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「リーダー会のお知らせでーす」
「……………はい?」
 携帯の向こうから聞こえる、不自然にハイテンションな声に、将は、固まったまま瞬きを繰り返す。
 相手は知っている。
 移動中の車、いきなり係ってきた増嶋流からの電話で、「今なぁ、緋川さんと一緒に飲んでんのや、ちぃと変わるで」
 マジかよ。
 と思ったものの、おそらく相当酔っ払っている増嶋には逆らえない。
―――ひ、緋川さんと、何話せっつーんだよ。
 だいたい増嶋からして何の用でかけてきたんだか。
 が、携帯からは、現にその緋川拓海の声がする。
「おう、元気か、お前」
「は、はいっ」
 よ、よってんのかな、緋川さん。
 声が、有り得ないほど明るいんだけど。
 楽しそうな雰囲気が、携帯の向こうから伝わってくる。
「増嶋さんのほかに、誰かいるんですか」
「天野と、永井、お前も来いよ」
「いや、今、移動中で」
 将は、暗く淀む都会の空に視線を向ける。
 最近、ずっと飲んでねぇや。
 大学にも行ってねぇし、悠介や亜佐美とも会ってない。
「あのさー、俺、アメリカ行くんだ、ハリウッド、来週から」
「あ、はい、知ってます」
 来夏公開予定の、緋川拓海のハリウッドデビュー作。J&Mが、楽曲の分野以外で、今、一番力を入れている日米合作の大作映画である。
「もう撮影なんですか」
「はーか、まだ内容だって決まってねぇよ、現地の打ち合わせと、スポンサーへの挨拶周り、つまんない営業仕事だよ」
 それでも、緋川の声は、アルコールのせいか、気のあう仲間と一緒のせいか、どこか楽しそうだった。
「戻るのは、6月の半ば頃かな、まぁ、こっちの仕事もあるから、行ったり来たりで調整すんだけど」
 うわっ、想像しただけで、大変そうだ。
 基本、飛行機が苦手な将には、考えたくもないスケジュール。
「事務所大変な時に、何も海外なんか行きたくないんだけどさ」
 その声の背後に、増嶋と天野雅弘の笑い声が被さった。
「新生J&M、俺たちで作っていこうぜ、柏葉」
「………はい」
 力強い声に、ふいに、背筋が引き締まったような気がした。
「今、色々厳しいと思うけど、めげんな。バッシングなんてな、台風みたいなもんで、いったん目に入っちまったら、結構どうでもよくなるもんだ」
「…………」
 今日、りょうのマネージャーに、片野坂イタジが復帰したと聞かされたばかりだった。もしかして、と将はふと思っていた。
 ギャラクシーのマネージャーに大抜擢されたというイタジが、りょうの所に戻ってくれたのは、緋川の手助けもあったのかもしれない。
「すぎれば後には、晴天が待ってる。がんはれよ、お前がしっかりしてりゃ、ストームは大丈夫だから」
「……ありがとうございます」
 そのセリフ、確か九石ケイにも言われた気がする。
 俺が、しっかりしてれば、か。
 そんな風に見られてんのかな、俺。
 自分では、自分が一番危なっかしいような気がしてんだけど。
「で、リーダー会のお知らせだ」
 と、いきなり最初の、意味不明な発言に戻って緋川。
「今、流とも話したんだけどさ、各ユニットのリーダーで、時々集まって、情報交換みたいなことしようぜって。ま、ぶっちゃけ飲みに行くだけなんだけど」
「いいですね、それ」
 緊張しそうだけど、想像しただけで楽しそうだ。
「今まで、事務所のことは上任せでさ。一タレントとしては、それでいいんだけど、うちは、美波さんが先例つくってくれたおかげで、俺らも会社経営に関わる下地ができてっから」
「………………」
 美波さん。
 その言葉が、将の胸を少し痛くする。
 今、どこで、何をしているのだろう。
「俺も、ちょっと自覚しなきゃなって思ってる。お前だっていつまでも後輩じゃないんだ、これから関西の奴らもデビューする、下の連中、しっかり守ってやれよ」
「はい」
「というわけで、リーダー会、参加しろ、柏葉」
「…………」
 緋川、というより、先輩アイドルの優しさと思いやりが胸に沁みる。
 いいとこだよな、うちの事務所。
 体育会系ののりが、ずっと仕事にまで生きてるって、なんかこう、嬉しいよ。で、こういう関係が、多分一生続くんだろうな。
 有り得ねぇけど、俺が緋川さんより超ピックなタレントになったとしても、いつまでも緋川さんは俺の大、大先輩で、増嶋さんも、永井さんもそうで――そういうのってなんだかいいよな。
 やっぱ、ここにいるって決めたことは、間違いじゃなかった。
 色々あるし、りょうと末永真白のことを考えると、胸が苦しくなるけれど、今は――腹括って、ひとつひとつ、乗り越えていくしかない。
「じゃあな」
「あの」
 電話が切られる間際、将は少し慌てて止めていた。
「ひ、ひとつ、いいっすか」
 ちょっと、言いにくいけど。
「ん?」
「ストームのリーダーは……俺じゃなくて、東條君………なんすけど」
「………………あれ?」
 


               13


 笑顔で電話を切った将は、そのままシートに背を預けた。
 蓄積された疲れも迷いも、なんだかふっきれたような気がする。
 流っ、てめーが柏葉に電話しろっつったんじゃねぇか!
