
その間、女が、じっと感情を抑えているのが判る。
どうしたんだろう。
何があったんだろう。
もしかして、麻友ちゃんに、何か。
「あのね、」
「……うん」
「これから、大変なことになると思うけど、全部私のせいだから」
「え?」
「……色々、聴かれたり言われたりすると思うけど、全部私のせいにして、雅君は逃げていいから」
「何言ってんだよ、恭子さん」
雅之は言葉をきり、そして即座に理解した。
「…………………」
記事になったんだ、もしくは、なるんだ、これから。
俺と、恭子さんがやってたことが。
「悪いのは、全部私だから」
「そうじゃねぇだろ、俺だって」
言いながら、雅之自身も、軽いパニックになりかけている。
俺、どうなるんだろ。
俺っていうか、ストームは。
りょうがあれだけ叩かれて、聡君もヒーロー失格って感じで散々やられて、で、俺までこうなっちゃったら。
あの件では、雅之は一時、引退まで覚悟していた。
電話の相手、梁瀬恭子が暴露本を書いて、それが出版される間際だった。
「俺にだって責任あるんだ、恭子さん1人が被ることない」
「もう、雅君には、二度と電話できないと思うけど」
「………恭子、さ」
「私のことは気にしないで、自分守ることだけ考えなさい」
染みとおるような厳しい声。
「いいわね、自分のことだけ、考えなさい」
―――恭子さん。
「恭子さん、……でも、そんなことしたら」
恭子さんが。
今の恭子さんは、アイドル以上に周りに気を使う立場じゃねぇか。
「全部自業自得、全部、自分で蒔いたタネよ」
「でも、」
雅之は、言葉の代わりに、強く携帯電話を握り締める。
麻友ちゃんはどうなるんだよ。
全国の人に助けてもらって、その善意で命救ってもらわなきゃならない麻友ちゃんは。
「……今までありがとね、雅君」
しかし、逆に高ぶった感情が落ち着いたのか、電話の向こうから聞こえる声は、優しかった。
「色々楽しかった、なんだろうね、いっぱいひどいことしたのにね、私」
「……俺の方が……」
言葉が途切れ、もう何も言えなくなる。
ひどいこと、したじゃないか。
結婚しようとまで言ったのに、結局、俺、言い訳さえせずに逃げちまって。
すぐに流川と付き合いはじめて、それで……きれいに忘れてた癖に。
追い詰められて、苦しくなると都合よく思い出して、電話して、頼って――。
「俺………」
すっげ、助けてもらったのに。
傷ついたり、辛かったりしたけど、それでもずっと、助けてもらってたのに。
「……こんなおばさんが、何言ってるのかって思われるかもしれないけど」
俺。
「……本気で好きだったのかな、今じゃなくて去年、一時のことだけどね」
「………知ってた」
「うん……」
あとは、何を言ったのか、言われたのかよく覚えていない。
元気でね、とか、頑張って、とかそんな会話だったような気がする。
控え室の扉が強く叩かれる。
「ま、雅君、落ち着いて聞いてほしいんだけど」
言っている端から、表情を変えているマネージャー逢坂。
携帯が鳴る。
雅之は、手の中のそれを電源ごと押し切った。
これから、自分に降りかかる嵐に、どう立ち向かうべきなのか、と思いながら。
※この物語は全てフィクションです。
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