19


「……りょうを、説得、ですか」
 将は、傍らの雅之と顔を見合わせる。
 その隣に座る聡は無言のまま、藤堂が話す間中、うつむいた顔を上げようとはしなかった。
「正直、もう、手のつけようがないというのが、本当のところだがね」
 藤堂戒は、ため息まじりにそう言うと、立ち上がった。
「ネットに相手の顔写真が公開されたのは知っているだろう、住所も、大学も、プライベート写真も、彼女の実家の店までも、だ」
 将は、沈うつな気持ちでうなだれた。
「いくら規制しようと、警告しようと追いつかない、国内から、海外から、いたるところから次々アップロードされていてね。ひどいものになると、合成した……かなり猥褻なものまで出回っている」
「………………」
 りょうの、馬鹿野郎。
 あれだけ言ったのに、あれだけ――今は我慢しろと言ったのに。
「末永さんは」
 口を開いたのは、雅之だった。
「唐沢社長から、親御さんのところに一報を入れた。うちから一般人への取材は控えるよう、報道各社に申し入れをしているし、関西事務所からも、人をやらせている。……ただ、昨日の今日だ、当分、アパートからは動けないだろう」
「……どう、なんのかな、彼女」
 さしもの雅の声も翳っている。
「で、……りょうの口から、はっきり否定しろって」
 はじめて聡が顔をあげた。
「記者会見ではっきり否定しろって、俺らが、りょうを、説得するってわけですか」
「その通りだ」
 藤堂は頷く。
「君らの会見の、引き際のまずさも失敗だった。それは、ああいう形で打ち切りを決めた、私のミスでもあるのだが」
 無責任アイドル軍団。
 舐められた記者会見。
 今朝のスポーツ誌には、そんな記事が踊っていた。
「とにかく、騒動を早急におさめるには、もうそれしかない。片瀬の口からはっきりと、ただの友人だと弁明させるんだ」
「………それ、りょうは納得してないんじゃ」
 雅之。
「していない、どころか、逆に交際を認めると言い張っている」
 藤堂は肩をすくめた。
「それが自分なりの責任の取り方だと思い込んでいる。しばらく仕事も謹慎するし、最悪、引退も覚悟しているそうだ」
「…………」
「まぁ、ショックで、頭も混乱しているんだろうが」
 りょう……。
 りょうの心痛を思い、将は何も言えなくなる。その方が、むしろ今のりょうにはいいのかもしれない。しばらく、この現場から離れたほうが。
「無論、引退も休養もできるはずがない」
 が、藤堂はあっさりと続けた。
「絶好調の時なら充電期間でも、逆風の中の休養は、実質的な敗北宣言だ。ここで降りてしまえば、君らの未来と、彼自身のキャリアは、間違いなく挫折する。それでも構わないと、まさか今更、そんな甘いことは言わないだろう?」
 俺たちの未来。
 ストームの。
―――どうする。
 将は、眉を寄せたまま考える。りょうに、そんな芸当ができるだろうか。あれだけ末永さんを大切にして、精神的に相当依存していたりょうが、彼女を傷つけた挙句、切り捨てるような発言をすることができるだろうか。
 しかしまた、藤堂の言うとおり、今休養宣言をすれば、りょうだけではなく、ストーム全体の勢いが止まってしまうのも間違いない事実だった。
 今が――今がまさに、正念場なのに。
 この、少し先に、夢にまでみた大きなステージが待っているのに。
―――どうするよ、俺。
 自分の将来と、友達の将来をはかりにかけるとして。
 その時俺は――。
「……なんで、憂也が」
 重苦しい沈黙の中、すこしためらったようにそう言ったのは、雅之だった。
「憂也が、ここにいないんですか」
「綺堂は、会見に立つ側だからだ」
 藤堂は、淡々と答える。
 しかし、その意味は、将にも理解できなかった。
「聞いていないのか」
 全員の顔色を察したのか、藤堂がいぶかしげな目色になる。
 そして男は、疲れた目で再びソファに背を預けた。
「今日発売の写真週刊誌に、綺堂が昔つきあっていた、元タレントの暴露記事が載っている。かなり卑猥な内容で、写真もいくつか載せられている」
 雅之の顔色が、その刹那凍りつくのが将にも判った。
 むろん、衝撃は、将もまた同じだった。
「手はつくしたが、発売は止められなかった。無視すればいいとも思うが、……綺堂は、自分の口から、ファンに釈明したいそうだ」