 そら、いいましたけど、誰も柏葉がリーダーだとは言うてまへんで
 楽しそうな喧騒が、まだ耳に残っている。
「……将君、腹へってない?」
 運転していたマネージャーが、時計を見ながらふいに言った。
 今月から新しく就任した将専用マネージャー、丸子俊。
 やたら血色のいい顔はつるっとして若そうにも見えるのに、腹部ばぽってりと張り出ている。どちらかといえば、オタク系で鈍そうなイメージ。が、やたらとせっかちで、超がつくほどの完璧主義者だ。
「いや、時間あんまないんでしょ?」
 将は、窓の外を見ながら適当に答える。
 9時少しすぎ。
 その前の撮影で、苦手なロケ弁当を食ったから、まだ胸がむかむかしていた。
 正直食べたくなかったが、食べられる時に食べておかないと、あまりに忙しすぎて、食いっぱぐれることも珍しくない。
「今夜は少し……ちょっと、いいかな、寄り道しても」
「はぁ」
 分刻みで追われるスケジュール、事務所と相手の都合で変更になるのはいつものことだから、当の将にしても、すでに追いきれない。
 ほとんどは、今、運転中のマネージャー任せにしている。
「ちょっと、会って欲しい人がいるんだ、あ、仕事のことだから、これも」
「……はぁ」
 なんだろう。
 将は、かすかな不審を感じて眉をよせた。
「いいっすけど、事務所にそれ、報告してもいいですか」
 せっかちで時間ばかり気にする新任のマネージャーとは、こういっていいなら完全な信頼関係を築けたとは言いがたい関係だ。
 営業に確認してやろう、
 将は、半ば意地悪い気持ちで再び携帯をポケットから取り出した。
「ちょ、ちょっと待って柏葉君」
 案の定慌てて、丸子。
「し、仕事のことなんだけどさ、今それ、事務所には言わない方がいいっていうか」
「そういう話なら、お断りです」
 きっぱりと言って、将は軽く肩をすくめる。
「そんな時間あるなら、休ませてもらえないですか、俺、まだ一応大学生やってんで」
 単位はほとんどとっているから、試験さえなんとかなれば、卒業はできるだろうけど。
「柏葉君に会いたいって人がいるんだ、君の将来のためにも、今その人と会っておいて損はないと思う」
 焦った丸子が、いいわけがましくまくしたてる。
「誰ですか、それ」
 行くかよ、そんなの。
 半ば冷めた気持ちで、外に視線を向けた将は、丸子の次の言葉で表情が固まるのがわかった。
「10分……30分でいいと思うんだけど、どうかな」
「……………」
「いやー、僕もね、立場上、どうかと思ったんだけど、断れなかったっていうか、なんというか」
「……………」
 判りました。
 将は、暗い気分でそう言って眼を閉じた。
 この時期に、か。
 将の方から、何度か連絡を取ろうとした時期もあったが、結局、名刺は破って棄てた。
 この5人で、そしてJ&Mで生きていこうとはっきり決心がついたから。
―――真田孔明
 今更、俺に何の話があるんだろう。


                14


「十年一昔ってのは本当だな」
 ソーサーもないコーヒーカップ。闇よりも濃いブラックは、この男の昔からの好みだった。
「ひよっこのバイトが、今はいっぱしの女社長か」
「やめてくださいよ、そういう言い方」
 九石ケイは、微かに笑って縁の欠けたカップを持ち上げた。
「ミルクもらっていいです?」
 まだ子供だった頃、無理にこのブラックを飲み干して、一晩胃痛に苦しんだ。コーヒーと同じ、ほろ苦くて、そしてどこか笑える記憶。
 あれは、どれくらい前のことだったろう。
 ケイが、まだ駆け出しのバイトで、この男の下で働いていた時代。
「どうぞ」
 ソファに座るケイの前に、オフィス用のミルクケースがそっと置かれる。
 それを置いた女の横顔を、ケイは、表情を変えないまま、静かに見つめた。
 東京、神田。
 貸しビルの六階にある小さな事務所。