                20



「将君、」
 扉を開けた途端、すがるような眼差しが将を捉えた。
 そのやつれきった表情に、将だけではない、覚悟を決めたはずの、雅之も聡も、思わず言葉を失っている。
 青ざめて精細をなくした目。昨夜は、一睡もしていないのだろう。
「……りょう」
「将君……」
 ふらりと立ち上がったりょうが、そのまま、将の胸に倒れこんでくる。
「ごめん、俺……」
「いいよ、もう」
「彼女だけじゃない、みんなに………とんでもない、迷惑を、」
 肩が細かく震えている。
 将は、その身体を抱き支えた。
「大丈夫だよ、末永さんなら、今、関西事務所の人が守ってるから」
 りょうの背を撫でながら、雅之。
「俺らのことは、気にするなよ」
 聡。
 りょうは力なく、何度か頷く。
 すでにインターネット上で、実名や顔写真が流れていることを、りょうは知っているのだろうか。
 将には、それ以上聞けなかった。
 おそらく、知らないのではないだろうか。知ってしまえば、りょうが、今ほど冷静でいられるとは思えない。
「……俺、彼女を守らなきゃ」
 将の胸から顔をあげるようにして、りょうはか細い声で呟いた。
「……そうだな」
 それが、きっと最優先だ。
 しかし、ここから先の認識には、おそらく埋めがたい隔たりがある。
「昨日の、観た……?」
「………まぁな」
「真白の部屋、しばらく別の女が居座ってたんだ、あんなに散らかすような人じゃないよ、なのに、まるで」
「……………」
 将が確認した限りでも、「片瀬りょうの彼女」のイメージは、最悪中の最悪だった。
 二つ年上だということも、りょうが未成年だということもあって、あたかも、全てが女の方に責任があるかのような報道のなされかただった。
 あまり、考えたくないし、りょうに言う気もないが、事務所がりょうを庇うスタンスで、あえてそういった報道を黙認したとの推測もできる。
 しかし、りょうにしてみれば、自分はどうなっても、恋人の汚名をそそぎたいに違いない。
「俺が……言ってあげないと」
「りょう」
「俺がきちんと説明しないと、彼女が、真白がかわいそうだ」
―――りょう……。
「真白は何も悪くない、悪いのは全部俺なのに」
 りょう。
 将は、拳を握り締めた。
 だったら、
 だったら、今は、今だけは、腹、くくってくれよ。
「……藤堂さんに、聞いただろ」
 りょうの肩を抱いたまま、将は、できるだけ口調を抑えて言った。
「末永さんは、高校の先輩で、今年にはいって東京で再会して」
「………将君、」
 不思議そうなりょうの目を、将はそらさずに見つめ返した。
「ただの地元友達で、時々電話で近況を話す程度の関係だって」
「……将君、俺は」
「仕事でストレスたまってて」
「将君、聞けよ」
「それで、故郷に帰ろうとして」
「将君!」
「大阪で途中下車したんだよ、それでいいんだよ、りょう!」
「将君!!」
 燃える目が将を見上げ、そしてりょうは獰猛な力で将を突き放した。
 よろめいた将は、それでも体制を立て直して、続けた。
「新幹線の中で、いつも、相談にのってくれた彼女ことを思い出して」
「……うるせぇよ」
「魔が差して、ふらふら行っちまったんだよ、部屋の中では話してただけ、軽率だったって、ただそう言えばいいんだよ!」
「うるせぇっつってんだろ!!」
「わかんねぇのかよ!そんなこともわかんねぇほど、頭に血が上ってんのかよ!」
 将は思わずりょうの襟を掴みあげる。
「将君!」
 背後から、聡と雅之が組み付いてきた。
「なんだってそんな言い方しかできないよ、それじゃりょうが可哀想じゃねぇか!」
「うるせぇ、てめぇはひっこんでろ!」
「将君、雅も落ち着け!」
 2人の手を、将は乱暴に振り払った。
「……やだね」
 冷ややかなりょうの声がした。
「そんな見え透いた嘘、そもそもバカバカしくて言えねぇよ」
「だったら、もっと、いい嘘でも言い訳でも考えろよ」
 背後の雅之を押しのけて、将。
「……変わったね、将君」
 りょうの目は、まるで初めてみる他人のようだった。
「前からおかしいと思ってたよ。今の将君には、俺たち個人より、ストームか」
「………りょう」
 将は、大きく息を吐く。
「ていうよりまず自分か、自分が一番大事なんだ、将君は」
「自分よりてめぇらが大切なんて、そんな綺麗ごと言う気はねぇよ」
「昔から、自分大好き人間だもんね」
「……………」
 りょう。
 頼むから、別れよ、俺の言いたいことくらい。
 一体何年つきあったんだよ、情けなくて、キレそうだよ、マジで。
「末永さんのためにも、何も関係ないって言い張った方がいいんだって、そうは思えないのかよ、りょう」
「俺が、この仕事辞めればいいんだ」
「りょう」
 将は、感情を押さえ、辛抱強く繰り返した。
「本当に別れるわけじゃない、形だけだ、嘘でいいんだよ」
「じゃ、ファンを騙すってこと?」
「じゃ、そもそも俺たちは、何もかもファンにさらけだしてんのかよ」
「………………」
「俺たちはアイドルで」
「…………………」
「嘘でも、恋人はファンだって、そういうスタンスでやってる仕事じゃねぇか」
「…………………」
 陰鬱な目でりょうは黙る。
 しかし、その眼差しには、まだ猛烈な反発が残っているようだった。
「まぁ……まだ、夕方まで、時間あるんだし」