「随分静かなんですね」
 室内を見回しながらケイは聴いた。
 冗談社と同じで、個人経営の出版社。しかし、執務室の間取りはかなり広くで、意外なほど整然と片付いているといった印象だ。
 ここから、何冊もの、世間を騒がした話題本が出版された。
 もっと騒然としていると思いきや、事務机に座る女性が一人いる以外、室内は静まり返っている。
「うちは、フリーばっか使ってんだ、出払ってる時はこんなもんだよ」
 男は頷き、吸っていた煙草を灰皿に押し付けた。
 筑紫亮輔。
 元、業界最大手出版社、宗栄社の花形記者だった男である。
 政治家、大企業をネタにしたゴシップや暴露記事で名を馳せた男は、若くして宗栄社が創刊した女性週刊誌の編集長に抜擢された。
 そこでも、大胆かつ強引な手法でタレントのスキャンダルを暴き、瞬く間に成功を収めた男は、四十を前にして、芸能マスコミのドンと呼ばれる存在に昇りつめていた。
「……何がおかしい」
「だって、筑紫さん、昔と全然変わらないから」
 ケイは手で軽く口元を覆う。
「変わったさ、見て判らないか」
「白髪は確かに増えましたね」
「余計なお世話だ」
 互いに笑い、笑いの余韻を口元に残したまま、ケイは黙る。
 苦く笑う男の口元に、まだ子供だった頃、胸が痛いほど焦がれていた。
 ひょろりとした長身に、もじゃもじゃの癖毛。髭の剃り残しや皺だらけのシャツ、あの頃好きだったものは、不思議なくらい、ひとつ残らず思い出せる。
 それもまた、このコーヒーよりも苦くて、そして淡い思い出だ。
 今、その思い出よりやや老年の域に達した男は、灰色まじりの癖毛に手を当てて、何かを思い出すように目をすがめた。
「……まぁ、なんにしろ、あれからもう十年くらいはたつか」
「最後にお会いしてから、十五年と二ヶ月です」
「そんなになるか」
 少し驚いたように、筑紫。
「ええ」
 微笑してケイ。
「噂だけは、沢山聞いてますけどね、同じ業界の大先輩ですから」
「悪い噂だろう」
 否定せずに、しかしそれには答えなかった。
 一口、ミルクを入れてもまだ苦いコーヒーを口に含む。
「筑紫さんのやり方、あたしは好きでした。強引だけど、どこか爽快で、……どうにもならない大きな力に歯向かっていくパワーみたいなもの、感じてました」
「過去形だな」
「そのパワーの使い方、……最近少し、間違ってないかな、と思って」
「…………」
 わずかに目をすがめた男を、ケイは真っ直ぐに見つめる。
「片瀬りょうのスクープは見事でした。ああいう劇場型スクープは、昔から筑紫さんの得意とされていた手法ですよね、業界のタブーをゲリラ的な手法で破り、一気に既成事実を作ってしまう」
「驚いたな」
 筑紫は薄く笑って、自らの髪に指を差し入れた。
「俺もひよっこにお説教されるまでになったか」
「標的を決めて、息もつかせず立て続けにスクープを連発、そうやって狙った相手を徹底的に潰す。それが政治家や大企業相手なら痛快時代劇みたいなものですけど、二十歳そこそこの子供相手にすることでしょうか」
「冗談社は、Jのあれか、太鼓もちだったな、そう言えば」
「動機がJ&Mへの報復だとしたら、報道に携わる者のスタンスとしては最低ですよね」
 皮肉を無視して切り込むようにそう言うと、昔から――その内心にあるものがケイにはわずかも理解できなかった男は、さほど変わらない表情で、笑った。
「二十歳そこそこの若者でも、この世界の頂点に立ったじゃねぇか」
 そして男は、再度煙草に火をつける。
「最高の場所で、この世の全てを掴もうとしている奴らだぜ、九石、どこにでも転がっているような二十代のガキとは全然違う」
「でも、まだ彼らは、ほんの子供なんですよ」
「肩入れしすぎだ、それこそ軽蔑に値するね」
 肩入れしすぎ、それには反論できず、ケイはただ黙る。
 実際その通りだし、筑紫の主張はある意味で正しい。
 男の、記者としての信条は、何があっても被取材者は「その事件」における社会的な意味を意味づけるための「媒体」でしかありえないという、残酷なまでの客観性だ。
 ゆえに、被取材者の人生や家族、背負っているものを、筑紫は絶対に頓着しない。それが命であっても顧みない。
 そして、もうひとつ。
 これが芸能記者として、筑紫がケイと――いや、唐沢直人と根本的に相容れない部分でもあるのだが、筑紫が頑なまでに拘っているのは、虚構を引き剥がしたところにある、真実。
 真実の前には、個人の生活や感情など、何ひとつ意味がない。それが筑紫の信条である。
 筑紫が言うところの「虚構」を暴く――その拘りや執念深さは、ケイに言わせれば、一種の病気だとも思える。
「目の前で交通事故があった、瀕死の子供が目の前にいたとして、俺はまずシャッターを切るね」
「……以前もお聞きしましたね、あたしは子供を助けます」
「それこそ誰にでもできることだぜ、九石、それは俺たちの役目じゃねぇ、俺たちの役目はこの社会に起きている真実を暴き、大衆が知りえないものを、広く伝道していくことにある」
「記者がそんなにえらいものですか、それは驕りです、筑紫先輩」
「えらい、えらくないの問題じゃねぇ、それが仕事だっつってんだ」
「…………」
「報道に携わるものが、その使命も忘れて、一般人と一緒に救命作業でばたばたしてるようじゃおしまいだ、昨今は、そんなぬるい奴らばかりだがよ」
「あたしは……ばたばたしちゃうでしょうね」
 ケイは呟き、かつて筑紫と、初めて言い争った日のことを思い出していた。
 筑紫がスクープした、当時十七歳だった清純派女優の喫煙写真、その女優とベッドで一緒に映っていた少年の母親が自殺した。
 命を絶ったのは様々な積み重ねの結果だったろうが、筑紫が強引な取材を繰り返したことも、間違いなく、まだ未成年だった少年と、その家族を追い詰めた一因だった。
(どんなものにも、清濁があるもんだ、九石)
(百パーセントの悪人もいないし、百パーセントの善人もいねぇ、殺人犯だって家に帰れば善良な父親の顔を持っていたりする。そこを気にしてたらな、真実なんて永遠に暴けねぇ)
 確かにそれも、ある意味正しい。
 物事の裏面まで踏み込み、感情移入してしまうと、客観的な断罪など決してできないからだ。
 スクープ対象の、家族や未来、そんなものを考え始めると、実際何もできなくなる。
 母親の自殺をも、筑紫は冷然と記事にした。
 記者としての筑紫に惚れながらも、その一件で、ケイは彼とは永遠に相容れないものを感じ、彼の元を辞した。
 以来、ケイは、ケイのスタンスで仕事をしている。
 虚構で固められた芸能界、その虚構と、そこで見える素のスターの感情を、あえて伝え、そして応援する立場を貫き続けている。
「なんで、ストームなんですか」
 あたしは、この人には敵わない。 
 それを自覚しながら、ケイは続けた。
 だからずっと避け続けていたし、関わらないようにしてきた。成瀬雅之の暴露本の時もそうだった。筑紫がからんでいると察した瞬間から、ケイは半ば、ホールドアップ状態だった。
「ストームねぇ」
 筑紫は馬鹿にしたように鼻で笑う。
「つーか、俺は、ストームには何の関心もねぇんだよ。メンバーの名前だって正確に言えねぇくらいだ」
「………でしょうね」
「あいつらはJ&Mを支える歯車だし、今一番の稼ぎ頭だ。バカな女子供を騙して金を巻き上げる。ストームは、あの男が作り上げた詐欺みてぇな金儲けシステムのひとつじゃねぇか」
 吐いて棄てるような口調だった。
 あの男とは、唐沢直人のことだろう。
「若い子供をクソ安い給料で二十四時間縛り上げて、嘘で固めた笑顔振りまいて、未成年から、なんだかんだと理由をつけちゃあ金を吸い上げる。そこを叩くのに、なんの遠慮がいるのかね」
 筑紫は肩をすくめてそう言うと、煙草の煙を吐き出した。