 針のような沈黙を和ませるように、聡がそう言って2人の間に割り込んできた。
「どっかでメシでも食って、少し、2人とも落ち着こうよ、ね」
「………聡君」
 りょうの、どこか感情をなくした目が、今度は聡に向けられた。
「聡君はさ、どう思ってるの」
「……俺?」
 少し驚いたように、聡が将を振り返る、
「聡君だけは、俺のこと理解してくれると思ってたけどな」
「……いや、理解はしてるけど」
「あ、無理か」
 りょうが、おかしい。
 将は気づいたが、りょうは、冷えた目のまま、傍らの椅子に腰かけた。
「ミカリさんいなくなっても、全然平気で笑ってられるくらいだしね」
「…………え」
「え?」
 雅之と将は、同時に声を出していた。
 聡の横顔が固まっている。
 まるでその刹那、何かのスイッチが切れてしまったかのように。
「……聡、それ」
 ミカリさんがいなくなった。
 そんなことないだろ、だってあの人は冗談社で。
 でも――最後にみたの、いつだっけ。
「あ、あー、それ、……九石さんに、聞いたのかな、りょう?」
 固まっていた聡に時が戻る。
 ぎこちない笑顔になって、聡は全員を取り繕うように見回した。
「どう聞いたかわかんないけど、彼女、ちょっとした取材旅行に出てるだけでさ」
「手紙もらったんだ、ミカリさんに」
 りょうの声は、冷めていた。
「え?」
「俺があの人に、真白さんの周りうろついてる女、調べてくれって頼んだんだ。将君も知ってるだろ、俺に送られてきた手紙や写真のこと」
 あの手紙か。
 そして写真。
 将は表情を強張らせる。
「俺が昔つきあってた女だった。多分、背後には東邦プロがついてるんじゃないかって、しかも、自分の昔の同僚が」
 りょうは、言葉を詰まらせる。
「ミカリさんの昔の知り合いが、それに絡んでるんじゃないかって、その女はミカリさんずっと恨んでて……だから俺がこんな目にあうのは、多分自分のせいで、俺だけじゃなくて、聡君も、雅も、みんな気をつけた方がいいって、手紙には、………そう書いてあって、」
「……………」
「……ミカリさん、それきり消えたんだ」
 聡の横顔が震えている。
「なのに、俺」
 りょうは、わずかに苦笑をもらした。
「のこのこ、その女に会いにいって、しかも真白にも会いにいった。真白の部屋にはそいつがいて……多分、仕組まれてたことだったんだ、今回のスクープは」
 獣のような雄叫びがした。
 それが、聡の口から出たものだと、しばらく将には判らなかった。
 椅子ごと倒されたりょうの上に、その聡が馬乗りになっている。
「なんで黙ってたよ!!」
「さ、聡君、」
 雅之も、呆然と立ちすくんでいる。
「何で今まで、それ黙ってたよ、りょう!!」
「……俺のせいだから」
 りょうの虚ろな目は、その聡さえ見ていないような気がした。
「俺のせいで、ミカリさん、いなくなったから」
 ふいにその目に、綺麗な涙が浮かんで、耳に零れた。
「俺があんなこと頼んだから、……だから、ミカリさん、消えた、んだ」
 我慢の糸が切れたのか、しゃくりあげるように、りょうの声が途切れる。
 りょうが1人で、ミカリが消えてしまったことに、膨大なストレスと責任を抱え込んでいたことを、将は、目が覚めるような気分で理解した。
「俺が……なのに、俺」
 苦しげに目を閉じる、長い睫の下から、幾筋も涙が溢れて滴った。
「あの人の忠告、ぜんっぜん……守れなくて」
「……………」
「ただ……怖くて、いつか、真白が」
 襟を掴み、りょうを見下ろす聡の横顔が震えている。
「ミカリさん、みたいに」
「……うぬぼれんなよ」
 聡ではないような声だった。
「お前に何がわかんだよ」
 その横顔にも、涙の筋が光っていた。
「お前にな、あの人の何がわかんだよ!!」
 りょうの襟を掴み上げ、それを床に叩きつける。
 りょうはなすがままだった。将は思わず聡の肩を掴む。
「聡!」
「何もわかってねぇくせにな、えらそうなこと言ってんじゃねぇよ!」
「聡!!」
「言ってんじゃねぇんだよ!!」
 再度聡は、りょうの襟を引き上げる。
 将は、聡の襟を掴んで引き起こしていた。
 起こされた聡は、遠い目で、肩だけで荒い息をしている。
―――聡………。
 ただ、愕然とするしかなかった。
 何ひとつ変わらないと思っていた聡が、一番暗い懊悩を、心の奥に抱えていた。
 どうして、今まで、気がついてやれなかったんだろう。
 聡のことだけじゃない、りょうも、憂也も。
 どうして、今まで。
「……離せよ」
 聡が、将の手を振り払って歩き出す。
 りょうも起き上がり、無言で衣服を直しはじめた。
「……さ、聡君、ちょっと」
 扉を開けて出て行く聡を、雅之が慌てて追っている。
 残された将には見向きもせずに、りょうも立ち上がり、そのまま部屋を出て行った。
「………………」
 将は、壁に背をあずけた。そのまま、座り込んでしまいそうだった。
 どうして今まで、気をつけてやれなかったんだろう。
 どうして―――
 最高の場所を守ろうとしてるだけなのに。
 言葉も思いも伝わらない。
 誰の本音も聞き取れない。
―――こういう時に、出て来いよ、バカ女。
 俺なんて、一生ペットでいいからさ。
「………………」
 もう、よくわかんねぇよ、俺。
 こうなるしかなかったのかよ、俺らは――。