「俺は、その虚構を暴いて、ぶっ壊してやりたいだけだよ。王子様面してるアイドルなんてもんの実態が、ただ女とセックスすることしか考えてねぇバカなガキだってことを、夢の世界にいる連中に教えてやっただけじゃねぇか」
「それこそ、何の意味もないことじゃないですか」
 ケイは、かなわないと思いながらそれでも言った。
 多分、私が何を言っても、頑なな信条と、そして深い信念を抱く男に、何も通じないだろう。
「その考えは、筑紫さんの驕りです。夢や虚構にすがることが、あたしには悪いことだとは思えない」
「芸能記者は、芸能人の太鼓もちじゃねぇぜ、その虚構を暴くことに真の意味がある」
「あたしは、そうは思わない」
「忘れてたな、あれか、唐沢はお前の恋人だったな」
 ケイは、膝の上で自身の拳を握りしめた。
「虚構で稼いでる連中の、実態を暴くのになんの遠慮がいるんだ、九石、俺は唐沢直人が、確かに反吐が出るほど嫌いだがね。それは私怨だけじゃねぇ」
 そっけなく言うと、筑紫は面倒気に立ち上がった。
「帰りな、ひよこの説教を聴くほどこっちは暇じゃねぇんだ」
「あなたが、インターネットを使って、一般人への攻撃を助長するような真似をしたのは、どうなんですか」
 ケイは、背を向けた筑紫に言いすがった。
 そこは、さすがにこみ上げる怒りで、冷静に言えている自信がなかった。
 それだけは、まだ信じられないし、信じたくない。
 しかし、信じられる相棒の調査では、複数の発信源の出所のひとつが、ここにあるパソコンのIPアドレスと一致した。
 眉をあげた筑紫が、いぶかしげに振り返る。
「あなたがやっていることは、正義でも報道でもない、ただ単に、スケープゴートとしてストームを追い詰めているとしか思えない」
「正義か、お前らしくもねぇ言い草だ」
 筑紫の口調は、笑いさえ滲んでいた。
「それに芸能人と関わった時点で、そいつはもう一般人じゃねぇ、俺にとっては、取材対象の1人にすぎない」
「それが、報道マンのすることですか、それがあなたのポリシーに反していないと言い切れますか」
「ポリシーねぇ」
 筑紫は、鼻先で軽く笑う。
「俺に言わせりゃ唐沢直人は、よりにもよって未成年相手の宗教の、エセ教祖みたいなもんだよ」
「……………」
「そのエセ教祖が使ってる道具が、いかに虚構に固められたまがいものか、それを伝えることに、一体何の問題があるのかね」
「筑紫さん」
 絶望を感じながら、ケイはそれでも言葉を捜す。
「大事の前の小事ってやつだ、そんなことをいちいち気にしてたら、社会悪なんて絶対に断罪できねぇぞ、九石」
「J&Mのしていることが、社会悪ですか」
「最たるものだね」
 筑紫はあっさり言って、煙草を灰皿に押し付けた。
「嘘と虚構で掴んだ権力で、あの男がしようとしているのは、自由な言論の弾圧だ。テレビ局の人事にまで口を出し、Jに不都合な報道は決して許さない、逆らうものは力を嵩に潰しにかかる、じゃあ聞くが、あの男のやっていることの一体どこに、正義があるのかね」
「彼は確かに、J&Mの社長ですけど」
 ケイは辛抱強く続ける。
「J&Mは彼のものではありません。彼が作ったわけでもないし、彼1人のものでもない」
「何を言ってる」
 さすがにそれにはあきれたのか、失笑して、筑紫は立ち上がった。
「あそこはもう何年も、唐沢1人が独裁支配してきた会社じゃねぇか」
「この人に何言っても無駄ですよ」
 冷めた女の声が、2人の会話を遮った。
「九石ケイは、唐沢直人の恋人ですよ。持ちつ持たれつの、記者の風上にも置けない女。どうして筑紫さんが、それをもっとおおっぴらに報道しないか、私、それが不思議なんですけど」
 デスクに座り、ずっとパソコンを叩いていた女だった。
 ケイにクリームを差し出してくれた、この事務所で、おそらくただ1人の正社員。
 大澤恵理香。
 ケイと視線があうと、大澤は、柔らかな童顔を静かに笑み崩した。
「あまり長居なさらない方がいいですよ、私にとっては、あなたも取材対象ですから」
「やるならどんどんやっちゃってよ」
 小娘か。
 悪いけど、あんたみたいな小物に言い負かされるほど、人間できてないんだよね、私。
「うち、ここみたいに優雅な立場じゃないからさ、美人社長のスキャンダル、いっそ、自分でスクープしようかな」
「へぇ」
「持ちつ持たれつね、いい言葉じゃない、ただそれ、おたくが人事みたいに言ってる場合?」
 女の細い眉が、わずかに動く。
「こっちだって、何も知らずに来てるわけじゃないからね」
 まぁ、裏は取れてないけどさ。
 筑紫の裏には、間違いなく何か大きな影がある。そうでなければ、今の筑紫の立場と経済状況で、ここまで派手な動きが取れるはずもない。
「俺の敵に回るか、九石」
「そんなつもりできたわけじゃないですけどね」
 仮に回ったとしても、勝てる相手じゃないけれど。
 ケイはコーヒーを飲み干し、そして立ち上がって筑紫を見上げた。
「芸能界は、虚構で成り立つビジネスであり、システムです。その嘘を、夢を、百も承知の上で信じて、そして救われる人がいる。あたしは、芸能記者とは、それを手助けする仕事だと思っています」
 ありえない、と言う風に筑紫は笑いながら眉をあげる。
「じゃあ、この騒ぎはどうなんだ、九石、俺の記事に便乗して、芸能誌だけじゃない、日本中の、にわか芸能記者がネットを中心にお祭り騒ぎだ、この現象をどう説明する」
「あなたが扇動したんじゃないですか」
「光の下に立ち、羨望されているものの素顔を暴くことは、誰もが待ち望んだ痛快な「事件」なんだよ、九石、大衆が待ち望んでいるものなんだ」
「そうじゃない」
「だったらどう説明する、インターネットに溢れるこの歓喜の声を、お前はどう説明する」
「……………」
「俺が扇動した?ふざけちゃいけない、大衆を動かす力なんて俺にはねぇ、それこそ傲慢ってもんじゃねぇか、いいか、今回のストームバッシングが、一気に広がったのは、それが大衆が心の底で待ち望んでいた最高のショーだからだ」
 そんなんじゃない、筑紫さん。
「天の高みに祭り上げられたヒーローが、その仮面をはがされ、一気に堕ちる様を、いつの時代でも大衆は待ち望んでいるんだよ、九石」
「………………」
「嫉妬、羨望、妬み、憎しみ、人が心の奥底にじっと抱えて持っている本来の感情だ。それが近年、インターネットという媒体を通じて共有されるようになった。きれいごとを言ったって、人間の本性なんてそんなものの寄せ集めだ、匿名のネットワークの中にこそ、人間の本来のあるべき姿が詰まっている」
「それは違う、」
「どう違う?俺はな、誰もが望んでいるものを、自分にできる手段で、提供してやっただけなんだよ」
 感情がこみあげ、ケイは言葉が出てこなくなる。
 そうじゃない、筑紫さん。
「人って……そういうものですか」
「そういうものだ、だから俺らみたいな社会のダニでも必要とされている」
 そうじゃない。
 そうだとしたら、あまりに悲しすぎるじゃないですか。
 私が今生きている世界、この世界がそんなに悲しいものだなんて、あたしは絶対思いたくない。
「社会悪を暴くのも、金儲けで成功した奴の実態を暴くのも、俺にとっては同じ動機だ、みんながそれを待ち望んでいるからだ、光が闇に落ちる瞬間を待ち望んでいるからだ」
「……ちがう」
「だから記事は売れるし、俺たちはその金で食っている。それが現実だ、いいかげん理解しな、それが人間の本質なんだよ」
「……………」 
 あたしは……絶対に、思いたくない。















 ※この物語は全てフィクションです。



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