 

                 21



「それにしても、今が絶好調、上り調子のストームだっただけに、なんとも残念なニュースでしたね」
「J&Mは、未成年をたくさん預かっている事務所なだけに、事務所側の姿勢といいますか、責任というものも、当然問われると思いますねぇ」
 扉を開けた途端、初夏の風が吹き込んできた。
 片瀬司郎は、眉をひそませてから、窓辺に歩み寄る。
「……高校時代の先輩で、去年、地元で偶然再会して、関係は、それだけです」
「お部屋にまで行かれる仲だということですけど」
「軽率だったと、反省しています」
「恋愛感情はなかったということですか」
「それは、全くありません」
 流れている映像に、声に、ようやく片瀬は気がついた。
 この閉ざされた白い空間の中で、世界へ繋がる唯一の扉。
 ベッドに横臥する女は、じっとその画面を見つめている。
 入ってきた夫など、何ひとつ目に入らないかのように。
―――しかし、その世界はしょせん、虚構のものだ。
 片瀬は冷めた目で、まるで他人としか思えない息子の顔を画面越しに見つめる。
「……どなた……?」
 ふいに囁くような声がした。
「あなたは、どなた?」
 それが、もう一年近く口を開いていない妻の声だとしり、片瀬は、表情を固まらせた。
「………どなた?」
「和栄」
 妻の目は、呆けたようにテレビ画面に注がれている。
 画面は丁度、彼らの息子の顔を大きく映し出していた。
「もう、二度と、こんなことはしません。ファンの皆様に、心配とご迷惑をかけてしまったことを、心からお詫びします」
 片瀬は不吉な相似に目をすがめる。
 淡々と呟く息子の顔が、ここに入院する直前の妻のものと同じに見えた。
 実際、嫌味なほどよく似た、双子のような母子だった。
「………澪」
 なのに、その存在を、何年も忘れていた母親が呟く。
「澪は……どこ?」













                        
                                 ストーム崩壊(終)



 ※この物語は全てフィクションです。



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